ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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幕間 道化師の乙女たち(トリックスターヒロインズ) 中編

 

 精悍な面構えをした獣人やドワーフの男たちが汗を流しながら鎚を振るい、小人族(パルゥム)の少女が薪やら道具やらを腕一杯に抱えてあっちへこっちへ忙しなく走り回っているのは【ゴブニュ・ファミリア】の本拠(ホーム)『三鎚の鍛冶場』だ。 

 

 依頼された武器を鍛えるために、朝早くから鍛冶師(スミス)たちが忙しなく動き続けている工房。その壁際には、ごうごうと炎を滾らせる大型の炉が四つ設けられていて、室内は猛暑日に似た熱気に支配されていた。

 

 そんな迷宮に挑む冒険者の半身を生み出す場所に足を踏み入れたのは、愛剣(デスペレート)の整備を依頼していたアイズと、気紛れから彼女と同伴することになったティオナだ。

 

 そこで二人を待ち構えていたのは、

 

大切断(アマゾン)、てめぇ、ふざけんじゃねえぞぉおおおおおお!!』

 

 オラリオ全域にまで轟くのではないかというほどの大絶叫だった。

 

 突如響き渡った絶叫に目を丸くするアイズ。しかし隣に立つ少女には心当たりがあったらしい。

 

「しまった! 今ちょうど大双刀(ウルガ)作って貰ってるんだったぁ!」

 

 その事実を思い出したティオナが「ウ、大双刀(ウルガ)はどんな感じですかぁ」と声が聞こえてきた鍛冶場の一角を恐る恐るといった様子で覗きに行く。 

 

 そこでは怒り心頭に発している五人の鍛冶師が特大の超硬金属(アダマンタイト)を必至の形相で鍛えている最中だった。

 

『お前、大切断(アマゾン)なにしにきやがった、ごらぁああああ!! 見世物じゃねえんだぞぉおおおお!!』 

 

「ひいい・・・・・・ごめんなさーい!!」

 

 親の敵でも見るような目で睨まれたティオナは慌てて顔を引っ込めると、アイズの背に隠れてぶるぶると身体を震わせながら怯えてしまう。

 

 ティオナが【ゴブニュ・ファミリア】に注文した大双刀(ウルガ)という両刃の大剣は材料に超硬金属(アダマンタイト)を大量に使うため、鍛冶師たちは蒸し暑い鍛冶場で夜通し槌を振るい続けなければならず、彼らの精神的疲労(ストレス)は限界に達していた。

 

 そこへ全ての元凶であるティオナが現れたのだ。怒りを抑えられるわけが無かった。

 

「あいつらのことは気にするな」

 

 殺伐とした雰囲気が洩れ出る鍛冶場を横目に見ながら奥の部屋から姿を現れたのは、どこかドワーフを想起させる小柄ながら筋骨隆々とした体躯をした初老の男神、ゴブニュだ。

 

「これが注文の品だ。確認してくれ」

 

 ゴブニュの手から《デスペレート》を受け取ったアイズは、柄を握って鞘から抜くと、虚空へ向けて何度か軽く試し切りをする。

 

 違和感が、まるでない。

 

「・・・・・・うん、完璧」

 

 手の延長線上のように馴染んでいるのを確認し終えたアイズは《デスペレート》を鞘に仕舞い、心が沈んでいくのを感じながらも問題のブツ(レイピア)を取り出した。

 

「はぁ・・・・・・まさか五日で使い潰すとは・・・・・・いったいどんな使い方をすればこうなるのか・・・・・・」

 

 ゴブニュが呆れたように呟く。

 

 彼が視線を向けた先。机の上には、見るも無惨な姿へと変わり果てた細剣(レイピア)の姿が横たわっている。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)で多くのモンスターを屠るという大活躍を見せた細剣(レイピア)は、与えられた役目を終えたと宣言するように剣身がばらばらに砕け散っていた。

 

 柄だけ綺麗に残っているのが、より一層哀愁を漂わせている。

 

「ごめんなさい・・・・・・」

 

 アイズが消え入るような声で謝罪する。

 

 そもそも、この細剣(レイピア)は《デスペレート》を預けている間に借りていた代剣であり、アイズの所有物ではなかった。それを壊してしまった事実がアイズの心を締め付ける。

 

「いや、責めているわけではないただ、驚いただけだ」

 

 庇護欲をかき立てるしょんぼりとしたアイズの表情に罪悪感を抱いたゴブニュは、ごほんと咳を一つ立てた後にそう言った。

 

「そうだよ、アイズ! 鍛冶屋は武器を鍛えるのが仕事なんだからさ! このくらい気にしない、気にしない」

 

 反対にティオナはまるで反省の色を見せることなく、武器なんて壊れてなんぼといった様子である。

 

 先ほど殺意のこもった視線をぶつけられた人間とは思えないほどの楽天家ぶりは、正に鍛冶師たちから『壊し屋』の異名をつけられるに相応しいものだった。

 

『覚えてろよ、大切断(アマゾン)──────!!』

 

「はあ。全く……お前はもう少し反省したらどうだ」

 

 鍛冶場から恨みの声が響いてくるのを聞いて、ゴブニュは眉間に皺を寄せながら盛大に溜息を吐く。

 

 心なしか周囲の鍛冶師からも呆れた視線を浴びせられているような気がしたアイズは、おずおずといった様子で言う。

 

「それで、お代は・・・・・・?」

 

「ざっと、四千万ヴァリスといったところだな」

 

 ゴニュフの口から発せられた言葉が鋭い矢となって、アイズの心にグサッと音を立てて深く突き刺さる。第一線を駆ける冒険者だとしても、四千万ヴァリスは決して安い値段ではない。

 

「・・・・・・四千万」

 

 暫くダンジョンに潜る日々が続くことになると、決定した瞬間だった。

 

 ▲

 

「弁償代、稼がないと・・・・・・」

 

「ひぃ・・・・・・大変な目に遭った・・・・・・」

 

《デスペレート》を受け取ると同時に細剣(レイピア)の返済をしなければならなくなったアイズと、大双刀《ウルガ》を鍛える鍛冶師たちから殺意を向けられ疲労困憊となったティオナは現在、活気に満ちたメインストリートをとぼとぼとした足取りで歩いていた。

 

 太陽が青空の頂点に立つ正午、食事処を求める冒険者の一団や夜を待たず酒に酔う神々の姿もちらほら見受けられる。

 

 彼らは昼間に相応しい明るい表情をしているが、アイズとティオナ(主にアイズ)は真夜中を想起させる暗い表情に沈んでいる。

 

「四千万ヴァリス・・・・・・」

 

 想像の遙か上を行く代金を支払わなければならなくなったアイズは、今も四千万ヴァリスとうわ言のように繰り返して、足取りは覚束ない。

 

「まあまあ、そんなに落ち込まないの。あたしなんて二代目の大双刀(ウルガ)を作るのに一億二千万したんだから。それに比べれば安いもんだよ!」

 

「・・・・・・でも、四千万が減るわけじゃない」

 

「うぐっ」

 

 負の思考に囚われているにもかかわらず、物事の本質を突くアイズの発言に心を殴打されたティオナは呻き声を洩らすことしかできない。

 

 一億二千万を基準にすれば多少は低く思える四千万ヴァリスだが、四千万という数字は不変。四千万はどう誤魔化そうとしても四千万だ。

 

「そ、そうだ。暫くダンジョン漬けになるだろうし、今日はパーと美味しいものでも食べて気分をあげようよ! ね!」

 

 この話題を続けるごとに美しい金色の双眸をどんどんと曇らせていくアイズを見て、ティオナは鉛のように重くなった空気を変えるべく元気よく叫んだ。

 

「でも、ティオナ。ダンジョンにもぐって稼がないと」

 

 そう言うアイズの背にのし掛かる四千万ヴァリスの重みが、更に澱んだ空気を煙のように放出する。

 

 天に座わる日輪に照らされたメインストリートはきらきらと輝いて明るいはずなのに、彼女の周囲だけ洞窟のように薄暗い雰囲気に支配されているような気さえしてくるのはなぜだろうか。

 

 通り過ぎる人たちも、一体どうしたんだ? と怪訝そうな視線をアイズへ注いでいる。

 

「むぅ・・・・・・」

 

 このままでは、四千万ヴァリスを返済するためにアイズは本拠と迷宮を往復し続けて無理をするに違いない。

 

 そんな未来予想図がありありと浮かび上がってきたティオナは「今日だけだから! 明日から頑張るためにも、ね? お願い、アイズ! 付き合って!」と手のひらを合わせて懇願する。

 

 ここまで強くお願いすれば、アイズはきっと了承してくれるという確信があった。

 

「・・・・・・今日だけ、なら」

 

 アイズは暫く視線を彷徨わせながら逡巡していたが、やがてこくりと首を縦に振った。

 

「やった、ありがとう! アイズ、大好き!」

 

 それを聞いたティオナは喜びを表現するようにアイズをぎゅっと抱き締めると、そのまま彼女の手を握って一緒に走り出す。

 

「朝は大変な目に遭ったんだもん、これから良いこと起こるよね!」

 

 ふとティオナが見上げた真昼の空は、どこまでも蒼く澄み渡っていた。

 

 ▲

 

 ぶらぶらと都市(オラリオ)を歩き回っていたティオナとアイズは昼食を終えたあと、多種多様な装飾品(アクセサリー)や小物などが飾られている雑貨店を訪れていた。

 

「へえー、色んなものがあるんだね」

 

 そう言うティオナの瞳には、陳列棚に並ぶ品々が映っている。これらを眺めていると、心の中にある人影が浮かび上がってくる。

 

 ベル・クラネルだ。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)に突如として闖入してきた不気味なモンスターの群れへ果敢に挑む雄姿を目の当たりにしてから、心が、身体が、アマゾネスとしての本能が、ベル・クラネルという雄々しい男を求めて止まずにいる。

 

 この想いの意味を、ティオナは理解している。胸に猛る炎の名前を、ティオナは知っている。

 

 恋だ。恋をしたのだ。

 

 ティオナ・ヒリュテは、ベル・クラネルに恋をしたのだ。

 

英雄(ベル)君に似合いそうな奴、発見! あ、これも良いじゃん! こっちも! あ、こっちも!」

 

 陳列棚に並ぶ色々な装飾品(アクセサリー)を手に取って眺めながら、もしこれを贈ってベルが身につけてくれたらと想像する。

 

 ただそれだけで、ティオナの心は幸福感で満ちてしまう。

 

「でも、英雄(ベル)君を好きなのはあたしだけじゃない」

 

 アイズもまた、ベルに想いを寄せている。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)で尾行した時に見た、ベルに恋する彼女の可憐な横顔を今でも克明に思い出せる。女であるティオナさえ赤面してしまうほどの、美しい恋の顔。

 

「あれで恋してないなんてこと、絶対にない」

 

 恋を知らないものですら一目見て分かるほど、アイズはベルに恋をしている。彼の名前を口にする時の声音と表情は優しく柔らかく光輝いていて、まるで陽光を浴びる春の木漏れ日のようだった。

 

 それでも、ティオナはこの胸に咲いた一輪の花のように大切な恋情を捨てようとは思わない。アイズのためにと、自分の想いに蓋をして枯らせるつもりはない。

 

 友人の恋路を邪魔したくない、という理由で自分の恋を諦めるのは自分自身にもアイズにも誠実だとは思えないから。

 

「・・・・・・これ、ベルに似合いそう」

 

 ティオナは店の反対側の陳列棚で綺麗な装飾品(アクセサリー)を手に取っているアイズの横顔を覗き見た。

 

 その白く嫋やかな手で触れている鈴を象った腕輪(バングル)を通して、つぶらな金の瞳にはきっと想い人(ベル)の姿が映し出されているのだろう。

 

(あたしと、同じだ。ううん、あたしより先に、アイズはベルのことを……)

 

 思い返せば五十一階層の『遠征』から帰還して以来、アイズの様子は変わっていたような気がする。

 

 それ以上に、狼男(ベート)が別人並みに様子がおかしくなっていたのでティオナはあまり気に留めていなかったが、きっとあの時からアイズはベルに恋をしていたのだろう。

 

「運命みたいな偶然って、本当にあるんだよね」

 

『中層』のモンスターが『上層』へ逃げだすだけでも異常事態(イレギュラー)なのに、運悪く遭遇(エンカウント)した駆け出し冒険者(ベル・クラネル)は逃走せず立ち向かう道を選び、なんと器の差を凌駕してミノタウロスを討伐してしまう。

 

 その場に偶然居合わせたのは【剣姫】の異名を持ち、【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者として勇名を誇るアイズ・ヴァレンシュタイン。

 

 それは何とも神が好みそうな物語的で、運命的な『出会い』方だ。

 

(でも、譲れないよアイズ。この想いだけは)

 

 例え神々がベルとアイズこそ結ばれるべき男女であると拍手喝采して祝福しようが、関係ない。

 

 ティオナはベルに恋をしたのだ。好きだと、ベルの手を握りしめたいと想うこの気持ちだけは、神にだって止められない。

 

(負けないからね、アイズ)

 

 ティオナは胸中で装飾品(アクセサリー)を眺めて微笑んでいるアイズに向けて宣戦布告した。

 

 ▲

 

 久し振りの休日を満喫していればやがて太陽は地平線へと傾いて、青空は橙色に滲みだし、都市(オラリオ)は綺麗な黄昏時を迎えていた。

 

「うーん、遊んだ、遊んだ! 美味しいものも食べたし、色んなものも見れたし!」

 

「・・・・・・そうだね」

 

 食事に娯楽にと、日々の疲れを癒やし鬱憤を晴らすために一日を満喫したティオナとアイズ。

 

 ふとティオナがアイズの横顔を覗けば、【ゴブニュ・ファミリア】から出たあとの、四千万ヴァリスを背負ってどんよりとしていた雰囲気も薄れているようにみえる。

 

「ティオナ、今日はありがとう」

 

「気にしないでいいって。あたしも楽しかったから!」

 

 柔和な笑みを浮かべて感謝するアイズに、ティオナもまた笑顔で応える。

 

 それにティオナは内心、アイズに感謝しているのだ。

 

 ベルの雄姿を見てから、寝ても覚めてもベルのことばかりが頭に浮かび上がって止まってくれず困っていた今日この頃。

 

 朝起きてもベル。昼になってもベル。夜寝るまでベル。また目覚めてベル。ベル、ベル、ベル。

 

 ティオナの脳内はベル一色。

 

 今日も起床してからずっと、脳内がベルへの想いで埋め尽くされて他のことが考えられなかったので、もしアイズと会わなければ一日中部屋でぼーと天井でも眺めていたに違いない。

 

 実際のところ、アイズといろいろな店を回っている間も「ベルと会えたりしないかな」とか。「今、ベルは何をしてるかな」とか。「ベルとならどんな店を回るかな」という妄想ばかりが浮かんでは消え、また浮かんでを繰り返していた。

 

 それでも一人でいるよりは、幾分か気が紛れるというものだ。

 

(よくよく考えたら、きっと英雄(ベル)君はダンジョンに潜ってるよね・・・・・・)

 

 そんな当然のことにも今の今まで気づかないほど、ティオナの思考は恋情の熱に浮かされていたのだ。

 

 それでも、今も往来する人々の中にベルがいないか、と探す瞳を止められずにいる。

 

 しかし、楽しい時間はいつか終わる。今日という日はあっと言う間に明日へ流れていく。

 

「日も落ちてきたし、そろそろ帰ろっか」

 

「うん」

 

 二人は微笑みあい、帰路への一歩を踏み出そうとしたその時、突如メインストリートが色めき立った。

 

 先ほどまでダンジョン帰りの冒険者や、泥酔する神々や、客寄せする店員などがばらばらに騒いでいるだけだったのに、今では誰もが同じ方向を見てどよめいている。

 

「なんだろう?」

 

 釣られるようにティオナとアイズも彼らが見つめる方へ視線を向けてみると、そこにいたのは、

 

「あれって」

 

「・・・・・・ベル?」

 

 二人の想い人であるベル・クラネルだった。

 

 ベルは迷宮(ダンジョン)帰りであることを示すように上着やズボンに埃を付着させて、頬などに軽い怪我を負っていていた。

 

 なにより、腰に吊している幾つかの袋が破れんばかりに膨らんでいることが、多くのモンスターを討伐したのが見てとれる。

 

 それは紛れもなく迷宮(ダンジョン)を潜ったものの証左だ。

 

「あ・・・・・・」

 

 ベルの顔を見た瞬間、ティオナの心臓は破裂しそうなほど脈打つ速度が加速して、お腹の下あたりがじわりと熱くなる。ティオナ・ヒリュテという存在のすべてが、ベル・クラネルという男を求めているという感覚。

 

 今にも身体が勝手に動き出して、ベルに抱きついてしまいそうだった。

 

「・・・・・・英雄(ベル)君」

 

 その名前を呟くだけで恋情という名の炉に薪を際限なくくべられて体温がどんどん上昇していき、ベルの姿を瞳に映しているだけでとめどない幸福感が心と体を包みこむ。

 

 彼が、欲しい。

 

「ティオナ、大丈夫?」

 

「ふえ? あ、う、うん! 何でもないよアイズ!」

 

 アイズの一声で現実世界に引き戻されたティオナは、慌てて取り繕うように言った。

 

 そして、走り抜けていくベルの横顔を見つめながらティオナは自らの想いにはっきりと気づく。

 

 あたし、やっぱり英雄(ベル)君のことが好きなんだ。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)で見た雄姿だけでなく、日常を生きている時のベルを見ても胸のときめきは収まらない。

 

 この恋は一瞬にして燃え上がり、一瞬にして消えるものではないとティオナは確信した。

 

「どこ行くんだろう? ダンジョン帰りっぽいし、やっぱり『ギルド』かな?」

 

「うん、多分そうだと思う」

 

 迷宮(ダンジョン)から帰還した冒険者が向かう場所として真っ先に思い浮かぶのは、魔石の換金所が設けられている『ギルド』だろう。

 

 迷いなく駆けていくベルの様子からも、行き先は『ギルド』で間違いないように思える。

 

 手を伸ばす場所に、ベルがいる。その事実がティオナの心に息づく恋の業火を燃え上がらせた。

 

「・・・・・・ベル、怪我治ったんだね」

 

 ティオナの横では、アイズは安堵するように微笑んでいる。

 

 それを見て、ティオナは改めてアイズとベルが友人であることを思い知った。

 

 それだけではない。アイズは怪物祭(モンスターフィリア)の時にベルと共闘だってしている。二人の距離はあまりにも近い。

 

 対して、ティオナはどうだ。

 

 あの日、ティオナは守られる側の存在だった。英雄が守る誰かの一人でしかなかった。

 

 ベルはティオナを知らない。よしんば【ロキ・ファミリア】としてのティオナを知っていても、ティオナ・ヒリュテという少女をベルはまだ何も知らない。

 

 あたしだけが、英雄(ベル)君を知っている。そんなの、嫌だ。

 

「ねえ、アイズ。ついていってみようよ」

 

 一方的な関係でいたくない、という胸を締めつける痛みに突き動かされるように、ティオナは声を絞りだす。

 

 眺めているだけでは、恋は成就しない。想いを大事に抱えているだけでは、恋人になんてなれない。

 

 人と人の縁を結ぶのは、出会いだ。出会いすらない想いは遠くから憧れの人物を眺めているのと同じように、決して近づけず触れられず、実ることも叶わない。

 

「え、でも」と、恋慕しているベルを追うことに躊躇らいを見せるアイズにティオナは言う。

 

「もしかしたら、喋れるかもしれないじゃん! あたし、まだ英雄(ベル)君とちゃんと喋れてないんだ! ね、行こう!」

 

 これは絶好の機会だと、ティオナは胸を高鳴らせる。

 

 今日という日にベルと出会えば、ティオナとベルの間には知り合いとしての縁ができる。今の他人という空と大地のように遠い関係性から、摩天楼(バベル)の頂上と地上ぐらいの距離には近づけるはずだ。

 

「どう、かな?」

 

「……」

 

 アイズの沈黙は一瞬だった。彼女もまたベルと喋れる機会を見過ごしたくないと考えたのか、どこか真剣味を帯びた表情で頷き言った。

 

「うん、行く」

 

「やった、決まり!」

 

 アイズの了承を得たティオナは拳を上げて歓喜を露わにする。

 

 しかし、こうしている間にも、ベルは民衆の波を縫うようにしてかいくぐり、二人との距離を広げている。

 

 行き先は分かっているが、あまり出遅れると『ギルド』での用事を済ませて見失ってしまうかもしれない。

 

 そんなもしも(IF)を脳裏に過ぎらせたティオナは僅かに焦燥を抱きながら、アイズと共に人混みを避けるようにメインストリートの端を走り始める。

 

 すると数(メドル)先に、ティオナもよく知る人物が見えた。

 

「え、あの影でこそこそしてるのって、レフィーヤ?」

 

 思わず、語尾に疑問形をつけてしまうほどにレフィーヤは挙動不審だった。

 

 彼女は路地から顔を半分だけ覗かせて周囲をちらちらとうかがい、また次の路地へ身を隠してを繰り返しながら進むという、実に怪しげな動きをして誰かをつけているように見えた。

 

「もしかして」

 

 既視感のある光景にアイズは心当たりがあった。レフィーヤ、挙動不審、尾行。アイズの脳内で一瞬にしてそれらの物事が結びついて、一つの結論が出た。

 

 ベルを追ってるんだ。

 

 そんなアイズを余所に何をしているのかさっぱりわからないティオナは、「ねえ、レフィーヤ! 何してるのー!」と躊躇することなく大声で彼女の名前を叫んだ。

 

「わわっ!」

 

 突然自分の名前が呼ばれたレフィーヤはびくっと背中を震わせて、慌てて声が発せられた方角へ振り向く。

 

「な、何もしてません! 私は何もしてませんよ! ベル・クラネルをつけたりなんてしてませんから!」

 

 レフィーヤは両手を残像が残るほどぶんぶんと左右に振りながら、弁解の皮を被った自白を捲し立てる。

 

 自ら行動の目的を喋っていることに気づいていないのを見るに、余程焦っている様子だった。

 

「全部、言っちゃってるじゃん・・・・・・」

 

「・・・・・・レフィーヤ」

 

 混乱状態に陥ってあたふたとしている間にレフィーヤの傍まで歩み寄っていたティオナとアイズは、憐憫の視線を向ける。

 

「うえ!? ティ、ティオナさんに、アイズさん。いつの間に!? もしかして私を呼んだのって、ティオナさんだったんですか!?」

 

 突然、二人が目の前に現れたようにしか見えないレフィーヤは目を見開いて驚愕の声をあげた。自らの行動がバレるとは微塵も思っていなかったので、驚きはひとしおのようだった。

 

 しかし、周囲から見ればレフィーヤの行動は明らかに不審者のそれであり、彼女を知っている【ロキ・ファミリア】の面々であれば彼女の存在に即座に気づいてしまうだろう。

 

「それで、あのー・・・・・・お二人は何を?」

 

 ベルを尾行していることも露見してしまい旗色が悪いと感じたのか、レフィーヤが話題を逸らすために訊ねてきた。

 

「ベルを追ってた」と事もなげに言うアイズに、レフィーヤは顔を間近まで近づけて叫ぶ。

 

「それって私と一緒じゃないですか!」

 

 同罪の人間を見つけて安心したのか、先ほどまでの焦燥の滲む表情が一瞬にして笑顔に変わるレフィーヤ。

 

 そうして三人が話している間にも、ベルは『ギルド』へとその距離を詰めて、三人との距離を離していき、その後ろ姿は豆粒ほどまで小さくなってしまっている。

 

「ねえねえ。早く追いかけないと英雄(ベル)君、行っちゃうよ!」

 

 なるべくベルの姿を見失いたくないティオナは急く気持ちに背中を押されるように路地裏を飛び出して、我に続けと軍勢を率いる将軍のように駆け出した。

 

「あ、ちょ、ティオナさん!」

 

 あくまでこっそりとベルの後を尾行する予定だったレフィーヤは、メインストリートの雑踏を堂々と駆け抜けていくティオナを見て動転してしまう。

 

「レフィーヤ、行こう」

 

「いやでも」

 

「・・・・・・ベル、追ってるんでしょ?」

 

「そうです、けど・・・・・・」

 

 雑踏の中を堂々と進むティオナに続くことにレフィーヤは抵抗感を抱く。しかし、彼女自身ベルに会って伝えたいことがあった。そのためにレフィーヤは今の今までも尾行を続けていた。

 

 ティオナとアイズについていくか。日を改めるか。

 

「うぅ・・・・・・」

 

 数秒の葛藤の末にレフィーヤは、

 

「ああ、もう! 行きます! ついて行かせてください!」

 

 とやけくそ気味に叫んでティオナの背を追うように走り出す。

 

 最後、二人の背を追うようにアイズが大地を蹴って、裏路地からメインストリートの雑踏に飛びこんでいった。

 

「・・・・・・ベルとまた喋りたい。・・・・・・喋れるよね」


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