ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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憂いは怒りへ(ラス・オブ・ゴッド)

 太陽が大地から顔を覗かせた頃に本拠(ホーム)へ帰宅した不良少年のベルを出迎えたのは、眉根を顰めてむつかしい顔をしているヘスティアだった。

 

「むむぅ……」

 

 呻く声が一つ。

 

「どうしたんですか、神様。そんなに頬を膨らませて」

 

 部屋へと続く石段を降りながら、ベルが訊ねた。

 

「やぁ、お帰りベル君。夜の家出は楽しかったかい?」

 

「うぐっ、バレてたんですね……」

 

「当然さ、ボクを誰だと思っているんだい。君の神様だぞ。ベル君の考えていることなんて、全部お見通しなのさ!」

 

 むん、と胸を張って豊満な双丘をぷるんと揺らしながら誇らしげに言うヘスティア。左右で結んだ黒髪もクルクルと回って、自慢気な態度を強調している。

 

「出て行くとき、何も言われなかったので起きてないと思ってました……」

 

 そう言って、俯くベル。

 

「ごめんなさい、神様。昨日、大丈夫だって言ったのに」

 

「……良いんだよ、気にすることはないさ。突然、魔法とスキルが使えなくなったんだ。今の力量がどれくらいのものなのか試しておきたかったんだろう?」 

 

 はい、と首肯するベルの表情は暗い。

 

 危険な行為だとわかっていても止めようとは微塵も思えない自らの精神性が、ヘスティアの心を傷つけていることを強く感じていたからだ。

 

 そんな、少年の胸中を察していた慈悲深き炉の女神(ヘスティア)は言った。

 

「ボクは君が無事に帰って来てくれるだけで充分さ。ほら、何時もの元気はどうしたんだい。悩むより前へ進む方が向いてるんだろ? なら、ベル君は自分の望んだ道を迷わずに進み続ければいい。ボクは、そんな君が大、大、大好きなんだ」

 

 照れるでもなく、恥ずかしがるでもなく、ごくごく自然に、それこそ息をするかのように紡ぐその言葉には、一片の偽りもない。

 

 あるのは、ベルへの慈愛だけ。眷属へ注ぐ、純真な想いだけ。

 

「ありがとうございます、神様。僕も、神様のことが、大、大、大好きです」

 

 だからだろうか。ベルの口からは自然と、想いの宿る言葉がこぼれた。ゆえに、本心。紡ぐ言葉には一滴の嘘すら混じっていない。

 

 違うのは、愛の質。ベルがヘスティアへ向けるのは家族の愛で、ヘスティアがベルに向けるのは異性の愛であることだろう。

 

 その致命的な違い(ズレ)を理解しているヘスティアは、「うん、知ってるよ」と少し淋しそうな笑みを浮かべながら言った。

 

 今はまだ明かせない、心の熱。何時か伝えられる日が来ることを、ヘスティアは心の底から願っている。例えベルが想いを向ける相手が、自分でないとわかっていても。

 

 簡単に諦められる愛ではなかった。

 

 ○

 

「あ、そうだ。話が逸れちゃいましたけど、何かあったんですか? 帰ってきた時、険しい顔してましたけど」と訊ねるベル。

 

 本題から大きく逸れてしまったことに、ようやく気がついたのだ。

 

「いやね、ベル君。君がナントカというお店で借りたこの本が、ちょっとね」

 

 視線を向ける先にあったのは、ベルから魔法とスキルを奪った因縁浅からぬ一冊。黄金の装飾が施された古めかしい書籍だった。

 

「これが、どうかしたんですか?」

 

「ベル君がいない間に気になって読んで見たんだけど、どうやらこれは普通の本じゃないみたいでね」

 

「普通じゃ、ない……」

 

 思い当たる節しかなかった。

 

「最初は魔導書(グリモア)かと思ったんだけど」

 

魔導書(グリモア)、ですか」

 

 ベルの持つ知識が正しいのであれば、魔法を強制的に発現させる貴重書だったはずだ。

 

 値段で価値を計るのなら、数千万ヴァリスはくだらないだろうと記憶している。

 

「でも、ナニカが違う。具体的に何がとは言えないけど、これはただの魔導書(グリモア)じゃない」

 

 もっとそれ以上の、と微言するヘスティア。彼女が何を思っているのか、人間であるベルには窺い知れない。

 

「そういえば、ベル君の魔法とスキルが使えなくなったのって、この本を読んだあとだよね」

 

「それは……」

 

 嘘のつけないベルは、言葉を詰まらせる。

 

「やっぱり」とヘスティアは言った。

 

「読んだことで、どんなことが起こるのか、その効果はわからない。だけど、ベル君が魔法とスキルを使えなくなったのは、間違い無くこの本が原因だ」

 

 キミも心当たりがあるんだろう? と何処か不機嫌に言うヘスティア。

 

「神様、怒ってます……?」

 

「いいや、怒ってない。ただ、悲しんでるんだ。どうして【ステイタス】を更新したとき、すぐに言ってくれなかったんだろうってね」

 

 ごめんなさい、と素直に謝るベル。

 

「言っただろう、ボクは別に怒ってるわけじゃない。それより聞かせてくれ。この本を読んで、君の身に何が起こったのか」

 

「わかりました」

 

 真摯な視線で見つめるヘスティアに、ベルは姿勢を正してしっかりと頷いた。

 

 ○

 

「なんてことだ……」

 

 ベルの話を聞き終えたあと、ヘスティアは頭を抱えてソファに座り込んだ。

 

(まさか、そんなことが起きるなんて……可能性としてはあり得ないわけじゃない。前世の魂が今世の人格にいくらか影響を与えるのは、よくあることだ。決して珍しいことじゃない)

 

 だが、しかし。

 

(ベル君は例外だ。その身体に宿す魂は、普通(・・)じゃない。■■■■■は今世の魂を、ベル・クラネルという人間を喰らい潰すだけの力がある……)

 

 ヘスティアは知っている、()の驚異的な精神力を。ヘスティアは見ている、()の最上無二な意志力を。

 

 ヘスティアは覚えている()の魂に刻印された宿命を。

 

(もう、終わったはずだろう■■■■■。君の使命は、宿命は、あの戦いで。なのに、まだ立ち上がるというのかい? 今世の自分さえも排除して、地上で最高神(ゼウス)の怒りを代弁する天霆になろうとでもいうのかい?)

 

 蘇る、怪物の父と繰り広げた激闘の記憶。雷鳴轟き、大地鳴動し、野山燃え盛り、蒼空は焦げて、大海が煮え滾る、究極の殺し合いで■■■■■は最高神とともに戦い、怪物の父を斃し、その命を散らせた。本来であれば、■■■■■の物語はここで終幕となるはずだった。どこまでいっても■■■■■は、鍛冶司る独眼(ヘファイストス)神性(みぎめ)を素にして鍛えられた武器に過ぎないのだから。

 

 しかし、他の武器と違い、■■■■■には確かな意思が、自我が、魂が宿っていた。

 

 神の姿を模した、魂を持つ武器。果たしてそれは、生命でないと言えるだろうか。所詮は武器に過ぎないと言えるのだろうか。

 

 答えは否。

 

 目の前に生きるベル・クラネルが、■■■■■は生命であると証明していた。

 

(……このまま大人しくしていてくれたらと思ったけど、ボクの見通しが甘かったみたいだ……まさか、こんな物を使って強引に■■■■■の魂を引きだそうとするなんて)

 

 間違い無く、故意だ。幾ら善良なヘスティアでも、今回の件が偶然だとはとても思えなかった。

 

 黄金の装飾を施されたこの本は、恐らく特注品(オーダーメイド)。効果について確信はできないが、魂に干渉する何かが施されていたのだろうとヘスティアは踏んでいる。

 

 何者かが、ベルという存在を■■■■■に上書きしようとしているのだ。それも、主神であるヘスティアに勘づかれるほど強引な手段を用いて。

 

(誰だ。一体誰が、こんなことを……)

 

 犯人を見つけようにも、判断材料が少なすぎる。今、犯人と確かに繋がっているのは机に置かれた本しかない。

 

 なら。

 

(手ぐすね引いてはいられないね。手掛かりがあるうちに動かないと……手遅れになってからじゃ遅い……)

 

 熟考の最果てで決意を固めたヘスティアは顔をあげて、ベルの方へ向き直る。

 

「ベル君」

 

「……なんですか」

 

 真剣な面持ちで見つめてくるヘスティアに、ベルは緊張を隠せない。彼女が何を言おうとしているのか、薄々感づいているからだ。

 

 ヘスティアが紡ぐ、言葉を。

 

「この本を借りたっていう、豊穣の女主人とやらへ行ってみようじゃないか」

 

 当然、ベル君も一緒にね。

 

 そう付け加えたヘスティアにベルは顔を強張らせながら、こくりと小さく首肯する。

 

 普段は明朗快活で慈愛に満ちているヘスティアが、神威をほとばしらせるほど怒っているのを見たのは、これが初めての経験だった。

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