ベル君に「まだだ」を求めるのは間違っているだろうか   作:まだだ狂

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迷宮の孤王(モンスターレックス)

 迫り来る神に背きし灰褐色の巨人(タイタン)を見据えるは、雪白の戦闘衣(バトル・クロス)を自らの血で染める満身創痍の英雄。

 

 はぁッ……はぁッ……はぁッ……。

 

 呼吸は荒く乱れて、発汗は収まることを知らず、四肢は休息を訴えるように痙攣している。

 

 ベルが負っている傷は、決して浅くない。

 

 十階層から十七階層までの床を貫くほどの威力を引き出すために、故意に【魔力爆発(イグニス・ファトゥス)】を起こした結果、最も損傷(ダメージ)を受けたのは他ならぬベル自身なのだ。

 

 唯一の救いは、精神疲弊(マインドダウン)に陥っていないことだろう。

 

 常識という生命の限界を縛る理で考えれば、とても戦闘に身を投じられる状態ではない。ましてや地下迷宮(ダンジョン)を跋扈する無数の雑兵ではなく、熟練の冒険者が束になって挑まなければ討伐困難な『迷宮の孤王《モンスターレックス》』に、単独(ソロ)で立ち向かうなど正気の沙汰ではない。

 

 自殺志願者であったとしても願い下げだろう、狂気の所業。勝利という名の太陽が昇らぬ暗夜を前に、誰が立ち向かう意思を胸に抱けるというのか。

 

 だが。

 

 しかし。

 

 ベルは違う。

 

 命と勝利の奪い合いという点において、恐怖、諦念、怯臆(きょうおく)が生まれない英雄は寧ろ、逃げ出すという意思を胸に抱くことができない。

 

 常人から見れば、理解不能な英雄(ばけもの)

 

 それが、ベル・クラネルなのだ。

 

最初の一撃(ファーストブロー)はお前に譲ったんだ。次は僕から征くぞ!」

 

 対峙する敵が『迷宮の孤王(モンスターレックス)』であることなど些事であるかのように、ベルは躊躇いも無く地を蹴って一陣の風となる。

 

 魔法を使える状態になくとも、【鋼鉄雄心(アダマス・オリハルコン)】の効果によって【ステイタス】に大幅な補正が掛かっているベルは、Lv.3の領域(げんかい)を突破するかのごとき速度(スピード)でゴライアスの足もとへ接近した。

 

『……!?』

 

 巨躯ゆえに、豆粒ほどの規模しか持たないベルを一度でも見失えば、再度捉えるのは非常に困難。

 

「まずは、邪魔な足を絶つ」

 

 狙うは無防備晒す、右足の下腿三頭筋(ふくらはぎ)

 

「しぃっ!」

 

 ベルの闘志に呼応して刀身から炎を噴き出す《劫火の神刀(ヴァルカノス)》を、流れるような美しい所作で横薙げば、『不壊属性(デュランダル)』が付与されているのではないかとさえ思わせる硬質な皮膚を容易く引き裂き、天然の鎧と化している頑丈な筋肉を焼き切った。

 

『ガァアアアアアアアア!?』

 

 十七階層に鳴動する大音声(ひめい)

 

『中層』を統治する怪物(モンスター)の王様は、突如として右足を襲った激痛に癇癪を起こすように、両腕を地面に何度も、執拗なまでに振り下ろした。

 

 ドンッ、ドンッ、ドンッ。

 

 一連の動作に、意味はない。ただ、右足から伝わる激痛が膨張させる憤怒を吐き出すための、短絡的かつ幼稚な振る舞いに過ぎない。

 

 これが、パーティを組んだ冒険者に対する行動であるのならば、脅威でしかなかっただろう。回避しようにも、頭上から降り注ぐ拳の豪雨を掻い潜れる人数には限りがある。必ず、誰かを犠牲にしなければならない、悪夢のような攻撃と化すのだから。

 

 しかし、今回ゴライアスが対峙しているのは、『迷宮の孤王(モンスターレックス)』に単独(ソロ)で立ち向かってくる常識外れの英雄だ。

 

 大地駆ける様は疾風。両腕が振るう二刀は迅雷。

 

 勝利組み立てる思考は冷静。血液の廻りを管理する心臓は沈着。

 

 一切の無駄なく、最高率の勝利を求める英雄を前にして、生半可な攻撃は自らを窮地に立たせる愚行でしかなかった。

 

 王には、それがわからない。強者の側、搾取する側として産み出されたゴライアスは、彼我の力量差を全く考慮しようとしない。否、できないのだ。

 

「こんな攻撃で、僕を捉えられると思っているのか?」

 

 十七階層の床が抜けるのではないかと思うほどの地震を発生させるゴライアスに憐憫の眼差しを向けながら、ベルは拳の豪雨を踊るように軽々と避けていく。

 

 当たらない。当たらない。何度も拳を振り下ろしているのに、当たらない。

 

迷宮の孤王(モンスターレックス)』の特権ともいえる無尽蔵の体力を存分に活用しているにもかかわらず、たった一人の人間を仕留められない事実にゴライアスは苛立ちを覚える。

 

 それは、思考の乱れ。そして、思考の乱れは明確な隙を生む。

 

 既に拳の軌道を読み切っていたベルは装靴(グリーブ)で地を蹴り砕いて跳躍し、振り下ろされた右拳に華麗に着地すると、滑るようにして腕の坂道を駆け上った。

 

「戦いに驕りを持ちこむのは止せ、ゴライアス」

 

 失望と忠告を込めた言葉を洩らしながら、血に塗れた英雄は腕を蹴って再び宙に身を躍らせる。

 

 狙うは、呆然とした表情を浮かべている顔面。

 

「その首を断つ!」

 

 勝利を叫ぶ英雄が矢となって巨人の首に迫る。

 

 死ぬ。

 

 背筋が凍えるほどの濃密な死の気配を叩きつけられたゴライアスは、咄嗟に右腕で庇った。

 

 ぐちゅ。

 

 一秒後、ゴライアスの耳に届くのは本能に嫌悪をもたらす、ナニカを切断する音。

 

 それ即ち、首断ち切られる運命を回避するための贄とした右腕が、生命潰す殺戮兵器から物言わぬ肉塊へ変じた証左。

 

『…………っ!?』

 

 ゴライアスの目に映るのは二つ。宙を舞う己が右腕と、王を名乗るには分相応な暗君を無感動に見つめる深紅(ルベライト)の双眸だった。

 

『ウオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 当然の絶叫。ゴライアスは残された左手で喪った右腕の切断面を抑えながら、二歩、三歩と後退して、ベルと距離を取る。

 

 なんだ!? コイツは何なんだ!? 

 

 ゴライアスの脳内は、混乱と恐怖で満ちていた。矮小にして脆弱な人間一人に、圧倒されている現実は悪夢そのもの。勝機をまるで見出せないゴライアスは、目の前の人間を殺せと叫ぶ本能と、敵うわけがないと喚く理性に挟まれて何も考えられなくなった。

 

 殺せ、逃げろ。殺せ、逃げろ。殺せ、逃げろ。ころ、にげ、こ、に……

 

『ゴゥ……ァァ……』

 

 思考停止(ソートゼロ)

 

『ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアウウウウウウウ!!』

 

 英雄から与えられた無際限の恐怖によって自我が完全に崩壊し、発狂状態(パニック)に陥ったゴライアスは、奇怪な叫び声を放ちながらベル──ではなく、なぜかリリルカへ向かって走り出した。

 

「なっ!?」

 

「ひっ……」

 

 予想外の行動に、ベルは目を剥き、リリルカは恐怖で顔を青ざめさせた。

 

『ウガァアアアアアアウゥウウウウウウウウウウオオオオオオオオオ!!』

 

 正気を失ったゴライアスは、自分が何をしようとしているのか、何一つとして理解していない。ただ、適当に身体の赴くがまま走っているだけで、リリルカを狙う意図はまるでなく。ただ、進行方向に偶然、彼女が横たわっているに過ぎなかった。

 

 しかし、ベルにとっては先ほどまでと比べ物にならないほど悪辣な行動。

 

「ひゅぅ……ゴライアスもやるじゃねえか。お姫様の方から狙うなんて、怪物(モンスター)とは思えねぇずる賢さだ」

 

 そう言って拍手するゲドを横目に、ベルは全速力で地面を駆けてリリルカのもとへ向かう。

 

 ぎゅるり。

 

「なにっ!?」

 

 理由なき奇行。

 

『ウガァアアアアアアウウウウウウウウァァアアアアア!!』

 

 ゴライアスは何の脈絡もなくベルへ首を向けると、下腿三頭筋(ふくらはぎ)に負う刀傷が悪化するのを気にする素振りも見せずに右足で蹴りを放った。

 

「なんて、強引なっ!」

 

 姿勢は滅茶苦茶。ベルに迫る脚撃のあと転倒するだろうことをまるで考慮していない、理性も、知性も、本能も、何もかもを置き去りにした狂気的な行動はしかし、狂気であるがゆえに英雄へ届きうる一撃となった。

 

「くっ!?」

 

 もはや無意識の領域。ベルが意思を伝達するよりも早く両腕が勝手に動いて、二刀を盾に防御の構えに入っていた。

 

「ご……ぁ……っ」

 

 ズシン。

 

 次の瞬間、ベルを襲う大質量の一撃。もしも落下する隕石を受けとめる機会があれば、今の一撃が脳裏を過ぎるだろう。そう思わせるほど、ゴライアスの全体重が乗せられた脚撃は力強く、重かった。

 

「ぐぅ……」

 

 両足の装靴(グリーブ)を地面に埋没させながら、ゴライアスの右脚を受けとめるベル。

 

「ベル様っ!」

 

「大、丈夫だ! この程度、なんて、こと、ないから!」と返事をするベルだが、肉体は正直だった。

 

 転倒する運命が確実なゴライアスの肉体を支えるベルに乗せられた重量は計り知れず。

 

 一瞬でも、気が緩めば大地と融合する末路を辿るに違いなかった。

 

「ぐぅうううううううう……」

 

 秒針が一進むごとに、一つ、また一つと筋肉が千切れて、骨がミシミシと不快な音を鳴らす。

 

「く、がぁあああああ……」

 

 何とか抜けだそうと藻掻こうにも、足は膝まで地面に埋没。ゴライアスの拳を受け止めている二刀は、運悪く骨と筋肉に挟まって、その切断力を失ってしまっている。

 

 しかも起死回生の一手となり得る魔法さえ使えない今の状況を打破する唯一の策──否。それは策などと呼べるものでは到底ない──は、即ち「気合いで押し返す」だった。

 

 青筋浮かぶ額。

 

 血道走る腕。

 

 筋肉膨らむ脚。

 

 肉体の準備は整った。

 

 あとは──。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 全霊を絶叫に込めて、ベルは重力と質量に叛逆する。

 

 重い。言葉では形容できないほど、重い。それでも、持ち上がらない次元(レベル)ではない。加えて、【鋼鉄雄心(アダマス・オリハルコン)】によって損傷(ダメージ)を受ける毎に能力値に補正がかかっているのだ。

 

 時を経る毎に不可能を離れ、可能へと近づいていく状況でむざむざと敗北を受け入れるほど、ベル・クラネルは弱くない。

 

「こんなことで、僕を、倒せるとっ──」

 

 深呼吸。

 

 肉体の端から端まで新鮮な空気が循環するのを感じたベルは口を閉ざして呼吸を止めて、《ヘスティア・ブレイド》と《劫火の神刀(ヴァルカノス)》を一気に押し込んだ。

 

「思うなぁああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 裂帛を動力源としてベルは限界以上の力を引き出し、ウダイオスの右脚を持ち上げると、勢いそのままに二刀を振り抜いた。

 

 ぐらり。

 

 元から崩れていた姿勢が後方へ傾倒して耐えきれるわけもなく、『ゴァアアアアアアアアア!!』という叫び声と共にゴライアスは地面に崩れて、背中を強かに打ちつけた。

 

「おっと、危ねえ。危ねえ。俺が先にペチャンコになるところだったぜ」

 

 偶然(・・)にも、ゴライアスが転倒したのはゲドが観戦していた場所だった。

 

「ちっ……」

 

 運悪く(・・・)巻き添えで絶命してくれるのを願っていたベルは、ゲドが五体満足であるのを見て思わず舌打ちする。

 

「おいおい、ベル・クラネル! こんな図体がデカいだけの雑魚相手に、何を手間取ってやがる! あんまり、俺を失望させないでくれよ! あのガキも不安そうに見てるぜ! 『ベル様、本当に勝てるのかしら?』ってな」

 

 ギャハハハ、と人を舐め腐っているとしか思えない下品な笑い声をあげるゲド。

 

「言われなくてもっ!!」

 

 転倒という致命的な隙を見逃すなど、愚者のすることだと宣するような叫び。

 

 ベルは寿命を対価に死体同然の肉体を駆動させて、僅か数秒でゴライアスの足もとへ辿り着くと、先ほどのお返しとばかりに跳躍。

 

「ぜぁああああ!!」

 

 ぐるぐると独楽(こま)のように回転して、右脚を太腿から断ち切った。

 

『グァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 右腕と右脚を喪失したゴライアスに、もはや立ち上がる術なく。

 

 激痛によって蘇生した微かな本能に従い、残された左側の腕と脚で天敵たる人間の皮を被った英雄(かいぶつ)を潰そうと必死に藻掻くが、

 

 ──遅すぎる。

 

 ベルは既に重力(はいぼく)から解放されていた。

 

「どこを見ている、死に逝く巨人(ゴライアス)

 

 声に誘われるようにゴライアスが天井へ顔を向ければ、ソコには、死が、人間を象って、間近まで、迫っていた。

 

 ──い、嫌だ……! 

 

 風を斬り裂く猛火の一閃が死を免れようと足掻く左腕を焼斬し、遂に討伐(おわり)の時が訪れる。

 

 決着(ジ・エンド)

 

「疾っ──」

 

 炉の女神の灯火宿る英雄の半身(ヘスティア・ブレイド)が、肉断つ音さえ鳴らさず、静かにその命を絶つ。

 

 ──負けた、のか? 

 

 最後、首と胴が永遠の決別を迎えたゴライアスが瞳に映したのは……

 

 怪物(えいゆう)

 

 それは、断じて、人間などでは、無かった。

 

「ふっ!」と息を吐いて、綺麗に地面に着地するベル。

 

 一度は窮地に陥ったが、全体を通して『迷宮の孤王(モンスターレックス)』を圧倒した上、単独(ソロ)での討伐に成功するという大偉業を成し遂げた。

 

英雄神聖譚(イロアス・オラトリア)】の新たな一頁を紡いだのだ。

 

 しかし、ベルの表情に達成感の色はない。

 

 寧ろ、苦しげな表情をして……。

 

「ベル様! 危ない!」

 

「隙だらけだぜ、英雄擬き(エセ・ヒーロー)!」

 

「っ!」

 

 背後から猛然と襲いかかってきた命喰らう凶刃を、《ヘスティア・ブレイド》で何とか受けとめた。

 

「ぐっ!? なんて、力だ……!?」

 

 昨日、中央広場(セントラルパーク)で対峙したときとはまるで別次元な膂力を有していることに、驚きを隠せないベル。

 

「気をつけて下さい! ゲドは、何らかの方法でLv.4に比肩する力を手に入れていますっ!」

 

 十七階層へ来るまで嫌というほど見せつけられたゲドの不正(チート)な能力を、リリルカが警告する。

 

「Lv.4だって……?」

 

「そういうことだよ、ベル・クラネル。俺はテメエを殺す力を手に入れたんだ!」

 

 ギラギラと双眸に殺意と憤怒と憎悪を宿しながら、ゲドは続ける。

 

「確かテメエはLv.3だったよなぁ! それにゴライアスとイチャついて、ボロボロときた! 白い装備も血に染まって、台無しだ! あらら、こりゃ万に一つも勝ち目がねえんじゃねえか? そこんところ、どう思うよ!」と叫ぶゲド。

 

「それ、で、も……僕……は……っ!」

 

「無駄だよ、バーカ!」

 

 ゲドが軽く長剣(ロングソード)に力を込めるだけで、ベルは抗えもせずに、仰け反るような形で姿勢を崩してしまう。まるで、先ほど自分が斃したゴライアスのように。

 

「しまっ──」

 

「死ねぇええええええ!」

 

 それは、余りにも、致命的な隙。斬ってくださいとばかりに晒された無防備な胴体を、ゲドが袈裟斬った。躊躇いはなく、情けもなく。

 

「あ」

 

 リリルカの瞳に映るのは、鮮血を噴き出しながら宙を舞う英雄の姿。

 

「ベル様ぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

「あはははははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 灰被り姫の叫喚と、悪意の化身の哄笑が、十七階層に延々と木魂した。

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