ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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 これより始まるは神々の集会。前人未到の偉業を打ち立てし英雄に相応しき称号を授けようと、誰も彼もが思量する言葉の戦争。

 英雄の大器を持つがゆえに、神々は白兎の少年に自らの理想を押し付けようとするだろう。

 だが忘れてはならない、この舞台の主役が誰であるかを。

 我欲に囚われし汝らは既に端役。迎える結末はとうに決まっている。

 炉の女神は知っている、眷属へ授けるに相応しい二つ名を。

 そして告げるだろう。 

「今は小さき英雄よ、汝の進む道は未だ無限の可能性に満ちている」

 これは炉の女神からの二つ目の贈り物。


神会(デナトゥス)

 

 

 ○

 

 神会(デナトゥス)、それは娯楽を第一に求める快楽至上主義(大体の神がこれに当てはまるのだが)の一部の神々が有り余る暇を潰すために企画した集会のような催し物だ。

 

 優秀な眷属に、圧倒的な権力。時を経るごとに増え続ける財力を持つある一定の成功を収めた派閥(ファミリア)の神は、胸に湧いた欲望を貪ることに不足なく、次第に欲望を満たす行為そのものに飽き、堕落していく。

 

 結果、欲するもののすべてを手に入れられるようになった神々は暇を持て余すようになり、次第に同じような境遇にある神々同士で集まり始めるようになった。

 

 それが神会の起源である。

 

 当初は雑談などに興じて売っても余るほどの時間を無駄に浪費するだけの生産性の欠片もない無価値な集会であったが、時間が流れ、時代が移ろい、参加する神が増え、いつしかその目的は雑談の域を超えて、都市にとっても極めて重大な会議の場へと昇華した。

 

 今回開かれる神会の目的はただ一つ。Lv.3へ【ランクアップ】を果たしたとある(・・・)冒険者の二つ名を決定すること。そう、たった一人の英雄のためだけに数多の神はこの場に集った。

 

「遂にやってきたか、この時が!」

 

「今回ばかりは待ち遠しくて仕方なかったわ」

 

「なんてったって、今日の神会は()のためだけに用意されたものだからな」

 

 都市中央で屹立する玉座に座る君主のごとき威厳を放つ摩天楼の三十階には、多くの神々の姿がある。

 

 三十階は神会などの集まりのために改装が施された特殊な階層で、無駄な家財は一切排除され、大広間を支える列柱と広間の中心に置かれた円卓だけが唯一、空間に立体感を与える無生物だった。

 

 それ以外は、すべて神。完成された美貌と、完成された肉体に、不滅が宿る超常存在だけが、三十階の有生物として生を鼓動させている。

 

 普段であれば三十ほどの参加で収まる神会はしかし、今回だけは例外だった。

 

 一定の距離をあけて円卓につく上位派閥の神たち、それを遠巻きに眺める神、壁に背を預ける神、立ちながら雑談に興じる神、泥酔しているのか床に寝そべっている神まで、数えれば切りがない。

 

 およそオラリオに根を下ろす神のほとんどが今回の神会に参加しているという異常。または異例。

 

 ──彼らは皆、ただ一柱の神の来訪を心の底から待ちわびている。

 

 これまで迷宮都市オラリオでは様々な物語が紡がれていた。その中には喜劇があり、それ以上の悲劇があり、何よりも何千年先まで語り継がれるだろう輝かしい英雄譚があった。それら眷属たちが織りなす唯一無二の刺戟(ストーリー)こそ、神々の欲望を満たす極上の美酒。至高の悦楽。

 

 そして現在、神々の前に突如として新たな英雄の卵が現れた。それもただの卵ではない。金の卵だ。

 

 彼のもの、英雄の大器を持ち。あらゆる艱難辛苦を踏み越える、鋼の意思を抱き。神々の瞳さえ魅了する、光の雄壮を放つ。

 

 打ち立てし、偉業は既に二つ。Lv.1でのミノタウロス討伐、Lv.2でのシルバーバッグ強化種の討伐。これら二つは、英雄の資質なき凡人では決して成し遂げることは不可能。

 

 故に、偉業。為し遂げしものは、英雄の資格あり。

 

 神々は待ち焦がれていた。次代を担う英雄を。永遠に人々に語り継がれる英雄の中の英雄を。未知の物語を切り拓いてくれる英雄を。

 

 彼は千年に一度の逸材。否。過去、現在、未来において比肩するものが現れることはないだろう絶対的存在。……主人公。

 

 ──さあ、早く現れろ。彼の英雄を導く女神よ。我らともに語りあいて、二つの偉業に相応しき称号と祝福を授けようじゃないか。

 

 騒く三十階につながる唯一の扉が、きいと音を立てて開き始める。

 

 瞬間、あらゆる音は静止し、神々はすべからく閉ざされた扉に視線を注いだ。

 

 彼女が、来る。

 

 胸に抱く予感が外れることはない。神の直感は絶対。未来予知と同義。

 

 静寂の中で唯一音を鳴らす扉がゆっくりと開かれた先、彼の英雄の髪のごとき純白のドレスを纏った炉の女神が現れた。

 

「遅いで、ドチビ。周り見てみ。皆、うずうずしながら待っとるで」

 

「悪かったね、ロキ。でも、主役は最後に登場するものさ」

 

 女神ヘスティア。

 

【ヘスティア・ファミリア】の主神にして、今回開かれた神会の主役の登場である。

 

 さあ、神会を始めよう。

 

 ○

 

 摩天楼の三十階、長い廊下を渡った先にある扉の前に立ったヘスティアは、深呼吸を執拗なくらいに繰り返す。

 

(遂にこの時が来てしまったよ、ベル君。いつかは来ると覚悟していたけど、こんなに早く来るなんてね。出会った頃のボクは思ってもいなかったよ)

 

 今のヘスティアの心境は、正に凶悪な怪物に挑む冒険者と同じだった。

 

 普段であれば、冒険者の二つ名はその場のノリと勢いで命名される、神にとっては非常に軽く、二つ名を授かる冒険者にとっては非常に重い催し物。

 

 命名式。

 

 だが、今回は違う。

 

 都市に住まう人々と神々を魅了するベル・クラネルに与えられる二つ名、その重みは計り知れない。

 

 扉の先に待つ神々は、間違いなく真剣に意見するだろう。俺のが良い、いやいや私の方が良い、いやいやと。

 

「予感がするんだ。ここで決まった二つ名がベル君の征く末さえも決めてしまうような、そんな予感が」

 

 ヘスティアは己がうちに渦巻く緊張と不安に立ち向かうように呟いた。心臓が早鐘を打っている。指先が僅かに震える。口の中は乾いて喉が水を注げと潤いを欲して訴えている。

 

(ボクがベル君にしてあげられることは少ない。だってベル君はいつだって独りで先へ進んで行くから。ボクは君の無事を祈ってあげることくらいしかできないんだ……)

 

 ヘスティアはベルが歩んできたこれまでの足跡を振り返り、強く思う。ベル・クラネルは、誰が彼の神様であっても、きっと偉業を成し遂げていたに違いないと。都市中から注目される存在になっていたに違いないと。

 

 自分である必要など、どこにもない。彼は生まれる前から、選ばれていた。英雄になるという宿命に、選ばれていたのだ。その胸に宿る魂が。

 

(だけど、ボクはベル君の神様だ。進み続ける君の背中を少し押してあげることぐらい、したって良いだろ?)

 

 ヘスティアの願いはただ一つ、ベル・クラネルが幸せであれることだ。今に幸福を感じ、笑顔を輝かせていて欲しいと誰よりも強く願っている。

 

 この想いだけは誰にも負けない。負けられない。

 

「よしっ!」

 

 気合一発。両頬を叩き気を引き締めると、ヘスティアは意を決して扉をぐっと押す。ぎい、という音とともに開かれた扉の先、視界に飛びこんで来たのは大広間のきらびやかな景色とヘスティアを見つめる神々の視線だった。

 

 歓喜! 彼らの目には歓喜がほとばしっている。ヘスティアの予感は的中していた。神々はベル・クラネルの二つ名の選定に本気で臨もうとしている。

 

 三十階は、音という概念が消滅したかのごとき圧倒的静寂に支配されていた。神の瞳に宿る熱意は猛々しく燃え上がっているのに、誰もが口を開かず、衣擦れ一つ起こさない。

 

 無音の重圧に空間が支配される中、最初に言葉という破壊の一撃をもたらしたのは円卓で不敵な笑みを浮かべている道化の神であった。

 

「遅いで、ドチビ。周り見てみ。皆、うずうずしながら待っとるで」

 

 試している、とヘスティアはロキの表情と声音と言動で察した。

 

 この場にいるのは、自らの欲望と悦楽を祝福などと美辞麗句で化粧してお前の眷属(こども)に押し付けようとするロクデナシな奴らばかりだぞと。

 

 普段の敵視と罵詈雑言を向けてくるロキはおらず、ヘスティアの前には【ロキ・ファミリア】という一代派閥の主がいた。子どもを愛する一柱の神がいた。

 

 だが、心配など無用だ。ヘスティアは覚悟を胸に抱き、神会開かれる摩天楼の三十階へ足を踏みいれたのだから。

 

「悪かったね、ロキ。でも、主役は最後に登場するものさ」

 

 ヘスティアは堂々と胸を張り、わざとらしい不遜な態度で、ロキの言葉に答える。

 

 零細派閥であることなど、関係無い。関係あったとしても、無視する。

 

 愛する子ども(ベル)の為であれば、ヘスティアは修羅の道さえ踏破してみせると家族になったその時から覚悟を決めている。

 

「言うやないか、ドチビ」

 

 ロキが笑みを深めながら言う。

 

「主役も登場したことやし、第ン千回神会特別編を開かせてもらうで。今回の進行役はうちことロキや、文句はあらへんよな?」

 

 同意を示すように神々は頷く。

 

 静寂が破壊されても尚、大広間は静かだ。喝采と拍手が巻き起こることもなく、誰もが早く議題に入ることを心の底から望んでいる。

 

「何しとんや、ドチビ。さっさと空いとる席に座りや」

 

「……分かったよ」

 

 ヘスティアはロキの勧めに従って円卓の最後の空席に座る。

 

 他の席に座る面々は、誰もが都市で生活していれば一度は耳にしたことのある有名派閥の神たちだった。

 

 その中の一柱に、ヘファイストスの姿もある。右眼を眼帯で覆い隠す女神は、どこか複雑な表情を浮かべていた。

 

 眼帯なき紅の左眼に揺らめくのは、不安、憂慮、焦燥といった負の感情。同郷の神でなければ、今の彼女の心境は理解できないだろう。

 

(ヘファイストス、やっぱり君はまだ……)

 

 ヘスティアの視線に気づいたヘファイストスが、ぎこちない笑みを返してくる。きっと彼女の瞳にも、同じ笑みが映っていることだろう。

 

 割り切ろうにも割り切れない想いがヘファイストスの心に息づいているのを、ヘスティアは知っている。絶てぬ因果、逃れられない宿命、解けぬ縁。ヘファイストスとベルを繋ぐモノは言葉で形容できぬほどに重く、強い。例えどのような神器を持ち出そうとも、ヘファイストスとベルの繋がりを断つことはできないだろう。

 

 彼女は不安に思っているのだ、ベルが〝彼〟と同じ道を進み、同じ末路を迎えないか。

 

 それと同時に、今はもう〝彼〟ではないベルに干渉すべきではないという思いも抱いているに違いない。

 

 相反する感情の板挟み。その苦悩がヘファイストスの表情に映し出されていた。

 

 ヘスティアとヘファイストスの沈鬱な内情など露ほども知らないロキは、席から立ち上がり大広間をぐるりと見回してから言った。

 

「うっし、それじゃ始めるで」

 

 瞬間、緊張が迅雷のごとく駆け巡る。

 

「ベル・クラネルの命名式をな」

 

 ○

 

「これは……」

 

「想像してたよりも狂ってるな、流石はベル・クラネルと言ったところか」

 

「かー、凄えな。噂以上じゃねえかよ。これで冒険者になって約一カ月だって? 冗談みたいな記録だな」

 

「俺がガネーシャだ!」

 

「あなただけは普段と変わらないわね……」

 

 神会を開催するにあたって、提携するギルドが用意したベル・クラネルに関する資料を覧た神々(ガネーシャを除く)は目を見開いて驚嘆する。

 

 誰もが都市に流れるベルの英雄的功績を噂で耳にしていたがいざ資料という仔細な情報が記された媒体で目にすると、その衝撃は何倍にも増して神々の心に殴りかかってきた。

 

 一年。

 

 この数字が表すのは、過去のLv.2到達最高速度である。成し遂げたのはロキ・ファミリア所属、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。当時わずか八歳に過ぎない少女が、我が身を顧みない無茶の果てにようやく登りつめた伝説的記録。

 

 半月。

 

 この数字が表すのは、ベル・クラネルがLv.1からLv.2への(きざはし)を登るまでにかかった期間である。

 

 誰もが更新できないだろうと心の底で思っていた記録を、ベル・クラネルは大幅に更新してしまった。

 

 しかし、『偉業』はここで終わらない。

 

 六日。

 

 この数字が示すのは、新たに樹立された【ランクアップ】の最高記録(レコード)である。前人未到とは、彼のためにある言葉だと誰もが思った。

 

 Lv.1からLv.2へ【ランクアップ】するだけでも相当の時間を費やさなければならないというのに、ベルはより困難なLv.2からLv.3への【ランクアップ】を約一週間という期間で達成してみせたのだ。

 

 その偉烈は既に『神話』の気配を帯び始めている。

 

「全く、ベル君って奴は本当に」

 

 無茶ばかりする、とヘスティアは溜息交じりに呟いた。

 

 迷宮の探索に関してはベルに一任していたこともあり、ヘスティアはその全貌を手元にある資料を見て初めて知った。

 

 いままで交わした会話から無茶ばかりしてきただろうことは容易に予想できたが、改めて数字で見ると新鮮な驚きが心を支配した。

 

 冒険者について熟知しているとは決して言えないヘスティアであったとしても、ベルの約一カ月の歩みが破天荒であることは十二分に理解できる。

 

 本来であれば、誰かしらの神から不正──神の力を使用した──を行ったのではないかという疑問をぶつけられたことだろう。

 

神の恩恵(ファルナ)』とは、器だ。そして【ランクアップ】とは器が進歩するということ。

 

 それは決して一カ月であったり六日だったりという短い期間で為し得えられるものではない。

 

 にもかかわらず、誰からも疑問の声が上がらないのは【ランクアップ】の要因、乗り越えた試練が尋常ならざるものだからだろう。

 

「Lv.1でミノタウロスに挑むって発想がまず無いよね、普通は」

 

「英雄に普通だったり常識的な奴はいないだろ」

 

「そりゃ、そうなんだけどさ」

 

 それは、他の誰がベルの代役を務めようとも為し遂げられない偉業。ゆえに、Lv.1でのミノタウロス討伐はベルの【ランクアップ】の要因として十分に納得できるものだった。

 

「このシルバーバッグは、情報が少ないな」

 

「ギルドの調査によると、強化種って話らしい。それも、かなり魔石を喰ってたらしいぜ」

 

「おい、ガネーシャ! お前んとこはどうしてこんな危険な魔物を地上へ持って来たんだ!」

 

「俺がガネーシャだ! 反論させてもらうが、そんなモンスターは運んできた覚えはない!」

 

 ベルが地上で死闘を演じたシルバーバッグ強化種については未だ情報が少なく、また【ガネーシャ・ファミリア】側も地上へ輸送してきたのはただのシルバーバッグであったと証言していることからどれほどの危険性を持っていたかは不明。

 

 しかし目撃者の発言や街の損害、ベル・クラネルの負傷具合を鑑みても『下層』のモンスターと同等であるという結論が下された。

 

 本来であれば、Lv.4の冒険者が複数人で相手をするほどの脅威である。

 

 それをLv.2のベルが単独で討伐した。もはや理解不能だった。討伐までの経緯が記された文章もまったく頭に入ってこない。わかるのは、ベルがシルバーバッグ強化種を討伐したという事実だけだ。

 

 神々の想像力が欠如しているのではない。ベル・クラネルが神々の想像を凌駕しているのだ。

 

「……頭痛くなってきたわ。なぁ資料はこれくらいにして、そろそろベル・クラネルの二つ名、言ってこうやないの」

 

 手に持っていた資料を円卓に放り投げて、ロキが言う。

 

「ついにこの時が来たか、俺の本気を見せてやる」

 

「ふん、少し本気出した程度じゃ勝てんぜ、お前らは」

 

「今回ばかりは、かなり悩んだな」

 

「そりゃ、ベル・クラネルの二つ名だもんなぁ……」

 

「徹夜して考えた私に死角はないわ」

 

 ロキの一声からベルの二つ名について真剣な議論を始めた神会の雰囲気は、正に都市の一大事について論じ合っているような熱が渦巻いている。

 

「ミノタウロスの討伐から始まったわけだし、やっぱここは【怪滅(テセウス)】とか良いんじゃないか?」

 

「うーん、もっとベル・クラネルの可能性に視点を向けた称号の方が似合いそうな気も……」

 

「ねー、ガネーシャ様はなにか意見とかあったりしない?」

 

「俺がガネーシャだ!」

 

「はいはい、ガネーシャガネーシャ」

 

「でも、真剣に考えようとすればするほど沼るというか、なんというか」

 

 神々、特にベルに熱を上げる神々が中心となって議論は過熱していく。

 

(ボクはベル君に相応しい二つ名をもう知っている。まだだ。まだ、時じゃない。焦るな、ボク。ここでわざわざ口に出すべきじゃない。判断を間違えるな)

 

 それをヘスティアは一歩引いて眺めるに留めていた。

 

 数分、議論は平行線のまま。数十分、議論は過熱の一途を辿るのみ。数時間、議論は踊るが進む気配なし。

 

 誰もが自らが考案した称号をベルに授けるため夢中になっている。誰もがベルが進む英雄の道を己が求める方向へ導こうとしている。

 

 人間とは比べ物にならないほどの欲望を持つ神たちが、一人の少年を奪い合う様は小さな神々の戦争であった。

 

「俺の考えた二つ名の方が良いに決まってる!」

 

「はあ!? てめえのは絶望的にネーミングセンスがねえんだよ!」

 

 議論が過熱しすぎた結果、一部男神が殴り合いを始めそうになったのでロキが「喧嘩するなら、よそへ行けや!」と注意するにまで至った。

 

 それでも燃え上がった業火のごとき熱狂を止めることはできず、神会が混沌と化そうとした時、

 

「このままじゃ、話し合いどころではないわね」

 

 性別問わずあらゆるものを魅了する美しき声が響き渡った。

 

「「「「「「「「「「「「「「……」」」」」」」」」」」」」」

 

 瞬く間に神々の心に燃える業火が鎮火する。それだけの魔力が、その声にはあった。

 

「フレイヤ」

 

 ヘスティアを含めたすべての神の視線がフレイヤのもとに集まる。悠然と椅子に腰掛けているフレイヤは、視線の雨注にさらされてもまるで動じる様子はない。

 

 これまで不気味なまでに議論の輪に入らず、ヘスティアと同じく遠くから眺めるに留めていた美の神がついに神々の戦争に参戦した。

 

「あなたたちがベル・クラネルに夢中になる気持ちはとてもよく分かるわ。でも、二つ名を決めるこの場で殴り合うのは建設的とは言えないわね」

 

「そう言えば、意外(・・)にもずっと黙りこくっとったな。何か良い二つ名でも考えついたんか、フレイヤ」

 

 一変した場の空気を継続させるように、ロキが訊ねる。その双眸は鋭く見開かれていて、言葉以上の意味が含まれているようにヘスティアは感じた。

 

「ええ、とても素晴らしい二つ名を考えたわ。でも、ここで口にしていいのかしら。 ベル・クラネルの二つ名が決まってしまうことになるかも知れないわよ?」

 

「凄い自信やないか、言うてみいや」

 

 嫌な予感がする。

 

 ヘスティアは心の奥底に不安の種が撒かれたような気分に陥った。彼女に、フレイヤに口を開かせてはならない。

 

「フレ──」

 

 そんな予感が身体を駆け巡ったヘスティアは会話を遮るために口を開こうとした刹那。

 

 雷霆(ケラウノス)

 

 フレイヤは、禁忌の箱を開いた。

 

「「「「「「「「なっ!?」」」」」」」」

 

 落雷が直撃したような衝撃が、ヘスティア含む一部の神々に走る。

 

 今、彼女の口から何かオカシナ単語(ワード)が発せられなかったか? 

 

 一部の神々が「聞き間違いじゃないよな?」と恐怖を湛えた視線を交わしあう。

 

雷霆(ケラウノス)?」

 

 聞き覚えがないのか、ロキが首を傾げる。他にも多くの神々が、フレイヤの口から紡がれた聞き覚えのない単語(ワード)に「なんだ、なんだ」と囁きあう。

 

「なんや、その雷霆(ケラウノス)って?」

 

 遂にロキがその言葉を発してしまう。フレイヤへの警戒心を超える好奇心に、彼女は抗えない。

 

「くっ……」

 

 ヘスティアに打てる手はなかった。ここで立ち上がって「この話題は止めよう!」と口にしたところで、他の神々の好奇心を余計に刺戟するだけであることは明白だからだ。

 

「私も詳しくは知らないのだけど、天空神(ゼウス)がかつて天界で担った万物すべてを焼き尽くす力を持つとされる究極の武器らしいわ。与えられた意味は(いかづち)。ふふっ、どう? 雷属性の魔法を使う彼に相応しい二つ名だと思わない?」

 

 頬に手を当てまるで恋人の美点を語るような口振りで話すフレイヤ。

 

 雷霆、その意味を知った神々は想起する。怪物祭(モンスターフィリア)にて、ベルがシルバーバッグとの戦いで魅せた雷光を。

 

 更に【ベル・クラネル】の資料を見れば、ミノタウロスの撃破にもフレイヤが述べた雷の魔法を用いていると記されてある。

 

 何より神々が雷霆の二つ名に惹かれるのは、あの天空神に所縁があるという点だった。

 

 ゼウス。

 

 それはかつての都市にて最強の派閥の一角として勇名を馳せていた【ゼウス・ファミリア】の主神。人類史上最強の強さを誇った神の眷属の到達点を従えるかの神が担った武器の名を二つ名に授ける。それはまるでベルが英雄の到達点に至ることを予感させるようでもあり、否が応でも心が惹かれる。

 

 目を、心を、魂を焦がすほどの輝きを放つ雷霆の二つ名を前に、周囲の神たちが同意を示そうとしたその時だった。

 

「「「「「「「「「「「「「「!?」」」」」」」」」」」」」」

 

 空間を震撼させるほどの神威が噴出する。

 

 その出所は、鍛冶司る独眼の神ヘファイストスだった。眼帯で封じられた右眼から漏れ出る雷光。その身から放たれる神威は稲妻のごとき激しさを伴って三十階の大広間を瞬く間に支配する。

 

「フレイヤ」

 

 ヘファイストスの唇から紡がれた声は、万物を断つ金剛(アダマス)の鎌を錯覚させるほど鋭い。

 

「その二つ名だけは、止めてちょうだい」

 

 それは紛れもなく命令だった。ベルに雷霆の二つ名を授けることだけは絶対に許さないと、紅玉の左眼が告げている。

 

「あら、あなたはお気に召さなかったかしら。でも、悪く思わないでちょうだい。私は話が一向に進まないのを憂いて、彼に一番相応しい二つ名を教えて上げただけよ」

 

「相応しい、ですって?」

 

「そうよ。あの、神人すべてを魅了する黄金のような輝きを放つ彼には【雷霆】の二つ名を授けるべきじゃないかしら。……あなたの意見は違うみたいね、ヘファイストス」

 

 魂が恐怖で震えるほどの神威に晒されながらも、フレイヤは妖艶な笑みを崩さない。

 

「雷霆、それは呪いの名よ。あの子に、背負わせていいものじゃない」

 

 ヘファイストスがフレイヤを射殺すかのような視線を向けて言う。

 

「呪い、ね……ふふ、ここまで強情なあなたを見るのは久し振りだわ。それも、余所のファミリアの子に対してそこまで意見するなんて」

 

「……悪いかしら」

 

 そう言ったあと、ヘファイストスはくしゃりと顔を歪める。

 

「いえ、何も悪くないわ。意外だとは思ったけれどね。ただ、せっかく私が出した意見をここまで強く否定するんだもの、もちろん代替案は用意してあるのよね? 【雷霆】を超えるぐらい素晴らしいものを」

 

「それは……」

 

「無いというのなら、あなたに口を権利はないんじゃないかしら?」

 

 神会の玉座が奪われる。鍛冶司る独眼から、美の女神へ。一部の神々を除いた誰もがフレイヤが紡ぎ出した雷霆の二つ名に同調しようとしていた。

 

 ただ、一言。彼女が「どの二つ名にするべきかしら?」と神会に問うだけで、会議は幕を引く。

 

 定まろうとしている、ベル・クラネルの運命が。今はまだ小さな英雄の進む道が、神々の意思によって舗装されようとしている。

 

 もう誰にも止められない。都市の二大派閥の一角にしてその美貌で多くの男神を魅了している美の女神の思惑を阻止できる神は存在しない。

 

「これはもう決まりね」

 

 勝利を確信したフレイヤが席を立とうとした瞬間、

 

「いや、ベル君に相応しい二つ名ならあるよ」

 

 神会の王となった美の女神に刃を向ける主役が立ち上がった。

 

「あら、このまま黙り続けると思っていたのだけど。舞台へ上がるには遅すぎるのではないかしら、主役さん?」

 

 向ける視線、フレイヤの瞳の奥にわずかな苛立ちが宿る。

 

「ボクは話し合いが煮詰まるのを待ってただけだ、最後まで黙っているつもりなんてない」

 

 フレイヤと真っ向から対峙するヘスティアの表情に臆する気配は微塵もない。その覚悟で固められた凜々しき表情に、周囲の神は息を飲むことしかできない。

 

 そして、自覚する。自分たちが端役でしかないことを。

 

 これはヘスティアとフレイヤの戦争だ。

 

「ヘスティア……」

 

「大丈夫だよ、ヘファイストス」

 

 悲哀で顔を濡らすヘファイストスに、ヘスティアは炉で燃える火のように温かな微笑を浮かべる。

 

「あら、よほど自信があるのね」

 

 もう場の流れを掌握したと思っているのか優艶な仕草でヘスティアを見つめるフレイヤ。

 

「自信があるというか、もうベル君の二つ名は決まっているようなものだからね。だからこれは、自信じゃなくて確信さ」

 

「? それは、どういう意味かしら?」

 

 怪訝そうな顔でフレイヤが訊ねる。ベルの雄姿に目が焦がされている美の女神には、言葉の意図が察せられない。

 

「フレイヤ、君は忘れているみたいだね。ベル君が何者なのか。そして、何て呼ばれてるのか」

 

 ──美の女神が神会の玉座より引きずり落とされる。

 

 ヘスティアはすぅ、はぁと息を吸い、神会に集うすべての神々へ問いかけるような視線を向けて、胸に抱く想いを解き放つ。

 

「今のベル君は、未完の器だ」

 

 二つの偉大な功業を為した少年は、しかし冒険者となってから未だ一カ月。

 

「進む道、歩む未来は無数にある」

 

 ゆえに聞け、神々よ。汝らの沸き立ち止まらぬ期待という名の欲望をぶつけることは、英雄にとって枷でしかないことを。邪魔でしかないことを。

 

「ボクたちがその可能性を勝手に奪うべきじゃない」

 

 神らの器を見定めるように、ヘスティアは言葉を紡ぎ続ける。

 

「ベル君はきっと〝英雄〟になる」

 

 愛情と哀切が交ざり合うヘスティアの声に、神々は言葉を失う。

 

「『神話』に記される英雄に」

 

 忘れていたのだ、神々は。常識外れの英雄の誕生を前にして、天界で抱いてたような利己心を抑えきれなくなっていた。誰もが自らの理想とする英雄にベル・クラネルを仕立て上げようとしてしまった。

 

「でも、どんな英雄になるか。それを決めるのは、ボクたちじゃなく、ベル君だ」

 

 ヘスティアの口から語られる言葉の裏に隠された真意を神々は読み取る。下手な二つ名は、ベル・クラネルの可能性を狭めるだけだと。

 

「ここまで言えば分かるだろう? ベル君なら、きっと皆の想像を超える英雄になってくれるはずだ。わざわざ進むべき道を示してあげる必要なんてない。それは余計なお節介ってもんさ」

 

 そんな今はまだ小さな英雄のベル君に相応しい二つ名は──

 

「【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】」

 

 鈴の音に似たヘスティアの声が大広間に響く。

 

「それが未だ幼く無限の可能性を秘めたベル君へ授けるに相応しい二つ名だ」

 

 覚悟を胸にヘスティアがベルへ授ける祝福を紡ぎ出した瞬間、

 

『『『『『『『『『『『『『『それだぁー!!』』』』』』』』』』』』』』

 

 神々が一斉に同意の声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうやら、運命は私を嫌っているみたいね。いつも肝心な時に狙い澄ましたかのように邪魔が入るんだもの。でも、まだよ。まだ、彼を正しい道へ引き戻すことはできる。彼の魂の輝きに最初に気づいたのはこの私よ。ヘスティアでも、アイズ・ヴァレンシュタインでもない。この、私。誰にも、誰にもベル・クラネルは渡さない。彼は私だけのものよ」

 

 


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