ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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who the hell is she(彼女は一体、誰でしょう)


疑心、抱く(ブラック・シード)

 不安そうな顔をするベルの手を引っ張りながら、ヘスティアは活気に溢れるメインストリートをズシズシと歩く。

 

「ひぃ!?」

 

「うわぁ!?」

 

「ごめんなさい、許してぇ!?」

 

 憤然と神威をほとばしらせるヘスティアを間近で見た人々は、一様に顔面蒼白。まるで怪物(モンスター)遭遇(エンカウント)したかのように、慌てて道を譲る。

 

 その光景は、異様。一刻前まで明るい喧騒が奏でられていた平穏無事な西の街道は、一転して不気味な静寂に包まれていた。

 

 一部、憤怒する女神を見て仰天した憫然たる者たちの叫び声が虚しく響くものの、それ以外の音の一切が息絶えてしまっている。

 

 圧倒されているのだ、ヘスティアに。震恐(しんきょう)しているのだ、幼子がごとき短躯からほとばしる神威に。

 

 例外は、彼女と同一の存在である神々だけ。しかし、普段は呑気な彼等も目を見開いて驚愕を露わにしている。 

 

「何があったってんだ……」

 

 現実を逃避するように視線を逸らす者。

 

「妾は何も聞いておらんぞ……なーんにも、聞いておらーん……」

 

 思考を放棄するように耳を塞ぐ者。

 

「今日のことは誰にも言わないから、俺だけでも助けてくれぇ…………」

 

 恐怖に耐えるように口を噤む者。

 

 見ざる、聞かざる、言わざるとヘスティアを拒絶する様は千差万別、十神十色。されど、根幹は恐怖で統一されている。

 

((((誰が、彼女を怒らせたんだ!!))))

 

 内心で、叫ぶ言葉が一致した。

 

 故郷において十二神の地位にさえ選ばれたことのある(地上での堕落した生活ぶりからはとても考えられないだろうが)あの(・・)慈悲深き女神が、神威を露出させるほど激怒するのは、天変地異の前触れかと思ってしまうほど稀有な事態だった。

 

 それゆえに、これからどんな大事件が起こるのかと神々は戦々恐々としているのだ。

 

 チラチラ、ジロジロ。ガヤガヤ、コソコソ。

 

 雨注のごとく注がれる奇異と畏怖の視線。

 

 満ちては引く潮のごとく囁かれる様々な憶測と根拠の虚ろな噂など気にも留めず、人の海を割って進むヘスティア(と手を引かれるベル)。

 

「か、神様! 落ち着いてください!」

 

「これが落ち着いていられるかい! ボクのベル君が酷い目にあったんだ、黙っているなんてことできるわけがないだろう!」

 

「でも、本を借りると決めたのは僕自身の意思です。本を読むと決めたのも、僕自身の意思です。……豊穣の女主人の皆は、悪くありません」

 

 そう言って、ベルは足を止めた。

 

「もし怒るというのなら、神様に相談もせず勝手に他人の本を読んだ僕を怒ってください」と真っ直ぐな瞳でヘスティアを見るベル。

 

「う……」

 

 冷静かつ真摯な態度のベルを前にして、ヘスティアは神威を萎ませた。

 

 激情を抑えて見つめた深紅(ルベライト)の瞳は、決して諍いを望んでいなかった。それどころか、血のように赤い怒の感情に振り回される自分を心配していることに、ヘスティアは気づく。

 

 すぅ。はぁ。深呼吸を一つ。

 

 胸の奥で暴れる感情の荒波を落ち着かせてから、ヘスティアは口を開いた。

 

「ごめんよ、ベル君。ボクは君の神様なのに、君の思いを無視してしまった。こんなボクを許しておくれ」

 

 目尻に涙を謝罪するヘスティアに、ベルは優しく微笑む。

 

「許すだなんて……そんな悲しいこと、言わないでください。神様は僕のことを想って怒ってくれただけなんですから。ただ、その怒りが激しかっただけで、その想い自体は凄く嬉しいです」

 

「ありがとう、ベル君……」

 

 ぐすっと鼻を鳴らして、ヘスティアは感謝の気持ちを言葉で綴る。

 

 ベルは、知っている。ヘスティアがどれだけ自分を大切にしてくれているのかを。それと同時にどれだけ心配してくれているかも、知っている。

 

 だから、自分の為に怒ってくれるヘスティアの行動は決して間違いではなくて。責めるようなことでもなくて。

 

 ただ少しだけ、感情に振り回されてしまっただけで。想い自体は決して否定すべきものではない。

 

「……君は自分のことを自分勝手な屑野郎だって思ってるみたいだけど。そんなことはない、やっぱりベル君は優しい子だよ。僕の自慢の眷属だ」

 

 そう言って、愛おしそうにベルの白髪を撫でるヘスティア。

 

「神様……」

 

「ごめんよ、ベル君。さっきは情けない姿を見せてしまって」

 

 でも、とヘスティアは言葉を続ける。

 

「この本については、しっかり聞かないといけない。これだけは譲れないよ」

 

 右手に持つ本を握りしめながら、ヘスティアは言った。

 

「分かってます。僕も、この本が一体何なのか、落とし主が誰なのか気になりますから」

 

「そうだね、この本の所有者には聞きたいことがたっぷりあるんだ。何か手掛かりになる話が一つぐらいあるはずだ」と呟いたヘスティアは、ベルと二人豊穣の女主人を目指して歩みを再開した。

 

 ○

 

「ここです」

 

 ベルが案内する形で辿り着いた豊穣の女主人は、歩いて数分の距離にあった。外観は他の建物と特に大差は無いように、ヘスティアには思えた。

 

「ここが、豊穣の女主人……」

 

 名付けられた店名が頭の片隅で引っかかるのを感じたヘスティアだが、違和感はすぐに霧散した。

 

運が良い(・・・・)ですね、今日はまだお店が開いていないみたいです」

 

 食事のメニューが書かれた看板が出ていないのを見て、ベルはそう言った。

 

 営業している最中では邪魔が入る可能性があるし、集中して話ができないかも知れなかったので、ヘスティアたちからすれば都合が良かった。

 

「それじゃあ、入りましょう」

 

「うん」

 

 二人揃って店に入る。

 

 営業前の店内は、沢山の客で賑わう夜とは打って変わって、閑散とした雰囲気に包まれていた。一瞬、ベルは入る店を間違えてしまったかと思ったほどだ。

 

 人の気配が無い。女将であるミアの姿や姦しいウェイトレスたちの姿もない。

 

 静寂だけが、ベルとヘスティアを出迎えている。

 

 そこへ。

 

「あれ、ベルさん。どうされたんですか、 今は営業時間外ですよ」

 

 クス、と笑いを洩らしたあと、いつもとはどこか違う妖艶な笑みをたたえたシルが、厨房から現れた。

 

 その表情は、普段の彼女を知る者ならば目を疑ってしまうほど、大人びていて、作り物のように佳麗(かれい)だった。

 

(あれ? この子、どこかで……?)

 

 薄鈍色の髪をした少女を見て、ヘスティアは強烈な既視感に襲われた。

 

(ボクは、彼女を、知っている?)

 

 既視感は少女を見つめ続けるごとに強くなっていくが、どこで見たのかまでは思い出せない。喉元まで出掛かっているのに、あと一歩のところで届かない。

 

 そんな歯痒い思いに頭を悩ましている間に、ベルとシルは挨拶を終わらせてしまったらしく、二人の視線がヘスティアに向いた。

 

「あの、ベルさん。この方は……もしかして……?」

 

 おずおずと訊ねるシルに「はい」と頷くベル。

 

「僕の神様です」

 

 紹介されたヘスティアが一歩前へ出る。

 

「どうも初めましてだね。ボクの名前はヘスティア。ベル君の主神だ。ボクの子がいつもお世話になってるね」

 

「私はシル・フローヴァと言います。ベルさんの主神である神ヘスティアに会うことができて、とても嬉しいです」

 

 それにお世話になっているのはこちらの方ですよ、と口元を手で隠して笑うシルからはどこか澱んだ気配が洩れている。加えて、ヘスティアへ向ける笑顔はどこか貼り付いているように見えた。

 

 圧倒的、違和感。

 

 まるで、シルがシルでないような感覚にベルは陥った。

 

「シル、さん?」

 

 思わず、彼女の名前を呼ぶベル。

 

「どうかしましたか?」

 

 振り向くシルは、ベルが抱いた違和感を否定するような涼やかな声音と柔らかい微笑みを携えていた。

 

「い、いえ……なんでもありません……」

 

 慌てて首を横に振るベル。

 

(気のせい……なのか……?)

 

 ベルは一度深呼吸をして、心を落ち着かせる。

 

 魔法とスキルを使えなくなった影響なのか、他者の嘘を見極める眼力さえも失ってしまったベルには、違和感を氷解させる手段はなかった。今のベルは、ただ英雄になると誓った少年でしかない。

 

 そんなベルの様子を見たヘスティアは、改めて目の前の少女を観察する。

 

(…………むぅ)

 

 外見から判断するに、年齢はベルより数歳は年上だろう。背丈はベルと同じくらい。顔は素朴ながらも整っていて美少女と呼んでも差し支えない可愛さを輝かせている。

 

 しかしどれだけじっくりと観察しても、先ほど感じた違和感が嘘であったかのようにただの少女(・・・・・)にしか見えなかった。

 

「それで、お二人はどうしてここへ?」

 

 シルの一声を聞いて、ヘスティアは思索の海底から浮上。その意識を現実へと向ける。

 

「神様」と促すベルに首肯して、ヘスティアは一冊の本を差し出した。

 

「実は、この本について聞きたいんだ」

 

 黄金の装飾が施されたそれを受け取ったシルは、困ったような表情を浮かべる。

 

「すみません、これはお客様の落とし物なので……どういった内容の本なのか、私を含めて誰も知らないんです……」

 

「他の誰も、分からないのかい?」

 

「はい……」

 

 申し訳なさそうにシルは言った。

 

(嘘は、ついていないみたいだね……)

 

 人間(・・)は神を騙せない。嘘を見抜く能力を持つヘスティアは、シルの言葉が真実であると判断した。

 

「それなら、この本の持ち主に心当たりはないかい?」

 

「どうして、そんなことをお聞きになるんですか?」とシルが質問を返した。

 

「そう言えば、事の経緯を説明していなかったね。すまない、ボクとしたことがうっかりしてた」

 

 ヘスティアはそう言って、ベルが魔法やスキルが使えなくなったことや、借りた本を読んで不思議な体験をしたこと、体調不良に陥ってしまったことなどを、外部に流失させては危険な話などは省きつつ、簡潔に伝えた。

 

「体調不良、ですか……」

 

 ぼそり、と呟くシルの表情に翳りが浮かぶ。

 

「あの、大丈夫ですか、シルさん。急に暗い顔をして……」

 

「いえ、ベルさんのことが心配で。今はもう、大丈夫なんですか?」

 

「まぁ、はい。なんとか……」

 

 シルの問いかけに、曖昧な返事をするベル。

 

「それで話を戻すけど、本の持ち主に心当たりはあるかい?」

 

「ごめんなさい。この本を拾った日はちょうど大混雑していて、お客様の顔を覚える余裕なんてありませんでしたから……」

 

「他の子も?」

 

「はい」

 

 そっか、と呟くヘスティアの表情は深い嘆きに濡れていた。

 

 豊穣の女主人で働く彼女たちが知らないのであれば、持ち主を特定するのは困難だと言わざるを得ない。

 

「……」

 

 会話が、途切れる。

 

「……」

 

 場が、闇のように暗い沈黙に包まれた。

 

 ヘスティアは両の拳を握りしめながら俯き、シルは困ったように視線を右往左往させている。

 

 そんな堪えがたい空気の中で、突然ベルが頭を下げた。

 

「あの、シルさん。もしこれが魔導書(グリモア)なら、僕が勝手に使ってしまったことになります。なので、弁償させてください!」

 

 数秒の沈黙を己が罪と受け入れるベル。

 

 確かに借りた本を読んだことで、魔法とスキルを使用できないという最悪な状況に陥ってしまったが、それはあくまでもベル側の勝手な都合だ。

 

 魔導書(グリモア)(暫定)の持ち主にはそんな事情など関係無い。置き忘れた貴重な一冊を、勝手に使われて奇天烈書(ガラクタ)にされてしまったという悲惨な事実しかない。弁償するのは当然の話だろう。

 

 しかし、ベルの予想を裏切る一声がシルの口から飛び出した。

 

「ベルさん。それには及びませんよ」

 

「え?」

 

 思わず顔を上げたベルの視界に映るのは、本をペラペラと捲るシルの姿だった。

 

「確かにこれは魔導書(グリモア)に似ています。もしも、製作過程が一緒なら一度読んでしまえば既にこれは無価値でしょう」

 

「はい、ですから」

 

 弁償を、と続けようとするベルの唇にシルは人差し指を当てて塞いだ。

 

「ななっ!?」

 

 真横から、驚愕の声が聞こえる。

 

 しかし、幼い容姿の女神様など眼中にないかのように、シルはそのままの体勢で言葉を続けた。

 

「こんな貴重品を置き忘れるなんて、どうぞ読んでくださいと言っているようなものです。それに、リューやクロエから聞いた話によれば、彼女たちが本を読むように薦めたらしいじゃないですか」

 

 なのでベルさんは気にしないでください、とシルは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

 

「ですけど……」

 

「はい、この話はこれで終わりです! これ以上続けるなら、ベルさんは入店禁止とします!」

 

「そ、そんな!」

 

「入店禁止になっても良いんでしたら、止めませんけど」

 

 どうします? 

 

 視線でそう問われたベルは、折れるしか無かった。

 

「分かり、ました……この件についてはもう触れません」

 

「はい!」と言ってはにかむシル。

 

 上手く丸め込まれたような気がしないでも無いベルだが、お気に入りのお店である豊穣の女主人に通えなくなるのはかなりの痛手なので黙っておくしかなかった。

 

「お話はこれだけですか?」

 

「はい。もうありませんよね、神様」

 

 ベルは横で不機嫌そうに二房の黒髪を尖らせているヘスティアに訊ねた。

 

「いや、あと一つだけ」

 

「……なんでしょう、神ヘスティア」

 

「その本を借りたい」

 

「神様?」

 

「ボクの知り合いに、魔導書(グリモア)とかに詳しい奴がいるんだ。もしかしたら、これがどんな物なのか分かるかも知れない。もしかしたら、持ち主も……」

 

「ほ、本当ですか、神様!」

 

 自然、期待の眼差しがシルへ注がれる。

 

 ベルとしては、魔法とスキルが使えないのは自らの問題だと考えているので持ち主に会えても、本の効果が判明しても、きっと解決しないだろうと考えている。

 

 しかし、本の持ち主がどういった人物で、本の製造者が一体誰なのか、純粋な好奇心から知りたかった。

 

「うーん……」

 

 二人の視線を受けて、シルは少し困ったような表情を浮かべた。

 

「私としては協力して差し上げたいんですけど……」

 

「やっぱり、難しいですか?」

 

「はい……」

 

 シルは言った。

 

「読書目的でしたら、本拠(ホーム)の住所を把握してますし、ベルさんなら必ず返してくださると信じているのでお貸しできるんですけど……」

 

 ちらり、と薄鈍色の瞳がヘスティアを捉えた。

 

「初対面のボクじゃ、信用できないかい?」

 

「すみません」

 

 その言葉がすべてだった。

 

「…………シルさん、神様は絶対にこの本を無くしたり傷つけたりなんてしません。僕が保障します。ですから…………ですから……」

 

 言葉は、そこで止まった。

 

「いや、良いんだベル君。当然の話さ。ボクとシル君は初対面。ボクがどんな神でどんな性格をしていて、どんな考え方をするのか、何も知らない。それに、君はこのお店の店長というわけではないんだろう?」

 

 沈黙は雄弁に、真実をヘスティアへ伝えた。

 

「なら、もしも何かあれば責任を取るのは彼女じゃない。この店の主だ。一店員が、責任者の許可も無しに客の落とし物を出会ったばかりの第三者に預けるなんて真似はできないし、しちゃいけない。シル君の判断は正しいよ」

 

「……そう、ですね」

 

「ベル君だってそれをわかってたから言葉を詰まらせた。違うかい?」

 

「…………はい、神様の、言う通りです」

 

 そう言うベルの表情は、苦い薬草を口に含んだときのように渋かった。

 

「あのっ私っ!」

 

「大丈夫。君が気にする必要はないよ。ここからはボクたちだけ(・・・・・・)で何とかしてみせるから、君も仕事を頑張るんだぜ!」

 

「え、ちょ、神様! そんなに強く引っ張らないでくださいよぉ!」

 

「いいから、さっさと行くぞ! 時間は待ってくれないんだから!」

 

 そう言って、両手で掴んだベルの片腕を引っ張りながら二足を動かす小さな神様。

 

「わ、わかりましたから! 自分で歩かせてくださいー!」

 

 愛らしい眷属の悲痛な叫びは憐れ、無視された。

 

 出口は、すぐそこに。

 

「迷惑を掛けたね。今度ベル君と一緒に足を運ぶよ!」

 

「シルさん、絶対また来ますから! その時は料理を沢山注文するので、よろしくおねがいします!」と背中越しに言い残して、ヘスティアとベルは豊穣の女主人を出た。

 

「はい、待ってますよ。いつまでも、ずっと……」

 

 炉の女神と少年の後ろ姿が見えなくなるまでじっと出入り口の扉を見つめる少女の薄鈍色の瞳には、なぜか黄金の狂気が宿っているように見えた。

 

 

 

 

「ふふっ……お馬鹿さんですね。この本をあなたに預けるわけないじゃないですか、ヘスティア」




Is it the girl who is laughing?(嗤っているのは少女?) Or……(それとも)
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