ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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十二時に鳴る鐘の意味を、誰も知ることはない。

しかし、未完の英雄と灰かぶりの少女は、きっとその意味を知るだろう。





二章 十二時に鳴り響く、白銀の鐘音
弱者の独白(プロローグ)


 ──前人未踏の栄光。

 

 人々は騒然、神々は驚嘆。

 

 突如ギルドが発表したのは、現在のオラリオを席巻する【未完の英雄】がLv.3への【ランクアップ】を達成した経緯についての詳細だった。

 

「Lv.3……? ……マジかよ……何かの冗談じゃないのか……?」

 

「ハハッ! やっぱり凄いな、【未完の英雄】は! あの少年は、いつだって俺達の予想を超えるんだ!」

 

 ここに綴るは【未完の英雄】、その功績に他ならず。光に狂いし亡者達よ、今一度その瞳に希望を宿せ。光に狂え。

 

 ──総べての始まり、Lv.1時点でのミノタウロス、単独撃破。

 

 ──塗り替えし歴史、僅か半月によるLv.2への【ランクアップ】。

 

 ──英雄の証明、怪物祭(モンスターフィリア)でのシルバーバック強化種、単独撃破。

 

 そして…… 

 

 ──新たな伝説の到来、『僅か一月にしてLv.3へ【ランクアップ】』。

 

 現在のオラリオを席巻する【未完の英雄】と呼ばれた白兎の少年は、讃えられし二つ名に恥じぬ驚天動地の偉業を瞬く間に打ち立てた。

 

 何より恐ろしいのは、打ち立てた偉業の総てが他者であれば「不可能」と断ずる一番星であること。暗く霞むような栄光が、欠片も存在しないのだ。

 

 ──Lv.1のミノタウロスの単独撃破。人はこの偉業を無理だと首を横に振る。

 

 ──僅か半月でLV.2へ【ランクアップ】。人はこの偉業を異次元の速度だと断ずる。

 

 ──シルバーバック強化種の単独撃破。人はこの偉業を自殺志願者のすることだと慄く。

 

 ──僅か一月でLv.3へ【ランクアップ】。人はこの偉業を不可能であると思わず目を疑った。

 

 他者では為せぬことをする。それこそが【未完の英雄】が紡ぐ英雄譚。

 

 故に民達は、惜しげもなく英雄を喝采するのだ。

 

 曰く、希望の体現者と。曰く、英雄の中の英雄と。曰く、化け物の討滅者と。曰く、曰く、etc……。

 

 数え始めれば(きり)がない。

 

 囁かれる噂の中には、あの【剣姫】と共に謎のモンスターを討伐したらしいという、嘘か真実か判断の付かないものまで存在した。

 

 多くの者達が【未完の英雄】を讃え、新たな英雄の誕生に祝福を送る。

 

「これから多くの英雄譚を生み出して欲しい」と、人々は叫ぶ。「我等が心を歓喜で満たして見せろ」と、神々は願う。

 

 ──しかし、総ての人間と神々が英雄を喝采している訳ではなかった。

 

 ほら、よく目を凝らしてみるんだ。ここにも一人、英雄の威光に目が焼かれていない、灰かぶりの少女が居るだろう? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○

 

「おいっ! なにチンタラしてやがる、さっさしろ!」

 

 ──何が、次代の英雄だ。

 

 ──何が、悪を討つ裁定者だ。

 

 ──何が、希望を背負う者だ。

 

【未完の英雄】が真の英雄足りえる存在ならば、早く私の目の前にいる屑にも劣った畜生(かたがた)を断罪してはくれないだろうか。私の雁字搦めな絶望的状況を、真一文字に斬り伏せてはくれないだろうか。

 

 ──お願いだから、助けて下さい。

 

 だが現実は、私の願いを否定する。英雄が駆けつけてくる事はない。

 

「こっちは時間がねぇだよ、時間がよぉ? 分かってんのか、この能無しがっ!」

 

 誰にも手を差し伸べてはもらえず、愚鈍な冒険者達に寄生するように縋り続けれなければいけない私はきっと、英雄に救われるヒロインにはなれない。

 

「ったく。鈍間な足で後ろを付いてくることしか出来ねぇ奴に、くれてやる報酬なんてなぁ……1ヴァリスもねぇんだよ! 分かってんのか? あぁ!?」

 

 何時までも薄暗い闇の中で、灰をかぶって生きていくしかないのだ。

 

「いやー……それにしても【未完の英雄】君の戦い、凄かったよなぁ」

 

 オラリオに轟いた天神の雷霆でさえも、照らせない人々が居る。英雄譚の端役にすらなれない、どうしようもなく終わっている人間が、オラリオには存在するのだ。

 

「ああ、あれな。シルバーバックとの戦いだろ?」

 

 夢を望んではいけない。希望を抱いてはいけない。私のような人間は誰かを騙し、誰かから奪い、今日という日を必死で食い繋いでいくしかないのだから。

 

 手段を選んでなどいられない。選ぶ余裕など端から存在しない。

 

「そうそう。正直あの戦い見るまで俺は、Lv1でミノタウロスを倒したなんて噂は、欠片も信じてなかったんだぜ。なーにホラ吹いてやがるんだってさぁ」

 

 惨めだった。只管に無様だった。

 

『【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】──────!!』

 

 純真無垢な希望の祈りは、時に人の心に根深い罪を植え付ける。

 

 ──だってそうじゃないですか? 

 

 あの光さえ見なければ、胸が引き裂かれるような、心の痛みを抱かずに済んだのに。

 

「まあ、あんな傷だらけで立ち続けるなんて、俺からすりゃ気が知れねぇけどよ」

 

 私達を守る為に魂魄を燃焼させる英雄の雄姿さえ目の当たりにしなければ、まだ今の暗がりが丁度良かったのに。

 

「腕とか完全に逝ってたもんな!」

 

 ──前を見ようと思わずに済んだのに。

 

 ──「頑張ってみよう」等と、考えずに済んだのに。

 

 今の自分を認めているのに、今の自分を認めたくない。あの輝きを見て以降、相反する思考が同居しているのだ。

 

「俺らも今から英雄、狙って見るか? あの白兎みたいにさぁ」

 

 痛い。胸が痛い。私を馬鹿にして見下す冒険者を嘲笑するだけでは、己の存在価値を維持出来なくなった。

 

 今、私に襲い掛かるのは、己が『弱者』である厳然なる事実。

 

 そして、「誰かの為に」と前へ突き進む英雄に、偶々その場に居たから助けられただけの顔も名前も無い「一般市民」であると、突き付けられた事への恐怖だ。

 

 あぁ、恐い。私は恐怖を抱いている。何に? 【未完の英雄】に? ……違う。行き止まりのような、灰をかぶったような、無価値な自分の人生に。

 

「ぎゃははっ! 冗談言うんじゃねえよ! 誰があんな英雄(バケモノ)なんて目指すかってんだ! 命がいくつあっても足らねえだろうが!」

 

「言えてるぜ!」

 

 白髪の英雄は、もし私をモンスターから助けられなかったとしても「ごめん、君を助けられなかった不甲斐ない僕を許してくれ。……でも。あぁ……だからこそ、僕は前へと進むよ。君の無念もこの背に抱いて。決して立ち止まらないと誓う。必ず報いてみせる」と、助けられなかった「誰か」の一人として、私の命を勝手に背負って征くのだろう。

 

 それが、「私」の命には価値がないと侮辱されているようで。灰色の人生を歩む私が、悲しい存在のようで。

 

 弱者で居続ける自分が、何故か許せないのだ。

 

「「ギャハハハハハッ!」」

 

 私の前に立っていた白髪の英雄は、強者だった。誰かさん()とは違って、たった一つしかない世界で何よりも大事な筈の自分の命を、赤の他人の為に躊躇いなく費やせる人間だった。

 

 ──英雄だった。

 

 ──じゃあ、なんで私を助けてくれないのですか? 

 

 また、胸がジクリと痛む。余りにも自分勝手で、我が儘な心の慟哭。

 

 醜い、私。大嫌いな、私。

 

 そんな私を、彼が救ってくれる訳がない。前しか見ていない英雄に、後ろばかり振り向いて過去に囚われている私は映らないに決まってる。

 

「おい、遅れてんじゃねぇぞ!」

 

 思考の最中、私を怒鳴る声が耳元で震えるように響く。嫌な雑音(ノイズ)だ。一言、耳にしただけで気分が下がる、最低な音。

 

 彼等を見てみろ、白髪の英雄。

 

『冒険者』とは本来、彼等のような横暴な人間を指す言葉だ。

 

 彼等は弱者に手加減も、慈悲も与えない、残酷な人間。非情な人種。

 

 だって昏き闇の底で蠢動するダンジョンには、残念ながら人間の論理は何一つとして通用しないから。

 

 深き底に通じる迷宮を支配するのは、「弱肉強食」を掲げる獣の法しかないのだから。

 

 故に、彼等こそが真の冒険者なのだ。そうであるに違いない。

 

 彼等は自身の抱える欲望を満たす為ならば幾らでも残忍になれるのを、貴方は知っていますか。英雄様? 

 

『誰か』の笑顔を守り、『誰か』の心に希望を灯し、『誰か』の幸福を願える貴方にはきっと──

 

「たく、英雄様みたいな一騎当千の活躍を求めてる訳じゃねんだ。せめてモンスターが集まった時くらいは、ちゃ~んと仕事をしてくれよ? ──なぁ、役立たず(サポーター)君?」

 

 ──『弱者』の気持ちは分からない。絶対的な『強者』である英雄様では、運命に抗う力も持たない無力な非戦闘員()の気持ちなど、絶対に。

 

「……ん? ……おい、あそこでモンスターと戦ってる餓鬼、もしかして【未完の英雄(ベル・クラネル)】じゃねえか?」

 

「……あん? おー確かにありゃ、英雄様だな。あんな目立つ容姿してりゃあ、間違えっこねえぜ」

 

 冒険者達(ノイズ)が何かを喋った。聞きたくもない者の名(ワード)を発した。

 

 瞬間。

 

 ──英雄の覇気(ヒカリ)が、空間に満ちる。

 

 ──喝采せよ、【未完の英雄】の登場だ。

 

 身体が、無意識の内にガタガタと震える。自然と頭が俯き始め、汗が零れて地面に滴り落ちた。

 

 まただ。また、白髪の英雄が戦っている。私と同じ道を。私と同じ世界で。オラリオの大地で、戦っている。

 

「にしても……なんだよ、あの動き……速すぎて、よく見えねえぞ……」

 

「気が付いたら……モンスターが死んでやがる……」

 

 生きる世界が違う筈なのに。綴られる物語の題目が、違う筈なのに。

 

 灰をかぶった私の直ぐ目の間で、【未完の英雄(主人公)】が戦っている。

 

「……本当にLv.3に【ランクアップ】したって言うのかよ? たった一月で? ……冗談キツイぜ……」

 

「ハハハッ……正しく英雄だな、生きる世界が違う…………違い、すぎるぜ……」

 

 彼等の会話を聞いて、鬱屈とした想いが湧き上がって止まらない。

 

 軋む身体、震える心。五臓六腑に染み渡る、英雄への八つ当たりじみた怒り。

 

 彼等の言う通りだ、生きる世界が違う。

 

 思わず、視線を向けてしまう。見たくないと思いながらも、目を逸らしたいと考えながらも、身体が言う事を全く聞いてくれない。

 

 僅かも存在しない希望(かのうせい)を夢想したい、愚か者の行動だ。

 

 ──眼前に広がるのは、化け物殺しの英雄譚。

 

 ──灰かぶりの少女の求めていない希望の光が、燦燦と煌いていた。

 

 モンスターに対峙する白髪の英雄は、両手に握る二刀へ雷霆を纏わせて、迅雷の如く疾走する。

 

「疾っ!」

 

『グギャッ!?』

 

 英雄が奔る。雷の落ちる音がする。断末魔が響く。モンスターが一刀両断されている。

 

 瞬きする間も許されない、刹那の攻防。しかし、両者の間に駆け引きなど存在しない。

 

 英雄が踊り、血飛沫が舞う。轟く雷鳴は、戦場に響く旋律だ。

 

 化け物共の怒号は、戦場に閃く雷の残影に斬り伏せられ。

 

 化け物共の殺意は、英雄の意志を前に霧散する。

 

「はぁっ!!」

 

『ガッ!? ……ァ……』

 

 英雄が魅せる後ろ姿に、不安も恐怖もありはしない。その背に担うのは「勝利」と「希望」。

 

「ふっ……!」

 

「せぃっ……!」

 

「せぁっ……!」

 

『『『ギャァ…………』』』

 

 振るう刃は至高であり。進軍する姿は最強で。纏う雷霆は究極だった。

 

 ──それ以外に形容すべき言葉が無かった。

 

「これで終わりだ!」

 

『グ……』

 

 人間を喰らい尽くさんと獰猛な表情を浮かべていたモンスターの群れを一騎当千、蹂躙する。

 

 正に、彼は白髪の英雄(主人公)

 

 余りにも一方的すぎる、戦闘の展開。モンスター達は、たった一人の英雄に傷の一つ与えることすら許されない。

 

 悪は正義に敗れるのが運命であると、世界が突き付けているようだ。

 

 そう言わしめる程に、【未完の英雄】は圧倒的だった。否、圧倒的すぎた。思わず対峙していたモンスターを憐れんでしまう位に。

 

 もはや嫉妬の感情すら抱けないくらい、生きる世界が隔絶している。

 

 そして私は人間の屑だから、彼等のような冒険者の下で非戦闘員(サポーター)をしているしかないのだ。

 

「そろそろ戻ろう。あまり無茶はするなって、エイナさんに怒られたばっかりだし……。それに、神様の悲しそうな目はもう見たくない」

 

 英雄の姿が、徐々に近づいてくる。私達の向かう先は、下の階層。英雄の向かう先は、進む足取りからして恐らく上の階層。

 

 ならば英雄が接近してくるのに、なんら可笑しな事はない。

 

 寧ろ、当然の帰結だ。

 

 なのに、胸に溢れる凍えるような虚しさはなんだ? 英雄がダンジョンに潜れば、新たな偉業を打ち立てる舞台と化し。彼等のような冒険者がダンジョンに潜れば、弱者を甚振る舞台に堕ちる。

 

 現実は、余りにも理不尽だった。

 

 私の前方からやって来る、白髪の英雄。凛々しい顔立ちに、英雄と呼ぶに相応しい雄々しき覇気。前髪から覗かせる深紅(ルビー)の瞳に、鋼の如く揺るがない強い意思が宿っている。

 

 ──私を、助けてよ。英雄様……

 

 声にもならない慟哭も虚しく、私の横を過ぎ去っていこうとする白髪の英雄。

 

 結局、弱者は眩い希望を前にしたら、無意識に縋ってしまうのだろう。そんな自分が大嫌いだ。

 

 ──私と白髪の英雄が交差する、その刹那。

 

『…………!』

 

「…………え?」

 

 世界から取り残されるような不思議な感覚の中で、彼の視線が、確かに私と交わった。

 

 

 

 

 

 そんな気がしたのだ。

 

 

 

 灰かぶり姫の物語が、幕を開ける。

 

 彼女に手の伸ばすのは、白馬に乗った王子でも、世界に選ばれた勇者でもない。

 

 強大な竜に挑むことも、世界を滅ぼさんとする魔王に立ち向かうこともない。吟遊詩人に詠われることも、いずれ来る聖戦の為に突き進むこともない。

 

 しかし、俯くことなかれ。嘆くことなかれ。

 

未完の英雄(ベル・クラネル)】は、きっと灰かぶり姫(リリルカ・アーデ)の英雄になる。

 

 

 だから二章は、貴女の為の英雄譚。

 

 

 

 

 ──二章 十二時に鳴り響く、白銀の鐘音

 


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