昼休み、食堂の席に着いた翼は開口一番、対面して座る恋羽と隣に座る一夏、斜向かいの箒に問うた。
「で、どうする?」
話題は言うまでもなく、かの
立候補しなかった恋羽の予期せぬ飛び入り参加――千冬は最早総当たり戦などやっていられる程の時間的余裕はないと判断した。よってクラス代表決定戦は、代表候補生同士、男性IS操縦者同士の試合後、それぞれの勝者でクラス代表を争うトーナメント方式での開催を決定。校内に複数あるといえども、アリーナ一つを生徒の決闘ごときに占用できる時間は限られているので、これは合理的結論だと考えていい。
「どうするって?」
「姉さん、勝てるの?」
「わからない。百聞は一見に如かず」
翼が懸念しているのは、姉が試合に負ける可能性である。クラス代表に就任する気のない恋羽が勝てば、セシリアがクラス代表という事態は戦わずして根本的になくなるが、負ければ勝負は続行だ。
昔から口数の少ない恋羽は、自分の実力を客観的に評価はすれどひけらかすようなことはしなかった。倨傲、謙遜、阿附、侮蔑、どれ一つとっても恋羽の言動には当てはまらない。自分の実技試験の記録を見せることを躊躇わなかったのもきっと、単にその結果を「そういうもの」として受け止めていたに過ぎないからだ。
「だから、私が負けた場合に備えて、準備はきちんとするべき」
「そういうとこだよ……自分が勝つから心配しないでー、みたいなことは言えないの……?」
「うーん……恋羽のこういうところは美点だけど、ときどき不安になるよなあ……」
「軽々しいことを口にしたくないというのはよくわかるのだが……」
しかし一夏と箒が言うように、飾らない恋羽の言葉も時に人を不安にさせる。何かをやり遂げる自信の有無を彼女は語ろうとしないのである。マイペース、或いは上手の猫は爪を隠す、といえば聞こえはいいが、よくて「頑張る」位しか言わないのはどうかと思う。
実際、恋羽は代表候補生として世間の受けがいい方ではない。国家代表及び候補生は国家公認アイドルという立場にもあり、モデルやタレントといった仕事も兼任しているのだが、インタビューやテレビ番組の出演で‘意向に沿った’発言を引き出すことのできない彼女は、最近は業界から干され気味だ。候補生の選考基準に含まれる容姿も優れており(本人は気にしているが大きな尻が
そして翼には、もっと、そして最も大きな原因が自分にあるという自傷じみた自覚があった。自身の出生自体が彼女の汚点となる、忌まわしくも誇らしき過去が――
「まあ何にしても、頑張るしかないか。翼、思いっきりやるぞ!」
「……そうだね。じゃあ対策から立てようか? 打倒妖怪縦ロール!」
「よ、妖怪縦ロール……? 相変わらず翼は妙な渾名を付けるのだな……」
だから、彼女には負けて欲しくないし、もしセシリアとぶつかるなら勝ちたい。翼にはそんな思いがあった。
「まずあいつの専用機の第三世代ISだけど、一言で言うとオールレンジ攻撃ができるんだ。『ブルー・ティアーズ』っていう遠隔無線誘導兵器でイメージ・インターフェイスを使って……」
「凄いな翼、なんで知ってるんだ?」
「こういうのは機密に関わること以外は国が公開してるんだよ。検索すればすぐ出る」
「そういえば、翼はISの授業にもかなり食いついていたな。先生の出した問題にも即答していた……門前の小僧習わぬ経を読む、というやつだろうか」
「やっぱ恋羽の言った通り、俺ももっとちゃんと知る努力をしないとな……」
対策会議に夢中になり過ぎて四人で出席簿を食らったことだけが、翼の誤算だった。
放課後、恋羽は校内をよく知る翼の案内で整備室へと向かっていた。恋羽の専用機を製作した企業『能登重工』が翼の専用機を用意すると聞いたのは、六時限目の授業が始まる直前のことである。千冬に聞けば、その頃には既に搬入作業が粗方終わっていたという。
「能登重工って……仕事は早いけど、連絡は遅いよね……」
「え、そうなんですか?」
「プロブレマティクスの時もそうだった。大体事後報告」
二人と並んで歩く、眼鏡型ディスプレイをかけた水色の髪の一年生は、恋羽と同じ日本代表候補生、更識簪。彼女は恋羽の中学生時代の同期である。恋羽が知る限り、IS学園に入学することのできた当時の同級生は簪を含めて数人しかいない。
簪にもIS学園入学時に専用機が渡る予定であったが、製作を行っていた企業『倉持技研』が一人目の男性IS操縦者即ち一夏の専用機を作ることに注力、完成の目途が立っていなかった。しかし彼女の専用機の開発は、いつの間にか技術提携していた能登重工に引き継がれており、当初の予定よりは遅れたものの、今月末から来月頭に受け渡しがされる運びとなったのだった。鷲宮姉弟と廊下でばったり出くわした彼女は、新しい製作者となった能登重工が友人の弟に用意したISに興味を持ち、同行を願い出たのが事の次第である。
そして一行が辿り着いた整備室の一角に安置されていたのは、
「やっぱりこれだった」
「やっぱり……って?」
「ごめんね、翼。貴方のIS、余りものだった」
「余りもの?!」
恋羽のものと同じ『プセウドフラガ』だった。
カラーリングや細部の形状は異なるものの、全体的なシルエットは恋羽のプロブレマティクスと酷似している。黒褐色の非固定浮遊部位は上部からブレードの柄が飛び出しており、灰色の足の先に備わった鉤爪の配置は前方に三本、後方に一本で、膝の衝角もない。肩回りに装甲が追加され、前腕の装甲も厚く、上半身がよりマッシブになってはいる。しかし翼状の非固定浮遊部位と特徴的な逆関節の脚部は、それがプセウドフラガであることを強烈に主張していた。
「『
「作ったはいいけれど、乗る人がいなかったみたい」
「ああ……打鉄とかラファールに慣れてると、扱い難いからね……プセウドフラガって」
「もしかしなくても押し付けられた感じだよねこれって……」
トルコ製第二世代IS『プセウドフラガ』は、日本製第二世代IS『打鉄』、フランス製第二世代IS『ラファール・リヴァイヴ』に次ぐ日本の主力ISである。
本来プセウドフラガは、トルコにて既に主力となっていた第二世代IS『ティラノプテルス』の「機体完成度の高さ故に発展性に欠ける」という欠点を補うべく、より将来性のある機体として開発されたものだった。情勢の不安定な中東で活躍する為の攻撃的な機体コンセプトは、主にアフリカで大きなシェアを獲得するに至らしめ、それが日本の目に留まったのだ。専守防衛を旨とする自衛隊には、独特の機体形状やその設計思想から推定される損耗率の高さ故に不評であり、制式採用は見送られるかに見えたが、日本国内で多様化・細分化し過ぎた打鉄とラファールのパッケージは大幅なコスト高を招いており、新規にライセンス生産後改修を行う方が経済的負担が少ないとの結論からプセウドフラガの採用が決定したのは技術の皮肉と云えよう。
だがプセウドフラガは、簪が評したとおり既存の機体に慣れたIS操縦者からの評価は高いとはいえない。まず足を伸ばして立ち上がった時の全高は他のISと比して一回り程高く、反対に足を縮めると他のISよりかなり低い。統計こそ取られていないが、長い脚部に起因する前方投影面積の増加によって被弾率が上がる可能性が指摘されており、また
自社製品たるプセウドフラガをいち早くアフリカに広めたトルコ企業『レイヴン・インダストリー』は、この特性の為に新たな市場開拓ができずに苦しみ、同時にアフリカへの他IS関連企業の参入を阻む障壁を作ったとして業界で目の敵にされている。学園の訓練機や教員用として配備されているISの中にプセウドフラガの姿がないのも、操縦者からの人気以上に学園に出資するスポンサーの意向が大きかった。プセウドフラガがアフリカのIS業界を席捲する前に能登重工がライセンス生産を始められたのは偶然と言う他にない。
「とにかく、まずは
「う、うん」
恋羽に促され、翼は機体に乗り込んだ。専用機の名はエクセルサス。恋羽のプロブレマティクスと同じ第三世代ISである。能登重工は実験機として保有するプセウドフラガを用いて第三世代兵器の開発を行っていたが、プセウドフラガ自体が操縦者から敬遠されがちであったことが災いし、長らくテストパイロットを確保できずにいた。先に恋羽が言った“余りもの”とは、同時期に開発され、能登重工が彼女への提供を打診した二機のうち、彼女が専用機に選ばなかったのがエクセルサスだった、ということだ。
「設定が終わるまでに、基本的な動作と機能を――」
「お、出てきた」
「……恋羽、翼くんって……本当に初心者?」
「……その筈」
翼は恋羽と簪の目の前で、拡張領域に入っていたらしき巨大なハンドガンを湧出させてみせたのだ。自分のコールスピードより明らかに早い。目測ではゼロコンマ五秒とかかっていないだろう。二人が驚愕している間にも、翼は脚部を覆う装甲――これも武装の一種のようだ――を、まるで新しい玩具の使い心地を試す子供のように展開・格納を繰り返している。
恋羽は己の脳裏に浮かんだ疑念を確かめる為、翼に提案した。
「飛んでみる?」
「え?! いいの?!」
三十分後、整備室から移動したのは試合に使うのと同じ第三アリーナ。恋羽達の他にも、何人かの生徒が訓練機を動かしている。一夏も彼女らのように訓練機を使いたかったのだが、一学期開始直後は上級生の予約が集中するらしく、彼が訓練機を借りることはできなかった。
「はてさて空を飛ぶというのは如何なるものやら……ぐへへ」
「楽しみ?」
「もっちろん!」
「それはよかった」
今頃は箒と一緒に剣道か。そんな思考を脇に退けつつ、恋羽は翼とアリーナの端まで歩いていく。二人の専用機は待機形態となって身に付けられていた。プロブレマティクスは黄色と黒の警戒色めいたウォレットチェーン、エクセルサスは白と黒褐色の角ばったヘッドホン。
「それじゃあ、始める。簪、そっちもお願い」
「うん……任せて」
「よし、いっくぞぉ! エクセルサスッ!!」
エクセルサスのパラメータ確認を観客席の簪に任せ、二人はISを展開した。空を飛ぶのが楽しみで仕方がないらしい翼を見ていると、恋羽は懐かしい気分になる。いつ頃だったかは正確に覚えていないが、彼は昔ISが女性にしか動かせないと知って泣き喚き、ショックのあまり二日程寝込んだことがあるのだ。
こんな形で彼の願いが叶うとは、恋羽は思ってもみなかった。
「飛べる?」
「こんな感じだね」
「うん。翼は凄い。ついてきて」
難なくその場に浮き上がった翼の手を取り、PICで空中を滑るように飛行する。自転車の練習をしているような感覚だ。途中でどちらからともなく手を放すと、翼は恋羽の助けも借りずにスイスイと飛び始めた。時折スラスターを噴かして加減速しながら、実に楽しげに宙返りや急降下を試している。
間違いない。彼はある種の
焦燥にも似たそれを押し隠し、恋羽は翼に問うた。
「翼」
「ん? あ、これ
「どうして貴方がすぐに飛べたり武器を呼び出せるのか、私は不思議に思う。何故?」
「何故っていうか……疑問なんてある?」
恋羽は口を閉じたまま瞠目した。
「ここの授業を見たり聞いたりしてたっていうのはまああるかもだけど……ISに乗ったらこういうことができるのは当たり前? いやこれもちょっと違うなー、とにかく疑問はないよ。自分に何ができるか、疑わない方がいいかなって」
彼の願望や授業を見聞きしていたという以前の問題だ。彼はなるべくして男性IS操縦者となり、
「……そう。ありがとう」
「姉さんも、自分の可能性を信じてね! あいつに負けないようにさ!」
翼との通信が切れる。遍く愛とそれ以上の好奇心でできていた姉を思い、恋羽は憤懣と寂寞を大きな溜息で吐き出した。姉が自身の好奇心の産物に責任を持たないせいで迷惑を被ったことは数知れないが、それでも家族である以上、彼女を憎むことはできない。
“はーちゃんは優しいんだね”
いつか束に言われたように、自分は甘い人間なのかもしれないと、恋羽は自嘲した。
勧学院の雀は蒙求を囀る:普段見慣れていること、聞き慣れていることは、自然に覚えてしまうものである。