彼女が街にやってきた   作:なんじょ

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 記憶を失い、右も左も分からない少女は、こうして衛宮家の居候と相成った。

 気遣いの権化たる衛宮士郎は七海に、何もしなくていい、ゆっくり記憶を取り戻す算段をつけてくれと言ったが、彼女はそれを固辞した。

「ただお世話になるだけじゃ心苦しい。せめて、お手伝いさせて」

 逆に、家事手伝いをさせてくれと、渋る士郎を説得したのである。

 とはいえ、料理はやった事がないのか、相当に手つきが怪しかったので、掃除片づけが七海の仕事になった。

 桜やライダーなど、衛宮家の同居人は役割分担して、常に清潔な状態を保っているが、何しろ衛宮家は広い。

 土蔵は士郎の工房も兼ねているので、普段の掃除範囲から除外されているが、本邸は無理な増築を重ねて、入り組んでいる上に部屋数も多い。人の手はいくつあっても足りないということはなかった。

 故に七海は存外、忙しく働く事になる。

 

「……七海さん、今日はこれくらいにしましょうか」

 窓の桟を濡れ雑巾でふき取った桜が振り返る。座布団を部屋の隅にまとめて重ね、七海はそうだね、とため息混じりに答えた。それを聞いて、

「大丈夫ですか? もしお疲れなら、休んだ方がいいんじゃ……」

 桜が心配そうに声をかけてきたので、七海は慌てて首を振った。

「あ、いえ、疲れた訳じゃなくて、改めて広いおうちだなぁって感心してたんです。これだけ部屋数あると、毎日大掃除みたいな感じになっちゃいますね」

 今はサーヴァントや桜、凛がいるとはいえ、彼女達は一時的な居候だろう。これだけの家を、士郎は今までどうやって維持してきたのか。首をひねる七海に、桜は微笑んだ。

「昔は藤村先生のところから手を貸してもらってたそうです。私がここに来るようになってからも、家政婦さんに来ていただく事がありましたから」

 あぁ、なるほどそれなら、と納得する。

 ちなみに藤村大河には、初日の夕飯時に顔合わせ済みである。士郎の保護者たる女教師は、またもや増えた女性の居候に始め難色を示したが、詳しい事情を聞くやいなや、

『そういうことなら問題なし! 士郎はねー困ってる人みたら放っておけない、良い子だからね。何かあったら遠慮なく頼っていいのよ』

 などと、なにやら若干複雑そうな顔をしている本人を前にそう言い、七海の滞在を許可してくれた。

「でも私が聞いた話では、かなり昔から、先輩はこの家を切り盛りしてたみたいです。亡くなられたお父さんも、先輩に頼りきりだったそうですし」

「……あぁ、そうなんですね。どうりで士郎君、大人っぽいと思った」

 水の入ったバケツを持ち上げて、七海は目を伏せた。

 衛宮家の居候になってまだ二日目だが、七海はこの家にわずかな違和感を覚えていた。それが何なのか考えてみて、

(そういえばこの家、大人が居ないんだ)

 という事実に気づいた。

 見た目にはライダーが成人した年長者に見えるが、彼女はサーヴァントである。大河は士郎の保護者であるが、ここで常に寝起きしている訳ではない。

 家主はあくまで士郎であり、大人びて見えるが、彼とてまだ未成年だ。

(お母さんもいないみたいだし……自分がしっかりしないといけなかったんだろうな)

 掃除用具の片づけを行う桜と他愛ない話をしつつ、頭の片隅で考える。

 周囲の手助けがあったにせよ、自分で何でもしなければならなかったとすれば、その苦労は並大抵のものではないだろう。

 様々な経験を経てできあがった今の衛宮士郎は、七海からすれば、同い年くらいの少年ではなく、一人の大人であり、その懐の深さに感嘆するほどの人格者にも見えた。

(これ以上、士郎君の負担にならない為にも、早く記憶を取り戻さなきゃ)

 決意を新たにぐっ、と拳を握ったところで、桜がエプロンをはずしながら、

「それじゃあ七海さんは、少し休んでいてください。私、ちょっと夕飯の買い出しに行ってきます」

 そう言い出したので、

「あ、なら私も行きます!」

 素早く手を挙げた。エプロンを畳む桜は、困り顔になる。

「でも、お掃除で疲れてるでしょう? 七海さん」

「ううん、大丈夫。私、結構体力あるから、このくらい何とも無いです」

 そういって、右腕を曲げて、あるかなしかの力こぶを作ってみせる。それを前にして躊躇う桜。まだ、客人扱いの七海をこき使う事に抵抗があるらしい。いいから、と七海は桜の手を握って顔をのぞき込んだ。

「私に出来る事は、何でもやりたいんです。あの人数分を買い込むなら、すごい量になるでしょ? ご飯作るお手伝いは無理っぽいけど、荷物持ちなら出来るから。お願い、手伝わせてください、桜さん」

 もし迷惑なら構わないですけど、と付け足すと、桜はぶんぶんと頭を振った。

「そんな事ありません! 確かに量も多いですし……正直、七海さんに手を貸してもらえると、助かります」

 それなら、話は決まり。七海と桜は掃除用具を全て仕舞い終えると、さっそく商店街へと繰り出した。

 

* * *

 

「あら、間桐さんじゃない」

 祝日、人々で賑わうマウント深山商店街。

 桜に行きつけの店や買い物の仕方を教わりながら歩いていると、艶やかな声に呼び止められた。

「あ、キャスターさん。こんにちは」

 笑顔で挨拶する桜の口から出たのは、またもやサーヴァントのクラス名。そうでなくとも、今目の前に現れた美女からは、目がくらむほど濃密な魔の気配が漂っている。

(うわ……すごい美人)

 あふれ出す魔力量もさることながら、その美貌に圧倒され、七海は言葉を失った。

 キャスターと呼ばれた女性は淡い水色の髪を背に流し、長いまつげに縁取られた瞳は湖面を思わせる静けさをたたえている。神話の女神のように白い肌は滑らかで光を放っていて、とがった耳もあいまって、人並み外れた神秘的な美しさをまとっていた。

(ライダーやセイバーも美人だけど、この人も綺麗……サーヴァントの女の人って、皆こうなのかな)

 思わずぼーっと見とれていたら、桜と話していたキャスターがこちらへ視線を流し、

「間桐さん、そちらのお嬢さんは、どちら様?」

 と尋ねてきた。あ、すみません、と桜が七海を紹介する。

「キャスターさん、こちらは七海さんです。ちょっと事情があって、衛宮先輩のおうちに来られたんです」

「あ、は、初めまして、七海です!」

 美人に真正面から見つめられ、七海は慌てて頭を下げる。キャスターは目を細め、

「えぇ、初めまして。私はキャスターよ。――あなた、この街の人間じゃないわね。どこかよそから来た魔術師かしら」

 いきなりずばり、切り込んでくる。

「えっ」

 確信に満ちた指摘に目を丸くする。

「あの、ど、どうしてですか?」

 名前しか名乗っていないのに、なぜ余所者だと思われたのか。疑問を顔に浮かべて問いかける彼女を、キャスターは上から下までじろじろ見やった。

「あなた、他の人とは少し違う感じがしたから。魔術師は魔術師なんだろうけど……力の流れ方が変わってるわね」

「そうなんですか!?」

「あら、自覚が無いの」

 眉を潜めるキャスターに、桜が補足する。

「キャスターさん、七海さんは記憶喪失で、自分のことを何も覚えていないそうなんです」

「まぁ……それはまた大事(おおごと)ね」

 いぶかしげな表情が、いたわりの色を帯びる。声音が柔らかくなった事に励まされて、七海は思い切って申し出た。

「あの、キャスターさん。他に私を見て、分かる事ありませんか。もしあったら、教えていただきたいです」

「…………」

 キャスターはしばらくじっと七海の目を見つめ、やがてそうね、と小首を傾げた。

「今ここで分かる事といったら、あなたはこの地にいる魔術師とは系統が違うらしいって事くらいね。もっと詳しく調べるのであれば、私の工房に来てもらわないと」

「工房……ですか」

 キャスターは魔術師のクラスで、陣地作成のスキルを持っている。もし戦闘状態であれば、そう易々と工房に踏み込めるものではなく、その陣地に入るのは死を覚悟するのと同義だ。とはいえ、今回は自身の記憶を取り戻せるかもしれないチャンスである。

「それなら――」

 ぜひお願いします。身を乗り出して言おうとした時、

「おーっとまちな、嬢ちゃん。魔女の住処へ、そうほいほい行くもんじゃねぇぜ」

 背後から太い腕が首に回され、ぐいっと引かれた。背中が堅い壁にぶつかり、驚いて見上げた先には、

「こんな女狐の懐に飛び込んでみろ、明日の日の出が拝めなくなってもおかしくないんだからな」

 そう嘯く、槍兵の笑顔があった。

「ランサー? え、なんでこんなとこに?」

 見覚えのある顔に、七海は目を瞬く。

 ランサーは七海が拾われた教会に出入りしていた為、すでに顔見知りで、彼がサーヴァントだということも承知していた。

 が、そのランサーが商店街で、居酒屋のロゴ付きエプロンをつけて出てくるというのは、何事か。

「なんでって、見りゃわかんだろ。バイトだ、バイト」

「ば、バイト? 何で??」

「そりゃ自分の食い扶持くらい、自分で稼がなきゃな。あと、いろんな連中と会えて面白いしよ。おかげで今日も、こうやってお前に会えた訳だ」

 そういって、ランサーはくしゃくしゃっと七海の頭を撫でた。

「教会にいた時はぼーっとしてて大丈夫かと思ったが、だいぶ元気になったみてぇだな。なんだ、今は七海って呼ばれてんのか?」

「うん、そうだよ」

「そりゃよかった。なら、俺も今度から七海と呼ばせてもらうぜ。お嬢に似合いの可愛い名前じゃねぇか」

「あー、それはうん、ありがとう。けど……あの、ランサー?」

「何だ?」

「なんか、足が地面についてないんだけど。ちょっと、離してもらえないかな」

 話している内にいつの間にか、首から腰に移動した腕で、二十センチ超、宙に持ち上げられている。おっと悪ぃ、と少しも悪びれずにランサーは七海をおろした。

「ちっこいからつい、な。しっかしなんだ、痩せてるのに七海は抱き心地が、」

「この駄犬、彼女から離れなさい!」

 突然目の前に雷光が走り、ぎゃんっ! と悲鳴が響く。瞬間、七海のそばからランサーが弾き飛ばされ、数メートル先まで地面を転がった。

「……あ、え?」

 一瞬の出来事に硬直する七海、その肩を掴んで、

「七海さん、大丈夫? 駄目よ、あんな男に自分の体を触らせるなんて。ばい菌がつきますからね」

 キャスターが真剣に詰め寄ってくる。どうやらキャスターはランサーが七海を離すタイミングを見計らって、魔術で攻撃したらしい。

 白昼堂々、商店街で何て大胆な、と思ったが、周囲の人間は転がったランサーを見ていぶかしげに通り過ぎるも、超常現象を見て驚く様子は無かった。

 後々になってその疑問をぶつけたら、

「それなら目くらましをかけてるから問題ありません。魔術を使うたびに大騒ぎになっては、おちおち買い物にもこられませんからね」

 キャスターはそう答えた。

 不意打ちとはいえランサーを吹っ飛ばす威力の魔術と、周囲一帯の視線をそらす目くらましを同時に行使するとは、なるほど魔女と呼ばれるに相応しい力の持ち主である。――人目に付く場所で、魔術を行使する軽率さはともかく。

 閑話休題。

「七海さん、あなたも我が身が可愛いのであれば、あんな男に関わっては駄目よ。口の上手い男はどうせいつか裏切るものですからね。

 最後に傷つくのは自分なのだから、最大限自衛をなさい。姿を見かけたら逃げる。声をかけられたら攻撃する。そのくらいの気構えを持たないと」

「え、えーっと、それはいくらなんでもやりすぎなんじゃ……」

 がくがく揺さぶられながら熱弁され、七海は目を白黒させた。やりすぎなんてことありますか、とキャスターが指さした先では、

「だ、大丈夫ですか、ランサーさん」

「あー、駄目だ、ぜんぜん駄目」

「ええっ」

「でも嬢ちゃんが優しく看護してくれりゃ、すぐ元気になるぜ。なんなら、俺の部屋まで運んでくれるかい?」

「え、あの、それはちょっと」

「何だつめてぇなぁ……嬢ちゃんは俺がここでのたれ死んでもいいってキャンッ!!」

 むくりと起きあがって、桜の手を掴もうとしたランサーが再び吹っ飛ぶ。

「ほら、ご覧なさい。あの手の男はちょっとやそっとじゃ懲りないんだから。動けなくなるまでやりこめないと駄目なのよ」

「は、ははは……」

 今度はさすがにフォローも出来ず、七海は乾いた笑いを漏らすしかなかった。

 

* * *

 

「ったく、いってぇなぁ。ちったぁ加減しろよ、この魔女が」

 衛宮家の少女二人が立ち去った後。ほこりまみれになったエプロンをはたきながら、立ち上がったランサーが口を尖らせると、

「少女を堕落に誘い込む駄犬を躾るのに加減などしていられますか。嫌なら金輪際、ちょっかい出すのはおやめなさい」

 白皙の美貌を不機嫌に染めて、キャスターがつんとそっぽをむく。犬犬言うな、と顔をひきつらせるランサーだったが、しかしふと真顔になった。

「そういやあんた、七海を詳しく見るつもりねぇんだな。てっきり工房で好き勝手やるもんだと思ったが」

 あの後、あらためて七海から、自身を調べてほしいと申し出があったのだが、キャスターは先の言を翻した。詳しく調べるのはいいけれど、その過程で精神が崩壊する事があっても構わないかと、いかにも悪の魔女らしく微笑んだのである。

 それを見てひるんだ七海を桜が止め、結局少女達は手がかりのないまま買い物へと戻っていった。

「あんたの毒牙にかかっちゃ大変と首を突っ込んでみたが、要らねぇ世話だったか」

「そうね、まぁ確かに少し、興味はひかれたけれど」

 肩にかかる髪を背中に払い、キャスターはつまらなさそうに言う。

「あの子を見たところで、私に益するところは何もありませんからね。どうしてもというなら、魂が砕けるのも覚悟してもらわないと」

「どこまで調べる気だよ……おっかねえな」

「さっきの話、聞いていたんでしょう? 彼女は他の魔術師とは違う……もっといえば、この世界とは異なる理の魔術を司っているわ。それを確認してみたい気はするけれど」

 ――だがそれは。

 ――微妙なバランスで保たれているこの日常を、崩すきっかけになるかもしれない。

 あえて飲み込まれた言葉の続きを、ランサーは正確に読みとっていた。ぽりぽりと頭をかきながら、

「……あんた、ほんとに今の生活が気に入ってんだな」

 しみじみ言う。魔女は何よ、と耳を上下させてランサーを見上げた。

「それはあなただって同じでしょう。現状を変えるつもりなんて、少しも無いでしょうに」

「まぁ、俺は目の前にあるもんを享受できりゃ、それでいいからな。生きてくのに必要なもんがありゃ十分だ」

「……訂正します。あなたみたいに本能だけで生きてる輩を自分と同列に並べるなんて、愚かしいにも程があるわ」

 全くどこまでも相容れないものね、などとため息をつきながら、キャスターは背を向けてさっさと立ち去ってしまう。

 一人残ったランサーは、少女達が向かった方向へと顔を向けた。すでに彼女たちの姿は人混みに紛れて見えなくなっていたが、

「……今が楽しけりゃそれでいいじゃねぇか。どうせいずれは醒める夢なんだしな」

 どこか乾いた笑みを浮かべ、店の中へと戻っていったのだった。

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