ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか 作:まだだ狂
幸運の不幸。
地上へ帰還後、ベルとリリルカはギルドにライガーファングの件を報告した。
右眼から赤い光を放っていたこと。通常種と毛並みなどが異なっていたこと。『中層』の
それら記憶している総てを伝えた二人は換金所で魔石とドロップアイテムを貨幣へ変えて、契約通りに分配すると、すぐに別れた。
ベルとしては友好を深めるためにリリルカを夕食へ誘おうと計画していたのだが、二人の間に流れる鉛のように重い雰囲気がその選択を許さなかった。
「それじゃあ、また明日」
「はい、
そう言って、ぺこりと頭を下げると、リリルカはベルが瞬きをする間に雑踏の中へ消えていった。
「また明日、か」
噛み締めるように、ベルは呟いた。
二人を繋ぐ縁の糸が切れなかったことを今は喜ぶべきなのだろうか。ベルは人々が行き交う黄昏れた街を見つめながら思う。
(……ねぇリリ。君が助けを求める原因は【ソーマ・ファミリア】にあるんだね)
地上へ戻る間の問答で、ベルは確信した。リリルカが瞳に絶望の闇を宿すに至った理由を。怯えで心を震わせるようになってしまった不幸の根を。
ベルはリリルカと関わるようになってから、彼女が所属する【ソーマ・ファミリア】についての情報を集めていた。
すると出るわ出るわ、黒い噂。仲間内での暴行、恐喝、窃盗を始め。他の
彼らに共通するのは、これら総ての噂に金銭が絡んでいるという点だ。
金。金。金。金。ひたすらに、金。
貪欲さえ生易しく、強欲さえ慎ましく思えるほどの
それが【ソーマ・ファミリア】の冒険者だった。
(……何かある。エイナさんも【ソーマ・ファミリア】の内情を憂いていたみたいだし……酒……失敗作……完成品……ソーマ……ソーマ……?)
ふと、思い出したのは聞き込みをしていたときに白髭を蓄えたノームの男から聞いた話だった。
──【ソーマ・ファミリア】の奴らが、どうしてあんなに金を集めるのに必死なのかだって? そりゃ、あれだ、ソーマに心酔してるからさ。カカカッ!
あの時は神ソーマを指している
(いや、ノームのお爺さんはソーマとは言ったけれど、それが神であるかどうかは一言も口にしてない……)
『
市場に流れている酒が失敗作だとすれば、『完成品』はどれほどの酔いを与えるだろうか。
──ソーマに心酔してるからさ。
再び、ノームの男の嗄れた声が頭に響く。
「もう少し調べてみる必要がありそうだ」
そう呟くベルの右眼からは、激しい雷光がほとばしっていた。
○
「クラネルさん」
振り向いた先で立っていたのは、エルフらしい気品に溢れた美貌を輝かせるリュー・リオンだった。
「リューさん、こんばんは」
そう言って会釈するベルへ、リューもまたこんばんは、と丁寧な所作で頭を下げる。
「クラネルさんは今お帰りですか?」
「はい、ちょうど
「ふむ、そうですか……」
ベルの返答を聞いて、リューは顎に手を添えて思案顔になる。
「どうかしたんですか?」
「はい。一言、言わせていただいてもよろしいでしょうか」
いつになく真剣な表情を浮かべるリューに、内心で何を言われるのか戦々恐々としながら、どうぞ、とベルは先を促す。
「シルが寂しがっています」
「え……」
不意打ちに近い発言に、呆けた顔を晒してしまうベル。
「ですから、シルが寂しがっています」
「あー……」
そういえば最近、色々とあって豊穣の女主人に足を運べていなかったことを思い出すベル。
「貴方はシルの伴侶となるお方なのですから、足繁く通っていただかなければ困ります」
「いやー、あはは……」
本人は至って真面目に言っているだろうことを理解しているベルは、苦笑いを浮かべてお茶を濁すことしかできない。
このまま言質を取れるまで粘られては堪らないベルは「今日、ちょうどお店に寄ろうと思ってたところなんですよ」と言って話を逸らすことにした。
「でしたら一緒に向かいましょう。私も買い出しを終えて帰る途中だったので」と荷物を微かに揺らしながら提案するリュー。
「あー……」
恐らく誤魔化しているのが看破されたのだろう。
絶対に逃がさないという強い意思を感じる空色の瞳に見つめられたベルは「……そうですね、せっかくですし一緒に行きましょうか」とその提案を受け入れて、豊穣の女主人へ向けて歩き出すのだった。
残念だが、他に取れる選択肢はなかった。
○
月浮かび星瞬く、夜が間近に迫った時間帯。
リューと共に豊穣の女主人へ入店したベルの目に映るのは、
賑やかな店内。酒に酔う冒険者に、料理を持って慌ただしく動くウェイトレス。時折聞こえるミアの大声を聞いて、ベルは豊穣の女主人に来たことを強く感じた。
「クラネルさん、こちらです」とリューに促されたのは一番奥のカウンター席だった。
出入り口から見て、一番遠いその席はベルの来訪を心待ちしていたかのように空いていた。
(僕が来るのを予期していたような? ……いや、まさかね)
一瞬過ぎった考えをベルは即座に否定する。そんな偶然があるはずがない、と
「クラネルさん、どうかしましたか?」
「いえ、何でもないです」
無為な疑念は排除して、ベルは慣れた様子で椅子へ腰掛けた。
「それでは私は厨房へ向かいますので、ごゆっくり」
そう言ってリューはベルへ一礼すると、厨房へ繋がる扉の向こうへと消えていった。
同時。
「ベルさん! 来てくださったんですね!」
入れ違うように現れたのは、可憐な笑みを浮かべる薄鈍色の髪が特徴的なヒューマンの少女、シル・フローヴァだった。
「お久しぶりです、シルさん」
「はい、本当にお久しぶりです。私、ベルさんが来てくださるのをずっと待っていたんですからね」
ぷくり、と僅かに頬を膨らませて拗ねる仕草をするシルに、ベルは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「今、色々と立て込んでいて……」
「
そう呟くシルの表情が氷のように冷たくなる。しかし、それは一瞬の出来事で、時が一秒過ぎれば普段の温和な笑顔に戻っていた。
「でも、来てくれて嬉しいです。私、ベルさんと
それに、とシルは言葉を続ける。
「今日は最近来られなかった分、沢山注文してくれるんですよね?」
にこり。
可憐な笑みを咲かせているはずなのに、どこか威圧感を感じるシルの問いかけにコクコクと頷くベル。
「そ、そうですね。
「嬉しいです!」
「注文する料理は……せっかくですし、シルさんにお任せしても良いですか?」
「はい、任せてください! 私が責任を持ってベルさんが満足できる料理を選んでみせます!」と自信満々に胸を張るシル。
「それじゃあ、お願いします」
「はい、お願いされました!」
そう言って、忙しそうに食材を刻むミアのもとへ駆けていくシルの背中に複雑そうな視線を注ぐベル。
「……あなたは僕に何を望むんですか、
呟く声は喧騒に消えて。ベルはシルから視線を切り、店内を見渡すことにした。
○
夜だからだろう。店で寛いでいるのは冒険者がほとんどで、『
誰もが今日も生き残ったことを噛み締めている。
(彼らの笑顔を守るためにも)
もっと強くならなければいけない、と決意と誓いを硬くするベル。今日の探索で窮地に陥ったことで、己の
しかし今は食事の時間。
戦いの思考から離れて頭を休ませるように、ベルがぐるりと店内を眺めていたときだった。
「……あれ、前から飾ってあったかな?」
花瓶などが置かれている棚に飾られた、黄金の装飾が印象的な一冊の本が目に入った。
「あぁ、あの本は……」
隣の席の客に食事を届け終えたリューが、ベルの疑問に答えるように言った。
「お客様のどなたかが、机に置き忘れてしまったものです。あれだけ派手な装飾をしているので、取りに戻ってきた時にすぐ気づけるよう、棚に置いているんです」
「へぇ、そうなんですね」
あれほど豪奢な表紙をしているのに、置き忘れてしまうものなのだろうかと不思議に思うベル。
そんなベルの心情を読み取ったのか、「よほど急いでいたのかも知れませんね」とリューは言った。
そこへ。
「なんニャ、なんニャ。あの本が気になるのかニャ?」
一度聞けば忘れないだろう、独特な喋り声が背後から聞こえてきた。
ベルが振り向くとそこには、黒い髪と尻尾が美しい
彼女は厨房へ戻る最中なのか、両手に持つお盆に空皿を積み上げている。
「どうなのニャ、少年」
「気にならないと言ったら、嘘になりますね……」
答えるベルの声には興味の色が乗っていた。
「そんニャら、読んでみればいいニャ。こういうのは、自分の目で確かめるのが一番ニャ」
「いや、でも落とし物なんですよね。勝手に読むだなんて……そんな……」
「本は読むためにあるニャ。別に一度読めば駄目になるわけでもないんニャし、少年なら無闇に傷つけたりはしニャいはずニャ。だから、大丈夫ニャー!」
「えぇと、そういう問題では……」
助けを求めるように、リューへ視線を送るベル。
「ふむ。そうですね、シルの伴侶となるのでしたら、最低限の教養を身に付けておく必要がありますね。……貸しましょう」
リューがクロエの提案に賛同すると思っていなかったベルは、慌てて断ろうとする。
「いや、でも、リューさん……」
「ではお試しということで、今日一日だけ持ち帰ってみるというのはどうでしょう? もし後ろめたい気持ちが拭えないのでしたら、次の日に返却してくださればそれで結構ですので」
「名案ニャ、リュー! そうすればニャ、明日も少年は店に来て、ご飯を注文して、ニャーたちも儲かるからウィンウィンウィンニャ!」
「ウィンウィンの意味はわかりますけど、最後のウィンは一体なんです?」
「ミャーが少年のお尻を触れるニャ」
そう言って、卑猥な視線をベルの尻へ注ぐクロエ。
「いや、それは、ちょっと困る、というか……」
「冗談ニャ」
いや、全く冗談に聞こえなかったんですけど、とぼやくベル。
「クロエのことは置いておいて、どうしますか?」
「うーん……」
尚も渋るベルだったが、次にリューが発した言葉で考えが変わった。
「そういえば、拾ったシルが言っていました。本の持ち主は恐らく冒険者だろうと。彼女の言が正しいのなら、読めばクラネルさんの力になるのではないでしょうか」
力になる、と言われれば抗えないのがベルだ。
「僕の、力に……」
誰よりも強さを渇望する今は未完な英雄には、目の前に差し出された絶好の
「……それじゃあ、一日だけ貸してもらってもいいですか?」
「はい」
そう言うと、リューは棚から本を持って来てベルに手渡した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」と感謝を告げて受け取ったベル。
どっしりとした重みを腕に伝える黄金の本。間近で見ればより豪華に見える装飾と、古びた紙特有の匂いが鼻腔をくすぐる。
「善は急げだ」
どんなことが書かれているのだろうと胸を躍らせながら、ベルが表紙を捲ろうとした瞬間。
「あ、リュー! クロエ! ミア母さんが怒ってましたよ、しっかり働けって」
お盆一杯に料理を乗せたシルが現れて、そう言った。
「ウニャニャ! お喋りし過ぎたニャ! 早く戻らないとガニャーンって雷が落ちるニャ!」
「では、クラネルさん。私たちはこれで……」
怒るミアはよほど恐ろしいのだろう。慌てた様子で去って行く二人を見ながら「全くもう」と呆れるシル。
「すみません、お二人を引き留めてしまって」
「いいんですよ。二人もベルさんと久しぶりに会えて、舞い上がってしまったんだと思いますし」
「そうですか?」と首を捻るベルに「そうなんですよ」と言ってシルはクスリと笑った。
「話はこれぐらいにしておきましょうか。せっかく来てくださったんですから、まずは料理を味わっていただかないと。さぁ、沢山食べて
そう言ってベルの目の前に次々と料理を並べていくシルの表情は、普段とは違う妖艶な色を帯びていた。