彼女が街にやってきた   作:なんじょ

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 アーチャーは途中から霊体化して、神父達の後をつけた。無論その尾行に気づく事なく、奇妙な二人組は真っ直ぐ、教会へと帰路を辿っていく。

(教会の信徒、なのか? それなら神父と顔見知りなのも分かるが)

 二人が教会の中へ入っていったところまで見届けたアーチャーは、広場の端で実体化して腕を組んだ。

 何となくここまで来てしまったが、慎二のように神父が無礼な真似をしたわけでもない。そもそもアーチャーには、名前も知らないあの少女にこだわる理由もなかった。

(時間の無駄だな。帰るか)

 そう思ったところで、

「お、珍しい顔だな。こんなところで何してんだ、アーチャー」

 目に痛いアロハシャツに青髪の男がふらふら近寄ってきた。面倒な奴に見つかった、と顔をしかめながら、

「何もしていない。たまたま近くを通りかかっただけだ」

 さらりとかわそうとしたが、

「へぇ、そうかい。俺にゃあ、神父と嬢ちゃんをつけてきたように見えたがな」

 あっさり見破られてしまう。おのれ、どこから感づいていたんだ、この青犬め。チッ、と舌打ちしたアーチャーは開き直る。

「見たことのない顔があったものでな。今、この町で起きている異常に貴様も気づいているのだろう?」

「あぁ、坊主がそんな事言ってたな」

「私はその原因を探している。常とは違うもの、しかもあの神父が関わっているとあれば、気にしてしかるべきだろう」

 ふーん、と気のない様子でランサーは相づちを打った。この男は現状に順応するだけで、異常を打破するつもりが一切無いらしい。こりこりと顎をかきながら、

「まぁそりゃ道理だけどな。あの嬢ちゃんはたぶん、関係ないんじゃねぇかな」

「ほう。その根拠は?」

「ん? そりゃ俺の勘だ」

「……話にならん」

 獣じみたこの男と理論立った話など、出来るはずもない。げんなりため息をつくアーチャーに、ランサーは肩をすくめた。

「俺の勘はバカにしたもんじゃないぜ? 大体あの嬢ちゃんは確かに魔術師だが、素人もいいとこだろ。こんな大それた事が出来るとは思えねぇな」

「……ふむ」

 なるほど、それは確かだろう。

 先ほど顔を合わせた時、アーチャーは彼女に魔術師ならではの匂いをかぎ取ったが、それは慎二と大差ないほど微かなものだった。もとより才能がないのか、未覚醒なのかは分からないが、少なくとも今の状態で、大規模な魔術をなせるはずがなかった。

(では、やはり無関係なのだろうか。……いや、わからんな)

 力がないからといって、異常事態に関わりないとは限らない。本人の気がつかないところで何らかの触媒にされている可能性もある。

「そもそも、彼女は何者だ? あの神父の知り合いなのか」

 思案しながら問いかけると、花壇に水をまきながら、槍兵は首を振った。

「いんや。あの嬢ちゃんな、昨日教会の前に倒れてたんだよ。何でも記憶喪失らしくて、自分の事も何も、全然覚えてないんだと」

「記憶喪失……だと?」

 予想外の答えに、顔がこわばる。

 自分自身でも素性の分からない来訪者。それではますます怪しいではないか。記憶喪失が嘘にしろ本当にしろ、今この時に、都合良く現れるというのは……

「……なるほど、分かった。とりあえず今日は失礼する」

 ひとまず凛に報告をしたほうが良さそうだ。教会に背を向けてすたすた歩き出すアーチャーに、

「おーぅ、遠坂の嬢ちゃんによろしくな。今度プールに行こうって伝えておいてくれや」

 ランサーがきわめて呑気に見送りをした。誰がそんな言葉を伝えるものか。

 

 

 

「――綺礼。あなたのところにお客様が来てるって聞いたんだけど」

 次の日。アーチャーから情報を得た凛はさっそく教会を訪れた。

 彼女を出迎えた神父は、ほう、と嫌な笑みを浮かべる。

「ずいぶんと情報が早いことだな、凛。いずれ君には連絡しようと思っていたが」

「あら、それならさっそく紹介していただけるかしら? 兄弟子のお客様なら、私もきちんとご挨拶しておきたいのよ」

「殊勝な事だな。何かたくらんでいるようだが――まぁよかろう。呼び出す手間が省けた。少し待て」

 たくらんでいるのはそっちじゃないのか、と心中で舌を出す凛。それを見抜いているのか否か、微笑した神父は礼拝堂から奥へ引っ込み、しばらくして、一人の少女を連れてきた。

(ふぅん……確かに、普通のどってことない子にしか見えないけど)

 さっと全身を見渡す限り、どこにも際だったところのない少女だ。違和感があるとすれば、見覚えのないブレザーの制服くらいで、後はどこにでもいそうな、平凡な容姿。

「凛。こちらが、私が保護しているお嬢さんだ。気の毒な事に、記憶を全て無くしているらしく、自分の名前さえ分からないらしい」

 黙っている少女に代わって、綺礼が紹介する。名前も分からない? それはまた、かなりの重症だ。落ち着かなく視線が泳いでいるのは、記憶が定かではない不安ゆえだろうか。

「……初めまして。私は遠坂凛と申します。この冬木の管理を任されておりますので、何かお困りのことがあれば、何でもご相談ください」

 ともあれ相手の出方を見なければ。凛はすかさず猫の皮をかぶり、にこやかに挨拶をする。と、不意に少女が顔をあげ、

「トオサカ、リン……?」

 何やら片言に、呟いた。は、と鋭く息を飲んだのは一瞬の事で、

「……前にお会いした事、ありましたか?」

 その反応に戸惑って凛が問いかけると、少女もまた困惑した表情になり、

「あ……いえ、どうでしょう。……ごめんなさい、あなたの名前、どこかで聞いたような気もするんですけど、思い出せない」

 細々と答える。

 ――演技か、否か。判断が付かない。

 魔術師であれば、遠坂の名を聞いた事くらいはあるかもしれないが、凛はまだそこまで名を馳せた魔術師ではない。

(今のは、私の名前自体に心当たりがある感じだったけど)

 それで思い当たる節があるかといえば、ない。

 もし以前出会ってたとしても、これほど平々凡々とした少女では、何か印象的な事件でもない限り、忘れてしまうだろう。

「……というわけでな、凛。君の手が空いているようなら、彼女を世話してやってほしいのだが」

「ふーん、そう。それなら、私は別に……、……えっ? 綺礼、今何て言ったの?」

 口に拳を当てて考え込んでいる間に、綺礼は話を進めていたらしい。何か聞き捨てならない事を言われた気がする。あわてて神父を見上げると、

「だから、君に彼女の世話を依頼している」

 噛んで含めるような物言いで綺礼が繰り返したので、ちょ、ちょっと待ちなさいよ、と凛は声を高ぶらせてしまった。

「何でいきなりそんな話になるわけ? 私だって暇なわけじゃあ……」

「そうかね? 先日、衛宮士郎とプールに赴いていたようだが」

「なっ……、な、な、何であんたがそんな事知ってるのよ!!」

 一体どこで覗いていたんだこのエセ神父は! かーっと真っ赤になって噛みつく凛を、綺礼は余裕を持って受け流す。

「なに、うちの居候に少しばかり、な。今まで色気のある話の無かった君が、自分から衛宮士郎をデートに誘ったと聞いて、興味が出たのだよ。

 いや照れる事はない。私は君の成長を喜んでいるぞ、凛。亡きご両親も草葉の影で応援しておられるだろう。何しろ衛宮士郎は君の「あーもうだまんなさいこの腹黒神父!! 何なの脅しなの脅迫なの、その子を引き受けなきゃ、延々その話をするぞっていう嫌がらせなわけ!?」

 滔々と続く綺礼の話をぶっちぎり、静粛な礼拝堂に凛の怒声が響きわたる。

 少女がびくっと身を縮こまらせる横で、神父はあくまでマイペースだ。に、と嫌な笑いを口元に張り付かせ、

「いやなに、私もこれでなかなか忙しい身でね。それに、平時に魔術師を教会で匿っているというのは、外聞もよろしくない。

 彼女は見た目、凛、君と同年代のようだ。年の近い同性の魔術師がそばにいれば、彼女も少しは気が楽になるだろうし、記憶を取り戻すチャンスもあるかもしれない。

 そう思ったから、君に面倒を頼もうと思ったのだが――どうだね、凛。受けてくれる気にはなったかな」

「…………」

 ぎりぎり、と歯ぎしりする。受けなければ、さらなる嫌がらせが待っているぞ、の笑顔だ、あれは。

 この神父は一日教会にいるというのに、どうしてそんな事を知ってる? とつっこみたくなるような情報を披露してくることがあるのだが、なるほど相変わらずランサーを使っての諜報活動に余念がないらしい。

 下手に刃向かえば、またどんな武器を出されるか、分かったものではない。苦々しい思いで綺礼の申し出に答えようとした時、

「あ……あのぅ……」

 おそるおそる、声が割り込んできた。目を向けると、神父と凛を見比べておろおろしていた少女が眉を八の字にしながら、

「……遠坂さんに無理をいって、ご迷惑をおかけするわけにはいきません。神父様さえよろしければ、こちらでお世話になる事は出来ませんか。お手伝いでもなんでも、しますから……」

 申し訳なさそうにそう言い出した。どうやら、目の前で脅迫まがいに自分の身柄が引き渡されようとしていることに抵抗があるらしい。

 控えめで丁寧な口調は好ましく響いたが、凛は一瞬、妹の桜を思い出してしまった。

(……嫌だ。昔のあの子に似てる)

 衛宮家に出入りする前。間桐の家で苦渋に耐え、いつも俯いて自分の気持ちを押し殺していた桜。あれほどではないが、今目の前の少女は頼りなげで、弱々しかった。

(やめてよ。そんなの……放っておけるわけ、ないじゃない)

 記憶がない、名前がない、魔術師としての力もない。

 そんな状態の少女を、この悪徳神父の手元に置いておくなど、看過出来ようか。そこで腹をくくった凛は綺礼に向き直り、

「いいわ。彼女はうちで引き受ける」

 きっぱり言いはなった。

 え、と戸惑う少女と、それはよかった、とわざとらしく微笑む神父。

「君ならそういうだろうと思っていた。では頼んだよ、凛」

「あんたに頼まれなくても、きちんと面倒見るわよ。だから今後一切、彼女には関わらないで。あんたの悪影響を受けたら、どんな事になるか分かったもんじゃないわ。……さ、行くわよ」

 凛は神父からぷいと顔を背け、少女へ手を差し伸べる。

「……で、でも……いいんですか?」

 少女が狼狽して躊躇う。

 そりゃあ、目の前であれだけ嫌がられていたのに、突然掌を返されたら、驚きもするだろう。

 だが、もう凛は彼女を請け負うと決めたのだ。凛はいいのよ、と断固たる口調で言い放ち、

「あなたは安心してきなさい。少なくともこんなところにいるよりは、ずっと楽しく暮らせるはずだから」

 とっておきの優しい笑顔で彼女の手を取る。相手は一瞬手を引きかけたが、

「……じゃあ……よろしくお願いします、遠坂さん」

 控えめに、はにかんだ微笑みを返し、凛の手を軽く握り返す。平凡だと思った顔にふっと浮かんだのは、意外なほど可憐な笑みで、同性の凛でも一瞬どきりとするような柔らかい輝きがあった。

「り、凛でいいわよ! そんな、気を遣わなくていいんだから、ねぇ!」

 しかもほっそりした白い手の感触に、自分から差し出しておいてどぎまぎしてしまい、凛は赤面しながら彼女を教会から連れ出した。

 

 他に荷物もないというから、そのまま遠坂邸に向かう事にしたが、

(しまった。彼女が異常の原因かどうか、探るだけのつもりだったのに)

 アーチャーからくれぐれもよけいな事をしないように、と念を押されていた事を思い出した。

 ……まぁ、こうなっては仕方あるまい。

 もし彼女が事と関わりがあるのなら、神父のもとより、こっちの監視が行き届くところにいてもらったほうが、なにかと都合がいい。もし何かの切り札になり得るのなら、常日頃、そばに置いておいたほうがよかろう。

(うん。アーチャーを説得するのは、その路線でいこう)

 そう思いながらちらっと隣を見れば、少女は黙って凛についてきているだけだ。

(……やっぱり、見覚え、ないわよね?)

 そこそこ記憶力には自信があるが、この顔に見覚えはない。

 しかし少女の方は凛を見たことがあるのか、あるいは名前を聞いた事があるのか――

「そうだ、名前」

「え?」

 不意に思いついたことを口にすると、少女が驚いて顔を上げる。それで、今までつなぎっぱなしだった手をささっと離し、凛は彼女へ笑いかけた。

「あなた、自分の名前を覚えてないんでしょう? これからどのくらい一緒にいるか分からないけど、ずっと名前がないままじゃ、居心地悪いじゃない」

「あぁ、えぇ、まぁ……」

「それなら仮でもいいから、とりあえずの名前、決めちゃわない? 私も、ちょっと、とか、あなた、とか、呼んでいたくないもの」

「それは……嬉しいです、けど。でも、名前をつけるって、どんなものを?」

 問い返されて、うーんと詰まる。犬や猫を飼った事のない凛には名付けの経験はないし、そもそもペットに使うような名前では失礼だろう。かといって、無責任に思いついた物を名前にしてしまうのも、どうだろう。

「そうね……うーん、あなた、なにかこう、イメージで浮かぶものってない?」

「イメージ……ですか?」

 少女は小首を傾げる。

「そう。何かこう、親近感を持つようなものっていうか。それってきっと、記憶を無くす前のあなたに関係あるものだと思うのよね」

「と、いわれても……漠然としすぎて、ちょっと思いつかないです……」

 それはまぁ、そうだろう。記憶がないのに、何か思いつかないか、と聞く方が愚問というものだ。坂道を下りながら、凛はぴ、と指を立てた。

「……じゃあ、連想ゲームっていうのはどう?」

「え?」

「だから、連想ゲーム。色とか、物とか、何でもいいからあなたがそれから連想するものをあげていったら、何か手がかりがあるかもしれないわ。まぁ物は試し、お遊びと思ってちょっとやってみましょ」

 

 そうして帰る道すがら、凛は名前のない少女とゲームに興じた。

 少女がはじめに発見されたという教会から、白、雪、冷たい、アイス、甘い……と互いに思いつくまま言い合っていく。

 そのうちに分かってきたことだが、この少女は記憶を全て無くしたといっても、一般的な常識範囲内の事はきちんと覚えているらしい。

 たとえば、信号や車といったものがどういった役割のものか、そういった事についてはすらすらとよどみなく答える。だがそこで、車に乗った事があるのか、どこかに出かけた事は、と問いかければ、途端に答えに窮してしまう。

(どうやら完全に、自分に関する記憶だけ無くしてるみたいね)

 信号、青、と連想を綴りながら凛が少女の状態を確認していると、不意に相手がぴたりと足を止めた。数歩前に進んでいた凛が、どうしたのだろうと振り返ると、

「青……海……海……七つの、海……?」

 それまで、控えめながらもしっかり喋っていた少女が、ぼんやりと視線をさまよわせていた。これまでとは明らかに違うその反応にぴんと来て、凛は駆け戻り、肩をつかむ。

「ちょっと、何か思い出したの!?」

「えっ? あ、……あれ……私、今何て言ったっけ?」

 やや混乱しているのか、敬語も忘れて少女は困惑気味に額に手を当てる。駄目だ、また元に戻ってしまったらしい。よけいな刺激を与えてしまったかと反省しながら、凛は彼女の目を見つめる。

「今あなた、海って言葉に反応してたわ。七つの海、そういってたけど、覚えある?」

「七つの……海」

 難しい顔でしばらく考え込むが、やがて嘆息とともにふるふると首を振る。

「駄目です……何でそんな事言ったんでしょう」

「ん……そっか。でも、無意識に出てきたって事は、きっとあなたの無くした記憶に関わってるワードのはずだわ。良かったじゃない、少しでも手がかりが出来て」

 意気消沈する少女の背を、景気付けにばしんと叩く。わっと前のめりになりながら、少女は固くなった表情を緩めて、

「そう……ですね。ありがとうございます、凛。そういってもらえると、気が楽になれます」

「いいわよ。あと、その敬語もやめて。見たところ私とそう年がかわらないんだし、そんな風に話されると落ち着かないわ」

「あ、はい……じゃなかった、うん。分かった、普通にするね。その方が、私も助かる」

 どうやらゲームをやっているうちに、だいぶ緊張がとけたらしい。すんなり敬語をやめた少女によしよし、と頷いて、凛は自宅の敷地へと足を踏み入れた。うわ、大きなお屋敷、と目を丸くする少女に振り返り、

「そうだ。あなたの名前、七海(ななみ)っていうの、どう?」

 七つの海で、七海。ふっと思いついた名前だが、

「七海……七海、かぁ。うん、いいと思う」

 少女あらため、七海はふわ、と笑って頷いた。それがまた、ついどきりとしてしまうような暖かい微笑みだったものだから、

「そ、そう! 気に入ってもらえたのなら、よ、よかった!」

 何でか急にあわててしまい、凛はドアに向き直って深呼吸した。どうしてだか分からないが、彼女の、七海の笑顔は、妙な破壊力がある気がする。

(いやだ、私、そっちのケはないと思うんだけど)

 何だか妙にドキドキする胸を押さえて、凛はひとまずドアの解錠に意識を向けたのだった。

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