「――それでは、ISを展開し、カタパルトデッキへ移動してください」
試験官の指示に従い、彼女は自分の専用機を展開した。
額から後頭部に向けて伸びる赤い鶏冠状のアンテナ。畳まれた翼を思わせるダークブラウンの
「……よし」
空間投影ディスプレイに映し出された機体パラメータは
彼女はあくまで心静かに、カタパルトでアリーナに飛び出した。
「これより、受験番号XXXX
試験官のアナウンスを聞き、彼女――恋羽は右手に
アナウンスの残響が消え、数秒。
「始め!」
恋羽は鳥に似た脚で空間を
というのが、およそ一ヶ月前のこと。
「――今更だけど、いくら名前が似ているとはいえ試験会場を間違えるのはどうかと思う」
「まだそれ言うのかよ?! 仕方ないだろ、あの時は焦ってたんだよ……」
「焦ってたなら焦ってたで、展示されてるISに触るのもおかしいよ一夏さん」
「全く腑抜けている」
「翼も箒も味方してくれないなんて……」
恋羽が無事入学を果たしたIS学園、その一年一組の教室には、二人のイレギュラーの姿があった。一人は彼女の幼馴染、織斑一夏。もう一人は彼女の弟、鷲宮
「白騎士事件」によって既存の兵器を凌駕する圧倒的性能を見せつけたマルチフォームスーツ、『インフィニット・ストラトス』通称『IS』。宇宙開発を目的に開発されたというその本来の目的は忘れ去られ、世界の抑止力の要は軍事転用されたISへと移っていった。この“兵器”の持つ最大の欠点――女性にしか乗れないという常識を、「IS学園の筆記試験会場に展示された機体を起動する」という前代未聞の所業で打ち破ったのが一夏である。世界初の男性IS操縦者の出現に世界は沸き立つが、全国で行われた一斉検査で発見されたのは一夏の他に翼を含む二名のみ。かくして三人の男性IS操縦者は、IS操縦者を育成するここIS学園に入学する
ちなみに一夏がISを起動したのは、道を尋ねた試験監督の「IS学園」という言葉を、第一志望で会場を同じくしていた「
閑話休題。
「まあでも、昔馴染みがこうして集まれたのも何かの縁かもだよね」
「そうだなあ、この面子で学校が同じになったのは六年ぶりか」
「そういう点では一夏の失敗も無駄ではなかったな」
「うん。塞翁が馬」
新学期最初の
「翼は去年ここにいたんだよな?」
「うん、図書館のIS関連書籍の棚とアリーナ以外ならそれなりに詳しいつもりだよ。大浴場は女子専用だから使えないのと、ああそうだ、
「よ、よくわからないけどわかった……」
「私はISの実技なら教えられる。習うのは多分もう少し先だけど」
「お、それは助かるぜ。試験がすぐ終わっちゃったから動かし方とかよくわからないし」
「剣道も辞めてしまったのだろう? お前はIS以前の問題だぞ」
「うっ、耳が痛い話だ……」
恋羽と一夏が小学五年生になる直前に箒が転校。一夏が地元中学に通う一方で、恋羽はIS関連の教育を受けるべく彼とは別の中学へ進学。恋羽と二歳差の翼は私立の有名進学校に行く筈だったが、
そして特に、一夏の存在は彼女にとって特別な意味を持つものだ。
「とにかく、これからよろしくな!」
「うむ」
「頑張ってね」
「僕も頑張るよ!」
丁度チャイムが鳴り、恋羽達四人は各々の席に散らばった。恋羽は最後列、金髪の女子生徒の後ろに座り、翼はその左隣に座る。男子に注がれる視線を二か所に分散させられるのはいいことかもしれないが、一夏が中央最前列で孤立しているのは恋羽の同情を誘った。しかし二人の希少性は勿論、女子校であるIS学園での男子という物珍しさも理解しているので、こればかりはどうしようもない。
しばらくすると、前の扉が開き、眼鏡をかけた緑髪の小柄な女性が教室に入ってきた。
「あ、山田先生だ」
「知ってるの?」
「うん、勉強見て貰ってた」
小声での会話。どうやら翼は彼女に世話になっていたらしい。一見してここの生徒と同じかそれより年下にさえ思える童顔とは裏腹に、六年かけてスイカを彷彿とさせるサイズまで育った箒のそれに迫る大きな
「全員揃っていますね、それではSHRを始めますよ。私は副担任の山田真耶です。皆さん、一年間よろしくお願いしますね」
「よろしくお願……あれ?」
が、彼女の言葉に反応したのは軽く会釈した恋羽と箒、挨拶を返そうとした翼だけだった。一夏も返事しようとしていたのか、副担任を無視する女子生徒を不安げにきょろきょろと見回している。‘貴重な’男子の前では、敬うべき教師の影さえ霞むのか。
「ぐすっ、ありがとう鷲宮くん……じゃ、じゃあ、自己紹介をお願いします。出席番号順で……」
涙目になった真耶の姿に流石に申し訳なく思ったのか、彼女の指示で自己紹介が始まった。やがて一夏にバトンが渡り、立ち上がった彼に熱い視線が突き刺さる。
先の会話で多少は解れたようだが、それでも一夏の表情には緊張の色が残る。目が合った彼に恋羽は小さく手を振った。これで細やかにでもエールを送れるといいのだが――
「――織斑一夏です! ……以上です!」
全員がずっこけた。効果は見込めなかった……否、一周回ってウケを狙う方向に走ったのかもしれない。
「ぐうっ!?」
「もっとまともな自己紹介はできんのか」
「げえっ、関羽?!」
「誰が三国志の英雄か馬鹿者」
クラスの皆が一夏から視線を外したその一瞬で、別の女性がその場に現れた。彼女の意向で一夏をISから遠ざける為、ISについて学んだことや彼女がここで教師をしていることをこれまで話題に出したことはなかった――翼も言いくるめられたのか、一夏に彼女の存在を伝えなかった――が、これからはその必要もあるまい。
「諸君、私が織斑千冬だ。君たち新人を一年で使い物になる操縦者に育てるのが仕事だ。私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。私の仕事は弱冠十五才を十六才までに鍛え抜くことだ。逆らってもいいが、私の言うことは聞け。いいな」
一夏の頭に二回も出席簿を叩きつけてから、彼の姉千冬が教壇に上がってきた。世界最高のIS操縦者と名高いこの一年一組の担任とは、恋羽は十年来の付き合いである。姉が千冬と交友を持つことがなければ、自分は今ここにはいないだろう。
「予め伝えておくが、ここに来る予定の男子一人は来週火曜日まで欠席する。体調不良で療養中だ。女子生徒には既に寮の鍵が渡されているだろうが、感染予防の為1145号室への接近・侵入は認められない」
そういえば、と恋羽は一夏の左隣に目を向けた。チャイムが鳴ってもその空席が埋まらなかったのを見て、新学期早々遅刻者出現か、と半ば呆れていたが、しかし感染症となれば話は変わる。大方一斉検査中に暴露したに違いない。検査で適性が発覚した後に発症し、日本国内の病院に入れておくのが危険だと判断されたなら、ここの寮にいるのも頷ける話だ。
「……自己紹介の途中だったな。続けろ。山田先生、面倒を押し付けて済まなかった」
「い、いえっ。副担任ですから、これくらいはしないと」
再び始まる自己紹介。出席番号は日本語五十音順なので、恋羽と翼は必然的に最後に回ってくる。
「鷲宮恋羽。日本代表候補生の一人です。趣味はバードウォッチングとパチンコ猟、得意料理はヒヨドリスープ。もし実家の農作物が鳥害に悩まされているなら、私を頼って。すぐに追い散らすから」
「鷲宮翼です。隣にいる恋羽の弟になります。色々あってここについては一日の長があるけど、実技はからきしなので教えてくれると助かります。それと、一夏さんは織斑先生を関羽と言いましたが、僕の姉は司馬懿です」
一夏と箒が吹き出した。
「――であるからして、ISの基本的な運用は現時点で国家の認証が必要であり、枠内を逸脱したIS運用をした場合は、刑法によって罰せられ――」
初日である今日の一時限目からいきなり始まるISの座学で、一夏は早くも窮地に立たされていた。恋羽はISの実技なら教えられると言っていたが、はっきり言ってそれだけでは足りない。
「ここまでで何かわからないところはありますか?」
教科書を読み上げていた真耶が生徒達に問う。一夏からすれば何がわからないのかがわからない、いや分類上暗記科目に入るので全てわからないというのがより正しく、またある種救いかもしれない。
「織斑くんは大丈夫ですか? 何かわからないところがあったら言ってくださいね。なにせ私は先生ですから!」
「……先生!」
「はい」
「殆ど全部わかりません!」
「ぜ、全部ですか?!」
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。一夏はこの学園での将来の為、己の無知を告白した。またしても涙目になっている真耶には申し訳ないとは思うが、無為に時間を過ごすよりは遥かにましだ。ここでは翼の方が‘先輩’だとはいえ、年上の自分がこの有様では何とも情けない話である。
見かねた千冬が一夏に問う。
「……織斑、入学前に渡された参考書は読んだか?」
「参考書……あっ――」
一夏は己の恐るべき失態を悟り、みるみる顔を青くした。サーッ、という、血の気が引く効果音さえ聞こえそうな程に。瞼の裏にちらつく数週間前の出来事。自宅を囲む護衛と報道陣。黒服の人間から受け取った分厚い本。そしてメッセージアプリでの恋羽とのやりとり。
“IS学園に行くなら、ISに関して知る努力はするべき”
チャンスを自らふいにしていた。
「……古い電話帳と間違えて捨ててしまいました……」
衝撃。本日三回目の出席簿での殴打。
「必読と書いてあっただろうが馬鹿者。再発行してやるから一週間以内に覚えろ」
「いや、あの厚さを一週間はちょっと――」
「やれと言っている」
「……はい、やります」
千冬に凄まれ、一夏は力なく恭順した。元は自分の至らなさ故返す言葉もない。あの時恋羽が言っていたのは入学してからの心構えばかりでなく、「予習をしっかりしておけ」という忠言だったのだ。ますます情けない。彼女が箒程厳しくないことだけが幸いだ――もし箒が彼女の立場なら、後方から鋭い視線が飛んできただろうから。
「ISはその機動性、攻撃力、制圧力と過去の兵器を遥かに凌ぐ。そういった『兵器』を深く知らずに扱えば必ず事故が起こる。そうしないための基礎知識と訓練だ。理解が出来なくても覚えろ。そして守れ。規則とはそういうものだ」
規則。それに従ったが故に自分はここにいる。そこに自分の意思は介在していない。力なき者である自分には、その土俵に立つことすら許されない――
「織斑……貴様、“自分は望んでここにいる訳ではない”と思っているな?」
言い当てられた。反論の間もなく千冬は続ける。
「望む望まざるにかかわらず、人は集団の中で生きている。それすら放棄するというなら、まず人であることを辞めることだな」
「――では問いますが」
その時、意外にも声を上げる者があった。
恋羽だ。彼女は椅子から立ち上がり、じっと千冬を見据えている。
「集団の維持の為に一人を封じ込めることが、人であることですか?」
「……鷲宮姉、発言を許した覚えは――」
「世間を騒がせ、行方を眩ませた篠ノ之博士は、人でなしですか? ……
恋羽の平坦に抑えられた口調に悲嘆が滲んでいるのを、一夏は敏感に察知した。
彼女の言う“一人”とは自分のことだけではない、箒や翼も指しているのだ。箒の姉にしてISの開発者である篠ノ之束が失踪したことで、箒達一家は証人保護プログラムで離散させられ、箒のIS学園への入学も国からの指示によるもの。誤解を恐れず言えば国家による人質だ。翼は一年前に発覚した、もとい(疑惑としてだが)
そして、恋羽の姉もまた行方知れずだ。翼の出生、彼がここに来なければならなかった理由そのものと言っていい人物が――
「……済まない。お前達には無神経な発言だった」
「いいえ。授業を止めてしまい申し訳ありません。山田先生、続けてください」
「……あっ、はい!!」
二人の謝罪と共に再開する授業。先程までの明るさは、教室には微塵も残っていなかった。
孔雀は羽故人に獲らる:人並み外れた才能があることでかえって不幸になることのたとえ。