ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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この選択が正しいのかは、わからない。この想いが必要なのかも、わからない。でも僕は、助けを求めるあの子から目を背けたくない、手を差し伸べたいと、そう思ったんだ。


開演(オーバーチュア)

 

 暗澹たる思いが、リリルカの心を曇天のように覆い尽くしていた。

 

 昨日、路地裏で偶然ベルに助けられたリリルカは、感謝を伝えたい本心とは裏腹に、自らの憫然さゆえに理不尽かつ不誠実な言葉で口撃してしまったことを激しく後悔していた。

 

 摩天楼へ向かう道中で数え切れないほどの、もしも(IF)の未来を夢想するリリルカ。

 

 きちんと感謝を伝え、大丈夫だったかと頭を壊れ物を扱うように撫でられる未来。

 

 男と何があったのかを訊ねられて、心配だから暫く拠点(ホーム)での同居を提案される未来。

 

 ちょうど専門職(サポーター)を探していたので雇われないかと提案してくる未来。

 

 心に描かれるのは、煌然な絵画だった。妄想という美酒で甘美な興奮に酔い痴れるリリルカだったが刹那、正気に戻って現実に打ちのめされる。

 

 無様な自分。今後二度と現れないだろう幸運な出会いを前にしておきながら、集る蠅をはらうように撥ね除ける愚考をおかしてしまった。

 

「どうすれば、良かったんでしょうか……」

 

 感謝を告げるのが、正道であることは言うまでもない。怖かったと泣き叫ぶのも選択肢の一つに入るかもしれない。お礼をしたいと食事に誘う手だってあったはずだ。

 

 しかし、リリルカが実際に選んだのは、考え得る中でも最悪の選択肢。感謝も告げず、お礼もせず、泣き叫びはしたが、言葉の内容は最低。助けてもらった立場の人間がとってはいけない、失礼極まりない態度をリリルカはとってしまった。

 

 後悔しても、しきれない。もしも、時の針を戻せるのならば、絶対に同じ轍は踏まない。そう信じたいが、今でも思い出すのは、ベル・クラネルへの嫉妬と惨めさと怯えと恐怖だった。

 

 救ってもらいたかったのは事実。八方塞がりな現在を変えたいのも事実。自分に誇れる自分になりたいのも、事実。 

 

 それでも、千載一遇の機会(チャンス)に恵まれたときにリリルカの胸中を襲ったのは、どうしようもないほどの絶望だった。

 

 英雄の物語に登場することの重みを、今まで理解していなかったのだ。ベル・クラネルに助けられることの意味を、想像していなかったのだ。

 

 リリルカは現在を嫌っていながら、現在に染まっていたことに間抜けながらようやく気づいた。真っ当に、真っ直ぐに、全力で、清く、正しく、強く生きるものでなければ、英雄の影を踏むことは許されないことを。しかし、リリルカはとてもそんな風になれるとは思えなかった。努力できる気がしなかった。

 

 これからもきっと、英雄に助けられたこの命で道徳に反する行いの数々に手を染めるだろう。冒険者に蔑まれながら、自らもまた内心で冒険者を見下す性根も直らないだろう。

 

 そう、悟ってしまったからこそ出たのが、昨日の聞くに堪えない愚者の絶叫だった。

 

 助けて欲しいと思った。でも、助けて貰う価値なんてなかった。相克する想いは嵐となって胸中に吹き荒び、制御不能に陥って、叫びへ転じて世へ生まれおちてしまった。

 

 もう、二度と会うことはないだろう。予感ではなく、確信。人間、非道な行いをされたものに、わざわざもう一度関わろうなどと思うわけがない。少なくともリリルカであれば、絶対に関わりたくないと思う。

 

「英雄、様……」

 

 呟く声は、なぜか震えていた。

 

 わかっている。頭ではわかっているのだ。最低な行いをふるった自分とベル・クラネルの人生が交わることはないのを。そんな御都合主義な展開が起こるはずがないことを。

 

 それでも、どうしても、捨てられない想い(希望)がリリルカの心の奥で燻っていた。まるで消える運命に抗う火種のように、ちりちりと。

 

「リリは……」

 

 どうしたら、と懊悩しながら歩いていたときだった。

 

「お嬢さん、お嬢さん。フードを被ったお嬢さん」

 

 自分を呼ぶ(恐らく)声を聞いて、リリルカは黄昏れた思考を捨てさり、警戒心をもって振り向いた。

 

 瞬間。

 

「え?」

 

 意識が、停止した。理解不能、理解不能、と理性が叫び、あり得ない、あり得ないと感情が戸惑った。

 

 リリルカの瞳に映るのは一人の少年。

 

 身長165C(セルチ)。鎧うマントは白く、内側に纏う上着と下着もまた白く、上を向けば兎を彷彿とさせる深紅色の双眸に服装と全く同じ白髪が乱雑に伸びている。腰には、極東伝来の刀が二つ。放つ気配は雄烈。まるで空にて轟く雷が人間を象っているよう。

 

 圧倒的、既視感。一度、見れば来世であっても忘れられないだろう存在感に、リリルカはごくりと息を呑む。

 

「あ、あなた様はっ……」

 

初めまして(・・・・・)、お嬢さん。突然なんだけど、僕のサポーターになってくれませんか?」

 

 リリルカの前に立っているのは、【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】ベル・クラネルだった。

 

 驚きで、声も出ない。もう一度、顔を合わせているのも、言葉を交わしているのも、まるで夢のようで現実味がない。何よりも、サポーターにならないかと提案されていることが、信じられなかった。

 

 騙しているのか、と邪推したくなるが、怖ず怖ずと見つめるベルの瞳に嘘の色は見えない。本当に、ベルはリリルカをサポーターとして雇おうとしている。

 

 だが、一つ気掛かりなのはベルが「初めまして」と言ったことだ。リリルカは今、【シンダー・エラ】を使っていない。昨日と同じ、小人族(ありのまま)のリリルカ・アーデだ。

 

 ベルが気づいていないとは考えがたい。リリルカにはわかる、覚悟(ひかり)に染まる深紅色の瞳の奥に、昨日見せた悲哀が微かに宿っているから。

 

 なぜ、ベルが敢えて初対面を装ったのかは判然としない。思考を看破することもできない。

 

 でも、昨日がなかった風に装ってくれているからだろう。リリルカの心は比較的落ち着いていた。少なくとも、想いが溢れて暴走してしまうような事態に陥る気配はない。

 

「え、あ、の……」

 

「大丈夫、落ち着いて。ゆっくりと深呼吸をして」とベルは言った。

 

 自分が思っていた以上に動転していたリリは、ベルの言葉に従って何度か深呼吸をして逸る動悸を鎮静させる。

 

「それで、何が訊きたいのかな?」とベルは言った。

 

「…………どうして、リリに、声を掛けたんですか?」

 

 リリルカが微かに震える声で訊ねると、ベルはリリルカの背中を指した。示す先には、巨大なバックパックが。

 

「一目見てわかったからね、君がサポーターだって」

 

「でも、都市(オラリオ)にはリリ以外にも優秀なサポーターは沢山います。敢えてリリを選ぶ理由なんて……どこにも……」

 

 理由が、必要だった。否、違う。理由が、欲しかった。ベルが自分を選ぶ確かな理由が。そこまで思考を巡らせて、気づく。まるで、確固たる理由があればベルの申し出を受け入れるみたいではないかと。

 

(違います、聞くだけです。リリなんかが英雄様のサポーターになるなんて烏滸がましすぎます。それに昨日の件だって解決したわけじゃないんです。だから……でも……理由を聞く位は、許されるはずです。理由を聞いたら、ちゃんと断ります……だから……)

 

 【英雄冒険譚(イロアス・オラトリア)】に端役はいらない。足を引っ張るだけの存在が登場してはいけない。リリルカは自らの心に生じつつある、前向きな想いがこれ以上育たないために、「断る、断る」と胸中で何度も戒めるように呟いた。

 

 問われたベルが「それは……」と言って思案すること数瞬。

 

 ベルは一切の曇りない真っ直ぐな視線でリリルカを見つめて、言った。

 

「直感です」

 

「はえ?」

 

 思わず、変な声が洩れた。何か最もらしい理由がベルの口から紡がれると決めてかかっていただけに、不意を突かれた形だった。

 

「今、なんて……?」と訊ね返すリリルカに、ベルは「直感です」と先ほどと全く同じ口調でそう言った。

 

 今のやり取りで、リリルカの抱いていたベルへの印象(イメージ)が変革する。鋼のごとき覚悟を背に負った、怪物(モンスター)より怪物(モンスター)染みた完全無欠な英雄ではなく、少年らしい一面も有している一人の人間であるのだと。英雄ではあっても、人間を捨ててはいないのだと。

 

 【未完の英雄(ベル・クラネル)】は兎のように可愛い顔をした少年(ベル・クラネル)なのだと。

 

 リリルカはようやく、ベル・クラネルという人間を自分の眼でしっかりと見た気がした。

 

「それで、どうかな。サポーターの件、僕としたら引き受けてくれると嬉しいんだけど」

 

 頬を掻いて、照れくさそうに笑う英雄(ベル)地下迷宮(ダンジョン)で縦横無尽に怪物(モンスター)の群れを殲滅していた時とはまるで違う、少年らしい柔和な笑みが、リリルカの心を惑わせる。天秤が傾きかける。

 

「えーと、その、うーん……ですが……」と悩んでいるのを見て、ベルは何かを思いだしたのか「あっ!」と高い声を挙げた。

 

「すみません、そういえばまだ自己紹介をしてませんでした」

 

 ベルは腰に佩く刀に添えていた手をリリルカに差し伸べながら、言った。

 

「僕の名前はベル・クラネル。よろしければお嬢さん、君の名前を教えてくれませんか?」

 

「あ……」

 

 本が開く、音がする。物語の始まる、予感がする。

 

(逃げたく、ない。昨日は何度謝っても、許されない酷いことをしてしまいましたけど、それでも……この手からは逃げたく、ないです……リリは、ここで、変わりたい……!)

 

 だから。

 

 リリルカは、心を占領する絶望に抗うようにして、ベルの手をゆっくりと握って、言った。

 

「リリの、名前は、リリルカ・アーデです……こんなリリでもよろしければ、英雄(ベル)様のサポーターにしてください」

 

 手を通して、伝わるベルの体温は熱く、リリルカの絶望に凍える心を溶かすかのようだった。

 




 序曲(プレリュード)は終わった。これより【英雄神聖譚(イロアス・オラトリア)】の第二章が開演する。主演の二人はもう、舞台の上へあがっている。
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