箱に入って一時間。外の世界ではすでに一日経っているはずだが、脱出策が見つからない。
「どうしてこうなった……」
「衛宮君があのステッキを放さないからじゃない、もう」
独り言に答えたのは、自分と並んで暗闇の中に座っている、遠坂凛だ。
箱の中は息苦しいというほど狭くはないが、広々としている訳でもないので、必然、凛と肩を並べ、息がかかるほど近くにいる羽目になるのが、今の士郎には拷問にも近かった。
何しろ遠坂凛は、ひそかにずっと憧れていた少女なのだ。
その清楚な立ち居振る舞いに見とれる事三年間。
聖杯戦争で敵マスターとして対峙してからはそのはっちゃけた中身にずっこける事も、一度や二度ではなく、猫かぶりも大概にしろ! と苦情を申し立てたくもなるが……しかし、そういう面も好ましい。好ましいから、こんな密着した状態は、非常に、困る。
「ええと……何か脱出の手がかりになるものはないかな」
動揺を見破られる前にと、ごそごそ辺りを探る。
ここで再度ステッキに手が当たったが、これは遠坂にポイ捨てされた。どうやらずいぶん嫌な思い出があるようだ。だがまぁ、内側から力でこじ開けるのは不可能と分かったので、ステッキでは何の役にも立つまい。
そう割り切った士郎の手に今度当たったのは、
「携帯電話? 何だ、こんなものがあるなら、最初から使えばよかったのに」
「う……そ、それはその……え、衛宮君、とにかくそれで助けを呼んで頂戴」
「いいのか? 俺が使っても」
女の子の携帯なんて爆弾、取り扱っていいものだろうか。迷いながら二つ折りのそれを開いて、とりあえず知ってる名前が無いか、アドレス帳を覗いてみる……が、
「……アドレス帳ゼロ件……もしかして遠坂、使い方分からないとか……」
「い、いいから! 早くそれで電話かけてよ!」
想像以上に遠坂は機械音痴のようだ。なるほど、いらないもののように箱の中に放り込んでおくわけだ。
とりあえず知っている番号にかけてみる……が、事は魔術が関わっているため、一般人の知り合いには声をかけられない。
家にかけてみたが居るのは藤ねえばかり、他にも思い当たるふしにかけてはみたが、途中で妙な混線したり、話が通じなかったりで、結局誰にも助けを呼べなかった。
「うう、こんな事なら、桜に携帯電話を持たせておけばよかった」
「もう……どうするのよっ!」
元はといえば遠坂のせいでこの箱に入り込むはめになったようなものだが、閉じこめられた時間が長すぎて、もはや苛々が頂点に達しているらしい。遠坂の尖った声にそんな事言われても、と気弱に呟いた時、
ピリリリッ……ピリリリッ……
突然手中の携帯電話が鳴り始めた。
(しめた、誰か電話をかけてきてくれた!)
遠坂に電話を寄越す相手はクラスメイトの可能性が高い気がしたが、もはや藁にもすがる思いだ。士郎は通話ボタンを押し、
「もしもしっ!」
と勢い込んで出てみた。と、
『あ、アーチャー? 今どこにいるの? ちょっと目を離したら、すぐ居なくなっちゃうんだから』
耳に飛び込んできたのは、聞き慣れない少女の声だった。
「え? アーチャー? って……」
見知らぬ相手が聞き慣れた名を口にしたので、士郎は虚をつかれてしまう。目を瞬いている内に向こうは何か勘違いしたらしく、
『え? じゃないってば。この後、凛の家にいかなきゃいけないんでしょ? 遅刻したら大目玉食らうの私なんだから、早く行こうよ』
「いや、行こうよって言われても……」
遠坂の家に行く、という事は、やはり友人なのだろうか。そう思ったが、隣で通話を盗み聞きしている遠坂は、知らない知らない、と首を振ってみせる。
「ええと、今どこに居るんだ?」
『駅前の交番前。はぐれたらここに行けって言ってたよね。アーチャーまだ来てないみたいだから、電話したんだけど、本当に今どこに……』
『マスター、ここに居たか』
「!?」
電話の向こうから更に聞こえてきた声に、思わず目を見開く。そんな馬鹿な。だが、この低い声は間違いなく、
『……あれ? アーチャー? え、何で?』
『何でもなにも、雑踏では手を離すなと言っておいただろう。全く、君は迷子の天才だな。どこにいっても必ず行方不明になる』
『か、必ずじゃない! 今回はアーチャーが包丁の実演販売に夢中になってたせいじゃないっ! って、あれ、それじゃあ……』
沈黙。やがて照れ笑いを含んだ声で、
『ごめんなさい、間違い電話しちゃったみたいです。すみませんでした』
ようやく誤解に気づいた少女が謝罪してくる。
「あぁ、いや、それはいいけど……」
『お騒がせしました。失礼します』
君は誰なのか。それを聞こうとした時、向こうからぶつん、と電話を切られてしまった。
「今の……何だったんだ? アーチャーがマスターとか呼んでたような……」
「……聞き間違いじゃないの? アーチャーが誰かと契約したなんて話、耳に入ってないし」
遠坂と顔を見合わせ、首を傾げる。
ともあれ、ここから抜け出すのに、この携帯電話はもう役に立たないようだ。バッテリーもとっくにからになってるし。……あれ? それなら今の電話はどうやってかかってきたんだ?
「……まぁ、深く考えるのはよしましょう。それより現実的な脱出手段を考えなきゃ。そろそろ皆も私達がいない事を怪しんでるだろうし」
遠坂は気持ちを切り替え、他に役に立つものがないか、ごそごそ探し始めている。
「そうだな。藤ねえが心配して暴れてるかもしれない」
そうなったら組の男衆まで出てきて、大騒ぎになりかねない。早く脱出せねばと士郎も箱の探索を再開した。暗闇を探る中、手の中に握ったままの携帯を見下ろし、ふと思う。
――確実に知らない人だった。なのにどうして何となく、懐かしい気がするんだろう。
もう少し色々話が出来たら良かったのに。
士郎は胸にこみ上げてくる温かい思いに、自分でもよく分からないまま、ふと微笑を誘われたのだった。