夕食時、四人は昼と同じ席、同じ並びで集まっていた。
「箒、一夏はどうだった?」
「どうもこうもあるか! 何もかもが鈍り過ぎだ!」
「でも箒さん、一夏さんは中学生の間ずっとバイトしてたんだよ。確かに千冬さんの年収に比べればはっきり言って蚊の涙だろうけど」
「うぐ……中学生のバイトってそうそうないからな……」
「一夏なら、千冬さんがIS学園の教師だって知っても、バイトは辞めない」
「それは、そうだろうが……むう……」
一夏は単に三年間帰宅部としか言わなかったが、鷲宮姉弟の説明で、箒はようやく一夏の弱体化ぶりが腑に落ちた。とはいえ、納得ができている訳ではない。
実家の剣術道場の同門だった一夏に、箒は小学二年生の時から懸想している。彼女がこれまで剣道を続けてきたのは、彼女の髪型がポニーテール――かつて一夏に似合っていると褒められた――であることと同様、一夏と再会できるようにとの願掛けでもあった。剣の腕を磨き、剣道で名を上げれば、その英名は遠く離れた想い人に届くやもしれぬ。そう考えていたからこそ、全国大会での優勝後、勝利の目的の中に一夏と会えないことへの憂さ晴らしというものが入り込んでいたことが耐え難く、自己嫌悪に陥りさえした。
「訓練機を借りられさえすればなあ……」
「ないものねだりをしたところで何になる」
「でも箒、来週までISに乗らないままぶっつけ本番はマズいだろ」
「決闘を引き受けたのはお前だ。この程度の逆境、己の手で覆せ!」
「無茶言うなよ。そりゃあ俺だってやるからには勝ちたいさ、その為の準備が必要なんだ」
「剣道もできない奴にISの操縦ができるか!!」
それ故に、かつて自分よりも強かった男の衰退を、箒は受け入れることができなかった。幼馴染と別れた後、竹刀を捨ててのうのうと過ごしている一夏が、彼との接点、彼との繋がりの為に剣道を続けていた自分の努力と思いを空転させるもののように思えたからだ。
そうだとすれば、自分の費やした五年間は一体何だったのか。ISとそれをこの世に産み落とした姉によって意中の相手と引き離され、剣道に救いを求めて心に油を差してきたというのに、肝心の相手はかつての道を外れて生きていた。物理的にだけでなく、心にまでも距離ができてしまったのだろうか――
「落ち着いて」
こういう時に、恋羽は決まって割って入ってくる。
「あ……す、済まない。熱くなり過ぎた」
「大丈夫。私が負けたら一夏に勝って欲しいのは、私も同じ」
一夏と仲良くなったのは、実は恋羽の方が先だ。それぞれの姉が三人でつるんでいたこと(鷲宮家が織斑家の隣にあったというのもある)をきっかけに、一夏と恋羽、恋羽と箒という順に友人となり、三人で遊ぼうとした恋羽が二人を引き合わせたのだ。これは一夏が篠ノ之流道場に入る前のことで、箒と一夏が本格的に仲を深めた、そして箒が一夏に恋心を抱いた小学二年生の時まで二人の仲を取り持っていたのが、他でもない恋羽である。その後も彼女は子供らしからぬ沈着冷静ぶりを発揮し、二人が喧嘩をするようなことがあればすぐに仲裁に入って円滑な関係を維持しようとしていた。
恋羽の朴訥で静かな言葉を聞くと、不思議と怒りは霧消してしまう。それはきっと、過去にもこうして恋羽に宥められたことがあったからだろう。
「作戦は今後も考える。今は仕方ないから、イメージトレーニング。剣道も、体力をつける効果はある」
「イメトレか……うん、イメトレにしろ剣道にしろ、やってみる価値はあるな」
「あ、じゃあ僕も剣道やっていい? 去年はできなかったからさ」
そういえば、と箒は回顧する。恋羽は引っ越していく箒との別れ際、IS操縦者になることを誓っていた。ISのことを正式発表以前から束に聞いていたらしき彼女ならそう言うだろうと予想はしていたが、その後に聞いた‘理由’に、箒は酷く心を動かされたものだ。
“箒が、ISに希望を持てるように”
恋羽は箒が家族や友人と引き離されることで、その原因となった束を恨むことは言わずもがな、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりにISへと怒りの矛先を向けてしまうことを危惧していた。恋羽は多くを語らないが、彼女がIS操縦者を志したのは自分の夢の為のみならず、IS操縦者となること、そして何かを成し遂げることで、ISが決して自分達の絆を切り裂くものではないと証明しようとしたが故なのだろう。現に彼女の言葉が耳の奥に残っているおかげで、箒はISそのものを憎んではいない。
「……仕方ない。私も、改めて一肌脱ぐとしよう」
なればこの身長一七〇センチ近い、恐らく一夏以外の一年生で最も背が高いと思われる友人に免じて、一夏のことは許してやろう。一夏本人に剣道をする気がない訳ではないようだし、一緒にいられる時間も増えてこれまでの
幸いにして、彼女は恋敵ではないのだから。
ホテルの客室のような広々とした部屋。遮光カーテンが閉められ、照明が落とされた暗闇の中で、スマートフォンの画面だけが唯一の光源となっていた。
『どうだ、気分は?』
「……背広の連中に面会時間を教えてやってくれ。昼も夜も質問攻めでは、碌に体力も取り戻せん」
ベッドの上に、若い男が一人仰向けに横たわっている。スマートフォンのスピーカーからのしわがれた声に、彼は天井に目を向けたまま、心底うんざりした様子で答えた。
『日本政府と国際IS委員会の事情聴取だな』
「尋問だ。奴らによれば、俺には『男性用ISコア』を秘密裏に開発・所持した嫌疑がかけられているらしい」
『連中は自分達の優位を揺るがす存在を認めたくないんだ。今回の件、賭けてもいいが女性権利団体が関わっているに違いない』
「……爺さんもか?」
『うむ。昨日
男はわざとらしく嘆息し、上体を起こしてベッドから下りた。
「馬鹿馬鹿しい話だ」
『安寧の名を借りた停滞、既得権益を貪っていたいが為に、
通話を続けながら暗い部屋を歩き、冷蔵庫の前に立つ。冷蔵庫からスポーツドリンクの入った二リットル入りのペットボトルを取り出し、その場で開封してラッパ飲みした。数秒間が開いて、会話が再開される。
「正直だな。だが、そもそもISという兵器が持つ戦闘能力の個体依存性は目に余る。女性しか使えない上に適性によって更に動かす人間を選び、一度専用機にすれば他の人間が使い回すこともできない。おかげで国家代表や候補生は世間でアイドル扱いだ。物事の一側面しか見ようとしない愚か者共が増長するのも無理はないだろう」
『やけに痛罵するじゃないか?』
「世を憂いていると言ってくれ」
ハハハハハ、と、二人分の皮肉な笑い。
一頻り笑うと、男の方から切り出した。
「無駄話が過ぎたな。機体の発送はいつになる? 予定を早めに立てておきたい」
『手続きが手間になっているがそう待たせるつもりはない。遅くとも来週中には送り出す予定だ』
「そうか。例の建造計画はどんな調子だ?」
『順調だ。根回しも済んでそうそう邪魔は入らない。君の好きにやれる』
「金をつぎ込んだ甲斐があるというものだ。俺がいない間のことは任せるぞ、爺さん」
『言われるまでもないさ。大船に乗ったつもりでいるといい』
通話が切れ、静寂が訪れる。
ベッドに戻った男は態度を翻し、吐き捨てるように呟いた。
「……ふん、狸が。自分だけで泥船に乗っていればいいものを」
彼は懐からもう一台のスマートフォンを取り出し、電話をかける。三度目のコール音の後、女の声が応えた。
『――遅かったわね。レディーを待たせるなんて男失格よ?』
「お前は淑女というより悪女だろうに。
『盗聴されるのも大目に見て欲しいかしら?』
「
『それを聞いて安心したわ』
切り返す言葉、その態度もまた変わっていた。先程老人と会話していた時の身内に話すような気軽さでも、その後の忌々しげに悪態を吐く冷え切った乱暴さとも異なる、飄々として挑発的な口調。別々に文字に起こせば、同一人物の台詞とは思われないだろう。
「そちらに送ったデータは確認したな? それを上手く使えるかどうかはお前達の努力次第だ」
『本当にこれが機能するの? スペックに偽りなしと考えて、最高効率で稼働すれば殆ど永久機関じゃない』
「言っただろう、努力次第だと。お前達に最高効率のフラクタルヘリックスが作れるのか?」
『それは……否定できないわ。でも、せめてマルチシューターマシンのブラックボックスは――』
「この際はっきりさせておくぞ。確かに俺は二年前、お前達に技術提供を行うとは言った。だがそれはあくまで、俺への
『……』
女が言葉に詰まったと見て、ハ、と鼻で嗤う男。
「まあいい。八月頃には俺もある程度自由に動けるようになる。その時に備えて三十は確保しておけ。成果のおこぼれ位ならくれてやる」
『……舐められたものね』
「無理ならお前の愛人を使ってもいいんだぞ」
『冗談でも言っていいことと悪いことがあるわよ』
「冗談など言ったつもりはない。脳味噌だけにするのはお前の趣味だと思ったのだがな」
『減らず口を……っ』
「大人気ない女だ。やはり淑女は似合わん」
怒りに震える女の声にも、男は余裕の表情で返した。己の圧倒的優位を確信している、根拠のある傲慢さ。
「博士に伝えろ。予定通り実地試験を行うと」
最後にそれだけを告げ、男は通話を切った。スマートフォンもスリープモードに入り、部屋は闇に閉ざされる。
再びの静寂。男はベッドに身を投げ出し、天井を見上げた。
「――篠ノ之束。お前はISで世界を思い通りにできると思っているのかもしれんが、俺はそうはいかない。お前が
誰に聞かれることもない男の喜悦の声だけが、無明の中に木霊していた。
寒色の照明に照らされた、八畳程の無機質な部屋。分厚いマットレスの置かれたパイプベッド、羽なし扇風機の下敷きになった加湿器など、室内の家具はどこかアンバランスである。
「あれ、出力低下? ランドードライブの電力供給量が……うわあ、ホントこれ水素バカ食いするなあ。もう二、三機追加したい位だよ」
その中で、女が一人デスクに向かいモニターを睨んでいた。よれて皺だらけになった白衣の下にセーラー服を着込み、床に届いて尚余りあるダークブラウンの長髪を持つ痩身の美女。彼女は左手に持った握り飯を口一杯に頬張りつつ、空いた右手で安物のキーボードを叩き続ける。
「もぐ……一旦リペアモードにして……え? ダメダメ、ごねたってないものはないんですー。今はこれで我慢してねー。あーもう、後で幹部会の人にお願いしなきゃ……」
女は齧歯類の如く頬に握り飯を詰め込み、独り言交じりに少量ずつ飲み込んでいく。片膝を立てて椅子に座るその姿は、お世辞にも行儀が良いとはいえない。握り飯が全て腹の中に収まった頃、机上のデジタル時計は午後九時半を指していた。
「おっ、今日は成績いいねー。いい子いい子、お母さんご褒美あげちゃう! うんうん、嬉しそうでなにより。大好きだよ」
モニターに表示されたウィンドウには、ハンドボール大の機械が透明な棚状のラックに無数に並ぶ光景が映っている。女はキーボードを操作して視点を次々に切り替え、時折現れる別のウィンドウに素早く情報を入力しては、我が子を慈しむ母親のような微笑みを浮かべていた。
そんな時、部屋のドアが音もなくスライドして開き、女と同じ髪色のおかっぱ頭でパジャマ姿の幼女が入ってきた。年の頃は四、五歳程度かという彼女は、鶏を模したぬいぐるみを抱え、眠そうに目を擦っている。
「ママ……眠い……」
「ん!? あーごめんね
「うん……」
女が椅子を回転させ足を下ろすと、鈴芽と呼ばれた幼女は彼女の膝の上によじ登り、腰を下ろした。すぐさま船を漕ぎ始める鈴芽を見て、にっこりと笑った女が作業に戻ろうとした時、
「母さん」
再びドアが開く。今度は身長一五〇センチ弱、青い病衣を着た若紫色の髪の少年だ。幼女同様女を母と呼んだが、十四歳程度と思しき彼の容貌は、二十代前半と窺われる女とは明らかに外見的年齢が近過ぎた。彼は裸足でぺたぺたと歩き、モニターの前にやってくる。
「あ、
「電話が来たみたい。予定通り実地試験を行うってさ」
「……そっか」
冗談めかした女の言葉をスルーして、隼人と呼ばれた少年は用件を伝えた。女が見せていた笑みから悪戯っぽさが消え、代わりに郷愁じみたものが漂い始める。彼女の視線の先には机上に置かれた写真立て。そこには、女とよく似た短い癖毛の少女と、隼人と――髪の色こそ異なるが――瓜二つと言っていい黒髪の少年が写っていた。
「……その写真、いつの間に手に入れたの?」
「先々週ふと思い立ってね。苦労はしなかったけど、写真立てがこれしかないから、一枚だけ」
「ふーん……」
「会ってみたい?」
「……わからない」
「ふふ、そのうち会えるよ」
そのうち、ね。かすかにそう呟いた女の言葉は、隼人の耳には届いていないようだった。
女の胸に身を預けた鈴芽が、もぞりと動いて息を吐いた。
百貫の鷹も放さねば知れぬ:実際に使って初めて物の価値がわかる。