ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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魔法は解けて(パラダイス・ロスト)

 今日を最後にしよう。

 

 昨日、ベルとゲドの口論を思わぬ形で目撃してしまったリリルカは、英雄譚の舞台から退く悲壮な覚悟を胸に抱きながら、朝霧が漂う中央広場(セントラルパーク)へ赴いていた。

 

 暗澹(あんたん)たる思いが、心を支配していたからだろう。砂嵐に囚われたように荒む精神を落ち着かせる時間が、リリルカには必要だった。

 

 ベルが集合場所に訪れるまで、あと一時間半。猶予は潤沢にある。洞察力に鋭れたベルに心のうちを悟られぬよう、今のうちに感情を理性という名の拘束具で縛っておかなければいけなかった。

 

 素直に決別を申し出れば、ベルは必ず察する。昨日の件が原因であることを。

 

(それだけは、回避しなくてはいけません……)

 

 邪悪を憎む英雄を怒らせた者の末路など、想像するまでもない。

 

 死だ。逃れようのない、死。凄絶としか形容できない、死。

 

 純然たる死が、ゲドの肩を叩くに違いない。

 

 自分の命を狙う危険人物を排除してくれるのだから、喜びはすれど嫌がる必要はないのかもしれない。

 

 だが、リリルカは嫌だった。自らの軽率かつ無思慮な愚行から生まれた悪意の因果を、他人に断ち切ってもらうなど。

 

 ゲド・ライッシュという過去(つみ)の象徴を、因果を、断ち切るのは、リリルカ・アーデでなければいけないのだ。

 

 英雄の手を汚すなど、あり得ない。ベルが紡ぐ物語は英雄譚だ。永遠に語り継がれる英雄の足跡に、私怨塗れの復讐譚という瑕疵(かし)などいらない。否、あってはならない。

 

 だから、別れるのだ。今日の探索を最後に。

 

 心の片隅に芽吹いた、『過去』を精算できるかもという希望的観測は所詮、希望的観測に過ぎなかったことをゲドの発言で痛感したから。

 

 償う意思だけでは、罪は消えないのだと思い知らされたから。

 

 これ以上、都市(オラリオ)を席巻する英雄の歩みを邪魔したくなかった。サポーターとして雇われる時点で、足を引っ張っているのは明白なのに。ベルには何ら関係のない過去の因縁に巻き込むことを、リリルカは許容できない。

 

 英雄の歩みを止める拘束衣と化すくらいなら、いっそ──

 

 と不穏な思考へ辿り着きそうになった時だった。

 

「よぉ、クソガキ。ちょっと面貸せよ」

 

 過去(つみ)の象徴が、リリルカ・アーデの前に立ちはだかった。

 

 生存本能が一瞬にして燃え盛り、咄嗟に距離を取るリリルカ。野生動物染みた素早い行動に、ゲドは肩を竦めて苦笑する。

 

「おいおい、そこまで警戒心剝き出しにすることはねえだろ。流石の俺も傷ついたぜ」と軽口を叩くゲドの態度は、違和感の塊だった。

 

 これまで執拗なまでに追いかけ回されてきたリリルカの記憶に保存されたゲドは、常に悪鬼羅刹の表情を浮かべ、黒く澱んだ殺意を身体から噴出させていた。

 

 昨日も同様だ。リリルカの関係者というだけで、ベルへ激情を剥き出していた。

 

 執念深く、短気。弱者を見下し、強者に媚びる。ゲド・ライッシュは典型的な小物だった。

 

 しかし、眼前に立つ彼はどうだろう。

 

 リリルカを見下ろす双眸には傲慢と自信が混合した獅子の輝きが宿って。身体から洩れ出すのは禍々しくも鮮烈な闇の戦意だった。

 

 ベルと対極な存在を神が創造したらこのような姿になるのではないか、となぜかリリルカは思ってしまった。

 

 五感を極限まで尖らせて、逃走を図る道を幾つか選定し、最悪バックパックを捨てる覚悟を胸に抱いて、リリルカは口に縫っていた沈黙の糸をほどいて言葉を発した。

 

「リリに……何か御用ですか?」

 

「はははっ! 親の敵みたいに憎悪滾らせた目で睨むなって。俺はテメエに危害を加えるつもりなんて、欠片もねえんだ。この間の謝罪でかなり溜飲が下がったからよ」

 

 ただ話がしたいんだ、とゲドは言葉を重ねた。

 

「嘘です……」

 

「嘘なもんかよ。よく俺を見ろ、クソガキ。目の前にいる男は怒っているように見えるか? 報復しようとしてるように見えるか? テメエを殺したがってるように見えるか?」とゲドは言った。

 

 確かに、表面上は友好的な態度を示しているように思える。だからこそ、リリルカは警戒心を際限なく高めるのだ。

 

 何が起これば、たった一日で殺意や憤怒や憎悪という人間が抱く感情の中でも頂点に位置する情動を、消し去ることができるというのだろうか。

 

 あり得ない。ゲドのような執念深い性格をしている人間は特に。謝罪したときに命の危機を感じるほどの暴力を振るわれたのも、リリルカの警戒心を高める要因となっていた。

 

「ま、テメエが警戒する気持ちもよーく分かる。謝罪してもらったのに、許そうともせず。昨日まで、散々追いかけ回してきたんだからな」

 

 でもよ、とゲドは続ける。

 

「俺もいつまでもテメエ一人に固執してられねぇって気付いたんだ。生活費を稼がなきゃいけねえし、そろそろLv.2へ【ランクアップ】するために冒険する必要もあるしな。……もしテメエが俺のモン盗んだ罪を本当に悔やんでるなら、一度だけでいい。今から地下迷宮(ダンジョン)の探索に付き合え。英雄様との約束を破ってな。勿論、テメエの贖罪が目的なんだから、報酬は全部俺が貰う。ドロップアイテムも含めて、全部だ。その代わり、これで全て水に流してやる。あのときの謝罪も受け入れてやる。今後一切テメエやあの英雄様に干渉したりもしねえと約束する」

 

 どうだ、悪くない提案だろ? と言って、虚偽など微塵も抱いていないかのような清い笑顔を浮かべるゲド。

 

(これは、明らかに罠です……リリを陥れるための……いえ、リリを殺すための……謀)

 

 これまで幾人もの人間を騙してきたことで培った観察眼が、ゲドの発する言葉のことごとくが嘘であると告げている。

 

 嘘、嘘、嘘、嘘、嘘。真っ赤な嘘。

 

 笑顔の裏に隠れる本音は、殺意と憤怒と憎悪の業火だ。

 

 了承は、自殺行為に近い。もしゲドに同伴すれば、これまで経験したことのない危険に見舞われるだろう。何よりも、ベルとの約束を破るという最低最悪の行為に手を染めなければいけない。

 

(でも……)

 

 リリルカの中では既に答えが出ていた。

 

「わかり、ました……」

 

 にやり、とゲドが嗤う。

 

「これでリリが犯した愚かな罪が償えるのでしたら、貴方様の提案を受けさせていただきます」

 

「そうか、そうか。お前が贖罪して未来(まえ)へ進みたいって思ってる気持ちが、本心で良かったぜ。せっかくベル・クラネルに守ってもらってるのに、懲りずに嘘ついてたらよ、流石に救えないからなぁ」

 

 解呪できない呪詛(カース)を吐き出すゲド。

 

「それじゃあ行こうか、リリルカ・アーデ。楽しい、楽しい、『冒険』の始まりだぁ」

 

 悪魔が浮かべる笑みというのは、きっとこんな形だろう。そう思わざるを得ない邪悪さを孕んだ笑顔を浮かべながら摩天楼(バベル)へ向かい始めるゲドの背を追って、リリルカは歩き出した。

 

(こんな形で別れることになってしまって本当にごめんなさい、英雄(ベル)様……)

 

 さようなら。

 

 最後の想いを中央広場(セントラルパーク)に残して、リリルカは冥府(ダンジョン)を下っていくのだった。

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