夢で逢えますように   作:春川レイ

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不死川玄弥は赤面する

 

 

首を絞められている

 

 

苦しい

 

 

私を鋭い瞳で見据えているのは、自分自身だ

 

 

『私を殺したのはあなたよ』

 

 

その鋭い瞳はまるでガラス細工のように透き通っていた

 

 

まるで人形みたいな目だ

 

 

自分自身が絞り出すように声を出す

 

 

『だから、これは、罰なのーーーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おはよ……」

希世花が青白い顔で登校してきたため、しのぶは眉をひそめながら声をかけた。

「どうしたんです?また風邪ですか?」

「……なんでも、ない」

「なんでもないって顔じゃないですよ」

「……本当になんでもないの。最近、ずっと、変な夢を見て……」

希世花は目を閉じながら頭を抑えた。目が覚めてから頭痛が止まらない。じわじわと締め付けられるような痛みが広がってきたような気がした。

「八神さん?保健室に行きますか?」

「……ううん。大丈夫」

痛みを誤魔化すようにしのぶに微笑んだ。しのぶは心配そうな顔をしていたが、教師が教室に入ってきたため、結局何も言わずに席についた。それでもまだチラチラと希世花の方を見てくる。希世花はなんでもない顔を装って前を向いた。

 

 

 

 

 

「やあやあ、元気かい?」

「……」

学校からの帰り道、しのぶと別れて一人になったところで、再び話しかけられる。昨日突然話しかけてきた童磨と名乗る胡散臭い男だ。昨日話しかけられた時は、逃げるように走って帰ってしまった。この男の顔を見るだけで、頭痛がひどくなってきた気がする。痛みに顔をしかめながら口を開く。

「……何か、ご用でしょうか?」

「あれえ?なんでそんな顔をしてるんだい?」

童磨が不思議そうな顔をして希世花の顔を覗きこんできた。

「何か嫌な事があったのかい?もしよければ聞いてあげよう。話してごらん」

「……」

あなたの顔を見るのが嫌なんですよ、と言おうとしたが僅かに残っていた理性がそれを止めた。童磨の言葉を無視して歩き出す。

「あ、そうだ。君の名前、何だっけ?教えてくれるかな。昨日聞こうとしたらすぐに帰っちゃったし。」

童磨が後ろから付いてきながら、楽しそうに話しかけてくる。

うるさい。わずらわしい。

話しかけてくる男を無視して歩を進めたが、

「へえ。八神希世花ちゃんっていうんだ。あれぇ?こんな名前だったっけ?」

その言葉にギョッとして後ろを振り向く。いつの間にか、鞄に入れてたはずの希世花の生徒手帳を、童磨が手に持っていた。

「返してください!」

慌てて手を伸ばすが童磨はヒョイと軽く避けた。

「そんなに怖い顔をしないでおくれ。ちょっと借りただけじゃないか」

「借りたって……、勝手に鞄から取り出したんじゃないですか!」

思い切り手を伸ばすが、身長差があるため届かない。

「ふーん、キメツ学園の3年生か。可愛いねぇ。相変わらず別嬪だ」

希世花の顔を見てニッコリ微笑む。その笑顔を見てゾッとした。あまりの不快感に、頭痛に加えて吐き気まで感じる。心臓が張り裂けそうだ。

「本当、残念だなぁ。もったいない……、まあ、でも俺も今は人間だしなぁ……」

奇妙な事を言う男を、鋭い目で睨む。そんな希世花を童磨は楽しそうに眺めた。

「それで?希世花ちゃん、どんな嫌な事があったんだい?教えておくれよ。君の事がもっと知りたいんだ」

「……今現在の状況以上に嫌なことなんてないですが。馴れ馴れしく名前を呼ばないで!早くその手帳を返してください!」

童磨が声をあげて笑った。

「冷たいなぁ。俺は君と仲良くなりたいだけなのに」

そして童磨は希世花の手帳を自身のポケットに仕舞い、扇子を広げた。

「返してほしい?そうだなあ……、それなら明日、俺とデートしようぜ」

「はあ?なんですか、それ……」

「ちょっとお茶するだけだよ。変なことはしない。俺はこう見えて誠実な男なんだ」

希世花は顔を引きつらせながら怒りのあまり体を震わせる。そして、

「明日この時間にここで待ってるよ。じゃあ、またね、希世花ちゃん」

童磨は楽しそうな顔で手をヒラヒラ振りながら去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苦しい

 

 

人形のような瞳が私を見つめてる

 

 

『報いを受けなさい』

 

 

着物を着た自分自身が囁く

 

 

『覚悟してたはずよ。私を殺したその日に』

 

 

自分自身が歪な笑みを浮かべた

 

 

いつの間にか周囲の様子が変化している

 

 

不思議な場所。まるでダンスパーティーが開けそうな、宮廷のようなきらびやかな場所だ。

 

 

ここはどこなんだろう。さっきまで暗闇だったのに……

 

 

『楽しかったでしょう?私を殺してまで手に入れた人生は』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、教室に入ってきたしのぶは、希世花が机に突っ伏しているのを見て、そっと肩を叩いた。

「八神さん?寝ているんですか?」

「……起きてる。おはよ」

ゆっくりと希世花が顔を上げる。その顔を見てしのぶは驚いた。昨日よりも更に顔色が悪い。

「八神さん、大丈夫ですか?」

「うん……ちょっと、寝不足ってだけ」

「保健室に行きましょう。ひどい顔色ですよ」

「大丈夫。ちょっと疲れてるだけだから」

「大丈夫って顔じゃないですよ」

しのぶは希世花の腕を掴んで言葉を続けた。

「とにかく、保健室に行きましょう」

「行かない。体調は悪くないのよ……、本当に」

「いいから、早く立ってーーーー、」

「だから、大丈夫だってば!!」

希世花が大きな声で言い放ち、教室にいた生徒達がこちらを向いた。しのぶは目を見開く。希世花はハッとして、再びうつむいた。

「……ごめん」

「……八神さん?」

「ごめんね。大きな声出して。ちょっといろいろあって、疲れてイライラしてたわ」

希世花は頭を抑えながら顔をしかめた。これでは八つ当たりしているみたいだ。情けない。

「……しのぶの言う通りね。ちょっと保健室行ってくる。先生に言っといてもらっていい?」

「……一緒に行きますよ」

「いい。一人で行きたいの。ありがとうね」

頭を抑えたまま、希世花はフラフラと教室から出ていった。その後ろ姿をしのぶはじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

保健室で養護教諭に頼み、ベッドを借りて横になる。

「……最悪」

変な夢を見続けるせいなのか、頭痛が止まらない。具体的な内容は覚えていないが、苦しい夢だった気がする。何かをもう少しで思い出せそうなのに、思い出せない。心の中にモヤモヤが蓄積されたままだ。鬱陶しい。

それに、気がかりがもう一つ。

放課後、あの胡散臭い男と会わなければならない。童磨の事を考えただけで吐き気がする。

なぜだろう。二回ほど会って話しただけなのに、あの男の顔を思い浮かべただけで、嫌悪感に胸が潰れそうだ。全身の血液が沸騰し、身が震えるほどの不快感を感じる。

「………?」

なんでそんな感情が出てくるのか、全く分からない。そういえば、あの男は初めて会ったとき「久しぶりだね」と言っていた気がする。

もしかして、忘れてしまっただけで、前に会ったことがあるーーーー?

「………」

いや、あんなに目立つ容姿の男なのだ。一度会ったら忘れるわけない。

でも、なんだろう。この感覚。

そう考えているうちに、目蓋が重くなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

「……さん、……八神さん」

「……んー」

名前を呼ばれて目を覚ました。ぼんやりと視線を横に向けると、しのぶがベッドの横に立っていた。

あれ?ここ、どこだっけ?と一瞬戸惑い、すぐに保健室で寝ていた事に気づいた。夢も見ずに眠っていた。本当に身体が疲労していたようだ。

「八神さん、起きましたか?」

「……うん。今、何時?」

「もう放課後ですよ」

「ええっ!?」

しのぶの言葉に驚いて慌てて起き上がる。保健室の時計に目を向けると、時刻は確かに夕方だった。

「ええ……?そんなに長い時間寝てたの……?」

あまりにも長い時間寝ていた事にびっくりしながら呟く。

「昼休みにも様子を見にきたんです。何度起こしても起きないから、そのまま寝かせてたんです。とにかく、帰りましょう。鞄を持ってきましたから…、」

「う、うん」

しのぶが持ってきてくれた自分の鞄を受け取りながら頷いた。布団をめくり、立ち上がろうとした瞬間、思い出す。

そうだ。あの男に手帳を返してもらわないとーー、

突然顔が強張った希世花を不思議そうに見つめながらしのぶが口を開いた。

「八神さん、ほら、帰りますよ。送っていきますから……」

「……ごめん。今日は一人で帰るわね」

「は?」

しのぶが戸惑ったような顔をする。それに構わず、希世花は立ち上がった。素早く保健室から出ていこうとする希世花の腕をしのぶが掴む。

「ちょっと待ってください!心配だから送って……」

「いらない。大丈夫だから。じゃあね」

しのぶの手を振り払うように離す。しのぶがポカンとしているのが分かったが、構う余裕がない。申し訳なく思いながら足早に保健室から出ていった。

 

 

 

 

 

「やあやあ、来てくれてありがとう」

「………」

うんざりとした顔で目の前の男を見上げる。童磨はニコニコと微笑んでいた。

「手帳を返してください」

「そんなに焦らなくてもいいじゃないか。ほら、一緒にお茶でもしよう。近くにいいカフェがあるんだ」

童磨が楽しそうに歩き出す。希世花は怒りを圧し殺すように拳を握りながらそれに付いていった。

童磨の後に付いていって到着したのは、静かな雰囲気のオープンカフェだった。店員に案内された席に腰を下ろす。

「希世花ちゃんは甘いものが好きかい?ここはケーキやパフェが上手いんだ。お腹が空いていたらピザなんかもあるぜ」

「……アイスコーヒーをひとつ」

童磨の言葉を無視して店員に注文する。そんな希世花の様子に構わず童磨も微笑みながら店員に注文した。店員が去った後、童磨が扇子を広げて口を開いた。

「今日も顔色が悪いねぇ。何があったんだい?聞かせておくれよ」

「あなたに話す義理はありません。それよりも手帳を返してください」

「まあまあ。そんなことより、君の事をもっと知りたいな。今は高校生だったね。勉強は好きかい?部活は何をしてるの?趣味は何だい?」

「……っ、いい加減にーー」

希世花がイライラしながら声をあげた時、店員が注文した品を運んでくるのに気づいた。口をつぐんだ希世花の前にコーヒーの入ったグラスが置かれる。店員が去った後、コーヒーには手を付けずに童磨を静かに睨んだ。

「あはは、怖いなぁ。せっかく可愛い顔をしてるのに、そんなに怖い顔をするなんてもったいないぜ」

「………あなた、なんなんですか。本当に」

「うーん?」

「あなたを見てると、頭がおかしくなりそう。本当に、イライラする。なんだか分からないけど、あなたの顔が視界に入っただけで爆発しそうになる」

「………悲しいなぁ」

「不愉快すぎてゾッとする。忌々しい。虫酸が走るほど、気持ち悪い」

「………」

「あなたの事が、嫌いだと、言ってるんです」

キッパリそう言った希世花に対して、童磨は少し目を見開いた後、声を出して笑った。

「あははははは!なあんだ。君、気づいていないだけで、やっぱり覚えてるじゃないか!」

「……は?」

「面白いなぁ。人間の深層心理って……。いや、君自身が本当に興味深い。もっと仲良くなりたくなったよ」

ニヤニヤと笑う童磨を、希世花は戸惑いながら見つめた。しかし、

「あ、そうだ!しのぶちゃんも一緒に三人でデートってのもいいなぁ……」

その童磨の言葉に今度こそ吐き気が込み上げてきた。手を口元に当てる。この男の口からしのぶの名前が出てきた事に驚きと、燃え上がるような怒りが沸いてきた。今までの人生で感じたことのないほど激しい怒りが全身を駆け巡る。

「………っ、なんで、しのぶを……」

「うん?そういえば、この間二人で楽しそうに歩いてたね。しのぶちゃんと仲良しなのかい?いいねぇ」

「………っ」

「実を言うと、ここ(・・)ではしのぶちゃんと関わった事はないんだ。今すぐにでも話しかけたいけど、いろいろ複雑でね……」

「……しのぶに、近づかないで」

希世花の言葉にますます童磨は楽しそうに微笑んだ。

「本当に大切なんだね。記憶がなくても」

「………記憶」

希世花は頭を抑えた。激しい頭痛がまた襲ってくる。

「……私、何を、……忘れて……」

「ああ、苦しいのかい?ひどい顔をしているね。可哀想に。でも、それは君が思い出さないと。」

童磨が突然希世花の手を握ってきた。ギョッとして慌てて手を離そうとするがビクともしない。

「…離して!」

「何もできないけど、俺でよければ話くらいは聞こう。さあ、話してごらん」

「……っ、」

渾身の力で思いきり手を振り払う。そしてそのまま立ち上がり、逃げるようにカフェから出ていった。

「明日も待ってるよー」

童磨の声が聞こえたが、振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

マンションに着くと、玄関に座り込む。頭痛でどうにかなりそうだ。いや、それ以上に童磨に触れられた嫌悪感で吐き気が止まらない。

「……しのぶ」

スマホを取り出してしのぶに連絡しようとする。しかし、

「………っ」

スマホの画面に触れようとして、その手を止める。電話したら、きっとしのぶはすぐに希世花の様子がおかしい事に気づいて、いろいろ聞いてくるだろう。なぜだか、あの男の事は話したくなかった。あの男がしのぶに関わると考えただけで身体が震える。

スマホを鞄の中に仕舞いこみ、フラフラと着替えもせずにベッドに倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

『ダメよ!!』

 

 

自分自身が強く首を絞める

 

 

『あなたは八神希世花よ!思い出さないで!』

 

 

そう、私は八神希世花

 

 

そうよ。それが私の名前。

 

 

私の、名前ーーーー?

 

 

『思い出す必要なんかない、あなたは八神希世花なの!それは揺るぎない事実なんだから!』

 

 

「ち……がう、ちがう!!」

 

 

初めて自分の夢で大きな声を出した。目の前の自分自身がビクリとする。

 

 

それに構わず首を絞めていた自分自身を突き飛ばした。

 

 

「呪いとか罰とか報いとか、どうでもいい!!私は、私はーーーー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も希世花の体調は悪そうだ。しのぶはぼんやりしている希世花に声をかけた。

「八神、さん?」

「……ああ、おはよう」

「おはようございます。大丈夫ですか?」

「……うん」

どう見ても大丈夫じゃなさそうだ。しのぶが保健室に行かせようか迷っていると、希世花が口を開いた。

「……あの、しのぶ」

「はい?」

「……私……、」

私が何を忘れたか、知ってるのよね?

しのぶは何を知ってるの?

希世花はそう言葉を続けようとしたが、結局何も言えなかった。しのぶをじっと見つめて、そっと顔を伏せる。

「……なんでもない」

「……?」

しのぶは不思議そうな顔をしていた。

放課後、しのぶが鞄を手に取って声をかけてきた。

「八神さん、帰りましょう」

「……ごめん。今日も、ちょっと……、」

「え?部活はないですよね?」

テストが近いので部活は休止だ。

「……用事が、あるから、一人で帰るわね」

「用事?」

「またね」

「あ、ちょっと、八神さん!」

しのぶから逃げるように教室から出ていく。どうせ今日も童磨は帰り道で待ち伏せしているはずだ。しのぶとあの男が関わることは絶対に避けたかった。

残されたしのぶは眉をひそめる。今まで帰りはほとんど一緒だったのに、昨日といい今日といい、一緒に帰るのを拒否するなんて、どうしたのだろう。なぜか希世花の様子が妙に引っ掛かって首をかしげた。

 

 

 

 

 

 

「そろそろ思い出したかい?」

「……」

童磨の顔が目に入り、げんなりした。昨日と同じようにカフェに二人で入る。

「その様子だとまだみたいだね。可哀想に」

「いい加減に手帳を返してくれません?そして二度と話しかけてこないで」

「冷たいなぁ。俺は君の記憶が戻るお手伝いをしようとしてるのに」

「はあ?」

その言葉に童磨を睨んだ。

「必要ありません。あなたの力添えなんて……」

「でも思い出したいんだろう?」

童磨が微笑みながら希世花の顔を覗き込んできた。

「……っ、」

「ああ、ちがうね。君、本当はとっくの昔に記憶は戻ってるんじゃない?」

「は……、そんなわけ……」

「でも、君の心の何かが、それを拒否してるってところかな?どう?当たってる?」

「………」

何も答えずに童磨をただ睨んだ。

「あはははは!そんな顔すると、昔の君を思い出すよ。最後までそんな顔で僕を睨んでいたなあ」

童磨は笑顔を消さない。ニコニコ笑いながら頬杖をついて言葉を続けた。

「ねえ、そもそも思い出す必要はあるのかい?」

「は?」

「思い出さなくても別に不都合はないだろう?そんなに苦しむくらいなら、思い出さないほうがよくないかい?」

「………」

「いいじゃないか。これは君の人生なんだから。今が楽しければ、それでいいじゃないか」

「………なんで……っ」

言い返そうとしたが、言葉に詰まった。

思い出したいのは、本当だ。でも、最近ずっとその思いに支配されてる。いや、ちがう。この男の言う通りだ。ずっと前から兆しはあった。本当は、分かってた。知らないふりをしていた。自分は何かの記憶を失っていて、それを取り戻そうとしている。でも、心のどこかでそれを拒否してるからずっと思い出せない。

「………」

そうだ。本当に、思い出さなければならないのだろうか。心が拒否しているということは、自分にとって辛く苦しい記憶なのではないか。

 

 

本当に私は、記憶を取り戻したいの?

 

 

呆然としている間に、いつの間にか、童磨はいなくなっていた。

希世花はゆっくりと立ち上がると、フラフラしながらカフェから出ていった。

 

 

 

 

 

 

翌日、しのぶは教室に入ってすぐに希世花の顔を見てギョッとした。

「や、八神さん?」

「……ああ、おはよ」

「すごい顔ですよ。寝ていないんですか?」

「……」

顔をしかめる。昨日は一睡もできなかった。頭痛が止まらないし、不快感でどうにかなりそうだ。しのぶに言われるまでもなく、顔色が悪いことは気づいていた。クマもできている。

「本当に最近どうしたんです?なんだか、ずっと変ですよ」

「何もないから……、何も……」

ぼんやりとそう答えた。しのぶが心配そうな顔で見つめてくる。

「保健室に行きましょう」

「行かない……。大丈夫よ……、ただの寝不足だから」

しのぶの言葉に希世花は首を横に振った。その頑なな様子にしのぶが戸惑っていると、教師が入ってきたため、取りあえず自分の席に座る。そっと希世花の方に視線を向けるとぼんやりと前を向いていた。

その後も希世花の様子ははいつにも増しておかしかった。授業中何度もうつらうつらしており、起きている時もぼんやりしている。まあ、居眠りはいつものことだが、何だかその様子に引っ掛かりを覚えた。教科書や宿題などの忘れ物も多い。しのぶが何度も声をかけるが生返事しかしない。

ぼんやりとしたまま一日を過ごし、ようやく放課後になった。

「八神さん、帰りましょうか」

「あ、ごめん。今日は……」

「今日も何か用事が?」

しのぶの言葉に首を横に振った。

「先生から言われて、生徒指導室の掃除をしなきゃいけないの……。ほら、今日、居眠りもしたし、宿題とか忘れ物が多かったから、……先生達もテスト前で補習はできないから、その代わりに……、」

「ああ、そうでしたか」

しのぶは苦笑した。

「仕方ないですね。手伝いますよ」

「え、いいよ。悪いし……」

「二人でやったほうが早いですよ。ほら、行きましょう」

「……うん」

二人で教室を出ようとしたその時、

「あ、ねえねえ、八神さん、昨日の放課後、一緒にいたのって彼氏?」

クラスメイトの女の子が話しかけてきた。しのぶの顔が凍りつく。希世花はぼんやりと顔をあげた。

「……え?」

「昨日見ちゃった。すごいイケメンとカフェでお茶してたでしょう?いいなあ、放課後デート」

「……」

「あんなかっこいい彼氏、どこで知り合ったの?」

「……えっと」

その時、誰かに呼ばれたらしく、クラスメイトは

「あ、じゃあ、また話聞かせてねー」

と言って離れていった。

「……」

「……彼氏。へえ……」

しのぶの声が聞こえて、ビクっと震えた。

「……あ、あの」

「どうりで最近様子がおかしいと思ったら……」

恐る恐るしのぶの顔を見て、思わず悲鳴をあげそうになった。ぼんやりしていた意識が一気に目覚める。しのぶの顔は笑っているが、青筋が立っていた。唇もよく見たら歪んでいる。今まで見たことがないくらい怒っているのが分かった。

「……ほら、生徒指導室に行きますよ。」

「………はい」

しのぶに手を引っ張られながらまるで連行されるように生徒指導室へ向かった。

「……」

「……」

無言でモップを手に掃除をするしのぶが怖い。希世花は窓を拭きながらしのぶの様子を伺う。意を決して話しかけようとしたその時だった。

「……彼氏が」

「えっ」

「彼氏がいるなんて初耳ですね」

「い、いや、えっとね……」

しのぶにどう説明したらいいのか分からず言い淀んでいると、それに構わずしのぶが言葉を続けた。

「別にどうこう言うつもりはありませんが、テスト前なのにデートとは、少し気が緩みすぎでは?そんなだから体の調子もおかしいんじゃないですか?」

「……」

「で、誰です?名前は?」

「え?」

「あなたの彼氏。どこの誰なんですか?」

「……か、彼氏じゃなくて」

「あら、デートしてたんでしょう?」

「い、いや」

「私に教えてくれないなんて水臭いですねぇ」

しのぶがグイッと近づいてきた。それに思わず後ずさりする。

「し、しのぶ……」

「ほら、教えなさい。誰とデートしてたんです?」

「……」

「うちの学校の生徒ですか?」

「……」

「もしかして、今日もデートする予定ですか?それは都合がいいですね。紹介してください。是非……」

「ダ、ダメ!!」

しのぶの言葉に思わず叫んだ。

「それだけは、絶対に、ダメ!!」

あの男をしのぶに会わせるなんて冗談じゃない。それだけは、ダメだ。絶対に、それだけはーーーー、

「……っ、なんですか、それ」

しのぶが笑顔を消した。希世花は動揺しながら必死に言葉を続けた。

「別に誰とデートしようが私の勝手でしょう!?しのぶには関係ない!放っといて!!」

次の瞬間、周囲の景色が反転した。体が重力に引っ張られ、生徒指導室の大きな机に押し倒される。キョトンとしながら見上げたらしのぶが覆い被さっているのが分かった。両腕を強い力で捕まれる。

「なっ、ちょっと、何……!?」

「関係、ないなんて、よくそんな事が言えますね」

しのぶが顔を歪めながら苦々しい声を出した。

「私が、……どんな思いで今まで……っ」

「し、しのぶーー」

「どんな思いであなたを見てきたか、何も分かってない……っ、何もかも忘れたあなたをーーっ」

その言葉がグサリと心に突き刺さった。無意識に声が漏れる。

「ーーーーーーちがう」

「は?」

しのぶの顔が揺れた。それに構わず言葉を続ける。

「しのぶは、……あなたは、私を見ていない!!」

「……っ」

「知ってるわよ!気づいてないと思ってた?しのぶの中に私がいたことはない……!最初から今まで……ただの一度も!!」

「……っ、私は」

しのぶが何かを言おうとしたその時だった。

突然ガチャリと音がして、生徒指導室の扉が開いた。しのぶと希世花がそちらにパッと顔を向ける。

そこに立っていたのは不死川実弥とその弟の玄弥だった。しのぶが希世花を押し倒している姿を見て、不死川は目を見開き、玄弥は「ふぇっ……!?」と顔を真っ赤にして声をあげる。

「……」

「……」

「……」

「……」

生徒指導室を恐ろしい沈黙が支配した。数秒後、不死川が扉を素早く締める。再びしのぶと二人きりになった。

今の状況を不死川に見られたのは、もしかしなくても、かなりマズいのではないか。

希世花は真っ青になった。そして、しのぶの手を思い切り払いのけて起き上がった。

「不死川先生!!ちょっと待って!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……クソが。あいつら、後で説教だァ」

「あ、あの、あの、兄ちゃん、あのままにしててよかったの!?」

「あァ?どうしようもねェだろうが」

「どうしようもないって、……ていうか、なんで兄ちゃん、あんなところを見てそんなに落ち着いてるの!?」

「あいつらがああしてんの、前世でも見たからなァ」

「ええっ!?あの二人って、そんなに前から、あ、あ、あんな……」

玄弥の顔がますます赤くなった。不死川の方は「うちの弟に刺激の強いもん見せやがって……」と顔を引きつらせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※不死川 玄弥

兄から呼び出され、数学のテストの事でいろいろ言われるんだろうな、と覚悟しながら生徒指導室に入ろうとしたら、とんでもない光景を目撃した思春期少年。あまりにも混乱して数日間頭がグルグルしており、テスト勉強に集中できなくなった。テストでとんでもない点数を取ってしまい、兄から怒られる事になるが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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