僕のヒーローはハードスーツを着ている 作:壁のほこりバスター
――ガッ、ガッ、ガガガッ
薄暗い通路を踏み抜き抉る音が地下に反響する。
「…何かが近づいてくる」
「もうですかい?ちと早すぎませんか?入中ならもうちょい気張ってくれるんじゃないですかね」
若頭補佐であり、幼馴染として治崎廻が唯一信頼する男とも言える側近、
死穢八斎會の幹部は治崎廻を除き、皆がそれぞれに特徴的なペストマスクを被っているから素顔は見えないが、玄野は白いコートとマスクである為に判別は容易だ。
そんな側近の顔を見もせず、治崎廻は闇の向こうを凝視した。
――ガッ!ガガガガッ!ガッ!ガガッ!
廊下を反響するコンクリートを砕く音は尚も大きくなり接近してくる。かなりの速度だ。
逃走中のヤクザ達は皆、何事だと思わず足を止めてそちらへ目を凝らし、そして最大限の警戒を抱いた。
「チッ…やっぱこっちの場所、バレてやすね。足止めももう突破されたとなると…オーバーホール…どうしやす?」
小柄な少女、壊理を抱える腕とは反対の手で銃を取り出し、万が一に備える。
オーバーホールも手袋を外す。
それはオーバーホールの戦闘準備の合図でもあった。
「…了解」
それを見、古い付き合いの玄野は仕える主の意思を察し、周囲に潜み己らを護衛する者達へ頭の動きと頷きで合図を送る。
廊下の天井、むき出しのパイプやダクトにへばり付く
廊下の角に陣取るシルクハット姿の
そう簡単には負け得ぬ布陣。
たとえプロヒーロー達が束になって掛かろうとオーバーホールがいれば勝てる。
オーバーホールを中心に戦えば、たとえどんな者が相手でも負けはしない。
玄野はそう確信している。
そう思っていたのだが――。
暗い廊下の向こうから突如光る何かが高速で飛来する。
「っ!?」
(なんだ!光る…縄!?速――…!)
避ける間もない。
薄っすらと紅に光るワイヤーのようなナニかが玄野針の身体に高速で巻き付いていき、銃は保持できても抱いていた壊理が腕からまろび出る。
「ぐぁ!?」
巻き付いた紅い光縄は、そのまま玄野を固定するように床に
「クロノ!」
オーバーホールが破壊と再構築で幼馴染を助けようとし、駆け出す。その時だ。
――ボンッ
音がオーバーホールの足元から響き、駆け寄ろうとしてもそれは出来なかった。
急速にバランスが崩れる。
踏み出そうとした足が無い。
「っ!!足が!!?」
吹き飛んだ足を視界におさめた瞬間から、途方も無い熱が足から昇ってくる。
熱い。
とんでもなく熱く、焼けるようだ。
痛みが熱となってオーバーホールの脳に届く。
「ぐっ、あああ!こ、これは…!プロヒーローの仕業か!?ぐ…!こ、こんな手荒な真似を…プロヒーローがするだと!?」
己に手で触れ、瞬時に治癒と再構築。
足を治し、衣類すら直すオーバーホールの驚異の“個性”。
だが、すでにその一瞬の停滞すらもクロノ救助には手遅れとなった。
「な、に…!?これは…!」
紅い縄でグルグル巻きにされていたクロノスタシスは、見ればもう上半身が無い。存在しない。
斬り落とされたのかと一瞬思ったが、どうやらそうではない。
クロノスタシアの肉体が徐々に消えている。
血が吹き出るでもなく、青白い淡い光を発する切断面から一筋の光条が〝上〟へ昇っていき、その光に引っ張られるようにして切断面は下がっていった。
クロノスタシスの臓器から背骨まで丸見えで、それは徐々に下に下に降りていく。
まるで3Dプリンタの逆再生だ。
(クロノが…消えていく!)
殺されたのか。
オーバーホールはそう思ったが、しかしまだ残っている玄野針の指先が空中で動いていた。
その様を見て壊理はガタガタと声も無く震えているが無理もない。
治崎とてその異様な光景に唾をゴクリと飲み込んだ。
「…っ!どんな“個性”だ!!貴様ァ!」
理解が及ばぬ、というのは計り知れぬ恐怖だ。
一瞬感じてしまった恐怖を怒りで染め直し、オーバーホールは床に手をあて破壊と再構築の応用でそこを組み立て直す。
床が隆起し、床そのものが巨大な無数の棘となって暗闇の向こうに潜む何者かを雑に攻撃。
とにかく、この謎多き攻撃をさせない。させたくない。
襲いかかってきているヒーローの攻撃を妨害する為の攻撃。
しかし。
「っ!」
(紅い、三角形のワイヤー!)
アンカー式の弾丸とワイヤーが三角を描き高速で迫る。
だが迫るのはオーバーホールにではない。
「避けろ!酒木!音本!!」
薄暗い中、撃ち出されたアンカー弾は正確に隠れ潜む部下を狙撃していた。
「げっ!?な、なんだこりゃ…き、きついぃぃ!!」
「こ、これは!?うぐっ!!」
瞬時にワイヤーが2人の部下を雁字搦めに捕らえ、酒木はそのまま天井にアンカーで固定。
音本は壁にがっしりと固定されてしまった。
「チッ!」
舌打ちと共にオーバーホールは駆け出す。
消えてしまった玄野は手遅れらしいが、まだそこに存在するならばオーバーホールには手の打ちようがある。
オーバーホールの“個性”ならばどのような強度を持つ素材でも関係ない。
触れれば分解できる。
紅く光るワイヤーと部下を諸共に分解し、そして部下だけを再構築すればそれで救助は完了だ。
部下は勿論、激痛にのたうち回るだろうがそれも一瞬。
(ここで駒をこれ以上失うわけにはいかない!)
なんとしても部下を消されるのを阻止しなければ、この謎の“個性”を持つプロヒーローに一人で立ち向かわなければならなくなる。
オーバーホールはそれは御免であった。
立ち上がり、持ち前の優れた身体能力で駆け出そうとした、その時。
「ごふっ!!?」
オーバーホールの顔面に強烈な衝撃が走り、彼は盛大に吹っ飛んだ。
床にバウンドし、壁面まで転がる程の衝撃。
(な、んだ…お、俺は、何に…な、殴られ、た…っ!)
生物は、殴られると予感し、備えるからこそ強烈な衝撃にも耐えられる。
肉を固くし、骨で踏ん張り、重心を調整し、衝撃を逃がし…或いは跳ね返し耐えようとする。
だが完全に油断している時に人体の急所にピンポイントで強力な衝撃を受ければ、どのような達人でもダメージは大きい。
(脳が…揺れた!指が…動かん…!視界が、霞む…意識が…!お、俺を…触るんだ!俺、を、再構築…しなければ!)
腕を持ち上げろ。己を触れ。分解し、再構築せよ。
治崎は脳から必死に肉体に指令を飛ばす。
だが、今にもシャットダウンしそうな意識の中、痙攣するばかりで指一つ満足に動かない。
再構築できればダメージも何もかもリセットできる。
だが、オーバーホールの“個性”は対象に触れなければ何も効力を発揮できない。
今のオーバーホールは無力な、ただの治崎廻であった。
いやだいやだ!と騒いでいた酒木泥泥は、既につま先しか存在しない。
オーバーホールの心配をひたすらしていた忠誠心厚き音本は、今や膝から下しかない。
両者とも謎の光条に引っ張られ、天井を越えた空の向こうに連れて行かれてしまったらしい。
――バチッ、バチバチ…バチッ
虚ろな治崎廻の頭の直ぐ側で、何か電流がスパークするような音が小さく鳴ったが、それを確認することは治崎には出来ない。
首を動かし、視線を動かすことすら酷く重労働であった。
「死穢八斎會、若頭。オーバーホールこと治崎廻。死体損壊・遺棄罪、器物損壊罪、恐喝罪、強盗罪、盗品等関与罪、凶器準備集合罪・凶器準備結集罪、共謀罪、傷害罪、違法薬物取締法違反…ふぅーー、全部読み上げたらきりが無いなァ…まァ、こんぐらいでええやろ。とにかくな、逮捕や。死穢八斎會もこれで終いや」
どこか呑気な雰囲気すら醸し出した関西弁が、世界が揺れている治崎廻の耳に届く。
こういう場合、普通のプロヒーローならば良くも悪くも熱の籠もった声と態度でヴィランを捕縛するものだ。
捕縛したヴィランが、オーバーホールのような凶悪な人間だったならば尚更そうだろう。
この凶悪ヴィランがこれ以上、無辜の民に害を及ぼす前に…
この凶悪ヴィランがこれ以上、罪を重ねる前に…
この凶悪ヴィランの命を奪わずに逮捕できた事をプロヒーローは喜ぶものだ。
だというのにどうだろう。
治崎廻は、罪状を読み上げた関西弁を操る男に酷く腹がたった。
彼の弁には、これっぽっちもオーバーホールを確保した歓びが籠もっていない。
感情の熱量というものが、全く欠如していた。
(こいつに、とって…俺の、逮捕は…こんなに…
俺は、その程度だとでも、言うのか…?
これ程、熱意の無い…無気力な態度で、この俺を…オーバーホールを…降そうというのか…!
「ふ、ざ…ける、な…!」
「ン?」
治崎廻は執念の男だ。妄執の男だ。
世話になった組長の恩に報いるため、組長の
人の情念は、時に肉体の限界を超えさせる。
度を越えて執着し、その結果限界を超える…そういうモノは、基本的に常に渇いている岡八郎には理解し難い。
―パンッ
「っ!」
ここ数年で初めてだろう。岡八郎が驚いた顔を見せたのは。
パンッという音…それは治崎廻が、己を破壊し爆ぜた音。
そして次の瞬間には、治崎廻はオーバーホールとして完全に復活し、ゆらりと立ち上がってみせた。
(まさか動けるとはな)
しこたま脳を揺らしてやった筈だった。
指一本動かすのさえままならぬ筈だった。
「やるやないか」
動けぬ程のダメージを与えたつもりが、与ダメージ量を誤ったのは岡八郎の手加減の下手さか、或いは治崎廻の執念の結果か。
立ち上がった男、治崎廻へ素直に称賛を送った岡八郎へ、治崎は重々しく口を開いた。
「…その黒一色のスーツ…貴様がピンポンマンか。
正直、ゾッとしているよ…No.3ヒーローが、まさかうち如き弱小を潰すのに動くなんてな。
治療には痛みが伴う…俺自身にこれを使わせないでくれ」
「そうか。せやったら大変やな…お前。今から何度も使うことになるで」
岡八郎も、治崎廻も無表情を装いつつ憎まれ口を叩き合う。
無表情に見える2人だが、しかし観察眼に優れた者がよくよく観察すればそこから滲むある種の感情が垣間見えるだろう。
治崎からは怒りと憎しみ、僅かな恐れ。
岡からは立ち上がった相手への期待感、感謝、好奇心。そして歓びと興奮。
鋭い互いの目。
殺意に満ちた目が交差する。
「俺の邪魔をするやつは…誰であろうと、殺す」
「やってみぃ」
岡の挑発が言い終わるかどうかの瞬間には、もう治崎は高速の掌底で襲いかかっていた。
最低限の動きで、脱力したままに身を捩る岡。
掌底は空を切り何も掴めない。
直様、二撃目。
最小限のスイングで襲いくる掌を、岡は頭を低くし回避。
「…!」
(…速い!?)
蹴り上げてから掴んでやろうとしたオーバーホールの企みは、岡が一歩左に体をずらしただけで軽やかに避けられる。
「こいつ…!」
直後、治崎も身を低くしスライディングのような下段蹴り。
岡は狙われた脚をただ軽く持ち上げ、その動きだけで蹴りを避けて、そのまま持ち上げた脚を治崎のキック目掛けて力いっぱい素早く下ろした。
―メキャリ
「っぐぁ!?」
治崎の脚の肉が潰れ骨が粉砕され、岡のストンピングの勢い余って床が砕けた。
そして直ちに治崎の、己への治癒。極度の潔癖症故に、脚を踏み砕かれる際に岡と身体的接触を持った事で治崎の皮膚に蕁麻疹が走る。
「貴様ァ!!」
触れる嫌悪感で怒りを倍増させ、またも素早い体術による連撃。
治崎廻の身体能力は純粋にずば抜けている。
才能で言えば治崎廻は旧世紀オリンピック選手級を悠に上回る肉体を持ち、頭脳も然るべき教育機関で磨いていれば権威ある賞を総ナメできただろう麒麟児だ。
〝壊理〟というイレギュラー中のイレギュラーであるレア“個性”人間が側にいたアドバンテージはあれど、独自の小規模施設による研究で“個性”の深淵を垣間見、“個性”を消失させる薬物を作り上げた。
文武両道…やくざ者でさえなければ世に貴重な人材となっていたに違いない。
そんな麒麟児の凄まじい連撃を、岡は最小の動きで回避し続け、そして時折反撃。
びゅうぅぅと風を切って何処からか取り出し握っていた黒い刀を逆袈裟に斬り上げれば、治崎の左腕が宙を舞う。
「っ!!」
一瞬の痛みに目を血走らせながらも、治崎は直ちにそれに対応し、舞う腕を回収し自分を修理する。
だが次の瞬間、今度は逆の腕。
治崎の右腕が斬り落とされて床に転がる。
「がッ!!?」
苦悶しつつ、転がる腕を追いかけ拾い、そしてまた治療。
床に手を当て、高速の破壊と再構築をすれば無数の巨大な棘が吹き出るように床から壁から天井から岡を狙う。
だが、それらも全て網を潜るように、或いは障害物を跨ぐように次々と避けてしまう。
そして一振りの反撃。
再び斬り落ち、跳ぶ腕。
蹴り砕かれる脚。
治療。
裂かれる腕。
今度は脚も斬り飛ばされ、痛みに呻きながらもオーバーホールは再治療をする。
斬られ、治療し、殴り潰され、治療する。
垂れ流れ出た血も、その度に自分の体内へと再構築していき失血死を遠ざけるが、血の全てを回収しきれない。
確実に、治崎の体内から血液は失われていく。
「…っ!」
(間に、合わない…!?〝修復〟が…間に合わなく、なっている!?そんな馬鹿な!
…っ、くそっ…誰か一人でも…駒が残っていれば!)
そうなれば単純に手数は倍。筋肉量も倍。速度も増す。足りなくなってくる血も補充できる。
だがその目論見は、岡がYガンで部下達を早々に排除した事で脆くも崩れた。
とはいえ2人の戦いは常軌を逸したスピードである。
身体能力に優れていても、経験が不足していれば…修練が不足していれば見切れぬ速さの攻防なのだ。
しかしそれでも展開は一方的だった。
少なくとも、傍目にはそう見える。
治療によって傷も体力の消耗も完全に修復できる筈のオーバーホールは、確実に追い詰められているらしい。
すっかり棘の魔宮となった地下通路は治崎の血で紅黒く染まり、治崎の表情にも余裕など微塵もなく、消耗した体力も適宜治療されているのに関わらず体中から嫌な汗が溢れて呼吸は荒い。
「俺がッ!俺が…ッ!!こんな所で終わる訳が…ないッッ!!!」
「お前はここで終いや。治崎廻」
岡は薄っすらと笑いながら終わりを告げれば、本名で呼ばれた事に治崎は激昂する。
「貴様が、その名で…俺を呼ぶなぁぁぁぁぁ!!!!」
岡と治崎の激しい舞踏の周囲には、既にかなりの量の血が流れ落ちて溜まっていた。
血溜まりが地下の床にベタリと広がり、幼い少女、壊理は鮮血の水溜りで跳ね回る悪夢のような男達の舞踏を血に浸かりながら震えて眺める。
「あ…あっ…あぁ…!い、や…いやっ!いやぁ…!」
少女の恐怖の叫びが地下に木霊する。
だが、2人の男はそんな無垢な叫びを完全に無視して殺し合いの世界に入り浸っていた。
「いやぁァァァ!!!」
少女に血の雨が降り注ぐ。
岡に削がれる治崎の肉片が降る。血が降る。
治崎が回収しきれぬ、彼の肉体だった細かい破片が次から次に降ってきては、肉片が壊理のワンピースにベタリと張り付いた。
治崎の血肉で紅く染まった壊理は、本来の運命ならばルミリオンや緑谷出久の救助によって絶望の中にも希望を見出し、助かりたいと切に願って“個性”を覚醒させただろう。
だがここに真っ先に来たのは岡八郎だ。ピンポンマンだ。
その凄惨極まる戦いぶりを間近に目撃した少女は、“個性”を覚醒させることなく、悍ましい光景から逃れたい一心でとうとう意識をプツリと途絶えさせた。
そしてその事実は、皮肉にも彼女が覚醒することで起きたかもしれない大きな被害を最小限に留めるに繋がった。
少女の叫び声の残響が消えた頃、プロヒーロー達がようやく岡に追いつく。
「うっ!!」
少年達が、その光景と猛烈な血の臭いに目眩を感じる程に背筋を震わせ、胃からこみ上げてくるモノを必死に喉に押し留めた。
イレイザーヘッドもロックロックも…プロヒーロー達でさえ初めて見るかもしれない程の血の池地獄の中で、ピンポンマンと組むことの多い地元繋がりのファットガムだけは慣れたものだ。
「ありゃ~、こりゃ…派手にやったなァ…ピンポンマン、えげつなッ。まー、治崎廻の“個性”ならこーなるのもしゃーないけど…子供らには少しばかり刺激、強すぎひん?」
気を失って倒れていた少女を確保し、抱き上げながらファットガムは苦笑い。
警官達の中には吐き出す者もいたから、雄英の生徒達はやはり優秀だった。
ヒーローの増援が来ても言葉無く立っていたオーバーホールだが、やがて血の池にドシャリと倒れる。
治崎を見下ろして、準備運動でもし終えた程度の荒い息を吐きながら岡八郎は皆を振り返った。
「イレイザー。お前の操縛布でこいつの手足、縛っといてくれや」
イレイザーヘッドでさえ、気を抜けば吐きそうになる。
岡に言われ、チラリとオーバーホールを見ればそこには五体満足の治崎廻が意識を刈り取られ転がっていた。
ただ、端正な顔は殴り潰されていて半死半生である。
強烈なパンチで意識を落とされたらしいのが一目で見て分かった。
「…必要あります?」
相澤の口からは自然と当たり前の疑問が出ていた。