彼女が街にやってきた   作:なんじょ

4 / 21
4

 アーチャーは不機嫌だった。

 衛宮家の屋根の上に座り、暮れなずむ空を眺め続けて一時間。

 いつこの場を去ろうかと何度も考えたのだが、もし約束をすっぽかしたとあっては、凛が怒り心頭になるだろう。そうなっては後のフォローが面倒過ぎる。その苦労を思えば、今少しばかり我慢したほうが、まだ割に合う気がする。

(全く……凛のおせっかいは治らんな)

 彼の不機嫌の理由はひとえに、凛にある。

 この異常事態の手がかりかもしれない少女、しかも聖杯戦争についての知識がある魔術師とくれば、用心してしかるべきだろう。

 かといって相手にむやみな警戒をさせてはと思い、アーチャーは凛に後を任せた、のだが。あにはからんや、元マスターは少女を引き取り、名前までつけ、衛宮家に引き込んでしまった。

(外敵になりうるかもしれんというのに、わざわざ自分から懐に入れてどうする)

 凛は神父のもとより手元に置いた方が監視しやすい、と尤もらしい事を言っていたが、あれは絶対そんな理由で引き受けたのではない。

 かつて衛宮士郎を敵と見なしながら、結局はずるずると仲良しごっこを続けてしまった前例を見ても、遠坂凛は魔術師然としながら、骨の髄までお人好しなのだ。

(私が対処すべきだったか。判断を誤ったな)

 記憶喪失のか弱い少女とくれば、凛の保護欲を刺激するのも当然だ。あそこで身を引かず、己が接触すればよかった――と思ったが、アーチャーはあの少女に何となく近寄りがたいものを感じている。

(……やはり、帰るか)

 夕食の後に七海と会え、となかば命令じみた伝言を受け取って来てはみたが、気が進まない。

 凛も今はマスターではないのだし、本来は指示に従う必要はないのだ。後が面倒極まりないが、帰ってしまおうか。

 そう考えて、腰を上げかけた時。屋敷の中から、庭に人影がててっと出てきた。

 ふわふわした髪の見慣れないシルエットは、間違いなくあの少女のものだ。

(やれやれ。出てきてしまったか)

 きょろきょろ辺りを見回しているのは、こちらを探している為だろう。凛越しの伝言には外で待っているとしか言わなかったので、まさか屋根の上で待機しているとは考えもすまい。

 姿を見てしまうと、見て見ぬ振りも何となくやりづらい。アーチャーはひとつため息を漏らすと、

「ふっ」

 立ち上がって屋根を蹴り、庭へと降りたった。

「わ!?」

 ザッと少女の前に着地すると、驚きの声と共に相手が飛び上がる。まさか上から振ってくるとは思わなかったのだろう、目を丸くして硬直している。

 アーチャーは背筋を伸ばして彼女に対すると、腕を組んだ。

「君が私に話があるというので来てみたが――用件は何かね。手早く済ませたまえ」

 こうなったら長居せずにとっとと帰ろう。そう決めていきなり切り出すアーチャーを見上げた少女、七海は、制服から凛の服に着替えていた。

 フリルブラウスに深紅のワンピース、黒のニーソックス。以前凛がそれらを着ているところを見た事があるが、印象がだいぶ異なって見える。凛はシックで大人びた雰囲気を醸し出していたが、七海の場合はなぜか人形を思い起こさせた。

 それは生気のない飾り物のようというわけではない。触れたら壊れてしまいそうな繊細さ、少女らしい瑞々しさが顕わになり、何となく丁重に扱わねば、という気分にさせられるのだ。制服の時より更にか弱い感じがするのは、凛よりも華奢な体つきをしているせいだろうか。

 いや、やせてはいるが、襟刳りの深いワンピースの胸元は意外と――

(……なぜ私は見とれているんだ)

 あらぬところまで鷹の目で観察している自分に気づき、アーチャーはぱっと視線を上向かせた。おかしい、どうもこの少女を前にすると、自分では意図せぬ行動をとってしまう。どうしてこんなに、調子が狂うのか。

「あ、あの、用件ってほどじゃないんだけど」

 幸い彼の動揺に気づいていない七海は、まだ驚きの余波を表情に残したまま口を開く。

「この間助けてもらったお礼、ちゃんとしてなかったから」

「それはあの時聞いたと思うが」

「そ、うだっけ?」

 確かに礼を言っていたのだが、覚えていないらしい。でも、と頭を振り、

「その後も、アーチャーが凛に声かけてくれたんだよね? おかげで私、ここに置いてもらえるようになって……すごく助かったから、ありがとうって言いたかったの」

「……君をここにつれてきたのは凛だし、受け入れたのは家主だろう。礼を言うなら私より彼らに告げた方が適切ではないかな」

 この少女は一体何が言いたいのだろう。意図を計りかねて眉根を寄せるアーチャー。とりつく島のない彼の物言いに、七海も言葉に詰まり、沈黙が落ちる。

「…………用件がそれだけなら、私は失礼する」

 何だか知らないが、これ以上語ることもなさそうだ。居心地の悪さにかこつけて、アーチャーはくるりと背を向けた。そのまま跳び去ろうとしたが、

「あっ……ま、待って!」

 すかっ。

「……?」

 視界の隅で少女の手が宙をつかんだのを見て、動きを止めた。

 彼を引き留めるにしては、遠い位置での捕捉。腕にも背中にも届かないそれは、しかし、

(……私の礼装の裾を、つかもうとした?)

 そう考えるのにはちょうどいい距離だった。

「…………」

 考えすぎかもしれない。だが見過ごしも出来ず、アーチャーはもう一度少女に向き直った。ひどく厳しい顔をしているだろう彼を見上げて、言葉を探す少女に問いかける。

「君は、私を知っているのか」

「え……っと、アーチャー、だよね? 凛のサーヴァントだった」

 改まっての問いに七海は目を瞬かせるが、そうではない、とアーチャーは首を振る。

「君は今、私の礼装をつかもうとしなかったか? 君の前では一度も見せた事がないはずだが」

 今のアーチャーは礼装をはずし、黒の上下をまとっているだけだ。つかむ裾など、どこにもない。

「……あ、え? そ、うなのかな」

 どうやら無意識の行動だったらしい。これが演技なら大した女優だと思いながら、腕を組むアーチャー。

「もしそうなら、君は礼装を身につけた私を知っている事になる。

 君が聖杯を求めて冬木に来たのなら、あるいは前回の聖杯戦争の折りにはもう冬木に在住していたのか。それで私をどこかで見かけたのかもしれないな」

 思いついた推測を口にすると、七海はしばらく考え込んだ。だが、やがて顔を曇らせて首を振る。

「ごめん、思い出せない……」

「……まぁ、そう簡単に記憶を取り戻せれば苦労はないが、」

 手がかりの一つにはなったのでは、と言い掛けたアーチャーを、出し抜けに七海が真っ直ぐ見上げた。夜空を思わせる深い、深い黒の瞳がアーチャーを映しだし、

「でも私、あなたに会いたかった」

 涼やかな、迷いのない言葉が小さな唇から紡ぎ出される。

「……なに?」

 細く、柔らかく、それでいて胸を射抜くような強さを持った声を突然投げかけられ、アーチャーは意表を突かれた。それまでの頼りない少女という印象を脱ぎ捨て、アーチャーを見つめながら、七海は明朗に言葉を綴る。

「もう一度、アーチャーに会いたかった。どうしても、話がしたかった。あなたの声を、姿を、この目で確かめたかった」

「…………なぜ、だ」

 気圧される。まともな魔術も使えないだろうか弱い少女に、英霊たるこの自分が。

 乾いた喉を鳴らし、かすれた声をかろうじて押し出すと、少女は瞬きをした。まるで、不意に夢から揺り起こされたように。

「あっ……」

 いつの間にかアーチャーのすぐ目の前まで近づいて、その腕に捕まろうとしていた手を、今初めてその動きに気づいたというようにぱっと後ろへ回す。そして、

「あ、あの、ごめんなさい、変な事言って! ただ、その、何となくそう思っただけで……」

 普段の調子に戻り、顔を赤らめて俯く。

 その様子は先ほどのきりっとした少女とは別人のようで、アーチャーは面食らうしかなかった。いや、気にすることはないと小さく答えながら目をそらし、

「……私に話があるのなら、今日のように凛に言伝(ことづて)すればいい。時間があれば顔を出そう」

 自分でもなぜこんな事を言うのか分からないまま、再会の約束を口にしてしまう。それを聞いてぱっと顔を上げた七海は目を瞠り、ついで、

「本当? ……良かった。私、もっとアーチャーといっぱい話したい。もっとたくさん、あなたを知りたいの」

 ぱぁっと花が綻ぶようにニッコリ笑った。それはあまりにも嬉しそうで、あまりにも輝いてみえたものだから、

「~~っ、で、では失礼する!!」

 アーチャーはどうにもたまらなくなって、その場から勢いよく跳び逃げた。

 大きな声で別れの挨拶をする七海から、逃げるように遠ざかる。びゅうびゅうと風を切って走りながら顔に手を当てると、いつの間にか火照っている。

(な、何なのだ一体、私はどうしてこんなに動揺している!?)

 行きずりの、敵かもしれない、記憶喪失の未熟な魔術師。警戒こそすれ、好く理由などこれっぽっちも無いはずなのに、心と体の反応が過敏に過ぎる。

(なぜ私は彼女を放っておけないんだ)

 わざわざナンパから助けてやったり、必要もないのに呼び出しに応じてみたり。彼女が絡むと、どうも理性とは裏腹な行動を取りたくなるのは、どうした事か。

(――落ち着け。落ち着け。落ち着け)

 とっ、と軽い音を立てて、衛宮家から遠く離れた建物の屋根に着地したアーチャーは、深呼吸をして気持ちを沈めようとする。

(つまらない事で感情を乱されては、大事を見逃す)

 戦において一番の敵は自分だ。弓兵はいつも心を凍り付かせ、常に最善の手段、最小の犠牲を選んできた。その中で一縷でも迷いがあれば、彼は英霊になる前に死んでいただろう。

 体の代わりに心を殺す。彼はそれに慣れていたから、今もまた速やかに冷静を取り戻しつつあった。

 だが。冷えていく心の中。真っ直ぐに彼を見つめる夜空の瞳が、いつまでも消えてくれない。

 駄目だ、こんな風に心を乱されるから、どうにもあの少女は苦手だというのだ。

「あぁ、くそっ。どうしてこうなるんだ、全く」

 鋭く舌打ちして、アーチャーはがしがしと頭をかいた。自分もまた、凛に対してどうこう言える立場にはなさそうだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。