ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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肉体錆びれど、想いは錆びず。


魔法なきゆえに(アイアン・ラスト)

 

 本拠(ホーム)へ到着するまで、二人が何かを言葉にすることはなかった。

 

 沈黙よりも重く、静寂よりも静かに、少年と女神は歩き続ける。

 

 本の持ち主に関する手掛かりは得られず、本がどのような効果を引き出すのか知る術も途絶えた現実に、忸怩(じくじ)たる思いを抱えるヘスティア。

 

 地面を踏み締める両脚は石化したかのように重く、歩けと命ずる意思の伝達速度は錆びて鈍かった。

 

(ボクはなんて役立たずなんだ……こういう時ぐらいしか、ベル君の力になってあげられないっていうのに、何もできないだなんて……) 

 

「はぁ……」

 

 北風に似た溜息が、薄紅色の唇から洩れる。

 

 魔法とスキルが使用不可能になる重大さは、眷属がベルしかいないヘスティアであっても十全に理解している。

 

 大前提として魔法のスロットは最大三個までであり、習得できる魔法の上限も同じく三つだ。【九魔姫(ナイン・ヘル)】などの一部例外も存在するが、原則としては三つ。その内の一つが使えなくなってしまったのは痛手以外の何事でもない(そもそもベルは使用不可能になった魔法しか習得していない)。

 

 次にスキルだ。ベルが発現させた【英雄誓約(ヴァル・ゼライド)】は、【ステイタス】が早熟しやすいという単純かつ明快な(レア)スキルである。幾度も死闘に身を投じてきたとはいえ、約一カ月半でLv.3へと器を昇華させられたのはスキルの効果あってこそだろう。

 

 文字化けを起こし正常に機能しているか定かではないスキルが、もし魔法と同じような機能不全状態に陥ってしまっていた場合、ベルは今までのように成長できない可能性が極めて高い。

 

 それは、つまり。英雄になると誓ったベルの歩みが、遅れてしまうということだ。

 

 ヘスティアは目の当たりにしている。

 

 ベルが血反吐をはきながら、過酷な鍛錬を行う姿を。

 

 ヘスティアは知っている。

 

 ベルが英雄になると誓うに至った、過去の悲劇を。

 

 ヘスティアは理解している。

 

 ベルが魔法とスキルが使えなくなった程度で、歩みを止めないことを。死地へ赴く覚悟を、捨てないことを。

 

 理解しているからこそ、辛いのだ。苦しいのだ。悲しいのだ。

 

 なによりも、愛するベルに何もしてあげられない自分の不甲斐なさが、恨めしいのだ。

 

 だからだろう。

 

 胸に渦巻く負の念は血脈を通じて無意識にヘスティアの手を動かして、拳を握り締めさせた。

 

 一方、当事者であるベルの気持ちは凪ぐ海のごとく平静だった。

 

 深夜、一睡もせずに地下迷宮(ダンジョン)で身体を動かし続けて、今の状態をある程度把握できたことが大きな理由だろう。

 

 確かに、魔法とスキルが使えない状況は好ましくない。二刀を鍛えるのに使われた『神星鉄(オリハルコン)』の特性を活かせなくなったのは、戦闘能力が明確に弱体化した証左であるし、スキルがもし機能不全に陥っているとなれば今までのような驚異的な成長は望めない。

 

「だが、それがどうした?」というのが、魔法とスキルを失ってから一日が経過して言笑自若の精神を取り戻したベルの率直な思いだった。

 

 そもそも、都市(オラリオ)へ来る前までは魔法やスキルが使えないどころか、『神の恩恵(ファルナ)』を授かってさえいない一般人だったのだ。

 

 無力な、少年だったのだ。

 

 今は違う。ヘスティアという、眷属を本当の家族のように慮る慈愛に満ちた女神を主神に戴き、【ステイタス】を手に入れた。肉体を鍛えることでしか成長できない、昔の自分ではない。

 

 それだけで、ベルにとっては充分だった。

 

 成長の機会さえ得られたならば、後は進むだけだから。昨日はぐらりと精神が揺らいでしまったがそれも既に収まっているし、魔法を使わずとも『中層』の怪物(モンスター)を相手に圧倒できる現状も変わっていない。

 

 だから神様、あなたが心配することはないんです。僕は前へ進めますから。

 

「あ……ベル君……」

 

 胸中に湧く想いを伝えるように、ベルは横を歩くヘスティアの滑らかな手を握った。

 

 ○

 

 本拠(ホーム)へ帰宅後、ベルは装備を身に纏い地下迷宮(ダンジョン)の探索へ向かう準備を始めた。

 

「神様は仕事に行かなくて大丈夫なんですか?」

 

「あぁ、それなら気にしなくていいよ。今日はジャガ丸君の営業もヘファイストスの所の接客も休みだから」とヘスティアは言った。

 

「だからボクのことは心配せず、行ってくるといい。君が無事に帰ってくることを祈っているよ」

 

「神様……」

 

 ヘスティアの優しい言葉に触れて、ベルはじんわりと心が温かくなるのを感じた。

 

「絶対に、帰ってきます。神様をひとりぼっちになんてさせませんから」

 

「うん、ボクをひとりにしないでおくれよ。ベル君はボクの大事な家族なんだから」

 

 ヘスティアの真心で火照る温かく柔らかな手が、ベルの頬に触れた。

 

「今の君は魔法が使えないんだ。そのことをしっかり頭に入れて置くんだぞ。【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】と呼ばれる君が、魔法が使えなくなったぐらいで敗北なんてしちゃいけない。そうだろ?」

 

 忠告と激励が織り重なる言葉に、ベルはゆっくりと頷いた。

 

「それじゃあ、行ってらっしゃい。ベル君」

 

 その一声にヘスティアは、愛情を、悲哀を、不安を込めた。

 

「行ってきます、神様」

 

 返す一声にベルは、恩愛を、決意を、感謝を込めた。

 

 一瞬、交わる青と赤の双眸。

 

 やがてどちらともなく視線を外し。

 

 ベルは自分を想ってくれる女神に背を向けて、元気よく階段を駆け上がっていった。

 

「……行ってらっしゃい」

 

 扉を開けて出て行くベルへもう一度、見送りの言葉を贈るヘスティア。

 

 その一声に込められた想いの形は、彼女しか知らない。

 

 ○

 

 リリルカとの待ち合わせ場所である中央広場(セントラルパーク)へ向かう途中、ベルはとある場所へと足を運んだ。

 

 目的の店は、裏路地にひっそりと佇んでいた。

 

 一戸建ての木造建築でこれといった特徴はなく、五体満足の人体が描かれたエンブレムだけが他の家屋との違いを主張している。

 

 知る人ぞ知る名店じみた雰囲気を醸し出しているその店こそが、目的地だった。

 

「すみませーん」とベルが挨拶しながら木扉を引くと、店内の光景が視界に映り込む。

 

 薄暗い一室には幾つかの戸棚が並んで、棚の上には不気味な色の液体が入った試験管などが並べられていた。一見すれば普通の薬屋に見えるが、立地が悪い所為だろう。窓から射し込む陽は僅かで、どこか陰気な雰囲気が漂っている。

 

 その影響かどうやらベルの他に客はいないらしく、受付のカウンターで暇そうにしている犬人(シアンスロープ)の女性だけが息をするもののすべてだった。

 

「んぅ……」

 

 扉の開いた音を耳が拾ったのだろう、うつらうつらとしていた女性の瞼が重くのし掛かった双眸がベルへ向けられる。

 

「おはよう……ベル。……それとも【未完の英雄(リトル・ヒーロー)】って呼んだ方がいい?」

 

 抑揚の感じられない淡々とした声が、ベルの鼓膜を揺さぶった。

 

「今まで通りベルって呼んでください。僕はその方が嬉しいです」

 

「わかった。ならこれからもベルって呼ぶ」

 

 そう言って立ち上がる女性の名を、ナァーザ・エリスイス。垂れた耳にスカートから覗かせる尻尾。左腕は半袖で右腕は長袖という独特な服装(ファッション)と、右手を常に手袋(グローブ)で覆い隠している姿が、ベルの記憶に強く刻みこまれている。

 

 そんなナァーザは【ミアハ・ファミリア】唯一の眷属であり、薬剤師として回復薬(ポーション)を扱う「青の薬舗」を支えているのだ。

 

 ベルが「青の薬舗」を贔屓にしているのは、両者の主神であるヘスティアとミアハの親交が深いからだった。

 

「随分と、久しぶりだね。……もう忘れられたのかと思った」

 

「忘れただなんて、そんなこと。ただ、最近、回復薬(ポーション)を使用する機会に恵まれなくて」

 

「そう」と呟くナァーザの感情は読めない。しかし、不機嫌な訳ではない。彼女は眠たげな状態が常で、喜怒哀楽が表情に出づらいのだ。

 

「でも、今日は来てくれた。つまり、何かを買いに来たってことだよね」

 

「勿論です。冷やかしで来店なんかしませんよ」とベルは言った。

 

「……あれ? そういえば、ミアハ様はいらっしゃらないんですね」

 

「うん。ミアハ様は、用事で夜まで帰ってこない……」

 

 そうなんですね、とベルは頷いた。普段、この時間は店にいることが殆どだったと記憶していたので、少しばかり気になったのだ。

 

「……それで、今日は何を買ってくれるの?」と訊ねながら、ナァーザはカウンターから立ち上がり、後ろの戸棚の方を向く。そして僅かに視線を巡らせたあと、様々な商品が詰め込まれた箱をよいしょと呟きながら取り出して、机の上に置いた。

 

「そう、ですね……」

 

 箱の中を彩る、色彩豊かな試験官の畑を眺めるベル。

 

 逡巡は一瞬だった。

 

高級回復薬(ハイ・ポーション)を五個ください」

 

「え」

 

 眠たげな瞼をぱちぱちと開閉させて、ナァーザはベルを見つめた。

 

「……良いの?」と呟く声音には珍しく感情が宿っていた。

 

「勿論ですよ」

 

「……本当に? からかってるとかじゃなくて……?」

 

「本気ですよ」

 

 今まで回復薬(ポーション)一つ買うのでさえ慎重になっていたベルが、いきなり一個数万ヴァリスもする高等回復薬(ハイ・ポーション)を纏めて購入しようとするのだから、ナァーザが驚くのも無理はなかった。

 

「でも、そっか……もうベルはLv.3だもんね……」

 

 最近、交流を持てていなかったナァーザにとって、ベルは駆け出し冒険者という認識のままで停止していた。しかし、既にベルはLv.2を飛び越えてLv.3の領域へ足を踏み入れている、区分だけでいえば上級冒険者。Lv.2で立ち止まっている自分より先へと進んでいるのを、ナァーザは今になって思い出した。

 

高等回復薬(ハイ・ポーション)が必要になるのは、当然の流れだよね……」

 

 これからベルが挑む階層には『上層』とは比較にならない、強力かつ凶悪な怪物(モンスター)が跋扈してる。何度も傷を負うのは必至だ。

 

 加えてベルの探索方法(スタイル)単独(ソロ)。であるのならば、高級回復薬(ハイ・ポーション)を買うことは何らおかしなことではなかった。むしろ、必須とさえ言える。

 

「そうだ、ベル……」

 

「なんですか?」

 

「次いでに精神力(マインド)を回復するポーションも買わない? 一緒に買ってくれたら割引するよ」とナァーザは言った。

 

 一瞬、ベルの表情が曇る。

 

「ベルは雷の魔法を使うって聞いた。もし、探索中に精神疲弊(マインド・ダウン)したら、幾らベルでも危ない。その予防になる。ベルが来てくれない間に作った私の最新作、おすすめだよ」

 

「それ、は……」

 

 口籠もってしまうベル。魔法が使えない今の状態をナァーザに説明するべきか、否か。懊悩が曇天のように思考を覆った。

 

「どうかした?」

 

「いえ。……すみません、今日のところは高等回復薬(ハイ・ポーション)だけにしておきます」

 

「わかった」

 

 普段は商魂逞しいナァーザであるが、精神力(マインド)を回復するポーションの話題になってから露骨に表情を暗くさせたベルを見て、これ以上は押さない方が良いと判断した。

 

「すぐに用意する。待ってて」と言って、ナァーザは戸棚を漁る。箱の中の分では足りなかったようだ。

 

 がさがさ、とお宝を発掘するように漁り続けること一分。

 

 頭頂に埃を被りながら、カウンターへ戻ってきたナァーザは箱から取り出した分も合わせた計六個の高等回復薬(ハイ・ポーション)を卓上に並べた。 

 

「お得意様だから、一本おまけしてあげる」

 

「いいんですか?」

 

「うん」

 

「ありがとうございます、ナァーザさん!」

 

 ベルは有難く厚意を受け取ることにした。

 

「お会計、二十万……」

 

「はい、これで丁度だと思います」

 

 そう言って、金袋から提示された額のヴァリスを支払い品物を受け取るベル。五本の高等回復薬(ハイ・ポーション)は左ズボンのポケットに。入りきらなかったおまけの一本は右ズボンのポケットに収納した。

 

「……毎度あり、ベル。大好きだよ」

 

「そういうのは、ミアハ様に言ってあげてください」

 

 それでは、と告げてベルは忙しなさそうに店を後にした。

 

「………………ベル、中々の強者(つわもの)。……侮れない」

 

 少年を見送るナァーザの頬は羞恥で赤く染まっていた。




総ての物事に、意味がある。
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