ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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凱旋

──英雄が誓う約束は、果たされるが為にある。

 

──さあ、征こう。果てなく征こう。その手に勝利を掲げるのだ。 

 

 

 ダンジョンを運営、管理する『ギルド』の受付嬢、エイナ・チュールは不安げな表情を浮かべながら書類仕事をこなしていた。

 

 仕事人然としながら親しみやすいと評判のエイナが顔を曇らせている原因は、最近になって担当することになった一人の冒険者にあった。

 

 ──少年の名はベル・クラネル。【ヘスティア・ファミリア】唯一の眷属であり、駆け出しのLv.1。

 

 兎のような愛くるしい見た目とは裏腹に、エイナが見てきた冒険者の中でも強さを求めることに関しては右にでる者はいないだろう鋼の意志を、ベルは宿している。

 

(今日も無事かしら……って考えるのは彼に対しての侮辱なのかなぁ……)

 

 オラリオから少し離れた田舎育ちだとベルから聞いたエイナであるが、一度決めた事を必ず貫き通す鋼のような勇ましい姿からは、とてもじゃないが畑を耕している姿なんて想像できない。

 

『決めたからこそ、果て無く征くんだ! それ以上の理由なんて僕にとっては必要ない!』

 

 寧ろエイナには、ベルが強敵を前に覚悟を決めて獅子奮迅の働きをする姿が容易に浮かぶ。守るべき誰かの為に刃を振るい、悲しみに暮れる涙を拭うその姿が。

 

 まったくもって不思議なことにエイナには、駆け出しである筈のベルがモンスターを前にして死ぬ未来が描けない。それは多くの冒険者を見送ってきたエイナの勘により導き出されたものだ。

 

 根拠などはまったくないから説明なんてできないが、エイナには確信がある。

 

 ──ベル・クラネルは決して死なないという確信が。

 

 それこそ中層に現れるようなモンスターが上層に上がってでも来ない限り、ベル・クラネルは立ちはだかるモンスターのすべてを屍に変えて、前に前にと進み続けるに違いないとエイナは考えている。

 

 ──だからこそエイナの心は嵐のように吹きすさぶ。

 

(でも、仕方ないじゃない! 心配なものは心配なんだから! だってベル君はまだ冒険者になってまだ半月なんだよ! 心配しない方が無理ってものよ!)

 

 エイナは心の中でだけ、今日も絶賛ダンジョンで無茶をしているだろうベルに対して心配を露わにする。そして今も悶々とする原因であるその手に持つ小冊子に記載された一文へと目を移す。

 

 そこにはベルがこれまで歩んできた冒険者としての記録が記されていた。

 

【ベル・クラネル】

 

 所要期間、半月。

 

 モンスター撃破記録(スコア)、3850体。

 

 この文字を見たら多くの人間はまず自分の目を疑うだろう。「これは夢か何か?」と。そして次に記載されている文が間違っているのではと思うことだろう。

 

 何をしたら駆け出しの冒険者が半月の間にここまでのモンスターを狩ることが出来るのかと。ここに記されている数字こそが誤っているのだと。

 

 しかし、ここに記されている文は書き間違いでも何でもない。真実、駆け出しの少年(ベル・クラネル)が歩んできたダンジョンでの記録だ。

 

 ベルが換金の為に持ってきた魔石を鑑みてもこの数字は正確なものだろう。それにエイナはベルがこんなことで嘘をつくとは思っていない。

 

 それよりもエイナは、ベルがモンスター撃破記録(スコア)以上にモンスターを狩っているのでは? と心配しているのだ。

 

 証拠があるわけではない。しかし誰よりも愚直に強さを求めるベルならやりかねない、とエイナはまた一つ溜息を付く。

 

 ──『冒険者は冒険してはいけない』。

 

 とエイナは口酸っぱく言ったつもりだが、不壊属性(デュランダル)のように頑固なベルにはまったくとして効果は無かった。

 

『……心配してくれてありがとうございます、エイナさん。でも僕は〝冒険〟がしたいです。きっとその先に僕の求める強さがあると思うから……』

 

 あまつさえベルはこちらを気遣うように頭を下げてきたのだ。「そこまでされたら私は何も言えないじゃない……」とエレナは項垂れながら折れた。

 

 ──『ねぇ? ベル君はどうして冒険者になりたいと思ったの?』

 

 ──『僕ですか? そうですね……』

 

 ふと思い出すのは、エイナがベルのアドバイザーになってから三日が経った頃の会話だった。

 

 駆け出しの冒険者とは思えない凄まじい戦果を挙げ続けるベルに、エイナはどうして冒険者になったのか気になり尋ねたのだ。

 

 それに対してベルはどこまでも真っすぐな、太陽(ヒカリ)のような眩い眼差しをエイナに向けて、力強く答えた。

 

 ──『僕は守るべき誰かの為に……何よりも……! 誰よりも強くなりたいと思ったから、冒険者になりました……!』

 

 ──その姿はまるで英雄の誕生を告げる産声のようで。

 

(何でかしら? 不思議よね……まだ半月の付き合いなのに、こんなにも彼のことを想ってしまう……)

 

 エイナは己が気付く間もなくその鮮烈なる英雄(ベル・クラネル)に心を惹かれてしまった。

 

 あれほどまでの鮮烈な光を、英雄にいたる雄姿を前にしたら誰であろうと盲目になってしまうのではないかと、エイナは深く思う。

 

 ならばそんなベルをすぐそばで見守ってきた己が、心を惹かれるのは仕方が無いことだとエイナは強引に納得する。

 

 ──彼なら、ベル・クラネルなら守ってくれると。ベル・クラネルなら成し遂げてくれると。いずれ多くの人間に希望の火を灯すと信じている。

 

 何故なら自分も、そんなベルに魅了された者の一人だから。

 

 今はまだ〝未完の英雄〟であろうとも、ベルならばそう遠くない未来、必ず英雄になるとエイナは断言する。

 

「お、おい! 大丈夫か!」

 

「何て酷い傷してやがる!」

 

「マジかよ……! あの傷で歩けるってのか……!」

 

「なぁ、誰か助けてやれよ……」

 

「いや、それがよぉ……あの坊主が〝大丈夫だ〟っつうから誰も手ぇ貸せなくてよぉ……」

 

 そんな妄想に耽っていたエイナの耳に突如、ギルドの外から騒音のような声が聞こえて来る。

 

 ──嫌な予感がエイナの脳裏を過ぎった。

 

(もしかして……!)

 

 思い至った時には、エイナは扉を開けて外へと飛びだしていた。動悸が激しくなるのを抑えることが出来ず、思考がうまく回らない。

 

「すみません! どいてください!」

 

 それでもエイナは騒がしい声たちの中心へと向けて走り続ける。中心に近づけば近づくほど、騒ぎを聞いて集まってきた人々の密度が増す中、ついにエイナはその姿を捉えた。

 

「ベルく……。……!?」

 

「あ、エイナ、さん……」

 

 ──絶句。

 

 ベルの名を呼ぼうとするエイナだったが、目の前に現れたその姿があまりにも痛々しく、最後まで言葉を紡げなかった。

 

「どう、したの……? どうしたのよその傷は!」

 

 ベル・クラネルは瀕死の重体だった。引き裂かれ血に塗れた衣服はもはやその役割をはたしておらず、上半身はもはや裸同然。

 

 左腕はあらぬ方向へと曲がり、右腕は紫色に膨れ上がって壊死寸前なのは一目瞭然。

 

 身体に刻まれているのは裂傷から打撲まで多岐に渡り、傷が無いところなど存在しない。

 

(まだまだ弱いな、僕は……エイナさん、怒らせちゃった……)

 

 エイナが怒鳴った姿を見たことが無かったベルは、ここまで怒らせて、いや悲しませてしまうほどに不甲斐無い己の弱さを嘆く。

 

 もっと力があれば、もっと己が強ければ、エイナさんに涙を流させず(・・・・・・)に済んだのにと。

 

「すみ、ません……エイナさん。五層に、潜ってたら、ミノタウロスに出会ってしまって……」

 

 俯きながらも紡がれるベルの言葉を聞いたエイナは、動悸が激しくなるのを感じ思わず声を荒げてしまう。

 

「ベル君! 私言ったよね!! 冒険者は冒険しちゃいけないって!!」

 

 傷だらけのベルを前にしてエイナは叫ぶ。

 

 本当は今すぐ抱きしめて優しく頭を撫でてあげたい衝動に駆られているエイナだが、それ以上に今この胸に抱く怒り、悲しみ、安堵がごちゃ混ぜになり己を制御できない。

 

「はい……」

 

 そんなエイナの説教を前に、ベルは静かに頷くだけ。瀕死になりながらも凛々しく前を向く姿に、エイナは心中に渦巻くさまざまな感情を抑えることが出来ない。

 

「全然分かってないよ!! 分かってたらミノタウロスになんて挑まないわ!!」

 

 だからこそエイナの激情は加速する。今日だってベルが無事で帰ってくるように祈っていたのに、こんなにも傷だからで帰ってきて。

 

 教会の隠し部屋(ホーム)に向かう事だって出来たのに、ここまでの傷を負っていながら律義にギルドまで来る必要なんてないのに。

 

「はい……」

 

 すべては(エイナ)に会いに来るためだと分かっているから。エイナは感情を抑えられない。

 

「君は何をしたのか……!」

 

「分かって、います!!」

 

 どうやっても怒りを、悲しみを、苦しみを止められないエイナの瞳を、ベルの深紅(ルベライト)に煌めく視線が射抜いた。

 

 その目はエイナがいつも見てきたベルのものとまるで変わる事の無い、鋼の意志が宿っている。こんなにも傷ついていながら、ベル・クラネルの心はまったく揺らいでいなかった。

 

「本当は、すぐ逃げるべきだって、戦うべきじゃ、ないって。それ、でも……」

 

 一言、ベルが言葉を紡ぎ出す度に、エイナの心に安らぎが(もたら)される。そうだ、己が知るベル・クラネルはこういう少年だったと、エイナはようやく落ち着きを取り戻す。

 

「それでもっ! 僕は! 前へ進むって決めたから! だから……! この想いだけは譲れないんです……!」 

 

 ──そうだ。エイナの前に立つ少年は、守るべき『誰か』の為に強くなるという願いを貫く英雄だった。

 

「本当に、君は……」

 

 ならば己も伝えなければいけない。冒険者に助言するアドバイザーとしてではなく、ベルを想う一人の女として、エイナ・チュールとして。

 

 見事、死闘の果てに強敵(ミノタウロス)を打ち倒し、凱旋してきた英雄(ベル)に相応しい言葉を。

 

(お帰り……はきっと神ヘスティアが言ってくれるだろうから……)

 

「頑張ったわね……! ベル君!」

 

「……! はい……! エイナ、さん!」

 

 エイナは倒れそうなベルを抱きしめて涙を流しながら褒めるのだった。

 


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