ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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最初の死線(ファーストライン)

 ダンジョンは生きている。故に英雄は拒まれる。

 

 ダンジョンには意思がある。故に英雄は恐れられる。

 

 稲妻の如き瞬きでダンジョンの根源(さいかそう)へ辿り着こうと、【未完の英雄】は進軍する。

 

【未完の英雄】を世界から消滅させる為に、ダンジョンは今日も妖しく脈打ち、鼓動する。

 

 神に背く奈落の獣は、雷霆に灼かれて滅されよ。全能神の裁きをもって、魔石(あるべき姿)へ帰るのだ。

 

 迷宮と英雄の因縁は、悠久の昔から。宿命の日は、未だ遙か遠い未来に。

 

 しかし、たしかに、宿命の日は刻々と近づいていた。

 

 ○

 

 太陽未だ昇らず、鳥の囀りも聞こえない静寂とした未明、午前三時。ベルは狙いすましたかのように瞼を開いて、目を覚ました。

 

「時間通り」

 

 壁にかけられた時計を一瞥すれば、時間に狂いのないことが証明される。

 

 その後は「ベル君の、あんぽんたんぅ」と寝言を零しながら抱きついて離れないヘスティアが、目を覚まさないように優しく引き剥がして、ベルは身だしなみを整え、物音立てずに、そっと教会の外へ出た。

 

「すぅ」

 

 空気が冷たく澄んでいる。ベルは何度か深呼吸をして、頭に纏わりついていた鉛のように重く、泥のように粘ついた眠気を振り払う。

 

「よし、始めよう」

 

 怪物祭での死闘から数日。満身創痍の肉体は完全に回復し、「お願いです神様! そろそろダンジョンに行かせてください!」と懇願したことで、ヘスティアから渋々ながらもダンジョン探索再開の許可を貰ったベルは、鈍った感覚を取り戻すように、いつにも増して苛烈な鍛錬に勤しむ。

 

「ふっ! 疾っ!」

 

 両手に握る武器は、半月の間ダンジョンを共にしたギルド支給品の短刀から、神ヘファイストスが鍛え上げた黒の二刀へと姿を変えている。

 

 ずっしりとして重いのは、材料だけではなく、ヘスティアとヘファイストスの想いが乗せられているからだろう。

 

「凄い! 二回目なのに、手に馴染む!」

 

 二度、三度と二刀を虚空で振るい、ベルは歓喜に打ち震える。まるで握り締める両手と融合したように、自由自在、思い通りに動くのだ。

 

 四度、五度。袈裟斬り、振り上げ、横一文字と刃を振るえば振るうほどに、二刀はベルの意思を汲み取り、さらに馴染んでいく。

 

 気が付けば、太陽が僅かに城壁の先から顔を出して、オラリオを眩しく照らし始めていた。

 

 ○

 

「ちょっと夢中になりすぎたかな」

 

 ふぅと軽く熱の籠もった息を吐いて、ベルは額に滲んだ汗を拭い、ふと、上空を仰ぎ見た。星々きらめいた夜空の姿は消えて、薄い白雲と水色と陽射しの橙色の混ざりあった、美しい(あけぼの)が訪れている。

 

「急がないと」

 

 言葉とは裏腹に、行動に焦りはない。二刀を鞘へ丁重にしまい、ベルは一度、教会の隠し部屋に戻って、ダンジョンへ向かうための準備に取りかかった。

 

 鍛錬に夢中で予定の時間を大幅に過ぎたこともあり、朝食はヘスティアが山のように買って来たジャガ丸くんの残りを、幾つか頬張ることで手早く済ませる。

 

 二刀を腰に帯びて、魔石を収納する袋を落とさないよう腰の後ろに固く縛り、分厚い皮の手袋をはめて、準備完了。

 

「すぅすぅ」と可愛らしい寝息を立てながら、安らかに夢の世界を揺蕩うヘスティアの、艶やかな黒髪を梳くように優しく撫でて、「行ってきます、神様」と囁くように言うと、ベルはダンジョンへ向かうため、足音一つ響かせず静かに部屋を後にした。

 

 ○

 

 廃墟のごとく人の気配が感じられない、閑散としたメインストリートを疾走していると、ベルは改めて自分がLv.3に【ランクアップ】したのだと実感する。大地を踏みしめる脚の力。繰り返す呼吸の軽さ。緩慢に流れていく街の景色。肌で感じる風の感触。

 

 今までの自分とは違う、超人にでも生まれ変わったような感覚に幽かな昂揚を覚えたが、それ以上に、早く今の肉体に慣れなければとベルは気を引き締める。

 

【未完の英雄】。

 

 自分に与えられた二つ名を、ベルは戒めのように受け止めている。まだだ、もっと先へ行ける。ベル・クラネルの限界は、こんなところではない。驕るな。弛むな。足を止めるな。誰かを守れる英雄になるために走り続けろ。

 

【未完の英雄】にはそういう意味が込められているのだと、ベルは勝手に思っていた。思うことで、ベルの決意はより強固となる。

 

 走るベルの視線の先には、魔物の巣窟を封印する摩天楼(バベル)が、英雄の来訪を待ち望んでいるかのように鎮座していた。頂上は遥か、雲の上。僅かに高層を見上げたベルの表情からは、能面のようにすぅと感情が抜け落ちていく。鋭く睨むベルの瞳の中には、僅かな憐憫と強い敵意が混ざりあって揺れていた。

 

「……」

 

 誰かと睨み合っているようにも見えたが、ベルの射抜くような視線は数秒も経たずに、進むべき道へと戻される。

 

 しかし、表情だけは、ダンジョンに潜るその瞬間まで、無のままに固定され続けていた。

 

 ○

 

 ダンジョンの『上層』は、もはやベルの立つべき舞台ではなくなっていた。

 

 二刀で振るう黒刃は紙を破くかのように、皮や硬殻を貫いて、ザンっという響きのあとに、容易くモンスターどもを両断する。

 

 鎧袖一触。一撃必殺。Lv.3へと【ランクアップ】し、僅か半月で上級冒険者の地位に駆け上ったベルにとって、上層に住まうモンスターは命脅かす敵ではなく、鏖殺されるために突撃してくる、哀れな獣に過ぎなかった。

 

「はぁっ!」

 

『グギャっ!?』

 

 命乞いをする暇すら与えられず、モンスターの断末魔が虚しく哀しくダンジョンに響く。英雄の征く道に残るのは、灰と小さな魔石のみ。

 

「ぜぃっ!」

 

『────』

 

『上層』に跋扈するモンスターのことごとくが、英雄の一閃によって、刹那に大地へ骸を晒す。抵抗など許されない。首を断たれて死んだ事実にすら、モンスターは気が付いていないだろう。

 

 分針が三十回も刻まぬうちに、ベルは12階層まで到達した。

 

「もう〝上層(ここ)〟に──僕の求める冒険は無い」

 

 自ずと、刀を握る両の手に力が籠る。英雄の見据える未来の戦場に、『上層』は微塵も入っていなかった。誰かを守る英雄へ至る為、更なる力を渇望する英雄は、次の舞台を望む。

 

 ダンジョンの『中層』と呼ばれる新たな舞台を。

 

 13階層を。

 

 ミノタウロスとの激闘や、シルバーバックとの死闘。駆け出し冒険者が経験するには常軌を逸している死線をくぐり抜けながら、【未完の英雄】の渇望はまるで満たされることはない。

 

 もっとだ。もっと強く。幼い頃に読んだ英雄のように雄々しく、強くならねば。誰にも不安を抱かせない、誰かの希望となれるような英雄に。ベルの瞳の奥で、眩い光がほとばしる。

 

 ──さぁ、次は『中層』だ。

 

 英雄の歩みが、加速する。

 

『『──!!』』

 

 両の手に持つ神刀が、英雄の誓いに呼応するかのごとく、淡い光を鼓動する。駆け上がれ。のし上がれ。神話を超える英雄に成れと、英雄へ激励を送るかのように、刃を震わせ吼えるのだ。

 

 炉の女神は願った、英雄の安寧を。炉の女神は誓った、己が眷属が歩む果てなき旅路に寄り添い続けると。

 

 鍛冶司る独眼は果たした、雷霆との約束を。鍛冶司る独眼は捧げた、英雄が進む果て無き旅路を共に征く武器を。

 

「わかってるよ。僕にできることは前に進むことだけだから。次の戦場に征こう」

 

 震撼せよ、迷宮(タルタロス)。【未完の英雄】が進軍する。

 

 立ちはだかる敵の総てを薙ぎ払い、雷鳴の如く突き進む。

 

 深紅の両眼に宿すのは覚悟の雷火。強大なる敵を打ち破り、神聖英雄譚の一章を紡ぎだした英雄は、さらなる成長を希求するのみ。

 

 故に、英雄は『中層』へと踏み入る。神様たちから贈られた武器(想い)に報いる為にも。英雄になると誓った少女の想いに応える為にも。

 

 ──ベル・クラネルは、決して立ち止まらない。立ち止まることを許せない。

 

 ○

 

「……雰囲気が変わった。ここが、中層」

 

 鋭い視線を絶え間なく動かして警戒を続けるベルは、一度、立ち止まって周囲を見渡しながら、独りごちた。

 

 灰色の岩石に囲まれた、薄暗く湿気の満ちた広い空間。どこか、山に穿たれた洞窟を連想させられる、荘厳な景観が、辺り一帯に広がるのは、魑魅魍魎が跋扈するダンジョンの13階層。

 

 冒険者たちの間で最初の死線(ファーストライン)と恐れられている、『中層』に区分されている最初の階層だ。

 

 天井から水滴が垂れて、地面の岩を打つ音と、じゃりと大地を踏みしめるベルの足音だけが、がらんどうな洞窟に響き渡る。

 

 四方八方に道が続く、入り組んだ迷宮のような構造をしていた『上層』の様相とは打って変わり、13階層は逃げ道のない『ルーム』へ続くだろう一本道だけが、暗がりの先まで延々と伸びている。

 

 モンスターとの接敵を前にして逃亡など許さないと、ダンジョンが言外に告げているようだった。

 

「油断はしない。もうあの日みたいな、情けない姿を見せるわけにはいかないんだから」

 

 ベルの脳裏に過ぎるのは、苦渋を味わった先日の戦い。

 

 瀕死の重体を負ったシルバーバックとの死闘は、無様なまでに防戦一方だった。殴り、蹴られて、潰されて、自壊覚悟で【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】を暴走させていなければ、ベルは間違いなく敗北を喫していただろう。

 

「くっ」

 

 思わず、ベルは唇を血が滴るまで噛み締める。

 

 涙を見た。恐怖に染まる子供の姿を見た。誰もがシルバーバックを目にして、絶望していた。

 

 己が立ち上がっていながら、不安を胸に抱かせてしまった事実が、ベルは何よりも許せなかった。

 

 不甲斐ないと、ベル・クラネル(自分自身)に激怒した。英雄になると誓っておきながらその程度なのかと、大喝した。

 

「だからこそ、前へ向かって進むんだ。後悔している暇なんてないだろう、ベル・クラネル。もっと強くなる為に。誰かを守れる英雄になる為に、僕は走り続ける」

 

 しかし、ベルが後ろを振り向くことは決して無い。振り向けないというべきか。

 

 己に感じた不甲斐なさもまた、ベルを成長させる為の糧となるだけなのだ。前だけを見る。前だけしか見れない。走り続ける以外の道を、ベルは知らない。

 

 一歩、ベルが右足を前へと運ぶ。瞬間、

 

「【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】・集束せよ殲滅せよ(フル・エンチャント)

 

 ベルの唇から紡がれる詠唱(ランゲージ)

 

 暗く陰鬱な一本道に、閃光がはしった。穢れと邪悪を憎悪する純白に染まった雷霆のまたたきが、一本の光線となって、ダンジョンを自由自在に疾走する。

 

 地面を壁を天井を、反射するようにして跳ねて、一本道の薄暗い13階層を、眩い光で喰らい尽くしていく。

 

「来た」

 

 モンスターは忽然と、岩の影から飛び出すようにして現れた。

 

『『『……グルルルッ……』』』

 

放火魔(バスカヴィル)』の異名を持つヘルハウンドの群れが、英雄の進軍を阻止するように立ちはだかる。これより先には進ませないという気概が、ヘルハウンドの双眸に業火のごとく燃えたぎっていた。

 

 ──【未完の英雄】を殺す。

 

 ──【未完の英雄】の息の根を止める。

 

 ──【未完の英雄】をこれ以上、成長させてはならない。

 

【未完の英雄】が纏う他の生命を跪かせんとする覇気を前に、ダンジョンは愚かにも蠢動し続けていた。英雄を屠る為のモンスターを生み出し続けんと、殺意と憎悪をマグマのごとく、ぐつぐつと煮えたぎらせているのだ。

 

 神を屠らんと願い続けるのと同等の憎悪と嫌悪を、たった一人の英雄(人の子)へ向ける。

 

 ヘルハウンドもまた、ダンジョンの切望に呼応するかのように、殺意と嫌悪を両眼へ宿す。【未完の英雄】はあまりにも危険だ。【未完の英雄】の歩みは、ここで止めなくてはならない。

 

 これ以上【未完の英雄】が成長すれば、誰にも手がつけられなくなる。化け物殺しの英雄譚を、ここで幕引きとしなければいけない。止めろ、止めろ、英雄を止めろ。奴を生かしてダンジョン(ここ)から帰すな。

 

未完の英雄(■■■■■)】を殺せ!! 

 

 何故か震え続ける心に、英雄を殺すのだとヘルハウンドの群れは必死になって言い聞かせる。英雄を打倒するのは不可能ではないのだと、何度も何度も自身を鼓舞して、逃げ出したい意思を抑え込む。

 

『グルゥ……』

 

 呻き声を漏らす口の中は、火炎が燃えさかっている。ヘルハウンドの準備は、心構え以外、万全だった。ダンジョンを蹂躙せんとする英雄を骨一本すら残さず灰燼に帰す為、一斉放火で迎え撃とうと、口は既に半開きになっている。

 

 しかし、ヘルハウンドが火炎を放射する瞬間は、ついぞ訪れることはなかった。

 

「遅い」

 

 暗がりの一本道に眩い迅雷がばちりとほとばしり、雷霆とは違う、黒の剣閃が弧を描いたと認識したとき、ヘルハウンドの群れが迎える運命は決していた。

 

「ぜぃ!」

 

 英雄の纏う雷霆は、天地万物を焼き払う、裁きの光。

 

 英雄の振るう剣撃は、森羅万象を斬り裂く、裁きの刃。

 

 一閃、二閃、三閃と無慈悲な刃が音もなく振り下ろされた。

 

『『『ギャッ……』』』

 

 ヘルハウンドのか細い断末魔が、最初の死線(ファーストライン)に木魂する。その幽かな慟哭には、英雄への底しれぬ恐怖が孕んでいた。

 

 ──最初の死線(ファーストライン)、何するものぞ。英雄の前に敗北はなし。

 

 地面に転がる魔石を回収することもなく、ベルは下層へ向かうべく突き進む。

 

 中層という新たな舞台を前にしても、英雄は恐れも怯えも抱いていない。

 

 速く。誰よりも速く疾走して駆け抜けて、視界に入ったモンスターを一刀両断していく。一秒すらも惜しいといわんばかりに、無駄な動作を極力省き、余分な思考を削ぎ落し、ベルは自分自身を一陣の矢の如く研ぎ澄ましていく。

 

 ヘルハウンドを屠り、ベルによく似たアルミラージを屠り、ライガーファングを屠り、激闘を繰り広げたミノタウロスすら屠って、ベルはひたすらに中層のモンスターを屠り続ける。時間の許す限りモンスターを討伐し続けるベルの姿は、英雄としての威光を遺憾なく発揮していた。

 

 ○

 

 30分後、【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】を集束(フル・エンチャント)し続けたベルは、モンスターによる攻撃を受けたわけでもないのに、全身に火傷を負っていた。効率を求めて、二刀ではなく、全身を対象とした結果である。

 

「はぁ……はぁ……ぐぅ……やっぱり、まだ、上手く扱えない、か……」

 

 息遣いも荒く、滝のように発汗し、手足は僅かに震えている。

 

 ベルの肉体に【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】をまとえば、どういった効果がもたらせるのか、ベルはシルバーバックの戦いで学んでいた。

 

 身体能力全般が大きく上昇し、ベル・クラネル肉体自体に雷属性が集束(フル・エンチャント)される。特に敏捷性の向上が著しい集束《フル・エンチャント》は、ベルの実力を二段も三段も上昇させる強力無比な武器となった。

 

 欠点は、ベル自身が感電し、傷を負い続けることだろう。

 

「 【鋼鉄雄心(アダマス・オリハルコン)】で相殺できると思ったんだけど、そう上手くはいかないね」

 

 痺れる右手を見つめながら、ベルは苦笑した。足もぴくぴくと、ベルの意思に反逆するように痙攣を繰り返している。

 

「これ以上、使い続けると、身体が、動かなくなる、か」

 

 一か月前のベルの状態では【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】は発動するだけで肉体を激しく損傷させて、魔力も数秒で枯渇させるという燃費の悪さから、モンスターを倒す以前の問題だった。

 

 それからLv.2、Lv.3と【ランクアップ】を重ねた結果、魔法を集束できるだけの武器を手にし、更に強引ではあるが全身に纏う術を身に着けた。

 

 しかし、

 

「僕自身への集束(フル・エンチャント)は、しばらく、使用禁止かな」

 

 今の自分の有様を見て、ベルは自身への集束殲滅魔法《フル・エンチャント》を封印する判断を下した。【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】を受け止める依代として、ベルの器はあまりにも未熟だった。

 

「魔石はこれ以上、入らないか。もう少し大きな袋、買ったほうがいいかな?」

 

 痺れが引いていくのを感じたベルは、地面に転がった魔石を限界まで膨らんだ腰巾着の中に押し込むと、再び鞘の中にて眠る二刀を抜いて、新たなモンスターを探すために走り出した。

 

 雷霆をまとわずとも、ベルが走り去った道には、びゅうと風の吹き荒れる音が駆け巡った。

 

 ○

 

 英雄の闘技場と化した14階層。魔力に共鳴し振動する二刀の音と、風を切る斬撃の音と、モンスターの断末魔だけが聞こえる、歪な空間。

 

 魔石の採集が終わったベルは、【ランクアップ】の影響で違和感が残る肉体の感覚を取り戻すために、縦横無尽、モンスターを鏖殺し続けていた。

 

「疾っ!」

 

『グギャッ!?』

 

天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】が集束(エンチャント)された《ヘスティア・ブレイド》と《劫火の神刀(ヴァルカノス)》がきぃと甲高い音を響かせながら、モンスターの首を虚空に飛ばす。血と、体液とが、首を失った胴体から噴水のように噴き出した。

 

「次っ!」

 

 雄黄(アンバー)に煌めく右眼が、次なる(モンスター)を求めて、人魂のように揺らめいている。

 

 逃さぬように包囲するヘルハウンドやアルミラージは、ベルの勇姿を前にしていながら、理性なき獣であることを証明するように吠えて、立ち向かって来た。

 

 結末は語るべくもない。英雄が勝利を掴み、モンスターが魔石に還った。ただ、それだけの話である。

 

 ○

 

 肉体の違和感もなくなり、【ランクアップ】以前の感覚を取り戻したベルは、14階層のモンスターを一掃すると、ようやく立ち止まって息をついた。

 

「そろそろ、戻ろう。あまり無茶はするなって、エイナさんに怒られたばっかりだし…… 神様の悲しそうな顔は、もう見たくない」

 

 脳裏に浮かぶのは、つぶらな瞳に涙を浮かべたヘスティアと、不安で曇るエイナの表情だった。

 

 何よりも、

 

 ──私もベルと共に征く!! 君の道に寄り添える!! 

 

 アイズ・ヴァレンシュタインが、初めてベルの横に立った黄金の髪なびかせる少女が、ベルの心にベル自身にも自覚できないほどの、小さな変化をもたらしていた。

 

 一週間前のベルであれば、ヘスティアの涙やエレナの憂慮を解った上で無視して、無理、無茶、無謀を押し通していただろう。

 

 今のベルは、支えてくれるものたち、寄り添ってくれる人の想いに僅かながら応えたいと思っているのだ。心の奥底で眠ったベル・クラネルの本質が、ようやく眠りから覚めようとしていた。

 

 周囲に注意深く視線を巡らせて、モンスターの気配が完全に途絶えたことを確信したベルは、来た道へと振り返り、帰路に着くべく走り出す。

 

「ん?」

 

 前方には三人組の冒険者の姿があった。前に立つ二人はヒューマンの男で、後ろには深々とフードを被って顔を隠すように俯き縮こまっているパルゥムの少女(・・・・・・・)が一人。

 

 すれ違うときに、ベルが彼らをちらりと一瞥すれば、男二人は愕然とした表情でベルを見つめて、

 

「…………!」

 

「…………え?」

 

 後ろの少女と視線を交わした時間は、一瞬。

 

 だが、ベルは少女の瞳を忘れられなかった。ベルを憎んでいるようで、ベルを蔑んでいるようで、ベルを嘲笑っているようで、

 

 ──私を、助けてよ。英雄様……

 

 ベルに助けを求める少女の視線()を、ベルは忘れられなかった。

 

 英雄神聖譚(イロアス・オラトリア)の第二章は未だ幕を開けず。

 

 これより幕を開けるのは、灰かぶり姫と未完の英雄の物語。いずれ神話に語られる英雄神聖譚(イロアス・オラトリア)には記されない、二人だけの物語。 

 

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