ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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地下迷宮が産み出すは、英雄殺しの凶星。


狂い哭く怪物(モンスター・クライ)

 

 翌日。迷いの霧を振り払い進むべき道が定まったベルは、未だ震悚(しんしょう)の抜けないリリを伴って、朝早くから地下迷宮(ダンジョン)の探索へ繰り出していた。

 

『上層』。

 

 もはや相手にならない有象無象に費やす時間は刹那も無いと宣するように、ベルはリリルカを担いで燐光を灯す迷路を、迅雷がごとく駆けていく。

  

「な、なんだ!?」

 

「今、なにか横切ったぞ!?」

 

 時折すれ違う冒険者が常識外れの速度で走り続けるベルを見て、すわ怪物(モンスター)が現れたのかと警戒して武器を構えること多数。

 

 しかし、迫る影の正体がベルだと発覚すれば冒険者たちは一様に感嘆の息を洩らし、憧憬の光を瞳に湛えて去る英雄を見送る。

 

 約一カ月半でLv.3へ到達したベルは、今やLv.1とLv.2の冒険者にとって憧れの的。神話の世界から現れた英雄がごとき理想の存在なのだ。

 

 それを最も間近な距離である背中から見ていたリリルカは、ベルの偉大さと異常さを改めて理解する。

 

「危ないっ!」

 

『中層』へ向かう中で、怪物に命を奪われそうになる冒険者を逡巡なく救い。感謝の言葉を貰うより先に再び走り出し、また救う。人を助けるのに理由はいらない。この身のすべては誰かを守るために在ると告げるように、ベルは悪なる敵の悉くを誅滅していく。

 

未完の英雄(リトル・ヒーロー)】の二つ名を与えられるに相応しい勇敢な行動と高潔な精神性に、リリルカはベルが自分と同じ人間なのかと一瞬だけだが思ってしまった。英雄という別な生命体と思ってしまったのだ。

 

 彼の少年としての一面を、確かに知っているはずなのに。

 

 それほどまでに、ベルの地下迷宮(ダンジョン)怪物(モンスター)を鏖殺する様は、雄々しく眩しく勇ましかった。 

 

 見る眼が焼かれて、英雄の威光以外が見えなくなってしまいそうになるほどに。

 

 ○

 

『上層』で幾人かの冒険者の窮地を救いつつ、走り続けること数十分後。ベルとリリルカは不戦場へ堕ちた十二階層を抜けて、最初の死線(ファーストライン)へ到達する。

 

 これより先、Lv.1の冒険者は存在できない。

 

「よいしょっと。リリ、ここへ来るまでに怪我とかなかった?」

 

「はい、大丈夫です」

 

 リリは言った。

 

「……それよりわざわざ背負っていただいて、申し訳ありません」

 

「いいんだ。僕がしたくてそうしたんだから。それに、こういう時はありがとうって言われた方が僕として嬉しいかな」と和やかな笑顔を浮かべながらベルは言った。

 

「あ……」

 

 気を遣うわけでもなく、純粋に思った言葉を紡ぐベルに、リリルカは心の中で蠢く畏怖の念が薄れていくような気がした。

 

「ありがとうございます、英雄(ベル)様」

 

 感謝の言葉は驚くほど簡単に出た。嘘の濁りが混じらない純粋な『ありがとう』を口にしたのは何時振りだろうか。

 

「どういたしまして」

 

 嬉しそうにそう言うベルを見て、リリルカは頬が熱くなるのを感じた。

 

「あぅ……」

 

 瞳に映るのは、柔和な微笑を咲かせる英雄の姿。軽蔑と不信に曇る瞳を晴らす、暖色の太陽だった。

 

(なんでしょう、これ。胸がドキドキするような?)

 

 どくんどくんと高鳴る未経験の鼓動にリリルカは首を傾げるが、

 

「リリ、さっそくお出迎えが来たみたいだ。集中して」

 

「あ。……はい、英雄(ベル)様」

 

 群れて現れた放火魔(ヘルハウンド)を見て即座に意識を切り替える。

 

 リリルカの役目はベルが戦闘だけに集中できるよう補助(サポート)すること。

 

 既に『中層』の怪物を相手に無双劇を演じられるベルが最も必要としているのは、魔石とドロップアイテムの回収。

 

 それだけが唯一、隔絶した武勇を誇るベル個人では実現不可能で、リリルカがいれば可能になることなのだ。

 

 物思いに耽る暇など、ない。

 

「ふっ!」

 

 ベルが準備運動でもするかのように距離を縮めて横薙ぎ一閃、ヘルハウンドの首を五つ宙へ飛ばし、次の獲物へ向けて駆けだすのを見て、リリルカは直ぐさま地面に転がる魔石を回収しバックパックの中へ入れる。

 

 リリルカの動作に淀みはない。決して足手まといになるわけにはいかないと、昨日の探索中、実践を通して必死に特訓していたのだ。

 

「もう、次に」

 

 魔石をすべて回収し終えたリリルカが前方を見ると、既にベルは新たな怪物(モンスター)と矛を交えていた。

 

「来い」

 

 敵はベルの相貌に瓜二つの怪物(モンスター)、アルミラージが計四匹。同族にも思えるベルを喰らわんと牙を剥きだし、二足歩行でぴょんぴょんと跳ねながら迫って来るのが見えた。

 

『『『『ギィィシャァアアァア!』』』』

 

 アルミラージの白と黄色の美しい毛並みにm額から一本角を伸ばした姿は実に愛らしく、命を奪うのを躊躇うほどの魅力を持っているが、英雄には無価値にして無意味。

 

 敵か否かの判断基準しか持たないベルに、容姿の魅力など一片も関係なかった。

 

「疾っ!」

 

 鋭い声を発すると同時、大地を滑るように一歩を踏み出して接近し、アルミラージが投擲してきた斧を紙一重で回避。

 

 刹那に生じた間隙を見逃さず、左手に握る《劫火の神刀(ヴァルカノス)》で問答無用に袈裟斬れば、薄暗い洞窟に鼓膜をざわつかせる断末魔が延々と響き渡る。

 

『ギィウ!』

 

 仲間の死を前に、右隣のアルミラージが愛嬌のある相貌を醜く歪めて、英雄の命を散らさんと、勢いよく飛び掛かってきた。

 

「っ」

 

 第六感が鳴らす警鐘。双眸が捉える殺意の軌道。

 

「ふっ!」

 

 仲間の敵を討たんとする怨恨の一撃を前に、ベルは地面を蹴って重力など存在しないかのように軽やかに宙へ跳び、ぐるぐると何度か回転する。

 

「上だ」

 

 眼前にいたはずの(ベル)を見失い、致命的な隙を晒したアルミラージの背中を、ベルは落下の勢いを利用して無慈悲に二刀で斬り裂いた。

 

「ぜぃっ!」

 

 斬、決別する胴と首。残、地面に転がる墓標(魔石)

 

『『ギュ、ギュイ……!?』』

 

 動揺する残された二匹の白兎(アルミラージ)。しかし、英雄相手には僅かな隙を作ることさえ命取りだ。

 

 アルミラージにとっての刹那は、ベルにとって一分も同義なのだから。

 

 ゆえに、詰み。

 

「ふっ!」

 

 背を低く。地面に接触するのではないかというほどの低姿勢を維持したまま、ベルは目前のアルミラージの懐にするりと潜り込み、強烈な回し蹴りを振るう。

 

 ぐちゃり。

 

 潰れる内臓。

 

 ぼきり。

 

 砕ける肋骨。

 

 ぱん。

 

 白い獣毛に覆われた腹部にめり込む純白のブーツから伝わるのは、命の花が弾ける感触。

 

『ギュァッ!?』

 

 アルミラージは苦悶の声を挙げながら木の葉のように宙へ吹き飛ぶと、世の理に従い落下した先で《ヘスティア・ブレイド》の裁きを受けて永遠の眠りについた。

 

「あと──」

 

 一匹。

 

 仲間が無惨に死んでいく様を目の当たりにした最後の一匹(アルミラージ)は、人間を襲う本能を凌駕する絶望的な恐怖に支配され、ベルとの戦闘を放棄して逃げ出した。無防備な背を晒して、ひたすらに、我武者羅に。一秒でも長く生きること以外の思考を放棄して。

 

 しかし、英雄との戦いで逃亡など許されない。ましてや背中を見せての逃亡など、ありえない。

 

 知恵なき選択は自殺と同義だと、数秒後にアルミラージは思い知ることになる。

 

「【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】」

 

 紡がれる詠唱(ランゲージ)は勝利の証。薄暗い空間にほとばしる雷光が龍のような唸り声を挙げたあと、ベルの視界に敵の姿は映らない。

 

 戦場に、英雄が一人、孤高と立っていた。

 

 ○

 

英雄(ベル)様! 避けてっ!」

 

「っ!」

 

 リリの悲鳴が十五階層に木魂した。

 

 想定外の辞退(ハプニング)は突然に、何の前兆もなくベルへ牙を剥く。

 

『ガアァァァァ!!』

 

 獣の咆哮。発生源は背後。決して警戒を緩めず、油断も驕りも抱かず、五感を刀のごとく研ぎ澄ましていたにもかかわらず、一切察知できなかった異質な気配が迫る。

 

「くっ!」

 

 咄嗟に振り向き二刀を交差させて、防御態勢を取るベル。

 

「がぁああああ!」

 

《ヘスティア・ブレイド》と《劫火の神刀(ヴァルカノス)》から伝わる衝撃は、受けとめた刀身を貫通し、凄絶な威力(ダメージ)を腕に与えた。

 

(何だ、これは!? 腕が内側から破壊されるみたいだっ!)

 

 不可思議な現象が原因で威力を全く殺せなかったベルは、強弓から放たれた矢のように勢いよく吹き飛んで、容赦なく壁に叩きつけられた。

 

「ぐぁっ!」

 

 洩れる苦痛の叫びと吐血。

 

 背中から全身に駆け巡る尋常ならざる痛苦と熱に顔をぐしゃりと歪めながら、ベルは地面へ倒れた。

 

「う……」

 

 頭を強打したのか朦朧とする意識。壁に叩きつけられた時に切った額から垂れる血で視界が赤に染まる中、ベルの前に現れたのは。

 

『グルルル……』

 

 右眼から凶星を想起させる不吉な赤い光を放つ、ライガーファングだった。

 

 違いは、それだけではない。肉体を覆う毛並みは白銀(シルバー)に輝き、(たてがみ)柘榴色(ガーネット)に煌めいて。牙と爪は通常のライガーファングの二倍ほども伸びて断罪の刃を思わせた。

 

 眼前の怪物(モンスター)は、何もかもが異質。常識から外れた存在。まるで英雄を殺すために、地下迷宮(ダンジョン)が造りだした特別な怪物(ユニーク・モンスター)のようだった。

 

「こいつは、一体……」

 

 そう呟いて、ベルはよろよろとふらつきながら立ち上がる。

 

「ぐっ」

 

 苦悶、洩れる。

 

 どうやら今の不意打ちで両腕の筋繊維が幾つか千切れたらしく、肌が黒に変色し鈍く熱い痛みを発して、肉体の主に異常を訴えていた。

 

英雄(ベル)様!」

 

「来ちゃ駄目だっ!」

 

 重傷を負ったベルを心配してリリルカが近づいて来ようとするのを、叫んで制止する。

 

「このライガーファングは危険だ。リリはこれ以上、近づいたら行けない……」

 

「そんなっ……」

 

 悲痛に満ちた表情を浮かべるリリルカ。しかし、ベルの言葉は正しかった。

 

 不意打ちとはいえ、優秀な防具を装備したLv.3の冒険者を一撃で重傷に追いこむほどの脅威を相手に、リリルカができることなどない。

 

 そう頭ではわかっていても、感情はまるで納得していなかった。

 

英雄(ベル)様が傷ついているのに、窮地に立っているのに、リリはただ黙って見ているしかないんですか……)

 

 自らの無力さに、リリルカは絶望した。

 

 サポーターの基本的な役目は戦利品の回収だ。戦闘に参加できないのは当然で、傍観者でいるのも当然。だが、リリルカは自分を役立たず(サポーター)ではなく一人の人間(リリルカ・アーデ)として見てくれたベルの前にして、案山子の真似事をしていたくなかった。

 

 しかし、リリルカは動かない。否、動けない。

 

 眼前で繰り広げられるベルとライガーファングの熾烈な闘いに踏み入るだけの能力も、決意も持ってはいなかったから。

 

「うおおおおおおおお!」

 

 腕を貪り喰らう痛みなど無視するように【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】が付与された《ヘスティア・ブレイド》と《劫火の神刀(ヴァルカノス)》で袈裟斬り、逆袈裟斬り、左薙ぎ、右薙ぎ、唐竹を、疾風怒濤と振るうベル。

 

『グラァアアアアアア!』

 

 対するライガーファングは、巨体に似合わぬ軽やかな動きで二刀の嵐を器用に回避して、僅かに生じる刃の嵐の間隙を狙いベルへ爪撃を振るう。

 

 ガキンッ! 

 

 十五階層に鋭い金属音が鳴り響く。確かに二刀で受け流しているはずなのに、筋肉や骨を直接破壊してくる奇妙な攻撃を、必死に耐え凌ぐベル。

 

(防御を無視する攻撃のカラクリを解き明かさないと、ジリ貧だな……)

 

 そう判断したベルは回避に徹しながら、ライガーファングの動きを注意深く観察することに決めた。

 

 ベルを襲う銀色の殺意。英雄を殺すと神へ宣言するかのごとく、猛烈に荒れ狂うライガーファングの連爪連牙。

 

 それを紙一重で避け続けながら、ベルはある違和感を抱いた。

 

 音だ。

 

 ベルに爪や牙が迫るたびに、空気の振動がキィンと鼓膜を揺らすのだ。

 

 それは、ライガーファングの攻撃が生み出す風切り音でも、呼吸音でもない。

 

 もっと無機質な、鋼のように冷たい音。

 

 ベルは、この音を知っていた。

 

(そうか……牙と爪が振動しているんだ、《ヘスティア・ブレイド》と《劫火の神刀(ヴァルカノス)》みたいに。だから受け流そうとしても、衝撃が刀身を伝って腕の内側まで届いてくるのか……!)

 

 確信を得るためにライガーファングの爪撃と牙撃を何度か捌いて、ようやくベルはライガーファングの防御を無視する攻撃の正体に辿り着いた。

 

 牙と爪が振動しているという、答え(カラクリ)に。

 

「だとしても、厄介な敵であることに変わりはない」

 

 ぺっと口内に溜まった血を吐いて、二刀を構え直すベル。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)で死闘を演じたシルバーバック強化種を凌駕する怪物(モンスター)を前に、ベルは五感を極限まで研ぎ澄ます。

 

「ふぅぅぅ……」

 

 なぜ『中層』にこんな化物がいるんだ、だとか。魔力が通い鋭利さを増した二刀の刃に触れながらなぜ牙や爪は切断されないんだ、だとか。不意打ちをされたときどこから現れたんだ、だとか。なぜ牙と爪が振動しているんだ、だとか。

 

 尽きない疑問は総て頭の片隅に追いやって、ベルは勝利を掴むことだけを考える。

 

(繰り出す牙と爪は防御を貫通。威力もライガーファングの方が上。……ならっ!)

 

 決断は刹那。

 

「【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】・集束せよ殲滅せよ(フル・エンチャント)!」

 

 詠唱(ランゲージ)を紡いだと同時に、全身を襲う激しい痛苦。纏う防具の雷耐性を貫通するほどの凄まじい雷の奔流が、ベルの身体を駆け巡る。

 

「がぁああああああああああああ!!」

 

 色褪せる視界。停滞する時間。自由を得る肉体。制限(リミッター)を解除した英雄が雷と鳴る。

 

(長期戦になれば、他の怪物(モンスター)も集まってきてリリが危険に晒されてしまう。それだけは絶対に避けてみせるっ!)

 

 右眼から覚悟の雷光をほとばしらせながら、【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】が戦場を征く。

 

 立ちはだかる敵は一。ベルの命にさえ届きうる銀の爪と牙を持っている。

 

「そんなことは関係ないっ!」

 

 叫んで、稲妻のように地面を走って、壁を駆けて、ライガーファングの背中に雷竜となって喰らいつこうとする。

 

『グラゥッ!』

 

 読めている。言葉が通じるのならば、そう口にしていそうなほど落ち着いた様子で振り返るライガーファング。

 

「なに!?」

 

 凶星宿る瞳に映るのは刀振り下ろすベルの姿。

 

『ガルァアアアアアア!』

 

「まさか!」

 

 動きを完璧に先読みされた、と言葉にする余裕もなくライガーファングの一爪が間近に迫る。

 

「不味い!?」

 

 咄嗟に、エイナから贈られた籠手で爪を受けるベル。右腕を爆発するような痛みが襲った。

 

「がぁっ……!」

 

 致命傷を避けることには成功したが、空中で大きく体勢を崩したベルは、受け身も取れずに容赦なく地面へ叩きつけられる。

 

「かはっ!」

 

 肺に溜まった酸素が抜けて、呼吸ができなくなる。

 

「──」

 

 一瞬、意識が飛びかけるも、脳へ過剰に伝達される激痛がそれを許さない。

 

「はぁ! はぁ! はぁ!」

 

 ベルは痛苦が増幅するのを無視して強引に呼吸を整え、気合い一つで悲鳴をあげる身体を起き上がらせた。ライガーファングの追撃を避けるために。

 

 だが。

 

「ぐぅ……」

 

 さきほどの一撃で右腕が脱臼してしまったらしく。

 

 ぼとり。

 

 英雄の意思に反旗を翻した右手から、《ヘスティア・ブレイド》がこぼれ落ちた。

 

「く、そ……」

 

 右腕が、動かない。筋肉は弛緩し、腕全体が不快な痺れに支配されている。

 

(外れたのは肩だ、数秒でも隙が生まれれば戻せる……だけど、その数秒をコイツが与えてくれるわけがない……)

 

 尋常ならざる速度で思考するベルの耳が獣の声を拾った。

 

『グルゥ』

 

 聞こえるのは嘲笑。洩らすのは怪物。

 

 窮地に陥るベルを見下ろすライガーファングは、英雄の屈服を望んでいる。地下迷宮(ダンジョン)を脅かす諸悪の根源はここで逝ね、と右眼の赤い凶星が告げている。

 

 死ぬ。

 

 油断なく、驕りも抱かず、飛び掛かってくる虎牙を前に、ベルは勝利の道筋を探して思考を竜巻のように回転させた。

 

(賭けるしかないか)

 

 覚悟を決めるベル。

 

 そこへ。

 

英雄(ベル)様ぁあああああああああああああああ!」

 

 英雄譚(ストーリー)がここで幕引くことは許さないと、運命(結末)を拒否するように、リリルカが炎の塊とともに横から飛びこんで来た。

 

 闖入者が現れることをまるで予想していなかったのか、無防備だったライガーファングの横腹に炎の塊は直撃し、勢い激しく数M先まで吹き飛んでいく。

 

「大丈夫ですか、ベル様!」

 

「……う、うん」

 

 まさかリリルカが助けてくれるとは想定していなかったベルは、一瞬だが呆けてしまう。

 

 だが一秒とかからず思考は沈静化し、状況を正確に把握する。

 

 逆転の一手は、今ここにある。

 

「はは……まさか、助ける側であるはずの僕がリリに助けられるなんて……」

 

 情けない。ひたすらに、情けない。自分の未熟さと軟弱さに怒り心頭に発すベル。噛み締める奥歯にびきっと罅が入り、自噴のあまり目の血管が破裂し朱色の涙を流す。

 

「……ありがとう、リリ。君のお陰で僕は生きている」

 

 あぁ、だからこそ。

 

「──まだだ」

 

 このままの自分であって良いはずがない。

 

 英雄に敗北は許されない。英雄が膝を付くことは許されない。

 

 英雄に、『弱さ』は許されない。

 

「ぐっ」

 

 ベルは脱臼した右肩の関節をごきりとはめて、地面にて英雄が立ち上がるのを今か今かと待ちわびていた《ヘスティア・ブレイド》を拾いあげると、闘志を爆発させた。

 

「さあ、再開しようか。ライガーファング」

 

『グラゥっ!?』

 

 リリルカの不意の一撃から復帰したライガーファングは、突如として轟いた雷がごとき闘志を受けて、思わず後退る。気圧されたのだ、英雄から発せられた気迫に。

 

「この闘い、勝つのは僕だ!」

 

 そう宣した瞬間、雷がほとばしると同時にベルがライガーファングの目の前から音もなく消える。

 

「こっちだ!」

 

『!?』

 

 声が発せられたのは背後。ライガーファングが咄嗟に振り向いたときには、既に英雄の姿はなく。

 

 次にライガーファングが英雄のいただろう場所を感知したのは、前右脚を切断されたときだった。

 

 いつの間に。

 

 そう思う暇さえ許されず、後ろ左脚、前左脚、後ろ右脚が肉体と切り離されて、気づけば達磨にされて地面に転がされているライガーファング。

 

『グラァアアアア!』

 

 四肢から発せられる激痛に絶叫するが、ベルは手を休めない。

 

 斬。斬。斬。斬。斬。斬。斬。

 

 肉体は容易く両断され、死と敗北だけが近づいてくる。

 

 何が起こった。なぜ索敵振(ソナー)で捉えられない。どうしてこちらが負けている。さきほどと何が違う。

 

 混乱するライガーファングの右眼には、もはや凶星は宿らず。

 

『ガ……ゥ……』

 

 肉体を流れる血のほとんどを失い死体同然と貸したライガーファングの眼前に現れたのは、両眼から雷光をほとばしらせる正真正銘の化物(えいゆう)だった。

 

「これで、終わりだ」

 

 雷纏う二刀を握る英雄は、一切の呵責なく断罪の刃を振り下ろす。

 

 ザシュ。

 

 肉を断つ音が闘いの幕引きを告げると同時に、ライガーファングは灰へと帰った。遺言の一つも残せずに。

 

「凄い……」

 

 ベルの蹂躙劇を遠目から眺めていたリリルカには、なぜライガーファングが翻弄されていたのか、その理由がはっきりとわかっていた。

 

 脚だ。

 

 ベルは脚だけに【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】を纏うことで、ライガーファングが追いつけないほどの驚異的な速度(スピード)を手に入れていたのだ。それゆえの、圧倒。鮮やかな、逆転。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 リリルカの想像通り、脚のみに【天霆の轟く地平に、闇はなく(ガンマ・レイ ケラウノス)】を付与(エンチャント)していたベルは、全身に付与(エンチャント)するのとは桁違いな制御の困難さに、疲労困憊していた。時間にして数十秒。しかしベルの体感では何十分も経過していた。

 

「お疲れ様です、英雄(ベル)様」

 

 見事にライガーファングを討伐してみせたベルを労うリリルカ。

 

「……お疲れ、リリ。……君があの時、助けに入ってくれなければ危なかったよ……」

 

 荒い呼吸を繰り返しながら、ベルは感謝を告げる。

 

「いえ、そんなこと。きっと英雄(ベル)様なら、リリがいなくても勝てていたと思います。……それよりも回復薬(ポーション)を」

 

 そう言ってバックパックから取り出した回復薬(ポーション)をリリルカはベルへ手渡す。

 

「ありがとう」

 

 震える手で何とか受け取った回復薬(ポーション)を瞬く間に飲み干す、ベル。

 

 僅かだが、腕の痛みが和らぐのを感じた。ここ数日地下迷宮(ダンジョン)で大きな怪我を負っていなかったベルは、改めて回復薬(ポーション)の偉大さを感じた。

 

「そう言えば、リリ。さっき使ってた魔法って、もしかして……」

 

 ベルの記憶が正しければ、リリルカはライガーファングへ向けて紅の短刀(ナイフ)を振るっていたように見えた。

 

「はい、英雄(ベル)様の想像通り、さきほど炎を放ったのは『魔剣』です」

 

 そう言うと、リリルカは手に握っている刀身に罅の生じた紅の短刀(ナイフ)をベルへ見せた。

 

「リリって『魔剣』を持ってたんだね、ちょっと意外かも」

 

「あー、はい。色々あって、手に入れることができたんです」

 

 僅かに嘘の気配を感じ取ったベルだが今は言及せず、「もしかしてだけど、罅が入ったのはさっきので?」と訊ねた。それが事実なら、弁償するつもりだった。

 

 魔剣は、詠唱なしで即座に魔法を放てる利点(メリット)を持つけれど、何度か使えば壊れてしまう消耗品であるのをベルは知っていたのだ。

 

「い、いえ! この『魔剣』は既に何度か使っているので、いつ罅が入ってもおかしくなかっただけです! あはははは……」

 

 嘘であることは、右眼を通さずともわかった。

 

 けれど、リリルカが自分を慮って敢えて事実を語らなかっただろうことは明白だったので、深く追求するような無粋な真似はできなかった。

 

「それにしても、さっきのライガーファングは一体……」とベルがライガーファングが灰と化しただろう場所へ視線を向ける。

 

 しかし。

 

「あれ、魔石がない?」

 

 地面には討伐した証である魔石の姿が見当たらなかった。

 

「ねぇリリ。さっきのライガーファングの魔石ってもう拾った?」

 

「いえ、拾ってません」

 

「じゃあ、魔石はどこに……」

 

 ライガーファングとの戦闘後、他の冒険者は一人として現れていないので盗まれた可能性もない。

 

「おかしいですね……」

 

 本来であれば、あり得ない現象を前にして二人は首を傾げる。

 

 思えば、色々と不可解な点が多かった。右眼から赤い光を放っていたのもそうだし、毛の色や牙の大きさも明らかに通常のものとは違っていた。

 

 ならば異常種かと言われれば、もはやライガーファングという種族の枠組みを超えた強さをしていたので、これが正解ともベルにはなぜか思えなかった。

 

「まぁ、ここで考えてても仕方がないか。リリ、探索を再開しよう」

 

「はい……はい?」

 

 思わず、目を丸くするリリルカ。

 

「ええと、探索を再開しようって言ったんだけど……」

 

 ベルが発した言葉の意味を理解したリリルカは、顔を真っ赤にして噴火した。

 

「何を言っているんですか、英雄(ベル)様! さきほどの戦闘で重傷を負ったのを忘れたんですか!」

 

「でも、まだ身体は動くし、腕も回復薬(ポーション)を飲んでだいぶ楽になったから、『中層』の怪物(モンスター)程度を倒すのに支障はないよ」

 

「ではお訊ねしますが。もし、あのライガーファングがまた現れたらどうするおつもりですか?」

 

「うっ」と呻くベル。

 

英雄(ベル)様だってわかっていますよね、もう一度あのライガーファングが現れたら勝てないことが」

 

「……」

 

「それに、あれほど危険な怪物が『中層』に出現したんですから、一刻も早くギルドへ報告しなければいけません。今回狙われたのが英雄(ベル)様だからよかったものを、他の冒険者なら一切抵抗できずに死んでましたよ」

 

 怒濤のごとく畳みかけるリリルカの正論に返す言葉もないベルは、不承不承、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、本当に極僅かだが首を縦にこくりと振った。

 

「わかれば良いんです。それじゃぁ、帰還しましょう」

 

「……」

 

「返事はどうされたんですか?」

 

「………………はい」

 

 情けない声が、英雄の口から洩れた。

 

 ○

 

 帰り道、ベルは後ろを歩くリリルカへ振り向き言った。

 

「そうだリリ、一つ訊いてもいいかな?」

 

「どうぞ、やっぱり『中層』に戻るという提案以外でしたらお答えします」

 

「あはは。今さら戻ろうだなんて言わないよ」

 

 信用ないなぁ、とベルは頭を掻いた。

 

知人(エイナさん)から聞いた話なんだけど、【ソーマ・ファミリア】は毎月決められたノルマを稼がないといけないっていうのは本当なの?」

 

 一瞬の沈黙。フードを深く被ったリリルカの表情を、ベルは読み取れない。

 

「はい……本当です……」

 

「そうか、やっぱり……」

 

 ぎゅう、と拳を強く握る音が鳴った。

 

 毎月課されるノルマをサポーターや芽のない冒険者が稼ぐことが難しいだろうことは、部外者であるベルでも容易に想像がつく。

 

 数日前、路地裏でリリルカが男に追われていたのもこの事情が絡んでいるのではないか、とベルは推測していた。それ以外に、思い当たるものといえば両親の借金を背負っているかぐらいだが、そうなれば【ソーマ・ファミリア】が課すノルマの二重苦でもっと必死になっているはずだ。

 

 それこそベルを罠に嵌めて怪物(モンスター)を使って殺害し、防具などを剥ぎ取るくらいはしてもおかしくない。

 

 でも、リリルカには人間であることを止めるほどの悲壮な覚悟はなかった。

 

 寧ろ、逆。彼女は救いを求めた。今を変えたいと願った。それは人間であることの証。

 

 だからこそ、ベルはリリルカに手を差し伸べたいと思ったのだ。

 

「ノルマに関しては、僕は部外者だから何も言えない。いや言っちゃいけないんだと思う、それはとても無責任なことだから。でも一つ疑問があるんだ」

 

「疑問ですか?」

 

「うん」

 

 ベルは頷く。

 

「【ソーマ・ファミリア】はお酒も販売してたよね? それも結構価値があって、人気もある。派閥(ファミリア)の財政が逼迫しているとは考えづらい。それなのに、神ソーマが冒険者、非冒険者かかわらず全ての眷属にノルマを課しているのはどうしてなのかなって……」

 

「それは……」

 

 歩くリリルカの足が止まる。

 

「リリ?」

 

 振り向いた先、ベルの瞳に映るリリルカは地面をじっと見つめるように俯いていた。

 

「大丈夫、リリ?」とベルが訊ねれば、リリルカは顔をあげた。

 

「はい、大丈夫です。ちょっと、疲れてしまって」

 

 嘘だ。

 

「えと、それでどうしてお酒の販売で成功しているのに眷属全員にノルマが課されているのか、ですよね……一言で纏めるとソーマ様の絶対唯一のご趣味であるお酒造りの資金を集めるためです。リリたちは【ソーマ・ファミリア】の団員ですから、ソーマ様の事業に協力するのは当然の義務なんですよ」

 

 一滴の真実を嘘の湖に落としている。

 

「……」

 

 しかし、ベルは言及しない。これ以上は踏み込んではならない気がしたから。踏み込んでしまえば、彼女は自分の前から姿を消してしまう、そんな予感がしたから。

 

 今は、まだ、その時じゃない。

 

 だから。

 

「そうなんだ。それは……大変だね……」とベルは言葉を濁すことしかできない。

 

「はい……大変です……」

 

「それに市場に流しているお酒は失敗作ですから……」とリリルカは悲哀に満ちた声音で呟いた。

 

「それって、どういう?」

 

「皆さんが飲んでいるのは、本来作るモノの製造過程で漏れた絞りかすのようなものなんですよ……だから、失敗作。これは私達【ソーマ・ファミリア】しか知らない事実です」

 

 初耳だった。絶品だと言われている【ソーマ・ファミリア】の酒がまさか失敗作だとはベルを含め誰も思わないだろう。

 

 で、あるのならば神ソーマが造る本来の酒は一体どれほどの旨さを誇るものになるのだろうか。失敗作すら飲んだことのないベルには想像すらつかない。

 

(あれ? ……リリの話が本当なら……)

 

 ベルの胸中に、ある疑問が生まれた。

 

「……ねえ、リリ。市場に流れているお酒は失敗作だって言ったけど、裏を返せば『完成品』があるってことだよね」

 

 ──リリは『完成品』を飲んだことはあるの? 

 

「……」

 

 その問いにリリルカが答えることはなかった。

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