彼女が街にやってきた   作:なんじょ

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 ごう、と風が巻く。刺さるような風は時期はずれに冷たく、英霊となったこの身にも寒いと錯覚を起こさせるほど――否、それは気温によるものではない。身が凍るほどの冷気を感じるのは、その風の中に混じる、数多の憎悪と殺気の為だ。

「――以前よりも数を増しているな」

 自身の巣といってもいいほど通い慣れたビルの屋上で、アーチャーは眼下の街を見渡して呟いた。何度も繰り返していくうちに、少しずつ積み重なる記憶の澱。それをかき集めて見比べた時、四日目の街を浸食する黒い影の集団は、確実にその数を増やしていた。

(このままでは、全て飲み込まれてしまう)

 自身が守っていた橋を突破された今、黒の侵攻は速やかに広がりつつある。それはやがて街を覆い尽くし、何もかも影のうちに沈めてしまうだろう。もしそうなった時、いったい何が起きるのか……。そこまで思考を巡らせた時、

「ねぇ、アーチャー。七海は見つかった?」

 暗い物思いを裂いて、凛の声が耳に届いた。ハッと脇を見下ろすと、下から吹き上げる風に黒髪をなびかせ、真剣な表情で暗闇の街を見つめる元マスターの姿が目に入る。

「いや、まだだ。凛、彼女は行き先を告げてはいかなかったのか?」

 問えば凛は苛立たしげにかぶりを振る。

「目的地が分かれば最初からそっちに向かってるわよ。手紙にはそんなこと何も書いてなかった」

「……だろうな」

 そうでなければ、鷹の目を当てにした探索などという非効率的な手段を、凛が選ぶはずはない。アーチャーは再び視線を戻し、少女の姿を求めて意識を集中した。

 

 記憶喪失の少女が姿を消した。後に手紙だけを残して。

 アーチャーは実物を読んでいないが、凛によればその内容は、記憶が戻ったので元の場所へ帰る、という断固たる意志表示がなされていたという。

 大変面倒をかけたのに恩返しもしないまま出て行くのは申し訳ない、けれど顔を見たら行きにくくなるから、とすまなそうに締めくくったその手紙。

 そばには、彼女が凛から借りたワンピースがきちんと畳まれ、部屋も隅々まで綺麗に片づけられていたらしい。

 その整然さから、これは覚悟しての事だと凛は察した。普通であれば、一方的な別れに怒りながらも、彼女が納得しているのなら仕方ないと、後を追うようなまねをしなかっただろう。

 だが折悪しく、その日は「四日目」だった。

 この街に訪れる、繰り返しの夜。

 夢の終焉はいつも同じ、街の中から生きているものが消え去り、代わりに影から生まれ出たような不気味な存在があちこちから沸いて出てくる。

 それは無差別に人を襲うものではない。彼らには彼らの、明確な獲物が存在するらしく、危害を加えなければこちらへ敵意を向けはしなかった。だが、

(彼女は以前、あれに追われていた)

 うっすらと残る記憶の層にその情景を見いだし、アーチャーは顔をしかめた。

 影の群は懸命に逃げる少女を執拗に追い回し、彼の投擲で追い散らされてなお、その黒い手を彼女へ伸ばして捕らえようとしていた。

(しかも最後は奴らではなく、私が彼女を……殺した)

 その逃走劇の果て、衛宮士郎ごとその細い体を、自身が放った剣で貫いた朧気な記憶が蘇る。途端、口の中が苦くなるような感覚に唇を歪めながら、

(……理由はどうあれ、あの連中に狙われている身で単独行動をするなど、迂闊にも程がある)

 アーチャーは少女の無謀を責めた。

 もし彼と同じように、繰り返される街の記憶が薄れていて、少女が影に襲われた事を忘れていたとしても。一歩外に出てあれを目にすれば、危険な存在だという事はすぐ察知出来るだろう。

 元の場所とやらにどうしても帰りたいというのなら、凛、衛宮士郎、間桐桜……誰でもいい、彼女より優れた誰かに助けを求めようとしなかったのか。

(俺とて、呼ばれれば、手助けしてやろうという気になったかもしれないのに)

 ちっ、と小さく舌打ちして、アーチャーは拳を握りしめた。

 眼下の街はすでにほとんどが影に飲まれ、さながら闇の海のようだ。

 おぞましいほどの憎悪を叫びながら、それでいて音もなく刻々と浸食していき、もはや街の明かりは数えるほどしか見えない。このビルも、遥か下方の地面から壁を伝って、影がじわじわとこちらへ向かってきているのが目に入った。

「凛。そろそろ限界だ。これ以上の探索は諦めた方が良い」

 しゅん、と音を立てて掌中に弓を生み出し、アーチャーは進言した。

 少女の事は彼とて案じている。街が闇に飲まれたこの有様ではもはや生存は望み薄だろうと理性で断じながら、それでも目は彼女の姿を求めて彷徨ってしまう。

 だが、このまま何もせずに、影に屈するのは御免だった。いずれまたこの夜が時の流れから切り離され、目を覚ませば最初の一日目に戻っているのだろうけども、せめて一矢報いたい。

「っ……」

 凛もまた、状況は理解している。一際愛情深い彼女にしてみれば、自分が世話をしてきた少女の安否を確認するまでは、何も手に着かない気分だろう。

 それでも凛は唇を噛みしめた。先のアーチャーと同じようにぎゅっと、肌が白くなるほど拳を強く握りしめ、

「アーチャー……」

 断腸の思いで、撤退を口にしようとした、その時。

 ……ドンッ……!!

 彼方より空地の震えが伝わり、黒の海がざわめいた。

「!?」

 咄嗟に振り向いた先、街の外れの方で鷹の目が捕らえたのは、影の山だった。

「何だあれは……」

 街は凪いだ海のようにどこもかしこも平坦な黒に埋め尽くされている。

 なのにその場所だけ、影がむくむくと縦に伸び上がって不安定に揺れていた。その山の周りはまだ辛うじて飲み込まれておらず、まるで影に抗するように、ぼんやりと輝きを放っている。

「あれは……教会? アーチャー、何か見える? なんだかあそこだけ力場がおかしいわ」

 影の山を同じく視認して、凛が魔術師の目を凝らす。アーチャーは更に集中して、白々と輝く教会を凝視し――その前の広場に立つ、少女の姿を見いだした。

「凛! 彼女がいるのはあそこだ! 行くぞ!」

「えっ……わきゃあっ!?」

 発見した途端矢も楯もたまらず、凛の返事も待たずに、小脇に抱えてビルの地面を蹴る。

 びゅお、とむち打つように襲いかかってくる風の抵抗を振り払うように、アーチャーは前へ前へ、凛の抗議も何のその、光もかくやとばかりに教会へさして跳び――たどり着いたその目の前。

「……な、七海っ」

「え? 凛……に、アーチャー!?」

 空中から眼前に降ってきた二人に、少女が驚いて硬直した。

「君は……無事か。怪我はしていないようだな」

 その頭から足下までを素早く見て取り、アーチャーはほっとする。

 少なくとも見た目で怪我は見受けられない。しかもこれだけ異常な事態を目にしながら、動揺していないようだ。初めて会った時と同じ、ブレザーの制服を纏った少女は目を瞬かせ、

「あれ、えっと、私は何ともないけど……大丈夫? 凛」

 高速移動でGにやられ、激しくせき込む凛をのぞき込む。

「だ……大丈夫とか……それ、こっちの台詞……」

 アーチャーの支えがなくなった途端、地面にへたり込んだ凛は、涙目で彼女を見上げ――ハッと目を見開いて叫んだ。

「七海、危ない!」

「!」

 いつの間に忍び寄ってきていたのか。柱のごとく積みあがった黒い影が少女の頭上にその触手を掲げていた。

 それは凛が警告を与え、アーチャーが刀剣を手に切りかかるよりも素早く少女の腰にからみつき、ぐんっと自らの方へ引き寄せる。

「あっ!」

 足が地面から離れ、少女はあっと言う間に影の中へつっこんだ。どふっ、と重たい衝撃音の後、

「くっ……あ、や、めて……じゃ、ま、しないでっ……」

 逃れようともがく少女をあざ笑うように、ずぶずぶとその体を飲み込み始める。アーチャー! という凛の呼びかけがかかるより先に、彼は疾風となって影に迫り、

「彼女を離せ、化け物が!」

 白刃を閃かせて影を切り裂く。ぬるり、とした気色の悪い感触と共に少女を捕らえる影は切り落とされ、

 ――捕ラエテ 閉ジコメテ ナブリツクシテ 全部全部 夢ノ中――

 その接触した部分から腕を這い上がるように闇の意志が伝わってきて、アーチャーは吐き気を覚えてたたらを踏んだ。

 ――許サナイ 誰モ彼モ 埋没シテイクダケ 死ニ至リ腐リ落チテ 眠リノソコデ永遠ニクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシクリカエシ……

「……アーチャー!」

 怨嗟の渦に飲み込まれる。その刹那、切実な、すがるような、叱咤するような声が彼を覚醒させた。

 はっとして目を向けると、未だ黒の枷に捕らわれたまま、まっすぐな瞳でこちらを見据える少女――七海と視線が合う。そしてその唇が微かに開き、

「――release_mgi(a)」

 耳慣れない『詠唱』を囁いた次の瞬間、

 ドンッ!!

 周囲の闇が、暴力的なまでに眩しい光によって、いきなり一掃された。

「うっ!?」

 それはアーチャーの視界を灼き、しかも間近で爆発した膨大な魔力の塊に、霊子の一つ一つが揺るがされ、現世における存在さえ吹き飛ばされそうな程の衝撃波を生み出した。

 思いも掛けない攻撃に、しかしアーチャーが踏みとどまれたのは、七海が彼の腕をしっかりと掴んでいたからだ。

(これは……シールド?)

 まだ視力が戻らないながら、魔力の流れは感じ取れる。

 致命的なダメージを受けるより前、七海が彼に触れて、衝撃から身を守るための防壁を施したようだ。しかしこのシールドも、そして先ほどの衝撃波も――彼女程度の魔術師でなせる技ではない。

「あ、アーチャー……平気? ごめん、うまくコントロール出来なくて、加減間違えた」

 少しずつ見えてきた視界の中、七海が彼を心配そうに見上げているような仕草をしている。目の間を指で押さえ、アーチャーは心配ない、と答えた。が、

「私の事より……今のは何だ? どうやら周りの連中を吹き飛ばしたようだが、君の力なのか。君はいったい……」

 何者なのか。改めて疑心に駆られ、強い口調で言い募ろうとした時、

「ちょっ……、な、七海? あんた、何でそんな風になってるの!?」

 突然凛が素っ頓狂な声を上げる。何事かと振り返ると、まだ白がちらつく中、凛がこちらを指さして、驚いているのか、笑いたいのか困っているような顔で震えていた。

「凛、落ち着きたまえ。今彼女に話を聞く――」

 から、と顔を前に戻したアーチャーは、そこで絶句してしまう。

 見下ろした先。彼の腕に手を添えた少女。栗色の髪を長くのばし、茶色のブレザー制服を来ていたはずの彼女はしかし、今。

 

 体にぴったりとまとわりつく、黒いインナー。足下まで伸びる赤い外套。その細い足を執拗なまでに縛り付けるベルト。

 

 その、あまりにもよく見慣れた、自分以外着るはずもないアーチャーの礼装を――少女は何の前触れもなく、頭から足下まで、きっちり身につけていたのである。

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