ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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幕間 道化師の乙女たち(トリックスターヒロインズ) 前編

 

 ベルとエイナがデートの約束を結んだ時刻から遡ること半日。【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)黄昏の館に、黄金の髪をなびかせる少女の姿はあった。

 

 まだ太陽が地平線に隠れて、薄闇が世を空を地を暗く染めあげている早朝。アイズはしんとした静寂に包まれる中庭で一人、日課である剣の素振りを黙々と行っていた。

 

 縦、横、斜めとアイズが振るうサーベルから放たれた冷たい銀の斬撃が、夜空を瞬く流星のように美しい軌跡を虚空に描き出す。そのあとを追うようにぶおん、と風を斬る音が鋭く鳴く。

 

「ふっ!」

 

 唇から小さく息を吐きながら、アイズはサーベルを振るい続ける。何度も何度も繰り返し放ち、自身が求める理想の剣技へ少しでも近づくために誤差を修正していく。

 

 一日でも怠ければ身体は錆びて、技量は衰えてしまうという不安の暗雲をふり払うために繰り返してきた呪いじみた日課。

 

 しかし、ここ一ヶ月のアイズは不安に操られるのではなく、身体の奥底から湧き上がる炎に似た恋情に背中を押されるようにして日課に励んでいた。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)を終えてから数日の時が流れた現在、溢れてとまらない恋情に突き動かされたアイズは、少しでも長く素振りをしようと普段より二時間も早く中庭へ足を運んでいた。

 

「しっ! ふっ! はぁっ!」

 

 サーベルを振るえば振るうほどに、剣閃の奏でが激しさを増していく。

 

 止まることを知らない剣姫の刃はやがて銀の五月雨となって、庭木の梢と離れ離れとなった落ち葉を穿つ。

 

 穿たれてバラバラに分かれた落ち葉は風に攫われて別々の方向へ流されていくが、アイズはその事実に気づかない。 

 

 今、彼女の瞳に映るのは長閑な中庭の風景ではなかった。

 

 ベル・クラネルの幻影だ。

 

 太陽よりも鮮烈な光を放つ雄々しい少年の戦う姿が、アイズの瞳に焼きついて離れない。

 

「・・・・・・ベル」

 

 その名前を口ずさむだけで、アイズの胸はぎゅっと締めつけられて頬が火照ってしまう。しかし、それは風邪を引いたときのような頭と心を刺戟する不愉快な熱とは真逆の、心地よい熱。

 

 これが恋なのだと思うと、アイズは不思議な心持ちになる。

 

 これまで育ててきた憎悪が消えたわけではない。怪物(モンスター)への憎悪は今でも心の奥底で、溶岩のようにぐらぐらと煮えたぎっている。

 

 しかしベルとの出会いが、憎悪だけを胸に抱いて生きてきたアイズに別の感情を生み出した。恋という温かな燈で冥府の如く昏い憎悪の闇に沈んでいたアイズの心を照らしてくれた。

 

 だから、怪物祭(モンスターフィリア)の日。アイズの前に雄々しき光の英雄が現れた時、胸が張り裂けそうなほど苦しくなった。

 

 英雄の気風をほとばしらせて、都市(オラリオ)を守るためにモンスターを討伐しようと歩み寄ってくるベルの瞳に、アイズは映っていない。分かってしまったのだ、自分はベルに守られる『誰か』でしかなかったことが。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインではない、守るべき『誰か』。英雄譚に語られる英雄に守られる民衆の一人。

 

 ベル・クラネルは残酷なまでに英雄だった。守る誰かに優劣なんて存在せず、ただ平等に英雄と守るべきものたちの間に線を引く。

 

 英雄と英雄以外の境界線を。そして英雄は、ベル・クラネルしかいない。他のすべては守るべき誰か。

 

 その事実が、心が凍てつき砕けてしまうほど怖かった。ベルの堂々たる姿が、手を伸ばそうと届かない大空を羽ばたく鷲のようにとても遠い存在に思えた。

 

 何よりも、ベルが守ってくれるから大丈夫だと安堵する気持ちが僅かながら生まれてしまったことがどうしようもなく嫌だった。

 

 アイズは守られる誰かになりたいんじゃない。アイズ・ヴァレンシュタインという一人の人間としてベルの横に並び立ち、背を預けあって戦いたかったのだ。

 

 そう心で強く願っても、身体は鎖で縛られたようにぴくりとも動いてくれなかった。

 

 やがて幕を開ける英雄譚。

 

 極色彩のモンスターの群れと戦うベルを見て、アイズは確信してしまった。

 

 彼がこのままモンスターの群れを圧倒し、勝利の栄光をその手に掴むだろうことが。彼が紡ぐ英雄譚に新たな一頁を刻むだろうことが。

 

 そして、もしあそこで立ち上がっていなければ、ベルの横に立つ権利を永久に剥奪されるような気がしてならなかった。

 

 それは、絶望の色に似ている。暗くて冷たくて重い黒が心を覆い尽くすかのようだった。

 

 リヴェリアがこの胸に抱く想いの形が何であるのか教えてくれなければ、アイズはきっと立ち上がれなかった。

 

 ベルとアイズの間にそびえ立つ見えない壁を乗り越えることはできなかったはずだ。

 

「アイズの好きにすればいいんだ」

 

 リヴェリアがそう言ってくれたから、祝福を贈ってくれたから、アイズはベル・クラネルの英雄譚に乱入することができた。

 

 あの時、英雄の舞台は既に完成されていた。

 

 二刀を持った英雄が混沌と化した戦場に現れて、モンスターの群れへ果敢に立ち向かい、傷つきながらも勝利する。

 

 そんな雄々しくも美しい物語の、誰もが求めて止まない、最高の終幕(フィナーレ)

 

 それをアイズは破壊した。自らの想いを貫くために、自らの意志で、完成された英雄の舞台をぶち壊したのだ。

 

 しかし、アイズに後悔はない。

 

 英雄の舞台の一つでも破壊しなければ、この恋情(おもい)を実らせるなど夢もまた夢だと英雄の後ろ姿を見て痛感したから。

 

(ありがとう、リヴェリア)

 

 胸中で感謝をしながらも、アイズは素振りを継続する。アイズが研鑽に励むように、ベルもまた更なる高みを目指して勇往邁進しているはずだと信じているから。

 

 ベルを想いながら振るうサーベルの冴えは時間が経過するほどにその鋭利さを増していき、風切り音がごうと突風のように鳴って、庭の草を微かに揺らす。

 

「・・・・・・ベルはもっと強くなる」

 

 あの日のベルを想起しながら、アイズは呟く。

 

 誰が冒険者になってから半月でLv.2に【ランクアップ】すると思った? 誰がわずか一カ月でLv.3の領域(ステージ)に至ると思った? 

 

 そんな誰も予期できなかった、予想すらしていなかった偉業を成し遂げたのがベル・クラネルだ。

 

(ベルが、Lv.6になったら?)

 

 これから数多の試練を乗り越えて、数多の死線を潜り抜け、数多の修羅場を生き抜いた先にLv.6へ至ったベルの姿を浮かべようとするが、アイズにはまったく想像できなかった。いや、きっと神でさえベルがどれほどの成長を遂げるか想像できないだろう。

 

「私は、ベルの隣にずっと立ち続けていたい」

 

 心から浮上した感情を言葉に変えて呟きながら、アイズはサーベルを勢いよく振り抜いた。

 

 たった一度で満足できるほど、胸に猛る恋の炎は弱くない。彼の手に触れ、握り合い、決して離したくはない。

 

「・・・・・・だって、私はベルが好きだから」

 

 ▲

 

 ベルへの想いを燃やして鍛錬に没頭していたアイズはこつこつと石畳を叩く足音を聞いて、思わずその手を止めた。

 

「急がないと、始まってしまいます」

 

 そう言って黄昏の館から出てきた足音の正体は、山吹色の髪が特徴的なエルフの少女、レフィーヤだった。

 

「……レフィーヤ?」

 

 陽も昇らない早朝に予期せぬ人物を発見したアイズは、不思議そうに首を傾げる。

 

(・・・・・・何してるんだろう)

 

 霧のような薄闇で視界が閉ざされているからなのかアイズには全く気づいていない様子のレフィーヤは、そそそと忍び足をしながら入り口に近づくと門番と何言か話し始めた。

 

 よほど小さな声で話しているのか、レフィーヤの声は聞き取れず門番たちの「はい」とか「わかりました」とかの事務的な返事だけがアイズの耳へ運ばれてくる。

 

 暫くすると門は重々しい音を周囲一帯に響かせながら開き、レフィーヤが本拠(ホーム)を抜け出して街路を駆けていった。

 

「あ、行っちゃった・・・・・・」

 

 今まで見たこともないレフィーヤの姿を目の当たりにしたアイズは、呆然と彼女を見送る。

 

「こんな朝早くにどこへ行くんだろう・・・・・・」

 

 ここまで強い好奇心が胸に生じたのは久しぶりのことで、アイズ自身でさえ理解できない第六感のようなナニカが「レフィーヤを追うべき」と囁いている。

 

「・・・・・・どうしよう」

 

 鍛錬を継続せよと告げる理性とレフィーヤを追えと訴える第六感が鬩ぎ合っていた時、柔らかな風が吹いてアイズの頬を優しく撫でた。

 

 刹那、心の迷いが風と共に去っていく。

 

「追ってみよう」

 

 そう決断を下したアイズはサーベルを鞘に仕舞って、門に向かってその一歩を踏み出した。

 

 二人の少女が本拠(ホーム)を抜けて、人気の絶えた都市(オラリオ)に出る。その行き先はレフィーヤだけが知っている。

 

 ▲

 

 薄っすらと白い朝霧が立ち込める迷宮都市オラリオは、日中の喧騒が幻想世界(ゆめ)の風景であるかのように静寂の帳がおりている。

 

 アイズに後をつけられているとは思ってもいないレフィーヤは、どこかおどろおどろしさの漂よう都市(オラリオ)を軽い足取りで駆け抜けていく。

 

「ふーん、ふふーん」

 

 早朝に出歩くようになった当初は、朝っぱらから門番たちに行き先も告げず門を開いてもらうことに後ろめたさと申し訳なさを感じていたレフィーヤ。

 

 しかし回数を重ねた今ではすっかり慣れてしまい、鼻歌を歌いながら走れるくらい心に余裕が生まれていた。

 

 それでも仲の良い人たち、特にアイズ(・・・)には決して露見したくないので、レフィーヤは警戒心を緩めず私室から門まで移動するように心がけていた。

 

(まさか、こんな朝早くから中庭に人がいるわけもないですから、今日も上手く出てこれましたね!)

 

 レフィーヤは私室から門までの記憶を想起して胸中で安堵する。

 

 本音を言えば門番たちにもバレたくはないのだが、彼らの役目は不審な人物が黄昏の館に侵入しないように警戒することなので、こればかりはしょうがないと諦める。

 

 こうして現在進行系で憧れの人に追跡されているという残酷な真実に気づかないレフィーヤは、誰とすれ違うこともなく、思わぬ事故(アクシデント)に巻き込まれることもなく、目的地である北西の外縁部へあっと言う間にたどり着く。……着いてしまった。

 

「やっぱり、今日もちゃんといました!」

 

 彼女があのアイズにすら隠している秘密。それは、

 

「ふっ! しっ! はっ!」

 

 日も昇らぬ早朝、オラリオを囲む市壁の上で鍛錬に励む白髪の少年(ベル・クラネル)をじっくりと観察することだった。

 

 それはストーカーではないのですか? という脳内に住まう良心からの鋭利な問いかけに対して、レフィーヤは堂々と胸を張って、一切の罪悪感を抱くことなくきっぱりと答える。

 

「これは敵情視察です!」と。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)の一件以降、ベルを好敵手(ライバル)と一方的に認定しているレフィーヤは、数日間に渡って彼の本拠(ホーム)を早朝から日が落ちるまで粘り強く張り込み続けた。

 

 その結果、遂にとある現場を目撃するに至る。

 

 それが、レフィーヤの眼前で行われている早朝の鍛錬だった。

 

「まずはベル・クラネルの実力を見極めないといけません。敵の能力分析は戦いの基本ですからね、ええ、そうです。ですので私は当然のことをしているだけです」

 

 なぜか自らの良心へ言い訳するように独り言を呟いて、レフィーヤはきらきらと宝石のように美しい汗を流しながら鍛錬に励むベルの動きをじいと見つめる。それが随分と熱い視線であることに、本人はまるで気づかない。

 

「むぅ、あの動き。やっぱりLv.3にランクアップしたのは本当らしいですね」

 

『ギルド』から正式に発表されているとはいえ、冒険者になってから一カ月でLv.3に【ランクアップ】したと言われてもにわかには信じがたいレフィーヤだったが、眼前に広がる光景を見れば納得せざるを得なかった。

 

 目を凝らしても全く捉えられぬ、天よりおちる落雷の瞬きを想起させる二刀の剣閃。呼吸を乱すこともなく淡々と刀を振るい続ける体力。一閃、また一閃と、漆黒の刃を瞬かせるごとに研磨されていく技量は、見ているものから時計の針が進むのを忘却させる。

 

「何だか、昨日より動きが洗練されているような気が・・・・・・」

 

 オラリオの城壁で鍛錬をしていることを目撃して三日間、目と記憶と魂魄へ焼き付けるように観察してきたレフィーヤだからこそわかる些細な変化。刃の軌跡を目で追うことは出来ずとも感じるベルの確かな成長。

 

「あれで冒険者になって一カ月なんですから、恐ろしいですよ、本当に」

 

 一目見ただけでは、ベルがオラリオに来てから一か月も満たない新参者の冒険者だとは誰も思いはしないだろう。

 

 それほどまでに、ベルが薄闇を斬り裂くように放つ二刀の閃きは洗練されていた。無駄を徹底的に削ぎ落し、ひたすらに効率を追求する太刀筋はいつまでも眺め続けても飽きないほどに美しい。

 

「強い。技量だけ見れば、ベル・クラネルは間違いなく第一級冒険者に届いている」

 

 唯一不足している経験も、誰もが目を剥いて驚愕するような怒濤の速度で積んでいくだろう未来がありありと見える。

 

 なるほど冒険者が、民衆が、神々が、都市(オラリオ)中がベル・クラネルを次代の英雄として期待するわけだ、とレフィーヤは得心する。

 

 神の怒りの象徴と考えられてきた雷をその身に纏い、黒き刃の二刀を振るって化物と対峙する猛々しく眩しい英雄の勇壮に心奪われないものなど、数々の英雄がその名を轟かせる都市(オラリオ)にはきっといない。

 

 レフィーヤもまた、【未完の英雄(ベル・クラネル)】の英雄譚を最前列で目撃して心に落雷が落ちたような衝撃を受けてしまったものの一人だから。

 

 それだけではない。あの日の英雄譚はベルだけのものではなかった。【未完の英雄(ベル・クラネル)】の隣に並び立つ【精霊の姫(アイズ・ヴァレンシュタイン)】もまた、英雄譚の主役として怪物との戦いを演じていた。

 

 一つの舞台に、二人の英雄(しゅやく)。ベルとアイズの背を預け合って戦う姿は忘れようにも忘れられない。

 

「悔しいです」

 

 唇を噛みながらレフィーヤは呟く。

 

【未完の英雄】と【精霊の姫】が共に敵へ立ち向かう神聖な景色を見て、不覚にもお似合いだとレフィーヤは思ってしまった。アイズの隣に相応しいのは、ベル・クラネルだと思ってしまった。 彼だけがアイズに真の笑顔を咲かせられるのだと思ってしまった。 

 

 何よりもベルのアイズを全幅に信頼するあの笑みが、自分に向けられていないことがなぜかどうしようもなく悔しかった。

 

「ねぇ」

 

 背後から発せられた憧れの少女の声に、自分の世界に没入しているレフィーヤは残念ながら気づかない。二刀を振るい続けるベルに五感の全てが虜にされている。

 

「でも、私だって負けません」

 

 噛み締めるように呟く言葉が、レフィーヤの闘志を膨れ上がらせた。ベル・クラネルの背に追いつき、追い抜いて、アイズの隣に立ってみせるという誓いが心の硬度をあげていく。

 

「ねぇ」

 

 再び、背後から声が投げ掛けられる。

 

「もう、誰ですか。今、私は忙しいんです」

 

 思考を遮られたレフィーヤは眉を顰めながら、しっしっと手で振り払うような動作をする。

 

「レフィーヤ、ここで何してるの?」

 

「ですから私は、忙しいん・・・・・・で・・・・・・す・・・・・・」

 

 三度も声をかけられて我慢の限界に達したレフィーヤは、ようやく後ろへ振り向く。

 

「・・・・・・はえ?」

 

 彼女の視界に映ったのは、気絶してしまいそうなほどに美しくしなやかな肢体。腰まで真っ直ぐに伸びた金色の髪。宝石を埋め込んだかのごとく煌めいている金色の瞳。あどけなさを残した愛らしい相貌。

 

 それは憧れの少女、アイズ・ヴァレンシュタインだった。

 

 瞬間、レフィーヤの思考が凍てつく。

 

「・・・・・・これは、幻覚、です」

 

 目の前の現実を受け入れたくないレフィーヤはぐぎぎ、と音を立てるように一度ベルの方を向いて、また振り返る。忽然と現れた(と本人は思っている)アイズの姿が幻であることを願って。

 

 しかし、残念ながら彼女の目の前にいるアイズはレフィーヤの妄想が生み出した幻ではなかった。

 

「・・・・・・大丈夫?」

 

 レフィーヤの紺碧の瞳には彼女を心配するアイズがしっかり、くっきりと映し出されている。

 

 アイズさんが、私の目の前にいる。

 

 その事実を受け入れた瞬間、

 

「ア、ア、ア、アイズさん! どうしてここに!? って、わわわ!?」

 

 あまりの衝撃に混乱したレフィーヤは、足をもつれさせて姿勢を崩し尻もちをついてしまう。

 

「いつつ……」

 

 まさかオラリオの最果てにある市壁で早朝からアイズに遭遇するなど、レフィーヤは微塵も想定していなかった。

 

「大丈夫、レフィーヤ? その、ホームから出ていくのが、見えたから」

 

 尻餅をついたレフィーヤを見て、少し申し訳なさそうにしながらアイズが言う。

 

「えーと、こ、これはですね! 何と言いますか! その!」

 

 アイズの声などまるで聞こえず、レフィーヤは言い訳を考えようことに意識の総てを集中させる。しかし、何一つとして名案がひらめかず言葉は途切れて進まない。

 

「これには極めて重大で深刻なわけがありまして・・・・・・」

 

 なんとかしてこの場を乗り切ろうと苦心するレフィーヤをよそに、アイズの視線が市壁の一角へと向けられる。純白の髪を揺らしながら、刀を振るう少年の姿がそこにはあった。

 

「ベル、見てた?」

 

 金色の瞳が、再びレフィーヤを見つめる。

 

「うぐっ!」

 

 確信を突くアイズの言葉に、レフィーヤは胸を押さえながらうずくまった。

 

 元よりごまかせないと諦めかけていたが、アイズから決定的な一言を突きつけられたレフィーヤは、最後の最後まで悪足掻きをしていた不甲斐ない自分への羞恥心に悶えることしかできない。

 

「はいぃ、アイズさんの言うとおり、ベル・クラネルを見てましたぁ」

 

 事ここに至り、嘘をつき続けるのは不可能だと悟ったレフィーヤは、地面にへたり込みながらあっさりと白状する。

 

「アイズさん、どうかこのことはみんなには内緒にしてください! お願いします!」

 

「うん、誰にも言わない。……約束」

 

 ざざぁと音を立てながら土下座をするレフィーヤを見て、アイズが頷いて言う。

 

「ありがとうございます!」

 

 レフィーヤはがばっと顔を上げると手のひらを合わせてアイズを女神のごとく崇んだ。

 

 彼女の性格からして周囲へ吹聴するとは微塵も思っていないが、明確に意思表示をしてくれると安堵の質が違う。

 

 一番隠し通したかった人に露見してしまうという緊急事態が起こったことは悲劇だが、犯罪者でも見るような軽蔑の眼差しを受けるという最悪の未来は回避できた。

 

 心身を堅く拘束していた緊張の糸が緩みに緩んだレフィーヤはふう、と肺に入った空気のすべてを吐き出す勢いで深呼吸をして精神の沈静を試みる。 

 

 何度か深呼吸してなんとか冷静を取り戻したレフィーヤが、さてこの場をどう収めるべきかと考え始めようとしたその時だった。

 

「私も、見ていい?」

 

 唐突な提案がレフィーヤの耳を打つ。

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

「駄目?」

 

「いや、いえ、あの、はい。えっと、どうぞ」

 

 アイズにお願いをされたレフィーヤに断る選択肢など、あるはずがない。

 

「でも、ベル・クラネルが鍛錬しているだけですよ?」

 

「・・・・・・それが、良いの。ベルが頑張ってるところを、見ていたい」

 

 アイズは小さく笑みを作って言った。その笑みがあまりにも可憐で、レフィーヤはアイズの周囲に花びらでも舞ったかのような錯覚を覚えた。

 

 アイズの視線はベルへ。レフィーヤの視線はアイズの横顔へ。互いの瞳には別々の人物が映っている。

 

「ベル、頑張ってるんだね」

 

 ぽつりと、そう呟くアイズの瞳に恋慕の炎が揺らめいた。その炎は瞳を潤ませて頬を紅潮させて、可憐な笑みは恋情で化粧されてより魅力的に輝いていく。

 

「ぐぎぎぃ、ベル・クラネルゥ・・・・・・」

 

 恋する乙女と化したアイズの横顔を間近で見てしまったレフィーヤは、嫉妬のあまり目を血走らせて、歯軋りする。

 

「何て羨ましいっ・・・・・・」

 

 アイズの心を奪い去った憎き少年に、レフィーヤはカッと殺意ほとばしる視線をぶつける。

 

 恋慕と殺意、対極の感情が宿る視線がベルの背にぶすぶすと突き刺さる。

 

(この、ままでは、私の心が、持ちません。どうにかして、この場から、去らなければっ!)

 

 心が憎悪の軍勢に襲撃されて悲鳴を上げる中、微かに残った理性で決断を下したレフィーヤはアイズに向き直り、口を開く。

 

「いつもどおりなら、ベル・クラネルはそろそろ鍛錬を終えるはずです。帰りましょう、アイズさん」

 

 返答の猶予を与えないよう直ぐさまアイズの手を取って歩き出そうとするレフィーヤ。

 

「もう少し」

 

 しかし、手を引かれながらもアイズの金の双眸はベルに釘付けのままだ。

 

「バレたら、きっと場所を変えてしまいますよ。ああいう人は、努力しているところを見られたくないはずですから」

 

「見れなくなるのは、嫌」

 

「でしょう! ほら、アイズさん。今のうちに撤収しましょう」

 

 レフィーヤの必至の説得にアイズはややあってこくりと首肯し、二人揃ってその場を去る。

 

 市壁には、ベル一人だけがいる。

 

「レフィーヤさん、帰ったみたいだね。今日はアイズさんも一緒だったみたいだけど・・・・・・」

 

 ベルがちらと視線を向けた先は、レフィーヤとアイズが隠れていた市壁へ上るための搭だ。先程までアイズと共に影から顔を覗かせていたレフィーヤの姿はもう消えている。

 

「今度、声をかけて見ようかなぁ。でも、隠れてるみたいだし・・・・・・それに睨んでた気が・・・・・・」とベルは一人、二人が去った市壁の上で今後の対応に頭を悩ませるのだった。

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