フリーダムウィッチーズ-あなたがいたからできたこと- 作:鞍月しめじ
早朝、疲れも抜けきらぬまま明里はイヴリンに呼び出され宿舎の前にいた。
ただ、その雰囲気を目にしては寝ぼけ眼を見せる訳にもいかなかった。フィクションメディアで見るような、まさに軍隊の教官めいたオーラが彼女にはあったからだ。
「おはよう、アカリ」
最初にイヴリンから挨拶があった。声をかけられて、思わず姿勢を正す。
「お、おはようございますっ!」
「よし、おはよう。さて……流石に疲れはまだ抜けきっていないと思うし、君は民間人だ。昨日話した軽い運動を、まず少しだけやってみよう。無理をしないで、まずはそうだな……」
イヴリンが周囲を見渡し、何かを探す。『そうだ』と彼女は呟いて、朝もやの中に見える格納庫を指差した。距離にすれば200メートルかそこそこだろう。
「ここから、あの格納庫の前を往復。勿論ランニングでだ。ゆっくりでいいから、二往復しろ。息を上げないように、でも歩かないように」
「わかった……いや、分かりました!」
「いいよ、敬語は無しで。君とは部下とかじゃなく、友人でいたい」
思わずびしっと背筋を伸ばす明里を見て、イヴリンは苦い笑いを浮かべた。これはイヴリン達からすれば訓練にもならない。だが、それでいい。明里が学ぶべきことは無く、いざというときに足を止めないスタミナをつけるだけでいいのだ。
走っていった明里の背中を見送り、イヴリンは少々格式張っていた立ち居振舞いを解いた。
「やってますね」
声をかけてきたのはマルレーヌだった。
「ああ。今日は特別ぬるくしてあるけどな」
「本当に。私を指導していた時は、鬼教官でしたからね」
口元を手で隠しつつマルレーヌは笑う。やめてくれと、イヴリンは困ったように返すだけだった。視線は走る明里をずっと見守っている。
「でも隊長、忘れないで。その教官が居たからこそ、私は義勇兵として戦えたの」
「ああ。その時は嫌でも、叩き込まれたことはいつか戦場で役に立つ。だけど、彼女はそれを知る必要はないからな」
朝も早ければ風は冷たい。吹き抜けた風に靡いた髪を手で押さえるイヴリン。
マルレーヌは風に身を任せ、一度空を仰いでからイヴリンへ向き直って告げた。
「基地を見回ってきます。インカムの通信は開けてください」
右耳に嵌めたインカムを人差し指でノックして、指し示す。
「わかった。今は大丈夫だろうけど、気を付けて」
イヴリンの気遣いに敬礼で返し、マルレーヌは明里の走る方向とは正反対へ消えていった。運動も兼ねているのか、駆け足だ。
「ま、まず一往復……」
それから少しして、イヴリンの元へ戻ってきた明里はそれだけでひどく息を切らしていた。
「大丈夫か? 息を整えてからでいいよ」
「い、いえ……! 行ってきます!」
勇ましい返事だった。軍人としてなら当然ではあるが、教えがいがあるものだ。しかし明里は民間人。特にウィッチですらない。
止めようかとも思ったが、それよりも先に明里は最後の一往復を走りに行ってしまっていた。
これではいけないとイヴリンは思う。明里は恐らく、付いていくために無理をしている。それでは絶対に身体は付いてこなくなる、いつか故障する。それだけはあってはならない。新隊員教育ならいじめ抜くが、明里に対してそれでは逆効果になってしまう。
「まぁ、まだ出会って数日もないんだ。こんなんじゃ堅くなるよな……」
久々の訓練とあって、イヴリン自身少々勇み足だった部分も否めない。軍人として振る舞っては、明里も遠慮できないだろう。
見守る彼女の背中が、不意に大きく揺らいだ。まずい、倒れる。イヴリンが駆け出そうとすると、姿勢を乱した明里を前方に躍り出たベルティーナが抱き止めていた。
「ベルティーナ! アカリ!」
尋常では無い様子に、イヴリンが思わず駆け出した。
「隊長、ちょっと厳しくし過ぎなのでは?」
ベルティーナにしがみつくようにして、限界を越えていた明里は喘ぐ。まるで外敵から守るように、ベルティーナは強く明里を抱き締めた。
「すまん。私も調子に乗っていた……。アカリ、大丈夫?」
ベルティーナに睨まれながら、イヴリンは明里へ訊ねる。息を整えた彼女は静かに頷いた。
「うん……。ごめん、出来なくて」
「無理しちゃダメだよ。隊長、必要なのは分かりますけど、ならボクも参加します。二人でやれれば、気持ちも楽になる」
「悪いですよ……。これは私の問題で──」
遠慮する明里の唇に、そっと人差し指が添えられた。ベルティーナはウィンクを一つ飛ばすと、気にしないでと陽気に言ってみせた。
「ボクたちは今、とにかく自主訓練しかないしね。みんなもそうしてるし、ならボクはアカリたちに付き合うよ」
「いいのか、ベルティーナ?」
「ええ。隊長も走ります?」
「そうしようか。私だけ走らないのはズルい」
イヴリンとベルティーナ、二人の魔女が明里へ微笑みかける。心細さなど、初日に消え失せてしまっていた。だが、今はもっと心強い。明里はウィッチの二人と共に弾むように駆け、ペースを調整しながらランニングを走りきった。
結果、予定より一往復半多い約600メートルを走る。
□
「ベルギカにはいつ出ます?」
ランニングくらいは毎日しても問題ない。煮沸殺菌済みの水を水筒に入れていたベルティーナは、座って休む明里へそれを差し出しながらイヴリンへと訊ねた。
「いきなり行っても混乱させるが、引き伸ばす気はない。今日は
「自分もその交信、参加して大丈夫ですか?」
「……そうだな。お前の力は役に立つか」
明里が語らう二人を見上げる。美味しいとは言えないものの、乾いた喉に水分がよく染み込む。水筒をあおりながら、彼女は何度も聴いた台詞に疑問を抱く。
「あの、ベルティーナさんの善悪を判断する能力っていうのは……?」
飛行中にイヴリンも言っていた。マルレーヌも、宿舎の部屋割りで揉める直前に語っている。
「ちょっとした魔法みたいなものかな。敵の掛けるフェイクだとか、そういうもの含めて見つけられるんだ」
魔法力を解放し、ロマーニャオオカミの尻尾を振って見せるベルティーナ。物珍しそうに、明里は釘付けにされていた。
「ネウロイの撹乱を見抜くのが本来の使い方だが、応用して彼女は相手の悪意や嘘を見抜けるんだ。勿論、相手が看破すればまた確認しなおしになるけどね」
情報更新が常時になればなとイヴリンが言うと、ベルティーナは無茶を言うなと言いたげに睨む。
「あの……もし機密保持だとか大丈夫だったら、私も行ってみちゃダメですか?」
好奇心でないと言われると嘘になる。しかし、分からないなりにどういった状況かは知りたかった。専門用語が分からなくとも、雰囲気でどうなっているかは彼女も分かるつもりだった。
訊ねられて、イヴリンは暫し悩む。だが、もはや悩む必要もないのだと思い直した。
「わかった。今さら機密も何もないし、他言出来るような環境じゃないからね」
「アカリも来てくれるんだ。じゃあ、分からないことがあったら何でも訊いてよ。隊長が忙しそうなら、いくらでも答えるよ」
ぱっと表情を明るくするベルティーナ。全く現金な、イヴリンは呆れたようにかぶりを振った。
□
通信室は流石というべきか、黒板にところ狭しとブリタニア語のメモが残されていたり、机には殴り書きのメモも置かれている。
通信機器も当時の軍用らしい、巨大で複雑な物だ。飛び出た配線は修繕の跡だろう、テープで複雑に固定されている。
「なんというか……スゴいですね」
周囲を機械に囲まれる雰囲気、というものはなかなか一般人には理解しがたい。機器には触れないように気を付けながら、明里はあちらこちらにある興味深い物を見て回る。それは通信機器だったり、メモだったりした。
「まあ、民間人では触れないものだろうからね」
通信機をチューニングしつつ、イヴリンは明里へそう語った。傍らには難しい顔をしたベルティーナが控えている。
ベルギカに繋がる瞬間を逃さないため、注意は絶対に逸らさない。ベルティーナは本当に軍人だったのか、とさえ思える空気感を漂わせるのを見て、明里も思わず息を潜める。
「よし、繋がった」
イヴリンの一言で、場の空気が張り詰めた。
「こちらブリタニア軍、ドーバー観測隊である。グツェンホーフェン空軍基地、聴こえるか」
イヴリンの交信を、ベルティーナと明里は互いに顔を見合わせながら聴いている。
返答はあるようで、特に怪しまれてもいないようだ。
「……了解した。こちらからすぐウィッチを送るよう提案する。もう少しだ、耐えてくれ」
暫しの問答の後、イヴリンが通信を切った。全くのハッタリで、彼女は見事に騙しきった。
「どうでした?」
ベルティーナが訊ねるが、イヴリンの答えは変わらずだ。
「早くウィッチを寄越してくれ、その一点張りだ。もう少し訓練をしておきたいが、明日には支度を終えよう。ベルティーナ、隊員に通知を頼む」
「了解です、隊長」
素早く立ち上がり、敬礼を一つ。ベルティーナは足早に指令室を立ち去っていった。
イヴリンは大きく息を吸って、吐く。それから明里へと視線を向けた。覚悟を問うような、鋭い視線だった。
「いよいよネウロイと戦う予定になった。ここにブリタニア軍の手が伸びる可能性はゼロじゃないから、君も連れていくよ」
覚悟はいいか? とイヴリンは訊ねているようだった。明里は生唾を呑み込んで聞き入る。
「まず、体力作りは忘れないこと。それから、行くのはネウロイ占領下だ。襲来時は絶対に外へ出ないこと」
「わかってる。皆には迷惑かけないから。だから、連れていって」
拳をぎゅっと握りしめ、明里は決意を示す。料理に掃除だけでも、皆の役に立ちたかった。それ以外でも役に立てるなら、元の世界へ戻る前に必ず役に立って見せたかった。
「よし、今日アカリは休んでくれ。食事の用意だけ呼ぶ。あと帰りは駆け足だね」
「わ、わかった!」
意気込む明里にイヴリンは、まるで雛でも見つめるかのような視線を向けていた。
二人揃って指令室を出る。昨日とはうって変わって、綺麗な青空だった。怪異が飛び回るようには見えない、快晴だ。
基地にいた隊員たちはベルティーナからの伝令を受けて、各々準備を開始している。ネウロイとの戦いは、文字通り目の前だった。
なんかこう、501部隊的な小ネタ書きたいですわね……
勿論別作品で、ですが……