ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか 作:まだだ狂
頭頂から爪先まで灰をかぶって、心は燃え殻のように空虚。
双眸を疑心と暗鬼で覆い隠して、魂は現世を拒んで来世を望みました。
でないと、狂ってしまいそうだったから。精神が崩壊してしまいそうだったから。
あぁ、なんて最低な人生。あぁ、なんて最悪な運命。
世界はリリを愛してはくれなかった。神様たちはリリを救ってはくれなかった。
誰も、リリを見つけてくれなかった。
リリだって、望んで【ソーマ・ファミリア】の眷属になったわけでは無いんです。両親が【ソーマ・ファミリア】の構成員だったから。父親が、母親が、神ソーマの眷属だから、子であるリリもまた親と同じ
子供の意思なんて、関係ない。理性を蒸発させる『
金を稼げ!
役に立て!
両親が発した最古の言葉は、愚劣極まりないものでした。少なくとも、年端もいかない幼子に向けるべきものではないでしょう。
ですが、リリにとってはこれが両親から贈られた最初の言葉でした。物心がついたリリにとって、最初の……。
今にして思えば実に馬鹿馬鹿しいことですが、昔のリリは両親に褒めて貰いたくて、様々な手段(殆どが非合法)で金銭を稼いでいました。
頑張ったな。
偉いわね。
その一言が欲しくて、リリは辛い現実と戦い続けたのです。
ですが、全部、無駄でした。
幾らお金を稼いでも、父も母もリリを褒めてくれることはありませんでした。いつだって浴びせられるのは、罵詈雑言と不満と暴力。
リリが望んだたった一つの
いつ頃だったでしょうか、両親は気付けば死んでいました。団員の話によれば、『
無様だな、と団員は嗤っていた。
そうですね、とリリも嗤っていた。
本心でした。親らしいことなんて何一つしてくれなかった癖に無責任にもリリを産んで、育児の放棄に留まらず金稼ぎを強要した挙げ句、勝手に死んで。
(何がしたかったんですか……)
その時、リリは思いました。どうして、リリは生まれてきたんだろうと。なぜ、リリはこんな地獄にいるんだろうと。
過去は泥、現在は沼、未来は闇。
人には過ぎたる『
誰もが敵。誰もが孤独。誰もが邪魔者。【ソーマ・ファミリア】は
ここから逃げたい。次第にそんな思いがリリの心のうちを支配しました。ですが不幸にも、
神が造りだした酒は、孤独に苛まれていたリリの魂を魅了しました。もっと、欲しい。もっと、飲みたい。孤独の痛みを忘れたい。いつしか、頭の中は『
リリが歩む人生の道程が後戻りできないくらいに狂い始めたのは、この時からでしょう。
一滴でも多くの『
しかし、待っていたのは理不尽な現実。暗黒がごとき絶望だけ。
リリには、冒険者としての才能や素養が致命的なまでにありませんでした。何度か武器を変えて、戦い方を変えて藻掻いて足掻いてみましたが、徒労という結果が訪れるだけ。
結局、リリはサポーターに転向するほかありませんでした。それは、言い換えれば、搾取される側になるということです。
あくまで冒険者の補助であるサポーターが冒険者に金銭面で勝てるわけがなく。冒険者とパーティーを組んだとき、何かしら難癖をつけて不当に報酬を減らす輩が多く、まるでお金が稼げないのです。つまりは、奴隷。魔石を運搬してくれる道具。冒険者の方々は、サポーターを人間扱いしてくださらなかった。
ある時、『
逃げる、逃げる、逃げる。あてもなく、無我夢中で。
全てが嫌になったのです。【ソーマ・ファミリア】の眷属であること、『
雲隠れに成功し何者でもなくなったリリは、何とか経歴を誤魔化して仕事に就くことができました。あの時は幸せでした。勤め先である花屋の老夫婦は温和で優しく、リリを自分の娘のように可愛がってくれました。
ああ、これが親が子に注ぐ愛なのか、と思いました。ずっとこのまま、リリルカ・アーデじゃない自分でいたい、と願いました。
しかし、ささやか幸福は期限付きだったのです。
どうやって嗅ぎつけたのか、奴らが、【ソーマ・ファミリア】の団員たちがリリの前に姿を現しました。
彼らは暴れました、獣のように醜く、本能のままに。バリン、バリン、と花瓶が砕ける音はリリの幸せが消える音と同じでした。
リリは、理不尽な暴力を前に抵抗の意思さえ見せられず、頬を伝って滴り落ちた涙で滲んだ地面を、じっと見つめていることしかできません。
やがて、リリの金を奪い満足そうに彼らは帰って。対価としてリリは老夫婦から追い出されました。
もう二度と、その顔を見せるな。
この疫病神。
彼等の瞳には憎悪と侮蔑が宿っていました。
半ば強制的に【ソーマ・ファミリア】へ、地獄へ戻ることになったリリは、思いました。
冒険者は屑だと。サポーターを人として見ない、金を生み出す都合の良い存在としか考えていない、畜生だと。
だからリリも、彼らと同じ屑に、畜生に、堕ちることにしました。
それからリリは、姿を変えられる【シンダー・エラ】という魔法を使って、パーティーを組んだ冒険者たちの武器や
サポーターを財布程度としか見ていない冒険者たちを出し抜くのは、快感でした。痛快でした。
蔑み、見下すサポーターに一矢報いられる気持ちはどうだ、と言ってやりたい気持ちでした。
それと同時に、心はどうしようもなく苦しくて、痛くて、泣いていました。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
心はそう叫んでいるように思えました。
そんな時です。
運命の出会いを果たしたのは。
光よりも眩しく、希望よりも輝いている
──初めまして、お嬢さん。突然なんだけど、僕のサポーターになってくれませんか?
あの日、あの時、差し伸べられた手は太陽よりも温かく、煌めいて見えました。
変わるのなら、今だ。彼の手を掴め、と心が訴えかけてきました。
不安、恐怖、疑心は当然、ありました。
コイツもお前を騙そうとする冒険者に過ぎない、と囁く声が聞こえました。
でも、それ以上に信じてみたいという気持ちを、
そして、掴みました。差し伸べてくれた、英雄の手を、しっかりと。
今のリリでいたくないと思ったから。
だから、変わるために、一歩を踏み出さないといけません。
リリが誇れるリリになるために。
罪を、贖うために。
○
昼下がりの午後、メインストリートを大きく外れた裏路地で男の荒げた声が響いた。
「サポーター風情が、ふざけた真似してくれやがって!」
吐く声は激しく、紡ぐ言葉は暴れて、地面に這いずる少女を何度も何度も殴打した。
「こちとら、テメエが盗んだってことぐらいとっくに気づいてんだよ。あぁ!? それが今さら『返します、ごめんなさい』だぁ!? 返品と謝罪程度で済むと思ってんのか!?」
罵倒は更に激しさを増して、まるで溶岩吐き出す火山のようだ。
「冒険者様に逆らうなんざ、百年早いんだよ! このクソサポーターがっ!」
吐く言葉より早く、少女の頬を殴る男。
「さぞ楽しかっただろうなぁ、人のモンを横取りするのは! どうせ心の中でバカにしてたんだろう!」
顔面、
「サポーターごときに盗まれるなんて間抜けな奴だって嘲笑ってたんだろ!?」
横腹、
殴打、足蹴を憤怒のままに幾度も、執拗に少女へ浴びせ続ける男。
「ホントにイラつかせてくれるぜっ!」
数分後、暴力の嵐が収まると男はボロ雑巾のように地面に転がる少女の胸倉を掴んで、「俺以外の奴らからも沢山くすねてんだろ、どうせ!」と罵声をぶつける。
「ごめん、なさい……」
微かに聞こえる、少女の声。
「それしか、喋れねえのかよ……」
唸り声に似た呟きを洩らす男は、目を覆いたくなるほどの痛ましい怪我を負った少女を見ても気が収まらないらしく、
「その態度が、気に食わねえって言ってんだよテメエ!」
という怒声の後に少女の腹を容赦なく蹴った。
「うぐ!?」
小石のように宙へ浮いて地面に再び転がる少女は、腹を押さえながら頭を下げた。
「本当に、申し訳、ありませんでした……」
既に数え切れない罵倒と暴力を浴びせられているにもかかわらず、少女はひたすら謝罪を続けた。
はぁ、はぁ。
激情のままに少女へ暴行を加え続けて疲弊したのか、男は荒い呼吸を繰り返す。
「ちっ、クソがよぉ……どうしたってんだ、気持ち悪い。今まで散々、盗みを働いてきたくせに。今さら盗んだモンを返しに来た挙げ句、謝罪までしやがって。……頭でも打って、イカレちまったのか……?」
幾らいたぶっても、泣かず、叫ばず、黙々と謝り続ける少女に、男は怒り以上に気味の悪さを感じた。
「もし、返品だけで満足していただけないのでしたら、慰謝料をお支払いします。ですから、どうか……」と極東伝来の土下座をしながら少女は言った。その口元からは血が滴っているのが見える。
「なんなんだよ、本当に……」
そう言いながら後退る男の表情は引き攣って、双眸には恐怖を灯している。
「クソがっ! しらけちまったぜ、全くよぉ! いいか、もう二度と俺様から盗もうだなんて馬鹿な真似はするんじゃねえぞ、このクソパルゥムが!」
それだけ言い残して、男は一刻も早くその場を離れようと足早に立ち去った。
○
男が去って行くのを見届けた少女──リリルカ──は、ズキズキと痛む腹部をおさえながらふらふらと立ち上がった。
「う……」
呻く声は、止められず。全身が、精神を狂わせるほどの激痛を訴えている。
ただでさえ金にがめつい【ソーマ・ファミリア】の構成員に、直接盗品を返したのだから当然の結果だった。
「あと、四件……ですね……」
リリルカは現在、これまで盗んだ物(既に売ってしまった物に関してはヴァリスで弁償)を持ち主に返すために
罵詈雑言を浴びせられること十数回。顔面を殴打されること、数百回。腹を蹴られること、数十回。盗品を返すたびに、傷と痛みを増やして、もはや心身ともに限界に達している。
それでも、ここで立ち止まるわけにはいかない、とリリルカは奮起する。
(変わりたいんです、リリは……胸を張って、
闇でない、光の未来を掴みたいという想いが、リリルカを前へ前へと突き動かしていた。
痛みはとっくに許容範囲を超えている。心は亀裂が生じて壊れる寸前だ。
だが、リリルカは止まらない。
「変わって、見せるん、です……リリは……」
一歩、一歩、足を引きずりながら、前へ進み続ける。
「あの日、あの時、
目深く被ったフードから覗く双眸に宿るのは、強い決意の光。
過去の罪を贖うことが、リリルカ・アーデという少女の新たな出発点だ。
「待っていて、ください。
絶望に抗う小さな背中は、リリルカが