僕のヒーローはハードスーツを着ている 作:壁のほこりバスター
愛知県泥花市で起きた、ヒーローに恨みを持つという男女20名による襲撃事件。
緻密且つ大規模な計画的犯行によって、プロヒーローが事件直前に市街に誘い出され、その事件を迎え撃ったのは多数の“個性”持ち市民だったという。
後にヒーロー達も合流し犯人グループを撃破…結果的に犯人20名は全員死亡。
泥花市にはデトラネット社代表取締役社長・四ツ橋力也氏等、多数の著名人も巻き込まれたと報道は伝える。
惨禍は続く。
オールマイトを神野区で失ってから、日本という国には暗雲が垂れ込み続けている。
No.1を継いだヒーロー、エンデヴァーも新たなる〝
勝利を掴みはしたのだ。
その勝鬨に一時、市民達は湧き、大いに勇気を貰い、そこに希望を見た。
しかし時が少し経ち、世間が冷静さを取り戻し様々な考察を行う余裕が出ると、人々はやはり不安に慄いた。
現No.1があれ程苦戦するヴィランが、まだまだ世の陰に潜んでいるかもしれぬ恐怖。
泥花市事件で、プロヒーローの至らなさを責めるだけでなく市民も立ち上がるのだ…そういう風潮が出来上がったのは、やはり現在のプロヒーローの実力に皆が不満を抱いている事の裏返しでもあるのかもしれない。
やはりオールマイトを失った意味は大き過ぎたのだ。
季節は冬。
寒い季節。
本格的な寒さが日本にやって来ようとしている。
皆、心の何処かにどうしようもない不安を抱え、その隙間に容赦なく冷たい風が吹く…寒い時代が近づいている。
そんな、迫りくる寒さを忘れようと善良な人々は皆、友と、愛する人と寄り集まって温もりを分け合う。
発祥の地とは無縁の遠い極東の島国の人々ですら愛するウキウキのイベント…クリスマスは絶好の機会だ。
未来のヒーローの卵達、雄英高校の生徒らも、そして士傑高校の生徒らもちょっとした催し物等で楽しみ、それを切っ掛けに中には恋人になる若者もいるだろう。
勿論、クリスマスは恋人や子供達だけのイベントではない。
老いも若きも男も女も楽しめるものだ。
クリスマスはそうやって家族愛を深める為にプレゼントを送り合ったり、皆で上手い食事に舌鼓を打つわけだが、日本では不思議と恋人達が聖なる(…性なる)夜を楽しむ事も多い。
ここにも、そういう熱く爛れた夜を過ごす大人がいる。
イブの朝に入籍したプロヒーローの2人だ。
香山睡のマンション…自室。
その寝室では、ミニスカサンタ衣装にHカップのバストを押し込み、スラリと長い脚をハイソックスで覆った姿の睡が、男の上で乱れている。
熱気と嬌声、独特な臭気に満ちた部屋でダブルベッドのスプリングが軋む。
長年男に愛され、すっかり大きく柔らかくなった極上の胸と尻が揺れて男の視界を楽しませていた。
それが終われば今度は男が女にのしかかる。
それの後は互いに寝そべって横から。
その後は向き合い抱き合って。
次は獣のように背後から覆いかぶさる。
おつぎはベッドの縁に睡が手を突いて、長い足で尻を突き出す。
次から次に、男女が絡みつき、体位が変わる度に衣装は崩れ、剥がれていくものだから今では香山睡の姿は、まるで性的暴行を受けたかのように着衣が乱れ切り、それはそれで男の劣情を激しく掻き立てるのに一役買っていた。
体中に熱を湛え、切れ長の瞳は思慕と悦楽が振り切って蕩けて涙で濡れ、前後不覚となって“個性”の制御すら失った睡は体中から汗と体液と眠りフェロモンすら垂れ流す。
限度を忘れて垂れ流れるフェロモンに、本来ならば岡も眠ってしまう所だが、その気配が見えた時点で部分転送によりすかさず
元恋人、現新妻の忘我の際の癖への対処など手慣れたものだった。
ヴィランの中には、彼女の美貌に目がくらみ
それ故に、彼女の恋人となるハードルが更に一段高くなったと言えるし、彼女を暴漢から守ったとも言える。
その有象無象の男を寄せ付けなかった眠りフェロモンは岡の〝ガンツ〟に完全に食い破られてしまうのだから、元々ミッドナイトはそういう意味でもピンポンマンとそうなるべくしてなったのかもしれない。
やはり相性が良いらしい。
イブの夜、朝日で窓の外が明るむ頃には、さすがにベッドルームから響く肉と肉のぶつかる音は消え失せた。
疲れ果て、共に微睡み、そして昼頃に共に目覚める。
香山睡が若い頃に描いていた、愛しい人との幸せでラブラブで怠惰な休日という奴そのものの光景だった。
尊い有給を行使した甲斐があるというものだ。
「…おはよ」
隣で、自分の寝顔を見ていた新夫と目が合い、今更ながら照れて朝の挨拶を交わす。
「おゥ」
「…あ~…ダルいぃ~。ほんっと…八郎ってフィジカルお化けよね。5キロ痩せた…絶対痩せた…1ヶ月分の運動量だったわ…」
「プロヒーローやからな」
「それにしても、でしょ。実はガンツスーツ着てた?」
「途中、頭だけな。いつものお前の癖のせいや。しなかったら寝てまうからな」
指摘され、睡の寝ぼけ眼から眠気の残骸が吹き飛んで羞恥に染まる。
「っ!う、うるさいっての…八郎のせいでしょ…もうっ。…………ねぇ、ご飯、八郎が作ってぇ~」
「…自分で作れや。俺はもうカップ麺食った」
どうやら岡は、既に一度起きてからベッドに出戻ったらしい。
「えー!はくじょうものー!私、お腹重くて動けないんだもん。どっかの誰かが全弾中に出すし」
「そうしろって言ったの誰や」
「てへ。だって新婚よ?」
オチャメに笑いながら睡が自分のお腹を擦る。
まだ妊娠したわけではないが、まるでもうお腹に子がいるかのように慈しみのある撫で方だ。
香山睡は早く母親になりたくて仕方ないのだ。
暗雲立ち込む現代。
希望の未来を紡ぐのはプロヒーローの使命の一つ。
そして、未来とは子供そのものだ。
ならば子を生む世の母親達は皆、尊いヒーローであり、例え様々な事情から子を生めずとも、子を愛し次世代へ繋ごうとする意思ある者は須らくヒーローと讃えられるべきだ。
「…岡睡、かぁ………岡睡…うふふ、フフッ。子供の名前…どーしよっかなー」
ベッドでごろごろしつつ、〝香山睡〟改め〝岡睡〟は自分の名前を呟いて悦に浸る。
岡八郎は既に、のそりと長身をベッドから起き上がらせて台所へと向かっている事から、一応、新妻の為に何か作ってやるつもりらしい。
岡睡…旧姓、香山。
ミッドナイト、まさに灼熱の時。
大晦日と新年には実家に帰り、事後ではあるが結婚の報告。
娘の性格から行き遅れを心配すらしていた老親の顔にも、やっと心底の安堵が見られて娘として感無量であった。
1月1日の元旦には家族皆で詣でて、2日は地元の昔からの女友達と、3日は高校時代の親しい者達と詣でて、親しい者達だけで小さな披露宴も催した。
ファットガム、プレゼント・マイク、イレイザーヘッドや一部親交暑いプロヒーローも駆けつけてくれて、皆、心の底から祝福してくれた。
「とうとう香山先輩が結婚ですか…岡先輩も年貢の納め時ですね。
未婚者同士の結婚…うん、合理的判断だと思います。先輩方、心底おめでとうございます」
少しシニカルな色合いを含有しつつも、隠しきれない穏やかな笑みで敬意を抱く先輩へ祝辞を述べる相澤消太。
「うぅ…と、とうとう…グス、あの中々くっつかない先輩ヒーローズカップルのあんたらが結婚かYO…泣けるぜ…幸せになれYOこんちきしょ」
山田ひざしはトレードマークの三角カラーグラサンの下に涙を湛えながらの祝福。
情に厚い彼は、10年以上ヤキモキしながら2人を見守ってきただけあって涙を堪えることが出来なかったらしい。
最後の方には濁流となっていた。
「付き合ってたんは知っとったけど、まさか先輩が結婚するなンてなァ!意外やわ!
のらりくらりと何だかんだ結婚せーへん無責任男やと思ってました!」
独り身仲間が減る寂しさを匂わせつつも、ファットガムは満面の笑みで分厚い祝儀袋を持ってきた。
何でも「洒落にならン金額渡して離婚させん為や」という事らしく、彼なりに2人の結婚生活の長続きを祈っての事らしい。
その他、ヒーロー仲間や教員仲間、先を越されママになっていた地元の女友達…皆々からの祝を受け、涙ながらに喜ぶ親を見て、香山睡こと岡睡も薄く涙を浮かべて頭を下げて回り続けていた。
頭を上げた睡の顔は、まさに屈託のない微笑み。
どんな鈍感であろうと彼女が喜んでいるのが丸分かりという程の良い笑顔であった。
「…私、ことミッドナイトは!この先も新婚ヒーロー、マタニティヒーロー、そしてママさんヒーローとして名を挙げてみせるわ!
祝に駆けつけた後輩美女ヒーローにズビシッと指差しながらそんな事を宣言するのも、それは照れ隠しの一種と言える。
「はいはい」とMt.レディが呆れながらも優しく微笑み、「ふふ、期待してる」とウワバミも嬉しそうに返して、指差しされた2人の美女ヒーローは微笑ましそうにミッドナイトの相手をするのだ。
その光景はまさに幸福に満ちたそれだったろう。誰が見てもそう思うに違いない。
だが、そんな安穏とした平和な幸せは、今の時代では長く続かないのはもはや宿命だとでも言うのだろうか。
プロヒーローという、ある意味で茨の道を突き進む選択をした者達を、いつまでもそっとしておいてくれる程世の平穏の
僅か数カ月後…風雲急を告げる事態が巻き起こる。
嵐が来たのだ。
岡八郎が予見した、大きな嵐。
日本全土を巻き込みかねない…流れを堰き止められなければ世界にも垂れ流れていきそうな巨大な嵐だ。
その嵐は、まだ殻の取れきらぬヒヨッコヒーロー達をも動員する、所謂『学徒動員』態勢というある種の禁じ手のカードすら国家にきらせた。
潜伏していたヴィラン連合が、浸透し埋伏していた大規模テロ集団〝異能解放戦線〟と合流。
その大勢力を吸収し、〝超常解放戦線〟と成って、日本だけでなく世界にも届き得る牙となって世間にそれを突き立てんと蠢動していたのだ。
そして…何よりも睡の大切な人は、その嵐を喜々として受け入れてしまう。
それが睡は恐ろしい。
ヴィランが運んでくる大嵐が、睡の最愛の人を遠くへ奪い去ってしまうのだ。
公安委員会から届いた暗号化済みの〝招集命令書〟を見た時、睡は、覚悟はしていたものの暗鬱たる気分になっていた。
それが普通の反応だろう。
未熟な教え子すらも駆り出され、新婚生活も掻き乱されるのだから。
だが、睡は見たのだ。
岡八郎が、美しいくらいに獰猛な微笑みを浮かべながら命令書を読み耽っていたのを。
(…八郎…私、あなたを絶対にコチラ側に…留めてみせる)
睡は一人暮らし時代からの愛猫を膝に抱きながら、夫となった男の横顔をジッと見ていた。
――
―
3月下旬、全国から有名ランカーヒーローが姿を消す。
それだけではない。
可能な限り、動けるプロヒーローの全てが日本中から大動員された。
捕らえたヴィランから引き出した情報により、異能解放戦線の重要施設が判明。
本部と、その重要施設を主要な全ヒーローで包囲、殲滅するという日本ヒーロー史上最大級の作戦であった。
京都府蛇腔から和歌山県郡訝山までをカバーする超弩級規模の大作戦。
その作戦にあたってピンポンマンこと岡八郎は〝切り札〟の一つとして郡訝山近くの市街に一人佇んでいた。
作戦参加ヒーローの大部分が市民の避難誘導に駆り出されるが、ピンポンマンの仕事は当然のように避難誘導ではない。
公安が彼に期待している役目はいつだって
こういう難事に直面する時は、ヒーロー公安委員会のお偉方を常々悩ませてきたピンポンマンの
岡は一際高いビルの屋上で、人気の無くなった市街から作戦領域最前線たる郡訝山を眺めている。
風を受けながら耳に装着した超小型インカムが次々に発する雑音やら怒声やら新たな情報やら指示やらを半ば聞き流して、その中から己に必要なモノだけを精査し拾う。
『貴様か…脳無の製造者…
『なんでこんな使い方だよジジィ!!!!』
『皆!強そうな脳無とジジイいた!…………―――知らね。蹴りゃわかる』
『開けます!』
『一人逃せばどこかで誰かを脅かす!守るために…攻めろ!!』
それぞれの役目を全うせんとするチームメンバー達の通信が飛び交う。
今、生徒児童達の中ですら最前線に身を置く者もいる中で、しかし岡八郎は独りで戦場全体を眺めている。
岡はヒーロー達の音に静かに耳を傾け、彼はビルの屋上でまるでくつろいだように立ち呆け続けた。
その時だった。
――ゴォォォン
凄まじい振動と共に爆音と閃光が郡訝山近くの山荘で確認できる。
まるで、本当に大規模爆発が起きたかのように見える。
「…山荘が割れた。セメントスか…今の光は…誰や。爆発やない………まぁええ」
遠目に状況を分析する。
岡八郎は理解している。
自分の役目は切り込み隊長ではない。
討ち漏らしの雑魚を狩ることでもない。
だから彼は同胞と学徒兵が身を削っている今も平気の平左でタバコなど咥えだす。
(この程度やない。解放戦線にはまだ手札がある……動かないっちゅー
「やないと拍子抜けや…せっかくあの
いつも密かに己を呼び出し、影に陽に無理難題を押し付けてくる公安のやり手の女を思い出し、岡は思わず皮肉気に口の端を釣り上げた。
岡に婆さんと揶揄されるにはまだ若過ぎるその女は、ヒーロー公安委員会の会長だ。
“個性”〝ガンツ〟の調査解析を10年以上、あの会長を筆頭とする政府のお偉方に強制され、表向き岡は協力的姿勢を保ちつつもその一端しか手の内は見せてこなかった。
その女会長が、つい先日、彼にポツリとこう言った。
「
もう一人の公安の狗、ホークスが恐らく殺人許可証を与えられているのと同じで、岡八郎もそれを得たという事だ。
女会長のその言葉が、果たして岡のガンツの深淵を見抜いての事かはわからない。
やり手で抜け目なく、食えない会長の事だからひょっとしたらその可能性もあるが、とにかくそれは置いておいておくびにも出さずに岡八郎は内心喜んだのは言うまでもない事だった。
(言質はとった。せいぜい楽しませてくれや…解放戦線)
岡は、ビルの屋上でタバコを吹かしながら横へちらりと視線を投げた。
何もない筈の虚空。
ただそこには空が見える。
しかし岡は空など見ていなかった。
――バチ
一瞬、虚空に一条の電流が迸って景色が歪んだ。
そう見えた。
景色の歪みは20m以上あるビルの足元から屋上を超えてまだ続く。
巨大で重厚な
政府も公安も、そして仲間ヒーロー達も…そして解放戦線の者達も…未だ誰も岡八郎の全力を知りはしない。
解放戦線のボスである死柄木弔の命令しか聞かないデカブツは必ず動き出す。
岡がそう思っているという事は、つまり彼は根っこの所で蛇腔組が〝失敗〟すると思っているからだ。
思っているというより、そう願っているだけかもしれないが、とにかく岡は蛇腔総合病院に突入したチームのある程度の失敗を
(
敵も味方も超人だらけで、オマケに命をかけた死物狂い。
そんな大規模騒乱が計画通りいくだなんて、岡の経験上有り得ない事だった。
「けど…ミルコの頑張り次第やな。あいつが止めるなら…それはそれでえー」
作戦に参加しているプロヒーローの一人とは思えぬ程に他人事。
仲間が命を張って強敵の目覚めを阻止しようと躍起になっているのを一笑に付すが如く…岡の態度はそうも見える。
しかし、少しの変化が孤高の男にも起きているようだ。
今回の作戦に参加している学徒は雄英高校の児童だけではない。
岡の薫陶を受けたという理由で、士傑高校四天王と俗に称される四名…夜嵐イナサ、肉倉精児、毛原長昌、現見ケミィに加えて、彼の新妻であるミッドナイトもプロヒーローとして当然この大作戦に参加していた。
これまでのヒーロー人生を経て、多少なりとも岡八郎にも守ったほうが良いかもしれぬ、と思えるモノができ始めていたのは幸か不幸か。
岡八郎自身、特に面倒を見た四名の生徒と、そして妻となった女に愛着を自覚しだしている。
だがそれだけだ。
愛着程度だ。
岡八郎はそう思っている。
今はまだ、その程度の認識だった。
岡八郎はこの感情を少し持て余しているのだ。
この感情がこの後どう転ぶか、それはまだ誰も分からない。
それから数分程度…少し経った。
スパイとなっていたホークスが内部から超常解放戦線の切り崩しを狙い、それを見咎めた荼毘と激闘を繰り広げ、蛇腔ではミルコが単騎でハイエンド相手に奮闘し、奮闘虚しく死柄木弔が覚醒した。
そういったドラマティックな激闘がアチラでもコチラでも起きていたそんな時だった。
また郡訝山荘で轟音が響き、岡の目の前でもそういう劇的な激闘が巻き起こりだしていた。
賑やかな事だ、などとどこかのんびりとした感想を抱きつつ岡は口に咥えていたタバコを所持していた携帯灰皿へとなすって捨てる。
これもまた岡の小さな変化の一つだ。
独身時代…特に20代前半までは気にもしなかった煙草のポイ捨てだが、香山睡との親交が深まり、そして特に結婚を契機にして彼のポイ捨ての習慣がおさまった。
妻曰く、「プロヒーローがタバコのポイ捨てなんてイメージダウンも甚だしい!っていうかそれ以前に私の夫になった人がそれじゃミッドナイトとしても面目潰れるし…何より岡八郎がそんな人だって世間の人に思われたくないの。私の自慢の旦那なんだから」という事らしい。
ポイ捨てという行為に特別矜持があるわけでもない岡八郎は、おとなしく妻の命令に従った。
結婚の先達が言うには、家庭円満の秘訣は妻の言うことに逆らわない事らしい。
それは置いておいて、とにかく岡は意識を切り替える。
只事ではない出来事がようやく起きたようだった。
細く切れ長の冷たい目に力を入れて郡訝山荘の様子を観る。
騒動の原因は、巨体に変じていた後輩ヒーロー、Mt.レディがどでかい氷山に押し出されて森林地帯に巨大な尻もちをついた事であった。
「…デカブツはデカブツでもあっちかいな…ま、えェ…アイツももうじきやろ」
少し嘆息する。
しかし、いよいよヒーロー側の圧倒的攻勢の維持が揺らぎつつあると感じた岡八郎は重い腰をあげる。
(この振動…最前線でふんばってる奴らには気付けへん。来とる…
傍観者に徹して俯瞰している岡だからこそそれに気付いていた。
この中の誰よりも命を賭けたデスゲームに慣れた岡八郎だからこそ冷静さを保ち、気付けた程の微弱な振動が続いている。
――ジジジ、ジジジジジジ…
岡八郎の代名詞、ハードスーツが彼の黒いスーツの上に転送されつつあった。
――
―
「で、でかい…!!」
そいつは〝巨大〟であった。
ただひたすらに巨大で、筋肉の鎧に全身を包まれた、まさに古代神話にでも出てくるような荒々しき巨人そのものだ。
それと真正面から頭を打ち付けて組み合うのは、同じく巨人であるMt.レディ。
「ぐぎ、ぎぎぎぎぎ!!」
巨体に変じていたMt.レディと同じサイズのヴィランというのは、なかなかにレアだがままあることだ。
だが、こうまでパワフルな相手にとがっぷり四つというのは、多くの巨大ヴィランを退治していきたMt.レディをもってしてもレアな体験であった。
「がんばれ!!」
「絶対押し負けるな!!Mt.レディ!!」
その他プロヒーロー達の声援を一身に受けた女戦士が、たった一人で巨人へと立ち向かっている。
残念がら規格外すぎて、誰も巨人同士の一騎打ちにまともに割って入れないでいた。
声援を受けて、思わず彼女も声を荒げる。
「言われなくても…!!行かせませんよっ!!!!」
Mt.レディ本人とて力を振り絞っている。
この場の誰よりも危機を感じて、美を売りの一つにしているプロヒーローである彼女が、それはもう一心不乱に歯を食いしばった酷い顔で踏ん張っているのだ。
(あ、圧倒的だわ!このパワー…!!大きさを別にして、私とは筋力の桁が違う!!クソっ!クソっクソっ!!!)
筋力で勝てないならせめて大きさで圧倒したい。
だが、今の大きさが彼女の“個性”の限界だ。
(なんで…!なんで私の大きさはこの程度なのよ!!!くっそぉぉ~~~!!!)
「んぎっ、ギギギギギギ!!」
普段の業務では自分を悩ます大きさの“個性”だが、今はその限界点が口惜しい。
もっと大きければ、大きくなれればこんな巨人野郎に負けはしないのに。Mt.レディは己の無力が一番許せない。
いや、今この場のどんなヒーロー達もそうだった。
「レディ!!もう少し頑張れ!!!」
ミッドナイトを背に森を跳び駆け、力強い声で後輩ヒーローを励ますシンリンカムイも無力感にさいなまれる一人だ。
彼の能力のMAXではとても巨人ヴィランを押し止める事が出来ない。
足止めにすらなれないのだった。
何かとつるむことの多い先輩ヒーローからの励ましに、しかしドデカイ後輩ヒーローは虚勢すら張れない。
返事をするのも億劫なぐらいに現在奮闘中だ。
「んんばって…っ、ますってぶぁっ!!!!!」
もはやMt.レディの返事はまともな言葉にもなっていない。
そんな彼女のがんばりを…、
「主への〝最短距離〟」
ポツリと呟きながら、あっさりと巨人ヴィランは踏みにじった。
ゴミを除けるようにMt.レディの片足を掴むと無造作に放り投げる。
Mt.レディの巨体が木の葉のように宙を待って郡訝山の中腹に顔面から突っ込んだ。
「岳山ァ!!!」
シンリンカムイが思わずMt.レディの本名を叫ぶ。
それ程にヤバい勢いと角度で彼女は山に突っ込んでいた。
だが、背にいるミッドナイトがシンリンカムイの意識を切り替えさせる。
「よそ見しないで!!…恐らく蛇腔側が失敗した!奴が街へ下りたら未曾有の大災害になる…!力じゃ止まらない!」
ミッドナイトは極薄の全身タイツコスチュームを引きむしりながら、強い瞳で言った。
「私を奴の顔まで…連れてって!」
自分の眠りフェロモンならば、生き物に遍く効く。それは絶対だ。
特殊なガスマスク等で対策をしない限り、ミッドナイトのフェロモンは効果の大小はあれど必ず生物には効果がある。
(奴は…どう見ても呼吸は無防備!どれほど強力な生命力を持っていたとしても、毒に抗体を持っていたとしても…!私のフェロモンを生命の眠りを誘発するだけ…命あるものは抗い難い“個性”!)
眠りフェロモンを近接で嗅がせる事が出来れば、ミッドナイトにはこの〝歩く災害〟を深い眠りに誘う自信がある。
そのための距離まであと僅か数m。
シンリンカムイの見事な跳躍が、巨人の鼻腔を射程に捉えたその瞬間。
「っ!!!」
「炎…!!?」
シンリンカムイを炎が襲った。
よりにもよって、〝歩く災害〟の背にはシンリンカムイへの特効となる炎使い、荼毘がいたのだった。
ホークスと戦っていた筈の荼毘は、ホークスを仕留め損なったものの彼を敗北せしめてこうしてギガントマキアの背に潜んでいた。
(連合が背中に!!!…けど!あとちょっと!あとちょっとで、私の射程に巨人は入る!!)
シンリンカムイが最後の力でミッドナイトを放り投げてくれたおかげで、ギガントマキアの呼吸器官は目前だ。
風の向き、ギガントマキアの踏破速度…諸々を計算するとどうしてもあと数十cm。
そこまで迫ったその時に、ミッドナイトの眼前に突然巨大な瓦礫が、瞬間移動でもしたかのように現れる。
「…っ!くそ……っっ!!」
ミッドナイトの、心底からの悔しさが滲む言葉が漏れ出ていた。
超常解放戦線の幹部の一人、Mr.コンプレスの“個性”が、ミッドナイトの前に立ち塞がる。
圧縮から開放された瓦礫に、跳躍の加速が乗ったままにミッドナイトは激突。
地に落ちていった。
顔面衝突の衝撃に揺らぐ視界の端。巨人の背からコチラを見下ろす荼毘とコンプレスの姿が、やけにはっきりとミッドナイトの瞳に映っている。
20m近い高さからの落下の衝撃もミッドナイトを襲う。
何とか受け身をとり、木々の枝葉もクッションになって一命を取り留めたミッドナイトだが、もはや満身創痍だ。
端正な顔を血に染めながら、不甲斐なさに歯軋りする。
「ぐっ…かはッ…、ふぅ、ぐっ…フ…フ…っ」
(アレを…止められる“個性”を……マジェスティック…いや、ダメだ…大き過ぎる…!!)
一瞬、ミッドナイトの脳裏に、万が一のために後方に待機している生徒達の姿が浮かぶ。
「そんな…そこまで、不甲斐ない事…出来るわきゃ、ない…でしょ…」
血と共に怨嗟のように、そう絞り出したミッドナイトは、ミッドナイトの顔をかなぐり捨て…香山睡の顔になって薄く涙を流し、その名を呟いた。
「八郎…」
心が挫けそうになるミッドナイトの耳に、遠くからドタドタと大勢の足音が聞こえていた。
方向から察するに、その足音の持ち主たちは十中八九ヴィラン達。
ヴィラン達の何人かはフルフェイス型のコスチュームやマスクのようなモノを装着している。
ミッドナイト対策はあるらしい。
今のボロボロのミッドナイトならば、それこそ無力な女と同じだろう。
彼女を煮るなり焼くなり、美しい肢体を弄んで殺すなり自由自在なのは想像に易い。
最後に生徒達へ苦渋の決断を伝えるべきか。
破れかぶれ、近づくヴィラン達へ一矢報いて最期の徒花を咲かせるか。
ミッドナイトとして香山睡として決断を迫られていた。
それとほぼ同時であった。
かすれた目で、憎らし気に見送るしかなかった〝歩く災害〟の巨体が突如、宙を舞った。
(な、に!?今のは…!?私の視界がグラついてるだけじゃない……歩く災害が…見えない何かに
ミッドナイトは半目の瞳を擦って霞む視界を叱咤し、状況を把握しようと努める。
轟音と共に地に倒れ滑ったのは、信じられない事に間違いなく巨人ヴィランだ。
あの無双の怪物がぶっ飛んで、さきのMt.レディの如く山の腹に叩きつけられていた。
しかもミッドナイトへ迫っていたヴィランの一隊の上に倒れ、地を削って吹っ飛ばされた為にミッドナイトへ迫る危機も霧散してしまった。
偶然かもしれないが、何ともドンピシャで押し潰してくれたものである。
しかしそれは偶然でも何でも無いと、ミッドナイトはすぐに知る事になる。
「なんやァ?呼んだか睡」
今、香山睡が最も聞きたい声が、超小型インカムからではなく頭上から響いた。
――バチッ、バチバチッ
ミッドナイトは声の方を思わず向く。
荒れ果てた森からそちらを見上げれば、放電するかのような音と共に空の景色が歪み、黒色の豪腕が徐々に顕になっていく。
ソイツは歩く災害にも負けぬ巨体を誇る、Mt.レディ級の巨大な化け物だった。
「黒い…巨人………八郎…その声、八郎、なの…?八郎ぉ…!」
ミッドナイトの声が僅かに涙声になり、少しの嗚咽が混じる。
張り詰めていた緊張の糸が切れそうだった。
――バチバチ、バチッバチッ
――ズズ、ズンッ、ズンッ
電磁を垂れ流し重厚な鉄の音を響かせて、黒い巨人が倒れたギガントマキアへと迫る。
ミッドナイトですら知らない。見たことがない。
しかし、その黒い鋼鉄の巨人は間違いなく彼女が良くする夫の“個性”の特徴を持つ。
「八郎の…ガンツ装備っ!まったく、あんたはぁ…!そんなの持ってたならもっと早く来てよ!!!遅いのよこのバカ!!!!」
気の強い香山睡はこれ以上泣くまいと堪えて、ギリギリまで出てきてくれなかった愛しい男に怒鳴りつけてやるのだった。
その怒りももっともだろう。
こんな良いタイミングで現れたという事は、間違いなく岡八郎はこの状況をどこかで観察していたに違いないのだ、と長い付き合いの新妻は理解していた。
そして、情に流されず奇襲タイミングを見誤らない夫のその冷徹さが、今は何よりも心強い。
ヒーローは遅れて登場する…という事らしい。
そんな妻の憤慨を半ば聞き流し、岡はガンツロボの頭部の深部で悠然と胡座をかく。
別にだらけているわけではない。それがガンツロボの操縦スタイルなのだった。
ハードスーツの頭部から生える無数の機械の触手をガンツロボのコクピットチェンバーから各コネクタに接続し、思考で制御する。
だが動作には巨体ゆえの独特のタイムラグがあり、また特殊コマンドでしか使用できない武装、動作などもあって、その操縦には熟練が必要だ。
かつて、このガンツロボを岡はぶっつけ本番でギガントマキアにも劣らぬ巨大怪物〝牛鬼星人〟に使用し、あっさりと破壊されてしまったが牛鬼に充分なダメージを与える事に成功していた。
ガンツロボ初心者の時でさえ、ある程度はコントロールしてみせた岡が、今回は密かに操縦訓練を続け10年以上…7300時間以上の総操縦時間を誇る。
地響きを轟かせ、異形の巨大ロボが地を蹴って飛び上がった。
異音と共にガンツロボが豪腕を振り上げ、そして倒れるギガントマキアへ思い切り叩きつける。
郡訝山の一角が削れた。
凄まじい音。
振動。
ギガントマキアの巨体が山に埋没し、ガンツロボはそのままギガントマキアに馬乗りとなって豪腕の連打を叩き込む。
ガンツロボの全ての動きは淀みなく滑らかだ。
隙が無い。
「…っ!!!!??!?」
ギガントマキアは己に何が起きたのか、それすらまだ良く分かっていなかった。
全ての事は些事。
主への最短距離を邁進し、道中のモノは走って蹴散らせば良いだけのハズだった。
犬並みの嗅覚を持つギガントマキアならば、本来はその奇襲に気付いて然るべきハズだった。
彼の化け物じみた視力を持ってすれば、景色をうっすらと歪ませて前方に潜む巨人に気付けるハズだった。
だが、その全てを注意力散漫となって見落とす選択をしたのは、他の誰でもないギガントマキア本人。
主の後継、死柄木弔への〝最短距離〟を盲目した彼は、最高のタイミングで顎にクリティカルを貰っていたのだ。
(なんだ、これは…!!揺れる!前が、見えない!!!黒い何かに、殴られている!!!!)
脳が揺れ、視界がブレる。
それはギガントマキアにとって生まれて始めての酩酊感だ。
思考が定まらない。
状況が掴めない。
ただ、自分を真正面から殴りつけダメージを通してくる、己と同じような巨大で力強い何かが自分を襲っているのだという事は直様理解した。
「っっっ!!!ぐ、ガァァッ!!グァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
どうせ定まらぬ思考なら考えなければ良い。
もともとギガントマキアは本能で戦う野獣なのだ。
巨獣は叫び、そして、とにかくやたらめったら
「まるでガキやな、コイツ」
その理性の無さに小気味良ささえ覚える岡は思わずほくそ笑む。
ガンツロボはギガントマキアが繰り出してくる駄々をこねているかのような拳の嵐を、無理に防ぐ事なく一発を捌き、その勢いを利用して後方に跳躍。
機体のダメージを最小限に留めつつ距離をとる。
「グオオオオオオオ!!!」
雄叫び、背筋と脚力だけで無理矢理起き上がったギガントマキア。
その圧力を平然と受けて岡はガンツロボを構えさす。
「俺の女を可愛がってくれたよーやなァ…礼はするで、デカブツ」
ロボの歩を一歩進め、足元からコチラを見上げているミッドナイトをチラリと見て、岡は小さくそう言った。
そして、彼の好きな、いつもの挑発台詞を雄叫びを上げている怪物に放ってやるのだった。
「今の俺になァー、スキあったら……どっからでもかかッて~~~~~、こんかい!!!」
「ガアアアアアアア!!!!」
土気色の生体巨人と、黒きマシンの巨人が互いに走り寄った。