ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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灰被りの少女にとって、その英雄はあまりに眩しすぎた。


開演前夜(ネクストページ)

 ○

 

 デートの帰り。エイナを家へ送りとどけたあと、ベルは帰路へ着くために西のメインストリートを少し外れた路地裏を歩いていた。

 

 纏うのは純白のマントと上着と下着とブーツ。そして、エイナにプレゼントされた緑玉色の線が掘られた純白の籠手。

 

 ベルは新たな装備に少しでも早く慣れるため、摩天楼(バベル)の中で着替えてから外へ出ていた。

 

 その出で立ち、正に英雄と呼ぶに相応しく。メインストリートから吹き込んでくる風になびくマントは吹雪く雪のように美しく。純白の髪と相まってベル・クラネルという存在がより神々しく見えた。

 

 ベルは歩きながら何度か関節を動かして、「丈もあってて、初めて着たとは思えない動きやすさだ。何よりも、硬いのに軽い……」と言った。

 

 勿論素材も優秀なのだろうが、素材を活かす鍛冶師はそれ以上に優秀だった。

 

 今日のところはエイナとのデートなので会うのは止めたが、機会があれば製作者であるヴェルフ・クロッゾに会って話しをしてみたい。エイナが言う専属の鍛冶師の件を彼に提案してみたい。そんな思いを抱くほどに、ベルはヴェルフの腕と防具に注いだ想いを買っていた。

 

「でも、しばらくは迷宮に潜って探索を続けたいな」

 

 武器と防具が揃った今、ベルの意欲はこれ以上ないほどに燃え上がっている。もし、神様の許しが出るのならば今からでも迷宮に潜りたいぐらいだった。

 

 その時、

 

「……足音、それも複数?」 

 

 遠くから、足音が聞こえた。

 

 業火に似た興奮は一瞬のうちに去り、平静を取り戻したベルは鋭い視線を路地裏の先へ向ける。

 

 荒々しく地面を蹴る音は二つ。一つは軽く、もう一つは重い。

 

 ベルの脳内に子どもを追う大人の姿が鮮明に描き出された。

 

 足音は時を経るごとにベルへ接近し、やがて人の姿が闇を裂くようにして、ばっと現れた。

 

 背後ばかり気にかけていたいたからだろう。ベルの存在に気付かず走り続けていた人影は速度を落とさず真っ直ぐに突っ込んでくる。

 

「あっ!」

 

 距離わずか1メドルになってようやくベルの存在を視界にいれた人影は、驚きのあまり姿勢を崩し勢いよくつんのめった。

 

 一瞬、宙に身を投げ出す人影。

 

「危ない!」

 

 咄嗟にベルは駆け出し、地面と衝突する寸前の人影を滑るようにして抱き留める。

 

 軽い。抱きしめたからこそ分かる、異常なまでに軽い体重。腕の中に収まる人影の肢体は細く、強く抱き締めれば砕けてしまいそうだった。

 

(この軽さ。子どもでないなら、パルゥム?)

 

 そんな予感が過ぎる中、ベルに抱かれた人影が顔を上げた。

 

「す、すみません。お怪我はありませんか!?」

 

「うん、僕は大丈夫。それより君は」と視線を向けたベルの瞳に映ったのは幼い容姿をした少女だった。

 

 うなじを隠す癖のある栗色の髪に、大きく円らな双眸が薄暗い裏路地の中で爛々と輝きを放っている。恐らく、パルゥムだろうとベルは予想した。体型だけでみればヒューマンの子どもにも見えるが、ベルを見詰める少女の瞳には知性の光が輝いている。

 

 何よりも、ベルは胸に抱く少女に心当たりがあった。

 

(たしか『中層』で……)

 

 ベルが昨日の出来事を振り返ろうとした瞬間、ドスの利いた男の怒声が嫌な静寂に包まれていた路地裏に響き渡った。

 

「やっと追い付いたぞ、この糞パルゥムがっ!!」

 

 声の発生源に視線を向ければ、憤怒を瞳に宿した男が荒く呼吸しながら立っていた。表情はさながら悪鬼。殺意の気配を全身からほとばしらせる様は、迷宮の怪物(モンスター)を想起させた。

 

「ぜぇ、ぜぇ。もう、絶対ににがさねえぞっ!」

 

 男は背中に背負う剣を鞘から引き抜いて、剣先をベルが腕に抱く少女へ向けた。

 

「待って、落ち着いてください。この子が怖がっています。……それに剣は人に向けるためのものじゃありません」

 

 ベルが窘めるように言う。抱く腕からは、殺意を向けられて怯える少女の震えと怯えが痛いほど伝わってくる。

 

「ああ、誰だテメエ」

 

 怒りで視野が狭まっていたあまり、今の今までベルの存在に気付いていなかったのか、男はようやく少女から視線を外した。

 

「なんだ、こいつを抱き締めやがって。おい、まさかそいつを庇うつもりじゃねえだろうなぁ。なぁ!」

 

 威圧するように声を荒げる男。しかし、ベルは臆することなく深紅の瞳で男を射貫く。

 

「庇うといったら、どうするつもりですか?」

 

「あ? ふざけてんじゃねえぞ、糞ガキ。こっちの事情も知らねえで正義面しやがって」

 

 そこまで言葉にして男は口を閉じた。そして、ベルをしげしげと見詰めると、やがて額に青筋を浮かべ顔を真っ赤にして激憤した。

 

「テメエ、【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】だな! 一ヶ月半でLv.3になったなんて何かズルでもしたんだろうが。この、糞インチキ野郎が! そんなテメエが一丁前に英雄気取りか? あぁ!? 嘗めやがって!!」

 

「英雄気取り? いいや、違う。恐怖に震える人がいて、助けるのは(えいゆう)として当然のことだ」

 

 腕に抱く少女を地面におろし、ベルは鋭い視線で男を睨みつけた。

 

「僕から見て、今のあなたはとても冷静には見えない。剣をしまってください、でないとあなたは大きな過ちを犯してしまいます」

 

「ば、ば、ば、馬鹿にしやがって! 餓鬼ごときが俺に講釈垂れてんじゃねえぞ!」

 

 憤死するのではないかと思うほど激昂する男。握る剣はぷるぷると震え、剣先が定める敵は少女からベルに移っている。

 

「ならまずはテメエからだ、【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】。インチキ野郎はここで無様に死んどけ」

 

「……本当に殺るつもりですか?」

 

 問う声は先ほどまでと打って変わり、氷のように冷たく、表情は鋼のごとく硬かった。

 

「っ! どこまで虚仮にすれば気が済むんだ! 殺す! 絶対に殺す! ここでテメエを殺して、その首をメインストリートに晒してやる!」

 

 理性を怒りの炎で蒸発させた男は犬歯を剝き出して、目を殺意で充血させる。

 

 もう何を言っても止められない。そう悟ったベルが腰に佩く二刀の柄に手を添えると同時に、右眼から雷光がほとばしった。

 

 ――殺す。

 

 衝突する殺意と敵意。路地裏に光る鈍い銀の刃と右眼の雷光。

 

 因縁なき二人による死と血の旋風が吹き荒ぼうとした刹那、

 

「止めなさい」

 

 芯のある鋭い声が、割り込んできた。

 

 ベルがちらと声の方へ振り向けば、そこには大きな紙袋を抱えたリューが立っていた。

 

「何なんだよ、次から次へとよぉ! 俺の邪魔をするんじゃねえ!」

 

「止めておきなさい。彼我の力量差さえ計れないあなたではその人に勝つことは不可能です。命惜しければ、今すぐここから去りなさい」

 

 リューが男に向ける視線は恐ろしいほどに冷たかった。それに気付かない男は、相次ぐ乱入者の登場に苛立ちが許容範囲を超えたのか唾を飛ばしながら喚き散らす。

 

「どいつもこいつも、俺を馬鹿にするようなことばかりいいやがって! ぶっ殺すされてえのか、アマ!!」

 

「吠えるな」

 

「っ」

 

 一声。抑揚のない無機質な声が途端に空間を支配した。さきほどまで怒りで我を忘れていた男も、言葉を失い呆然と立ち尽くしている。

 

 リューの全身から迸る威圧感は凄まじく、まるで荒れ狂う嵐が突如として目の前に現れたかのようだった。

 

「手荒な真似はしたくありません。私はいつもやり過ぎてしまう」

 

 冷たいな美貌を持つ妖精が奏でる不気味な音色に、男は顔を青ざめてさせて、「覚えていやがれっ!」と三下じみた捨て台詞を吐きながら逃げ出した。死の予感を前にして、引き下がるだけの知性はあったようだ。

 

「……ありがとうございました、リューさん」

 

 殺し合いを止めてくれたリューへ、ベルは頭を下げて感謝する。

 

「いえ、例には及びません。それよりも……」

 

 なにがあったんですか、とリューはベルの背後で立ち尽くす少女を見て状況を訊ねた。

 

「それは」

 

 どう説明したものかとベルが言い淀んでると、突然、少女が甲高い声で叫んだ。

 

「どうして、英雄であるあなたが助けるんですか!」

 

 驚いたベルが背後へ振り向くと、少女は目深く被ったフードの下で大粒の涙を瞳からぽろぽろと溢していた。

 

「どうして……どうしてなんですか……【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】なんて呼ばれてるあなたが、こんな……嘘です……止めてください……」

 

 要領を得ない言葉が悲痛な感情とともに吐き出されるのを見て、リューは顔を顰めた。

 

「状況から見て、あなたはクラネルさんに助けられたのでしょう。それを……」

 

「待ってください。良いんです、僕が勝手にあの男の人と喧嘩しただけですから」

 

 怒りを滲ませるリューの言葉を遮るようにベルは言った。

 

「そう、ですか……」

 

 少女を助けた張本人であるベルがそれで良いのなら、とリューは渋々引き下がった。

 

 改めて、ベルは少女へ向き直る。

 

(やっぱりあの時と同じだ……)

 

 迷宮の『中層』ですれ違ったときに見た誰かに助けを求める弱々しい輝き。それが眼前の少女の瞳にも宿っている。

 

 君の名前は。

 

 そう言葉を紡ごうとしてベルが一歩を踏み出そうとした瞬間。

 

 少女が「来ないで!」と叫んだ。

 

「お願いです……来ないでください……」

 

 叫びは懇願に変わった。

 

「っ」

 

 ベルは思わず息を呑んだ。自分を見詰める少女の瞳は絶望の闇に染まっていて、その奥に微かに灯る希望の光を無理矢理にでも消そうとしていた。

 

 それはベルに一歩でも近づいて欲しくないという拒絶の意思の表れだった。

 

 ベルが踏み出そうとした足は行き場を失い、やがて元の位置に戻る。

 

「それで、良いんです。これ以上、希望を抱かせないでください……惨めな思いをさせないでください……あなた様は、あなた様は眩しすぎるんです……」

 

 少女は嘆くようにも安堵するようにも聞こえる声音でぽつりぽつりとそう呟くと、ベルに背を向け逃げ出すように路地裏を駆けていった。

 

「……僕は、君を……」

 

 ベルは何かを言葉にしようとするが、色々な感情が絡まって、ついに口から出ることはなかった。

 

 ただ、闇に逃げる少女を見つめることしかできなかった。

 

 ○

 

 執念深い男の追走から逃れるために路地裏を駆けていたリリは、背後に気を取られすぎていて、前から歩いてくる人のことがまるで意識に入っていませんでした。

 

 あ、ぶつかる。

 

 そう思ったときにはもう身体は前に傾いて、地面が間近に迫っていました。

 

 リリはぎゅうと瞼を閉じて、顔を腕で庇いました。それぐらいしか、今のリリに出来ることはありませんでした。

 

 瞬間、「危ない!」と幼さを残した少年の声が響いたと同時に、リリは優しく抱かれていました。

 

(すごく、温かい)

 

 もし男に追われているような危機的状況でなければ、そのまま眠ってしまいたいほど、リリを抱きとめてくれた人の温もりは穏やかな安らぎを与えてくれました。

 

 でも何時までも、温もりに浸ってはいられません。すぐ逃げなければ、追いつかれてしまうから。

 

「す、すみません。お怪我はありませんか!?」

 

 ぎゅうと閉じていた瞼を開き、転びそうになったリリを助けてくれた人へ謝罪の言葉を叫びました。

 

 腕から伝わってくる温もりからして、きっと優しい人なのでしょう。

 

 どんなお顔をしているのか気になったリリは抱く人の顔を見て、世界がひっくり返るような衝撃に襲われました。

 

(え……)

 

 純白の髪。深紅(ルベライト)の瞳。どこか兎を彷彿とさせる愛嬌のある相貌。全身から放たれる鮮烈な覇気。それは、いまリリが最も出会いたくなかった人。記憶から消し去ってしまいたかった人。

 

 リリの視界に移るのは、【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】ベル・クラネルでした。

 

(嘘、ですよ。こんなの質の悪い冗談に決まってます)

 

 しつこく追い回す男から逃げるため走り続けた果てに辿り着いた路地裏で、正面衝突しそうになって転びかけたリリを助けたのが、あの英雄様。

 

 まるで御伽噺のような展開。寂寥(せきりょう)とした裏路地で英雄と出会った名も無き少女(ヒロイン)は、新しい人生を歩む。灰色を被った過去とは違う、キラキラとガラスのように輝く幸せな未来を。

 

(ありえません、そんなの……あって良いはずがありません。光みたいに眩しい英雄様(ぼうけんしゃ)が、リリみたいな役立たず(サポーター)を助けてくれるわけがないんです……)

 

 だからこれは、きっと悪夢。すぐに砕ける、脆い幻想。現実では、ない。

 

 そう思わないと、リリの心が決壊してしまいそうだから。

 

 ぎしり、ぎしり、と心が軋む。

 

 ぶるぶる、がたがた、と身体が勝手に震えて止まらない。

 

 英雄様が男と何か言い争っているが、まるで内容が入ってきません。

 

 怖い、ひたすらに怖い。喉が裂けるまで叫びたい。涙枯れるまで泣き叫びたい。今すぐここから逃げ出したい。

 

未完の英雄(リトル・ヒーロー)】の輝かしい英雄譚に紛れ込んでしまったという事実が、堪えがたい苦痛となってリリを襲います。そんな資格、あるはずがないのに。

 

 ああ、どうか早く解放してください。一刻も早く、リリを端役へ戻してください。

 

 リリは心のうちで、何度も何度もそう願い、祈り、望みました。

 

 するとリリの必死の懇願を何モノかが聞き入れてくれたのか、しばらくすると英雄様はリリを優しく地面へおろしました。途端、リリの心は猛烈な安堵に支配されました。偉大なる英雄様から離れられた、その事実がたまらなく嬉しかったのです。

 

 勘違いを、していました。

 

 助けて欲しい、救って欲しい、地獄(ここから)連れ出して欲しい、リリはずっとそう思っていました。昨日、すれ違ったときも、リリは同じ想いを英雄様へ向けて、でも結局は手を差し伸べてくれない無情な現実に絶望しました。

 

 でも、いざ助けられたとき、リリは気付いてしまったのです。リリルカ・アーデという人間は英雄様に救ってもらう価値なんて無かったことに。

 

 だからでしょう。

 

 男が去っていくのを見て、リリは胸に渦巻く想い(うそ)を叫ばずにはいられませんでした。それが最悪の選択だと理解していたのに。

 

「どうして、英雄であるあなたが助けるんですか!」

 

 違う。そんなことが言いたいんじゃない。本当は助けてくれたことを感謝したい。ですが、リリの口は主の言うことをまるで聞いてはくれません。

 

「どうして……どうしてなんですか……【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】なんて呼ばれてるあなたが、こんな……嘘です……止めてください……」

 

 リリはなんて惨めなんでしょう。助けてくれて嬉しいのに、感謝の一つさえ言えず。あまつさえ、恩を仇で返すような酷い発言をして。

 

 嫌いです、全部。今の生活も、サポーターの仕事も、サポーターを下に見る冒険者も、リリなんかにも優しくしてくれる英雄様も。

 

 でも、何よりも嫌いなのは、リリ自身……。

 

「来ないで!」

 

 ほら、今も言いたくもない言葉を英雄様にぶつけてしまった。

 

「お願いです……来ないでください……」

 

 どうして、リリはこうなんでしょう。せっかく、英雄様が助けてくれたのに。路地裏で運命的な出会いを果たせたのに。ここで手を伸ばせば、もしかしたらリリルカ・アーデの物語(じんせい)は変わるかもしれないのに。

 

 どうして、リリは自分から嫌われるようなことをしているのでしょう。

 

「それで、良いんです。これ以上、希望を抱かせないでください……惨めな思いをさせないでください……あなた様は、あなた様は眩しすぎるんです……」

 

 どうして、リリはお姫様(ヒロイン)になれないんでしょう。

 

 英雄様の、リリを見詰める瞳は悲哀で濡れていました。

 

 あれほど酷い言葉をぶつけたのに、怒りもせず、苛立ちもせず、英雄様は自分のことのように、涙を流すリリのことを悲しんでくれている。

 

 ああ、本当に、リリは……

 

 もう一秒でも英雄様の視界に収まっていたくなくて、清らかな深紅の瞳を穢したくなくて、リリは「ありがとうございました」の一つも言えずにその場から逃げだしてしまいました。

 

「う……ぅ……」

 

 なぜか、逃げるリリの背を英雄様の悲哀に濡れた瞳がずっと見つめ続けている。そんな気がしました。






見た目はシルヴァリオ・トリニティに登場したケラウノスの服装を白色にして、装飾を緑玉色にした感じをイメージしてます。ケラウノスを知らないという方は、「シルヴァリオトリニティ ケラウノス」で検索すれば画像が出ると思いますのでぜひ。
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