ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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少年は止まらない。止まることは、許されない。


孤独、駆ける(メテオライト)

 

 神も人も皆、寝静まる安らかな深夜。ヘスティアが穏やかな寝息を立てて熟睡しているのを確認したベルは、ゆっくりと慎重に、衣擦れ一つ立てずに寝具(ベッド)から抜け出した。

 

「神様は、起きてないよね……」

 

 寝間着から、純白の戦装束(バトル・クロス)へ素早く更衣したベルは、ヘスティアが目覚めていないか様子を探った。

 

「すぅ……すぅ……ベル君、ボクを食べても美味しくないぞぉ……うへへぇ……」

 

「一体、どんな夢を見てるんだ。神様は」

 

 不穏極まりない寝言を洩らす己が主神(ヘスティア)を目の辺りにして、思い切り頬を引き攣らせるベル。後で夢について訊ねたいと感情が吼えて。いいや聞かなかったことにした方が良いと理性が窘める。

 

 裁判の結果、理性が勝訴。ヘスティアの寝言を記憶の隅に追いやったベルは「とりあえず起きなかっただけ良しとしよう」と小声で呟いて、ある目的を果たすための準備を始める。

 

 まずは。

 

「武器」

 

 神が鍛えた黒の二刀(アヴァタール)を腰に佩く。 

 

 次に。

 

「籠手」

 

 英雄の未来を憂う受付嬢から贈られた籠手を嵌める。 

 

 最後。

 

準備完了(オールセット)

 

 何度か拳を握り、両腕の状態を確認するベル。未だ完治には至っていないのか、僅かに針刺すような痛苦を訴えてくるが、戦闘に支障をきたすほどではなかった。

 

 しかし、リリの影響を受けて少しばかり用心深くなったベルは、万全を期すために(テーブル)に置いていた回復薬(ポーション)をごくりと一つ飲み干した。

 

 回復薬(ポーション)を飲んだのは、久しぶりのことだった。

 

「ふぅ……」

 

 深呼吸が、一。

 

「はぁ……」

 

 深呼吸が、二。

 

「こぉ……」

 

 深呼吸が、三

 

 風吹く音と、神の寝息(ゴッド・ブレス)だけしか聞こえない静寂な空間で、ベルは入念かつ丁寧に精神統一を行う。

 

(……乱れているのが、わかる)

 

 幾度かの深呼吸を通して、ベルは自分の身体が鉄が錆びるかのごとき不調に陥っているのに気づいた。

 

 頭、重く。腕、重く。足も、重く。五感は鈍い。

 

 まるで我楽多(ガラクタ)みたいだな、とベルは思った。

 

(やっぱり、魔法とスキルが使えなくなったことが影響しているのか……それとも)

 

 魂が抵抗しているのか。

 

 ──その痛みは歪みだ。おまえ自身が本質から離れていくことを拒絶する魂の叫びだ。

 

 ベルは、偽物の自分が言っていた意味深な発言を思い出す。彼という存在がベル本人ではないのだとしても、紡ぐ言葉は真実なのだと、五体が不調に陥る形で改めて実感させられた。

 

「僕を騙すための虚言であってくれたら、助かったんだけど」

 

 嘆息して、ベルは机に置かれた金色の本を睨んだ。

 

「解ってしまうのも、考えものだね……」

 

 神や人を含めた肉体に知性を宿す存在であれば例外なく、ベルは発言の真偽を見極められる。

 

 そして、残念なことにこれまで一度だって外さなかった嘘を看破する眼が、ベルを模した偽物の言葉は真実だと告げていた。

 

 なればこそ、魂が今のベルを拒絶しているという予想が、確信の域にまで達することになったのだ。

 

「確かめなきゃいけない。魔法とスキルを失った今の僕がどこまで戦えるのか、正確に。でないと、彼女を……リリをまた危険に晒してしまう。そんなことは絶対に赦されない。もう二度と、絶対に……」

 

 ぎゅうと握る拳の握力凄まじく、そのまま皮膚が破れ、肉が裂け、骨が砕けてしまいそうだった。

 

 狂気的な自噴。

 

 自らの行いをこれほどまでに悔いることのできる人間は、そういないだろう。

 

「強くなると誓った。誰よりも、強く。足踏みなんて、していられないんだ。例え本質が、魂が、僕の歩みを阻害するのだとしても、知ったことじゃない」

 

 諦めるという選択肢は、最初から存在しないのだから。

 

「行ってきます、神様」

 

 最後にベルはそう言って、安らかな眠りについているヘスティアへ悲哀に濡れた視線を向けると、階段を駆け上がり闇夜の世界に身を投じた。

 

「ベル君……」

 

 戦場を征く英雄の背に、先ほど彼が向けたのと同じ視線を向ける存在には気づかないまま。

 

 不気味なまでに音の死んでいる夜の都市(オラリオ)は、ひんやりと肌を撫でる冷気に包まれていた。

 

 淋しさを払う月明かりだけが、路地を照らす外灯となっている。

 

「さぁ、行こうか」と誰にともなく呟いて、少年は静かに歩き出す。

 

 目指すは、宵闇の中にあっても一切として薄れない荘厳な気配を放つ白亜の巨塔。

 

 大地の深淵に怪物(モンスター)を獄する、摩天楼(バベル)だ。

 

 黒の闇を裂く、白の影が、音も無く疾走した。

 

 ○

 

 殺意の坩堝(るつぼ)を孤独に駆けるのは、一人の少年だった。今はまだ若い、野蛮な戦いに向いているとは到底思えない、愛嬌のある相貌をしたヒューマンが、迫り来る脅威をいとも容易くねじ伏せる。

 

「ぜぁッ!」

 

『イィッ!?』

 

 敵意を迸らせる《劫火の神刀(ヴァルカノス)》が唸り声を挙げながら、蛙を演じる怪物(モンスター)を融かすように一刀両断する。

 

「らぁッ!」

 

『──!!』

 

 憤怒を乗せた《ヘスティア・ブレイド》が鈴の音を鳴らしながら、闇と同化する影の異形を霧散させるように細切れにする。

 

 一矢報いることさえ許しはしない、完全なる勝利。牙を剥く敵の悉くを一撃で屠る絶対的な強者。

 

 ベル・クラネルは魔法とスキルを失っても尚、最強の名をほしいままにしていた。

 

 しかし、それはあくまでも相対的な評価でしかない。『上層』の怪物(ザコ)を叩きのめしているだけに過ぎない。

 

 ベル自身は、まるで納得していなかった。

 

「クソッ……」

 

 惰弱、軟弱、薄弱、脆弱、微弱、虚弱、羸弱(るいじゃく)

 

 半日前とは天と地ほどの差がある戦闘能力に、ベルは震怒した。

 

「うああああああああああああああああああ!!」

 

 轟く絶叫は、悔しさの発露。感情を蹂躙する失望の嵐が、ベルの殺意を無制限に増幅させる。

 

 今や右眼から雷光ほとばしることは無く。神が鍛えし二刀が雷を纏い刃の冴えを高めることも無く。

 

 ただ二刀を振るうだけの少年が、そこにはいた。

 

「ぜぃ!」

 

『グギャ!?』

 

 本来なら、0.5コンマ早く討伐できた。

 

「疾っ!」

 

『ガァ!?』

 

 腕を振る速度が僅かだが落ちている。

 

「しぃっ!」

 

『──!!』

 

 判断力さえも、鈍っている。

 

「全然、駄目だ……」と言って、失意の嘆息を吐くベル。

 

『中層』へ至る過程で『上層』を徘徊する動く肉塊を相手に圧倒しても、心はまるで慰められなかった。寧ろ、怪物(モンスター)を屠れば屠るほどに自らの力量が明瞭になっていき、怒の感情が膨れ上がっているくらいだ。

 

「弱い、弱い、弱い弱い弱い弱い。──僕は、弱い!!」と叫ぶベル。

 

 断末魔の合唱を指揮するように、二刀(タクト)を振るう少年は、嘆き悲しみ苦しみ狂う。心に空いた穴を必死に埋めるように。

 

「もっとだ、もっと強い敵と戦わないと。この程度で満足してたら、アイズさんと交わした誓いを守れない」

 

 ──英雄になれない。

 

「まだ、足りない。戦い、足りない。もっと強い敵を! 命を燃やす死闘を!」

 

 遙かなる高みを目指すベルは、自らの後退を許容しない。魔法を、スキルを、使えなくなろうとも、使用していた過去の自分と同等の戦闘能力を保持しなければならないのだ。

 

 でないと、ベルは自分を許せなくなってしまうから。

 

 ○

 

経験値(エクセリア)】にすらならない有象無象が蔓延る『上層』を駆け抜けること数十分。雑魚(ゴブリン)雑魚(コボルト)雑魚(ダンジョン・リザード)雑魚(フロッグ・シューター)雑魚(ウォーシャドウ)雑魚(キラーアント)雑魚(ニードルラビット)雑魚(パーピル・モス)雑魚(オーク)雑魚(インプ)雑魚(バッドバット)雑魚(ハードアーマード)雑魚(シルバーバック)を数え切れないほど討滅し。

 

「どけよ……」

 

 希少種(レア・モンスター)にして『上層』の支配者であるインファントドラゴンの生きた首を一太刀で首級に変えて。

 

「やっと、ここか……」

 

 ベルは『中層』へと足を踏み入れた。

 

 感慨はなく。感情は(さざなみ)ず。自噴で歪む(なまじり)は釣り上がって、襲い来るだろう敵の到来を待ち望んでいるのみ。

 

「来いよ、化物ども。僕が纏めて相手をしてやる」

 

 放つ声は、鋭く。二刀を構える様は雄々しく。肉体からほとばしらせる気配は激しかった。

 

 それは魂に拒絶される以前と相違なく、英雄。神人の誰もを魅了する鮮烈な光を放っていた。

 

 彼だけが、それを自覚していない。

 

 彼だけが、今の己に満足していない。

 

 それゆえに、英雄は駆ける。人間の気配が絶えた、怪物(モンスター)の王国を。

 

 独りで。

 

 脆弱惰弱の烙印を押したまま。

 

 その身に怒りを宿したまま。

 

 夜が明けるまで、ずっと。過去を超えるまで、ずっと。

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