ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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少年は悪を識る。


起は過ぎて、承は幕引き、(クロト・ラケシス・)やがて転が訪れる(アトロポス)

「青の薬舗」を退店したベルは、今日限定で何度も往来している西の大通りを駆け抜けて、リリルカと待ち合わせている中央広場(セントラルパーク)へと辿り着いた。

 

 穏やかに白雲が流れる蒼天のもと、広場に集うのは魑魅魍魎(モンスター)を屠らんとする闘志満々な冒険者たちだ。

 

「あれ、リリはまだ来てないのか……」

 

 これまで、集合時間に遅れたことのなかったリリルカの姿が見えないことを怪訝に思うベル。

 

 過去に一度、わざと三十分前に中央広場(セントラルパーク)へ向かったのだが、既に彼女は待っていた。それほどまでに遅刻を嫌うリリルカの存在を捉えられない現実に違和感を覚えないほど、ベルは能天気では無かった。

 

 もしかして何かあったのだろうか。

 

 ベルは周囲を見渡した。

 

 しかし、右へ左へ巡らせる瞳の中に彼女の姿は映らない。今、広場にいるのは完全武装の男衆ばかりだ。

 

「ん……」

 

 普段であればさほど気にしないのだが、【ソーマ・ファミリア】の実態に迫りつつあるベルは数日前に遭遇した裏路地の件も相まって、不安を抱かずにはいられなかった。 

 

(嫌な予感がする)

 

 腐食しつつある直感が、力を振り絞るように警鐘を鳴らす。

 

 このまま呆然と立ち尽くして時間を無為に浪費していてはいけない、とベルは摩天楼(バベル)の方角へ向かって走り出した。

 

「はぁっ……! はぁっ……!」

 

 駆ける中、視界に捉える、人、人、人。それら全員が、ベルが再会を願う少女とかけ離れている。

 

(どこにいるんだ、リリ……!)

 

 直感が鳴らす警鐘の拍子(テンポ)が速度を増し、それに伴って胸のざわめきも大きくなっていく。

 

 しかし、未だリリルカと友好的な関係を築けているとは言い難いベルは、彼女がいるであろう場所について心当たりが全くなかった。

 

(通りがかる人に片っ端から訊ねるか……? いや、それじゃきっと間に合わない)

 

 胸中でそう独白しながら、とりあえず都市(オラリオ)の中心部である摩天楼(バベル)を暫定の目的地に定めて走っていた時だった。

 

「あれは……」

 

 それは、偶然。まるで、運命に呼び止められたように、ベルは一つの光景を目の辺りにした。

 

 広場に敷かれている石畳の道を外れた、木洩れ日が射す広葉樹の蔭から、リリルカと思しき人物のバックパックが僅かにはみ出ているのが見えた。

 

「どうしてあんなところに……」

 

 一歩、二歩、三歩、と近づいて見れば、緑が繁る木陰の中にはベルが探していた少女──リリルカ──と、身なりからして冒険者だろう三人の男の姿があった。

 

 両者の間にどんな因縁があるのかベルにはわからないが、齢二十を優に超えているだろう大人が小さなリリルカを取り囲み、悪鬼羅刹の凶相で怒声や罵声を放っている。

 

 対するリリルカは、ひたすらに頭を下げるだけで言い争う意思は皆無であるように見えた。

 

 自然満ちる広葉樹の爽やかな空間に、似つかわしくない剣呑な雰囲気が吹き荒れてる。

 

 止めないと。

 

 そう思ったときにはもう、両の足は動き出していた。

 

「おい」

 

 だが、ベルの征く道を妨げるように背後から尖った声が投擲された。

 

 振り向いた先、警戒心を剥き出す深紅(ルベライト)の瞳に投影されたのは、いつぞやリリルカとベルへ殺意をばらまいていた冒険者の男。武骨な長剣(ロングソード)を背中に装備した、黒髪を後ろで縛っているのが特徴的なヒューマンだった。

 

「お前は……」

 

 ベルは威嚇するように呟いた。

 

「よぉ、久しぶりだな、英雄擬き(エセ・ヒーロー)。見たところ、あのガキと連んでるみたいだな。理想の英雄様らしく、弱者救済でもやってんのか? 殊勝な心がけに、俺は涙が出ちまいそうだ」

 

 瞳に宿る侮蔑の色は甚だしく、振動させる声音は嘲弄に満ちているが、心の最奥で燃え狂っているだろう憤怒の業火は隠せない。

 

 男は、ベルに、リリルカに、激憤している。裏路地の時と、何も変わらず。

 

「……それで、僕に何の用ですか。あなたと世間話をするつもりはありませんよ」

 

「そんなもん、俺だってねえよ」と男は吐き捨てるように言った。

 

「テメエはあのガキが俺やアイツらみたいな冒険者につけ狙われてる、可哀相な奴だと思ってるのかもしれねえが、そんなのはな、全の勘違いだ。被害者は俺たちで、加害者はガキの方」

 

 騙されているんだよお前は、と男は悪魔のような笑みを浮かべて言った。

 

「あのクソガキはな、パーティを組んだ冒険者から色々な品物を盗んでる悪人なんだ。どうだ、悪人だ。英雄って呼ばれてるテメエなら、わかるだろ? アイツは、善人を、正しさを、踏みにじってる糞野郎だ。そんな奴の存在を、テメエは見過ごすって言うのか? 庇うって言うのか? なぁ、どうなんだよ」

 

「っ」

 

 がりっと心の内側が抉られる音を、ベルは聞いた。返す言葉が、出てこない。言い返すことが、できない。

 

 ベルも、薄々と気づいていた。

 

 リリルカが、窃盗行為を犯しているのではないかと。その疑惑は【ソーマ・ファミリア】の調査を進めれば進むほどに深まっていき、今日を迎えた時点で確信に至っていた。

 

「まさか見逃すわけないよな。それじゃあ本当に偽物(エセ)になっちまうぜ? 英雄っつうのは、正しく生きるものの味方じゃないのかよ」

 

「それ、はっ……」

 

 分かっていた、解っていた、判っていた、識《わか》っていた。自分の思想と行動が矛盾していることは。

 

 なのに、どうしても、魂さえも凌駕するナニカがあの子を、リリルカを助けろと叫ぶのだ。

 

 手を差し伸べろ、闇から引っ張り出せ、彼女の身体に降り積もる灰を払ってみせろ、と心の臓を打ち鳴らしてくるのだ。

 

(……僕、はっ……)

 

 そんなベルの沈黙を諒解と都合良く解釈した男は、ニヤリと卑しい笑みを頬に過ぎらせて言った。

 

「悪人を弱者と誤認していた憐れな英雄様に、提案があるんだ。是非、聞いて欲しい」

 

「……提案、だって?」

 

「そう、とても素敵な提案だ」

 

 男は言った。

 

「俺のとこにも来たんだがな。どういうわけか、今になって盗品を被害者に返して回ってるらしいだよ。でもよ、よーく考えてみろ。窃盗の常習犯が急に心入れ替えるなんてことありえるか。いいや、ありえねえ。どうせ何か企んでるに違いねえさ。だってアレは【ソーマ・ファミリア】の眷属なんだからな。自分が損するようなことをするわけがない」

 

 だからよ、と男は言葉を続ける。

 

「あのチビを罠に嵌めてやろうぜ。あそこの団員の話が正しけりゃ、これまで盗んだモンをどこかに纏めて隠してるらしい。上手く奪えりゃ、いい金稼ぎになる」

 

「な、に?」

 

 男の口が羅列させる言葉の意味が、理解できず、言葉を失うベル。

 

「安心しろ。当然、テメエにも分け前はやる。正義を為すにも、銭は必要だからなぁ」

 

 ベル・クラネルを前にして、男は一切の嘘を混ぜずに本心を語っていた。男は心の底から自らが善人、正義の徒であり、リリルカを悪人、不義の徒だと思っているのだ。

 

「お前は普段どおり、アレと地下迷宮(ダンジョン)へ潜ればいい。噂じゃ、『中層』で狩りをしてるんだろ。なら、アイツを窮地に追いこむのは簡単なはずだ。所詮はサポーターだからな。お前が適当な所で姿を消せば、後は俺が調理する。その間は、怪物(モンスター)どもが近づかないように警護してるだけでいいからよ」

 

 どうだ、悪くない提案だろ? と男は言った。

 

 嫌な、笑みだった。今まで見てきた中でも、とびきりに醜悪で、卑しさと悪意を鍋で煮詰めたような最低な笑み。

 

「っ……!」

 

 嚇怒が心を焼き尽くし、嫌悪が思考を塗り潰し、天霆が魂を支配する。

 

 両眼から、ほとばしる邪悪を滅ぼす殲滅光(ガンマ・レイ)

 

 眼前には、地獄の底へ堕ちるべき悪が、一つ。

 

「……なぁ、教えてくれ。今まで語ったこと、それは本心か? おまえは、本当にそんなことを企んでいるのか?」

 

 問いは、遠雷に似ていた。

 

「はははっ! 何を当然なことを……! アイツはただの荷物持ち(サポーター)だぜ。それに加えて盗人ときた。アレが死のうが消えようが、誰も気にしねえよ。それどころか、犯罪者が一人消えるんだ。俺たちのやろうとしてることは、善行みたいなもんさ」

 

 嗚呼、雑音が、五月蠅い。

 

「一緒に新しい英雄の偉業を打ち立てようぜ。な?」

 

 そう言って、ベルの肩を抱こうとする男の手が、空を切った。

 

「ぐぅ!?」

 

 突然、洩れる呻き声は男から。

 

「それ以上、喋るな……」

 

 刹那よりも速く、ベルは男の胸倉を掴んで宙へ持ち上げていた。

 

「なに、しや、がるっ!?」

 

 見上げた先に、ベルは怪物(モンスター)を見た。

 

(そうだ、こいつは人間の姿をした怪物(モンスター)だっ……!)

 

 際限なく、膨張する殺意。悪を誅滅しろと魂が叫ぶ。

 

 夢も、理想も、正義も、幸福も、希望も、平和も、愛情も、笑顔も、善も、それら尊い光を愚弄し嘲笑う悪の化身がそこにある。

 

「いいか、一度しか言わないから、よく聞けっ……!」

 

 轟く雷鳴、ほとばしる激情。

 

「もう二度と、リリの前に姿を見せるな。もし、違えれば、その時は──」

 

 ()がおまえを殺す。

 

 瞬間、広葉樹たちが怯えるように一斉にざわめいた。

 

「うっ、くっ」

 

 神威にも似た威圧感に、男は表情を歪める。額に滲む脂汗は、今にも顎を滴り落ちそうだ。

 

「は、ははははは……!」

 

 しかし、何が彼をここまで駆り立てるのか。男は瞳に恐怖を宿しながらも、邪悪な笑みを顔面に貼り付けながら、言った。

 

「殺す? 今、俺を殺すと言ったな? はんっ……それがテメエの本性ってわけだ! ……いいか、俺も一度しか言わないから耳をかっぽじって、よーく聞け!」

 

 俺は絶対にあのガキを殺す。

 

 衝突する殺意と殺意の双眸。数秒と続いた睨み合いは、少女の一声で幕引きを迎える。

 

「…………英雄(ベル)、様?」

 

「っ!」

 

 咄嗟に声の方へ顔を向ければ、呆然と佇むリリルカの姿があった。

 

「おいっ! いい加減、離しやがれっ!」

 

 そう言って男は胸倉を掴むベルの手を無理やり解くと、大きな舌打ちを場に残して去って行った。

 

「………………リリ」

 

 呟く声は、悲哀。湖面に映る銀の月。冷たく、淋しい、水の月。

 

「…………いつから、そこに?」

 

「ちょう、ど……今、来た…………ところ、です……」

 

 嘘だ。

 

「あの、何か……あの冒険者様と……お話でも…………され……ぐすっ……されていたん、ですか?」

 

 嘘だ。嘘だ。嘘だ。

 

 何も聞いていないなんて、嘘だ。

 

 だって君はフードの下で、涙を流しているじゃないか。

 

 何時もの辛く悲しく苦しい思いを押し隠す、灰色の笑顔を浮かべられていないじゃないか。

 

 ねぇ、リリ。

 

 今の君に僕は、何と言ってあげれば良いのだろうか。

 

 どんな言葉を贈れば、その涙を笑顔に変えてあげられるだろうか。

 

 ○

 

 わかっていた、ことでした。

 

 ──あのクソガキはな、パーティを組んだ冒険者から色々な品物を盗んでる悪人なんだ。どうだ、悪人だ。英雄って呼ばれてるテメエなら、わかるだろ? アイツは、善人を、正しさを、踏みにじってる糞野郎だ。そんな奴の存在を、テメエは見過ごすって言うのか? 庇うって言うのか? なぁ、どうなんだよ

 

 英雄(ベル)様と出会えた、それが奇跡であったことくらい。絶望の闇に咲いた一輪の花であったことくらい。

 

 ──俺のとこにも来たんだがな。どういうわけか、今になって盗品を被害者に返して回ってるらしいだよ。でもよ、よーく考えてみろ。窃盗の常習犯が急に心入れ替えるなんてことありえるか。いいや、ありえねえ。どうせ何か企んでるに違いねえさ。だってアレは【ソーマ・ファミリア】の眷属なんだからな。自分が損するようなことをするわけがない。

 

 今からでも、変われるとそう思いたかったんです。これまでの罪と向き合い罰を受け入れれば、リリでも未来(まえ)を向いて歩いていけるって、そう思いたかったんです。

 

 ──はははっ! 何を当然なことを……! アイツはただの荷物持ち(サポーター)だぜ。それに加えて盗人ときた。アレが死のうが消えようが、誰も気にしねえよ。それどころか、犯罪者が一人消えるんだ。俺たちのやろうとしてることは、善行みたいなもんさ。

 

 目を逸らしていたんです、リリは窃盗を繰り返す悪人(・・)だってことを。その心根が腐りきっているってことを。

 

 でも、それでも、リリは変わりたいって思ったんです。いえ、この言葉は適当ではありませんね。今も、そう思っているんです。決意の光は、絶えていません。動き出した物語(じんせい)を止めるつもりもありません。

 

 ああ、でも……英雄(ベル)様。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。

 

 リリが、貴方様の心を歪めてしまっていたんですね。苦しめてしまっていたんですね。

 

 だって英雄(ベル)様は、■の■になりたいんですよね? 

 

 罪には、罰を。

 

 悪には、裁きを。

 

 奪われた希望には、相応しい悪と嘆きと絶望を、与えたいんですよね? 

 

 なのに、貴方様はリリなんかに手を差し伸べてくれた。救ってくれようとしてくれた。

 

 でも、これ以上、ご迷惑をおかけするわけにはいきません。あぁ……この思いもまた、自分勝手で自分本位で自己中心的なもの。

 

 結局リリは、リリ自身のことしか考えていない屑なんです。

 

 ですから、あの男──ゲド・ライッシュ──の言葉は間違いなんかじゃありません。

 

 リリルカ・アーデは、どうしようもない悪人です。英雄(ベル)様が唾棄すべき存在と嫌悪する、悪人なんです。

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 手を差し伸べてくれたのに。

 

 助けてようとしてくれたのに。

 

 闇から連れだそうとしてくれたのに。

 

 本当に、ごめんなさい。

 

 リリはやっぱり……

 

 貴方様に相応しいサポーターにはなれないみたいです。

 

 主演(ヒロイン)にはなれないみたいです。




少女は罪を識る。
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