ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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主人公が苦しんでいるときに、ヒロインは現れる。


導きを求めて(アリア・ライト)

 残陽が夜の来訪を告げるように道行く群衆の影を伸ばす中、ベルは懊悩(ノイズ)で瞳を曇らせながら、重い足取りで帰路に着いていた。

 

 道中、何度か声援を投げかけられるが、平時のように意気盛んな返事はできず。覇気の欠けた笑顔を、淡く浮かべるのが精一杯だった。

 

 らしくない、とベルは胸中で独白する。

 

 あの日、純黒の殺意を放つ邪なる龍に祖父を奪われてから現在まで、ベルは英雄(■の■)になることだけを目指してきた。

 

 もう二度と、正しく生きる命が悪に踏み躙られないように。もう二度と、幸福に過ごす人間が賊心に虐げられないように。

 

 悪なる存在のことごとくを滅する力を手に入れることだけに、時間を費やしてきたのだ。

 

 その想いは、村を出て、旅をして、都市(オラリオ)へ辿り着いたあとも不変。折れず、曲がらず、傷つかず、鋼の誓いとなって心に刻印されていたはずだ。

 

 なのに、怪物祭(モンスターフィリア)でアイズと肩を並べて戦った時から、何かがおかしかった。変わってしまった。

 

 言語化できない、違和感。誓いの光で透き通っていたはずの思考に、濁った雫が滴り落ちたような不快感。噛み合っていたはずの歯車に致命的なズレが生じたような感覚に陥るようになった。

 

 きっと本来のベルであったなら、リリルカに手を差し伸べようとは考えなかったはずだ。少なくとも、サポーターとして雇うという積極性は見せなかっただろう。

 

 なぜなら、涙を流す「誰か(ノーネーム)」を守ることがベル・クラネルの英雄性であって、『個人(ネームド)』にその性質は適応されないからだ。

 

 ベルが助けるのはいつだって、名前も知らない「誰か」。名前を知る「人間」ではない。

 

(じゃあどうして、僕はリリを助けたいと思ったんだ……何が僕にそうさせる……)

 

 昼間、簡易食堂でリリルカにどうして足手まといでしかないサポーターを雇おうと思ったのか訊ねられて、ベルははっきりとした答えを示せなかった。

 

 常に行動方針を明確にしてきたベルにとって、ここまで言葉が詰まったのは、想いが形にならなかったのは、初めての経験だったのだ。

 

 だからこそ、心を襲った衝撃は大きい。懊悩に狂いすぎて、激しい頭痛に襲われるぐらいには。

 

 なんという、体たらく。祖父が見れば、呆れられてしまうだろう醜態。 

 

 英雄の宣誓が鍍金であってはならない。

 

(僕に、なにが起きている……?)

 

 過去を振り返らずにひたすら前に進むことが、ベルの(さが)だったはずだ。

 

 ベル・クラネルとして生を享けてから十四年間、自らの(さが)に従って生きてきた。変わろうとしたことなど一度もない。変わりたいと思ったことも、一度としてない。変わるべきか考えたことさえ、一度としてなかった。

 

 なのに。

 

(僕は今、迷っている。悩んでしまっている。自らの選択を、強く、深く。……何よりも、リリを助けたいと、そう思っている……)

 

 己が尾を噛み環となった(ウロボロス)のように、今の悩みが新たな悩みを生んで、廻り廻って終わらない。

 

「痛っ」

 

「あっ……」

 

 肩に生じる微かな衝撃。解けて散り散りになる環蛇の思考。

 

 どうやら意識を内側に向けすぎていた所為で、地下迷宮(ダンジョン)の探索帰りだろう同業の男(冒険者)とぶつかってしまったらしい。

 

「おいテメエ、どこ見て歩いてやがる! 気をつけろ!」

 

「すみません、少し呆っとしていたみたいで」

 

「あのなぁ、謝って済むと思ってんのか……って【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】!? す、済まなかった、悪気はなかったんだ! 今度からはしっかり前を見て歩くから許してくれ!」

 

 喧嘩を売った相手がベルだと気がついた瞬間、男は顔面蒼白になりながら慌てて走っていった。

 

 はぁ。

 

「しっかりしないと。……悩むというのなら、本拠(ホーム)へ帰ってからだ。僕の不注意でぶつかったのに、相手に謝罪させるなんて愚をこれ以上おかす訳にはいかない」

 

 そう言って、ベルは自らを戒めるように両頬を強く叩いた。

 

 ヒリヒリ、と針を刺すような痛みが頬全体を包み、悩みの呪いに囚われた鈍い意識がわずかながら晴れる。

 

「よし、早く帰ろう」

 

 小さくそう呟いて、駆け出そうと大地を踏み締めた瞬間。

 

「ベル?」

 

 背後から祝福を告げる清らか風を連れて、精霊の姫(アイズ)の声が聞こえてきた。

 

「あ……」

 

 振り向けば、女神と見紛うような麗しき少女。双つの金を天に煌めく星のように輝かせる、アイズ・ヴァレンシュタインが立っていた。

 

 黄昏れ時の都市(オラリオ)に佇む彼女は、どの絵画に描かれる美少女よりも可憐で、どの神話に描かれる女の星(ヒロイン)よりも魅力的だった。

 

 だからこそ、今、貴女は最も出会いたくなかった人。

 

「アイズさん……」

 

 紡ぐ言葉に乗せた感情はベル自身が想像していた以上に重く、まるで冥府に実る石榴のようだった。

 

「……ベル、何かあった?」

 

 アイズの瞳に映るベルからは、普段の鮮烈な気配は感じず。表情が曇っているのも相まって、十四歳の少年になっていた。

 

 只人の、少年に。

 

「いえ、何もないですよ。少し調子が悪いだけですから。アイズさんが心配するようなことは、何も……」

 

「嘘」

 

 一刀両断。

 

 ベルを心の底から想う少女に、下手な嘘など通用しない。

 

 アイズはベルの喜怒哀楽のすべてを受け止めたかった。常に前だけを向いて、過去に囚われず、迷いを抱かず、後悔を知らず、光が一直線に進むように人生を歩む、英雄の心を支えられる存在になりたいのだ。

 

『誰か』じゃない、一人の『人間』に。

 

 だから、踏み込む。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)で、踏み出した一歩を無駄にしないためにも。

 

 光の英雄に寄り添えると証明するためにも。

 

 胸に猛る恋情(おもい)が本物であると知ってもらうためにも。

 

「……教えて、ベル」

 

 何を迷っているの? 

 

「っ!?」

 

 核心を突く一言が、ベルの胸を貫いた。動揺を、抑えられない。動悸が、激しくなる。真っ直ぐ彼女を見られない。

 

(……本当に、不思議だ。なぜかアイズさんを前にすると、頼ってしまいたくなる。寄りかかってしまいたくなる……)

 

 初めは興味からだった。少女が抱える闇に惹かれて、その心に触れてみたいと思っただけだった。

 

 いずれ追い越すと決めた冒険者の一人、強者の一人に過ぎなかった。

 

 守るべき、『誰か』の一人でしかなかった。

 

 しかし、何度かの交流を経て次第に興味は少女が抱える闇ではなく、少女自身に向けられるようになった。交わす言葉の一つ一つが心地よく、ベルの心に涼やかな安穏をもたらした。それはもう、何年も感じたことのない錆びて腐ったはずの古い感情で。

 

 ベルはもう、アイズ・ヴァレンシュタインという少女を守るべき『誰か』として見れなくなっていた。

 

(……駄目だ。何を考えてる。アイズさんに寄りかかるだなんて、英雄(■の■)を目指すものとして恥を知れ。そんなこと、この僕に許されるわけがないだろうが)

 

 悩みを打ち明けたい衝動をぐっと抑えるように、ベルは歯を食いしばった。

 

 だが、恋する少女には英雄だって叶わない。それは神話でも同じことだ。

 

 ──迷える英雄よ、とくと知れ。恋慕を抱く精霊の決意を。想いの風を。

 

「……大丈夫だよ、ベル。……私は君の味方だから。……君の迷いを振り払ってあげたい。ただ、それだけだから」

 

「あ……」

 

 不意に、ベルを包みこむ温もり。それは、アイズの抱擁だった。

 

 密着する彼女の温かな肢体から流れ込んで来るのは、春風に似た穏やかで優しい想い。それは自分ではない者を自分以上に大事に想う、尊い心の子守唄だった。

 

「……アイズさん」

 

 ──黄金の魂に白金が生じる。

 

「私じゃ、駄目かな?」

 

「それは……」

 

 肯定か否定か。答えようとするが、口が上手く動かなかった。せめぎ合っているのだ、相談を願う少年と拒絶を望む英雄の相反する感情が。総てを貫く矛と総てを防ぐ盾となって。

 

(ここのところ、こんなことばかりだ。何か答えようとして、何か伝えようとして、でも上手く言葉にできないこと、ばかり……)

 

「あ……」

 

 ベルはアイズの抱擁を弱々しく解いて、片手で顔を覆いながら俯いた。苦悩がベルの表情を覆い尽くす。

 

(僕は……僕は……どうすれば、いい……)

 

 だが、いつまでも悩んではいられない。優柔不断はベルが描く英雄像とはかけ離れているから。唾棄すべき愚行だから。

 

 ならば。

 

 信じよう、彼女を。信じよう、肩を並べるに相応しいと決断を下した過去の己を。

 

 踏み出そう、過去から現在、現在から未来へ繋がる道の一歩を。

 

「アイズさん」

 

 顔を覆う手を解いて、顔を上げるベル。瞳に映るアイズは、真剣な眼差しをしている。

 

「……何?」

 

「相談に、乗って貰ってもいいですか?」

 

 英雄は精霊に導きを求める。迷いが晴れることを心より願って。

 

 ○

 

 宵闇が迫る都市(オラリオ)を歩くこと数分、ベルとアイズは人も疎らな中央広場(セントラルパーク)に辿り着いた。

 

 相談場所に噴水近くの長椅子(ベンチ)を選んだ二人は、隣り合わせに腰を掛けると、時を移さず話を始めた。

 

「……それで、相談したいことって何?」

 

 アイズが訊ねる。

 

「例えば、ですよ。助けを求める少女がいて。でも、それを直接言葉にしたわけじゃなくて。そう願っているように見えたとき、どうすればいいのか。助けるべきなのか、無視するべきなのか。そんなことを最近ずっと考えてしまうんです。柄ではないのは自覚しているんですけどね……」

 

 そう言うベルの視線は苦しげに、5M先を歩く子供連れの家族に注がれている。

 

「……ベルは、どうしたいの?」

 

「え」

 

 きょとん、とした表情を浮かべながらベルがアイズの方を向く。

 

「今、ベルは助ける『べき』なのか。無視する『べき』なのかって言ったけど。ベルは『どう』したいの? 君自身の願いはどこにあるの? 心は何を望んでいるの?」

 

「僕は……」

 

 一拍置いて。

 

「助けたいです」

 

 今まで迷っていたのが嘘のように、するりと言葉は世に生み出された。

 

「なら、それが答えだと私は思う」

 

「でも、もしかしたら余計なお節介なのかもしれないと。今日、思ってしまったんです」

 

 ギルドでの別れ際、リリルカが涙を流した理由を、ベルは理解してあげられなかった。助けたいと思って、心が流している涙を拭ってあげたくて、手を伸ばしたはずなのに。

 

 手を伸ばした自分が泣かせてしまった。その事実がベルの心を揺るがした。

 

「その子は、余計なお節介だって、ベルに言ったの?」

 

「いえ」

 

 言っていません。

 

「なら、きっとベルがそうだって信じたいんだと思う」

 

「そんなことは……」

 

 無い、とは言い切れなかった。

 

 悩むことの痛み、苦しみを知って、ベルは心のどこかで今の自分を嫌っていた。悩まず、迷わず、前に進めない自分でいたくないと思っていた。

 

 ──無意識のうちに、苦しみから逃げる理由を探していたのだろうか。

 

「ベルは今、ベル自身のことを考えてる。その子じゃなくて、自分のことを……」

 

「あぁ……」

 

 見つめる金の(かがみ)には真実が映っていた。

 

(アイズさんの言うとおりだ。僕はリリじゃなくて、自分の在り方について考えているだけだった。……わかっていたはずだ。僕は他人を想えるような立派な人間じゃないって。自分のためにしか生きられない、自己中心的な屑野郎だって……)

 

 それが偶然、民衆や神々が求める理想の英雄像と一致しているだけだということを、ベルは今まで忘れていた。

 

「それに、自分を救えるのは、自分だけ。助けを求める女の子を助けられるのも、女の子だけ……」

 

 その声音は確信に満ちていた。

 

「……だから、ベルは自分が行きたいと思った道を進んだ方が良い。……迷ったり、悩んだりするのは、いけないことじゃないけど、とても大事なことだけど、ベルは真っ直ぐ進む方が向いているって……私はそう思う」

 

 まるで、アイズ・ヴァレンシュタインという少女そのものを表したかのような、純粋無垢な声だった。

 

「そうか、僕は……」

 

 迷いの濃霧が晴れて、ベルはようやく進むべき道を見つけた。リリルカを助けたいという想い(エゴ)を貫き通す道を。

 

「ありがとうございます、アイズさんに相談に乗ってもらって良かったです!」

 

 ベルは長椅子(ベンチ)から立ち上がって、アイズへお礼の言葉を贈る。

 

 浮かべる表情は笑顔。目映いばかりの光。アイズが恋をした英雄の輝き。

 

 それを見て、アイズは急に緊張が増してしまう。頬は熱を帯びて、心臓は恋情で燃えて、心が歓喜で踊っている。

 

 理性の、溶ける音がする。

 

「……ベ、ベルの役に立てたなら……良かった」

 

 アイズは照れを隠すように俯きながらそう言った。

 

「はい。本当に助かりました」

 

「うぅ……」

 

 純粋な感謝を伝えられて、アイズは言葉にならない返事をしてしまう。

 

 先ほどまでと立場が逆転した二人の間に、どこか甘酸っぱい空気が流れる。

 

 あ。

 

「そうだ、相談に乗って貰ったお礼にこのあと食事でもどうですか?」

 

「! ……行く」

 

 こくこく、と何度も激しく首肯するアイズ。断るはずがないと、潤んだ瞳が叫んでいた。

 

 そんな、欣然(きんぜん)とするアイズを見て、ベルは心に優しい風が吹き込むのを感じた。

 

「それじゃあ、さっそく行きましょうか」

 

「うん!」

 

 差し伸べられたベルの手を握って、アイズが立ち上がる。

 

「実は、美味しいパスタが食べられるお店を見つけたんですよ。今日はそこへ行ってみませんか」

 

「……うん。すごく、楽しみ」

 

 絡み合うように手をつなぎ、和やかな雰囲気のまま歩いていくベルとアイズ。

 

 郷愁感じる黄昏は玉座を降りて、夜が次代の王として世界に君臨する中、薄らと輝く夜の騎士たる月光が、二人の影法師を地に描いた──。

 

 

 

 

 

 

「ぐぎぎぃ……」

 

「むぅ……」

 

 夜に賑わう道を行く二人の10メドル後方に、鬼の形相をした山吹色のエルフと両の頬を風船のように膨らませたアマゾネスがいたとか、いなかったとか。

 

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