月の聖杯戦争の全容といっても、七海は何もかも語った訳ではない。その全てを事細かに説明しようと思えば、時間がいくらあったところで足りないだろう。という訳で、色々かいつまんで話をしてくれた。
記憶を失ったまま、いつの間にか聖杯戦争に参加する羽目になった事。
学校生活を装った予選で危うく死にかけたところ、召喚されたサーヴァントに救われた事。
不確かな自身の有り様と、命懸けで戦う事に戸惑いながら、トーナメント形式の試合を辛うじて勝ち上がっていった事。
その中で自身の正体――あちらの世界の地上で命を落とした少女の記録を、忠実に再現したNPCが自由意志を得たという事……。
「えぬぴーしー……って何?」
聞き慣れない単語に、難しい表情をする凛へ、七海が補足する。
「NPCはある決まった行動をプログラミングされたもの、っていったらいいかな。
ムーンセル……さっき言った月のスパコンの名前だけど……ムーンセル・オートマトンは聖杯戦争の運営を行うスタッフとして、実在の人間のデータから姿形、更にその中身までコピーして、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)を作り出して、それぞれの役割に応じて配置しているの」
「……じゃあ、七海、あなたは元々、そのムーンセルに作られたNPCで……」
人間じゃないの。おそらくそう言い掛けて、凛は口ごもった。七海はふわりと笑い、頷く。その表情に屈託はないが、
「……とても、そんな事は信じられん」
アーチャーは動揺のあまり呻いてしまう。
今ここにいる彼女は、確かに生きた人間そのものだ。何度かその体に(やむなく)触れた事があるけれど、その感触は、温もりは、決して作り物のそれではなかった。
「それは当然だ。彼女はこちらへ来る際、霊子変換を経て、その存在を固定化されている。霊子データのままでは、世界線を越えたところで、そのまま消滅していただろう」
後ろで手を組んだ神父が訳知り顔で述べる。よく分かんないけど、とコンピューターアレルギーの凛が苦虫を噛み潰したような顔をしつつ、念を押す。
「要するに、今の七海は私たちと変わらないってことでいいのね?」
「そうだ」
「……なぜそう断言できる? 言峰綺礼、貴様はどうやらムーンセルとやらのシステムについて一見識あるようだが、どうしてそれほど詳しく知っている」
断定的な物言いが気になって問いを投げると、神父は軽く肩をすくめ、
「なぜなら私もまた、それに関わっていたからだ。もっとも挑戦者ではなく、監督NPCとしてだが」
「え? じゃあ、七海だけじゃなくて、綺礼まで月から来たっていうの?」
話が進むにつれ、ますますこんがらがってくる。頭を抱えた凛に代わってアーチャーが話を続けた。
「貴様が彼女と同じく、我々の世界に紛れ込んだのだとしたら、ここにいた言峰綺礼はどうなったのだ? 成り代わっているのか、同一存在として認められているのか……」
「それもまた、事が面倒になってる要因だな。――よっと」
背もたれに乗っていたランサーは身を翻し、神父の前へと移動した。そして突然、
「ふっ!」
鋭い呼気と共に掌中の槍を目にも留まらぬ速さで、男に向かって突き出す。躊躇のない本気の一撃は、神父の胸元へ引き寄せられるように打ち込まれ――だが、その一瞬。
微動だにせず槍の突進を見つめていた神父の姿が、宙に溶け消えた。いや、それだけではない。
それまで清浄な空気に満たされた教会が一転、荒れ果てた建物となって目の前に現れた。主を失い、役目を無くした神の家は、窓ガラスが割れ、扉も半分無くなってほこりが降り積もり、もはや見る影もない。
「何っ……」
「え、どうして……!」
アーチャーと凛の驚嘆が重なり、しかし瞬きの刹那に、
「……とまぁ、こういう正体(こと)だ」
槍を収めたランサーの声で、再び彼らは元の教会を目にしていた。声を失うアーチャー達にニヤッと笑って、ランサーは再び長椅子の背に上った。正面の腰掛けに足を乗せて言う。
「こっちじゃとっくの昔に、神父も教会も無くなってる。さっき言ったろ? あんたらが今見てるのは、夢幻みたいなもんだって」
「……っ」
そう――そうだ。なぜ、こんな大事なことを忘れていたのだろう。
先の聖杯戦争で、言峰綺礼は衛宮士郎に破れ、死んだ。かの男が死した後、この教会は放棄され、何の手入れもされないままになっていたはずだ。
「私の正体を語るために、わざわざ槍を向ける事はないだろう、ランサー。肝が冷えた」
だが神父は変わらず、そこにいる。泰然自若と立ったまま、のんきにランサーへ苦情を申し述べている。そっぽを向いて舌を出す槍兵からこちらへ顔を戻し、
「ともあれ、これで分かって頂けたかな。私は言峰綺礼だが、この世界にかつて存在した言峰綺礼とは別の存在だ。
こちらでの出来事は記録として知ってはいるが、実感にはほど遠い。私はこの街での言峰綺礼のデータを忠実に再現しているただのNPCに過ぎないのだよ」
淡々と説明する男を前に、アーチャー達は口をつぐんでしまった。
自身の記憶の中で、言峰綺礼は確かに死亡している。だが、目の前の神父は、データに過ぎないと言ったところで、無視できない存在感があった。
「……じゃあ、あんたもその、霊子変換? とかで、実体を持つようにされたわけ?」
顎に手を当てて考え考え、凛が言う。そうだと首肯し、神父は続いてかぶりを振った。
「しかし私は、七海君とはいささか立場が異なる」
「というと?」
「七海君――彼女はこちらの世界では普通の人間と全く同等の存在だ。心を有し、肉(からだ)を持ち、君たちと寝食を共にするような、ごく普通の生活を送れる。
だが私は違う。私は基本的に、この教会から離れる事は出来ない」
また不可解な話だ。アーチャーは眉根を寄せ、
「私が彼女と初めて会った時、貴様が連れだっていたと記憶しているが。あれはここから離れた町中だったぞ」
と、神父はつかつかと通路を進み、長椅子の列に割り込んだ。七海の後ろから屈み込み、その肩にぽんと手を置く。
「あの時は彼女が同道していたからだ。私は彼女の許可なく、この場を離れられない」
「え、そうなんですか?」
七海も初耳らしく、目を丸くしている。神父はそれを見下ろしてふっと笑った。
「当然だ。何しろ私は君によって、こちらの世界へ具現化したのだからな」
「……どういう事なの。七海には世界を越えて、しかもあんたを再現出来るほどの力があるっていうの?」
勿体ぶった物言いに、凛がイライラと床を足で叩き始める。落ち着きたまえ、と背を伸ばした神父はゆっくりと面々を見渡し、厳かに告げた。
「その通りだ。彼女は月の聖杯戦争における最終勝利者であり――今まさに、聖杯と繋がっているのだよ」