彼女が街にやってきた   作:なんじょ

7 / 21
7

 ――#####の武器って弓じゃないんだね。#####なのに。

 何気なく尋ねると、彼は肩をすくめた。普段は二刀を持って戦いに臨む彼だが、#####のクラス名に恥じない程度に弓は使える、と言う。

 ――ほんと? なら見てみたい! #####が弓使ってるところ!

 わくわくしながらリクエストすると、#####は何も面白い事など無いのだが、と言いながら、まんざらでもない顔だ。ちょうど近くにお誂え向きに弓道場があったので、さっそく腕前を披露してもらうことにした。

 三方を壁に囲まれ、正面は芝が敷かれた空間、その先にはずらりと並ぶ的。

 弓道の作法など忘れてしまったが、と呟いて、彼は弓場に立った。

 その手中に光が現れ、瞬く間に弓を形作る。

 そしてもう片方の手には金属製の矢が現出し、#####はそれを番(つが)えた。きりり、と弦が引き絞られ、#####の横顔が集中して表情が抜け落ちる。

 息を止めるほどの集中。世界に二人しかいないのではと錯覚するほどの静寂。

 固唾を飲んで見つめる自分の視線の先で、彼の手が動いた。張りつめた空気を裂いて矢が跳び――ついで、刺さる。しかし刺さった直後、次、次、と間を開けず放たれた矢が何本も後を追い、その全てが的の中心を射抜いた。

 ――……。

 つい見とれて言葉を失う。彼にこんなものだがどうだね、と問われて、ようやく我に返った。

 ――すごい、全部真ん中に当たってる! #####、かっこいい!

 ぱちぱちと一生懸命拍手すると、

「これくらい造作もないことだよ、****」

彼は照れくさそうに、私に笑い か け    て

 

   あれ。

     彼は私を。

          私は彼を。

               な んて      呼んで    い   たっ  け      ――

 

* * *

 

「シロウ、見回りですか」

 夜も更けた衛宮家の玄関で靴を履いていたら、後ろから声をかけられた。振り仰げば、いつの間にやってきたのか、後ろにセイバーが立っている。

「うん、今日は新都のほうまで行ってみるつもりだ」

 四日間が、少しずつ形を変えながら繰り返している――その異変に気づいてから、士郎は夜の街を巡回するようになっていた。それで何か見つかるかと言えば、街は気が抜けるほど平和で、今のところ何の役にも立っていないのだが。

(まぁ平和だって事を確認するだけでも、成果だよな)

 そう考えて、空振りも前向きにとらえていた。けれど、だからこそ、

「私も行きましょうか」

 セイバーの申し出に、士郎は首を横に振った。

 そもそもこの異変は、士郎しか気づいていない。もしかしたらこれは単に自分の勘違いで、巡回などしても無意味なのかもしれない。

 確たる証拠が見つかったのならともかく、今の状態でセイバーを夜の街に引っ張り出すのは、躊躇いがあった。

「もし何かあれば令呪で呼ぶよ。とりあえずセイバーは、家で休んでてくれ」

 前回の聖杯戦争が終わった後もまだ一画残っている令呪を見せる。分かりました、と頷いたセイバーはそのまま見送ろうとして、

「あっ……シロウ、一つよろしいですか」

 不意に呼び止めた。

「ん?」

「少し、気にかかっている事があるのですが」

 改まった声音に、士郎が半身振り返ると、セイバーは顔を引き締めて問いかけた。

「シロウ、あなたはナナミのことをどう思いますか」

「どう……って、それは」

 改めて問われて、士郎は戸惑った。

 記憶を無くして、いつも心細そうにしている、気の毒な少女。困っているのなら、自分に出来る限り、手助けしてやりたい。

 士郎が彼女に抱く感情はそんなところで、周囲にはとうに伝わっているだろうと思っていたのだが。

「シロウ。あなたが彼女に同情する気持ちは分かりますが」

 セイバーもそこは承知の上で、話を続ける。

「あまり心を許しすぎるのは、得策ではないと思います」

「……どういう意味だ? セイバー」

 なにやらきな臭い話だ。ちら、と近くに人がいないことを再度確認しながら問い返すと、彼女は眉根を寄せ、

「朝も言いましたが、現時点でナナミについて分かっている情報が、あまりにも少なすぎます。

 シロウと凛が手を尽くしても手がかりが見つからないというのは、不自然だ。意図的に自身の痕跡を消して、近づいてきたとも考えられませんか」

 「それは考えすぎじゃないか」と士郎は首を振った。

 七海は自分から接近してきたのではなく、凛が神父のもとから奪取してきたのだ。七海が何か企んでいるとは思えない。

 だがセイバーは強硬だった。腰に手を当てて柳眉を上げ、

「ですがシロウ。彼女の面倒を頼んできたのは、あの神父なのでしょう? ナナミになくとも、あの男が何かしら計画している可能性はあります」

「む……それは」

 否定できない。

 前回、前々回の聖杯戦争を経験したあの性悪神父は、余人には理解できない事象――それは全て他人を不幸へ導くものだったが――に価値を見いだす男だ。

 また何か邪悪な企図があるかはともかく、七海が神父に利用されている可能性は、確かに無視できなかった。

「あなたは懐に入れた人間に対して甘すぎる。ナナミには害意がないと思ってよいと思いますが――」

 セイバーはそこで目を伏せ、やや躊躇いを見せた。

「何だよ、セイバー。いいたいことがあるなら、この際全部言ってくれ」

 士郎が促すと、セイバーはなお迷いつつ、

「いえ……これは私の勘なのですが……彼女はもしかしたら、今回の奇妙な事態に、何か関わりがあるのではないでしょうか」

 静かに言った。

「まさか、七海がこれの原因だっていうのか?」

 思いがけない指摘に目をむく士郎。セイバーは分かりません、と首を振った。

「確かなことは何もいえませんが。ただ、彼女もまた、何か尋常ではない運命にからめ取られているのではないかと……そんな気がしてならないのです。私たちの前に現れたのも、何か意味があってのことだと」

「…………うん、まあ、そうかもな」

 まさか七海がこの繰り返しを生み出しているとは思えなかったが、士郎は士郎で、昼の七海を思い出していた。

 何のヒントもなく、彼とアーチャーの関係性を見破った少女。

 弓道場を出てから話をしてみたが、彼女は士郎達の因果関係を知って、ひどく驚いていた。あの驚愕は演技ではなかった、と思う。

 ではなぜ分かったのかという問いに、しかし七海の答えは要領を得なかった。彼女自身も、なぜ士郎にアーチャーの面影を見いだしたのか、理解できなかったのだ。

『ただ――』

 自分の行動に首を傾げながら、七海は言う。

『私時々、ものすごくアーチャーに会いたくなるの。姿を探して、声を聞きたくて、顔が見たくて……こう、胸がきゅーっと締め付けられる感じになるの』

 そういって七海はブレザーの胸元に手を当てた。自身の中へ沈んでいくような、夢見がちな表情。ついそれに見とれて言葉を失う士郎に、七海は芯のある声音で言った。

『だからかな。士郎君を見てると時々、アーチャーを見てるみたいで、胸が苦しくなる』

 まるで告白のようなせりふを真っ直ぐ見つめられながら言われ、士郎は赤面して狼狽し、つい話をそこで打ち切ってしまったが――

「シロウ? どうしました」

「! あ、いや、何でもない」

 回想が現実の声に断ち切られる。

 はっと我に返り、士郎はやや熱くなっている顔を隠す為、背を向けた。

「ひとまずセイバーのいいたい事は分かった。七海が通りすがりの一般人でないだろうってのは、俺も同感だ」

 聖杯戦争の知識を持っていた事といい、アーチャーへの執着といい、異常を示す要素は確かに存在している。

「七海があの神父に利用されてる可能性も十分あるし、一度教会へも探りを入れてみるよ。

 とりあえず今日は、一通り見回りしてくる」

 がらりと引き戸を開けて、闇の中へと一歩足を踏み込む。

 セイバーは懸念を伝えられてほっとしたのか、

「ええ、気をつけて。いってらっしゃい、シロウ」

 声を少し和らげて、彼を見送ってくれた。

 

* * *

 

 はしる。はしる。はしる。たちどまってはいけない。足を止めれば、あれが襲いかかってくる。

 殺意が形を成した黒い影が、自分を引き留め、食らいつくそうと追ってくる。

 夜の街。

 静まりかえった暗闇の中に人影はなく、生気もない。

 死んだ街にいるのは自分一人だけのようだ。絶望的な孤独、それ以上の焦燥が背中を押し、狂ったように足が動き、息が荒くなっていく。

 ――オマエモカ――オマエモカ――オマエモカ――

 骨を鉄やすりでこするような叫び声が、どんどん数を増していく。憎悪に満ちたそれは耳から入って、こちらの脳をぐちゃぐちゃにひっかき回すようだ。静寂を埋め尽くす絶叫に狂いそうになりながら、ただひたすらに走る。

 ――殺セ――殺セ――引キ裂イテ暴ケ――

 影が迫る。歪なかぎ爪が腕を裂き、痛みと共に血が伝い落ちる。恐怖で心が折れそうになるのを歯を食いしばって堪え、路地という路地に満ちる影を避けて走り続けるうちに、不意に視界が開けた。

「!」

 びゅお、と川風に全身を打たれて、ずたずたになったスカートの裾がなびく。

 目の前に広がるのは、闇を払うがごとく煌々と光を放つ、深紅の大きな橋だ。闇に沈んだ川の上にそびえるそれはどっしりとした存在感があり、焦燥に追われる心に安堵の火が灯る。

(あれを越えれば)

 そうすれば、逃げきれる。根拠はないが、橋を通り抜けてしまえば影は追いつけないと直感した。なぜなら、あそこには、

 ――殺セ――殺セ――殺セ――

 しかしその安堵を断ち切るように、影が押し寄せてくる。足首を掴まれそうになって、止まっていた足を再び動かす。駆ける。駆ける。駆ける。大橋の上に出て、ひたすらに駆ける。

 もしかしたらこの光に怯えて、影はついてこないかもしれない。一瞬そう思ったが、影は人工の光などものともしないようだ。怨嗟の声を幾重にも重ね、橋をも飲み込む勢いで浸食してきた。

(駄目だ、もう)

 体力が限界だ。ここまで走り続けてきて、足がガクガクしている。

 橋を見て一瞬気を抜いてしまったのがまずかったのか。急速に逃亡への活力が失せ、走る速度が緩む。

 影は歓喜の声を上げた。追い続けてきた獲物はようやく観念したのだと雄叫びと共に、一気に距離を積めてくる。

「やっ……」

 反射的に振り返った背後に、月のない空をも飲み込むような闇が、有らん限りの呪いと嘆きを内包したざわめく影が、積み重なって大きく伸び上がっていた。

 ――食べられる!

 目にした瞬間に心まで闇に染められ、足が釘付けになった。

 ――いやだ、いやだ、いやだ、

 認めない、駄目だと心は叫ぶのに、体は言う事を聞かない。圧倒的な悪意を前に血も凍り、死を目にして叫ぶ声さえ奪われる。

 ――なぜこんな、だって私は、

 今宵また一人、自分たちの仲間が増える事に快哉を叫び、闇がおおいかぶさってくる。眼前にまで、赤く染まった目で埋め尽くされた闇に覆われそうになった時、

 ――!!

 耳をつんざくような轟音が鳴り響き、闇が光になぎ払われた。

 ――アアアアアああアアアアア亜ああ亜あああああ!!

 闇は名状しがたい絶叫を上げて地面に崩れ落ちた。

 折り重なっていた影がばらけて落下し、べしゃりとみっともなくつぶれる。一撃で半分まで抉り払われ、ぐらぐらと揺れる影に、さらなる光が襲う。

 それは大橋の光をもしのぐ輝きを放つ、苛烈な力の固まりだった。

 その一撃だけで脆弱な影など跡形もなく抹消するほど、情け容赦のない射撃。数だけは勝ると気を吐く影をあざ笑うように光は次々と、昼と見紛うばかりに降り注ぎ、次々と闇を消し去っていく。

 ――オマエモカ――オマエモカ――オマエモカ――

 今宵もまた橋をわたれず、影達は、ぎざぎざに歪んだ憎悪と共に断末魔の叫びを上げる。

 だが、その声はもう聞こえない。脳を削る化け物の叫びは、喜びと渇望に塗りつぶされてその存在さえ無かったかのように消し去られる。

 自分の目が見つめるのは、闇を払う光が放たれた場所。大橋から遠く遠く、視認など不可能なほど離れたそこに、しかし間違いなく彼がいるのだと分かっていた。

 ――チャー、――

 恐怖に縛られていた喉から声が漏れ、すがるように名を呼ぶ。

 会いたい、声が聞きたい、顔が見たい、触れたい、その温もりを、鼓動を感じたい、体の奥底、心の深奥から溢れ出す思いに居てもたってもいられず、走り出す。

 が、その歩みは、

「なっ……!」

 飛来した光が眼前の地面に突き刺さった事で、強制的に止められた。

 コンクリートが砕け散り、大穴が穿たれる。影同様、その一撃が当たれば、自分はあっけなくかき消されてしまうだろう。だがなぜ。自分はただ、ただ、彼に会いたいだけで、

「っ!!」

 その願いを打ち消すように、第二、第三の光が放たれ次々と突き刺さる。着弾のたびに激震が橋を左右に揺さぶり、一歩も先に進めない。

 先ほどの闇よりも鮮烈な死に足がすくみ、しかし一方で疑問がよぎる。

 一撃必殺、狙いを違えるはずもないのに、撃ち手は先ほどから牽制するように周囲に穴を穿つだけで、足を止めた自分を射殺そうとはしていない。

 なぜ。

 どうして。

 分からない。

 ただ分かるのは、自分が彼に拒まれている事だけ。

 来るなと。

 自分がどれほど会いたいと望み願っても、橋を渡ってくることは許さないと。

 ――アー、――

 いやだ。そんなのはいやだ。こんなに会いたいのに、拒まれるなんて辛すぎる。

 喜びは悲しみに、渇望は絶望に変じ、悲鳴にも似た呼びかけが喉からほとばしる。

 雨のように降り注ぐ力の中、ここまで来た時と同じように、突き動かされるように駆け始める。ただひたすら、ひたすら、

「アーチャー!」

 彼に会いたいという願いだけに背中を押され、

「――駄目だ七海、止まれ!!」

 背後からかけてきた誰かが彼女の腕をつかんで、

 ――あっ――

 押さえ込まれてぐらりと地面が視界に映った瞬間、

 

 

 七海は自分を庇う衛宮士郎ごと、光に撃ち抜かれた。

 

* * *

 

 ――こんこん。こんこん。

「……ん……」

 軽やかな音が、泥のように深い眠りを遠ざける。ぼんやりと目を開き、瞬き。

 カーテンを透かして陽光が差し込む部屋の中は明るく、朝の目覚めをさらに促すように雀の鳴き声が聞こえてきた。

 ――コンコン。

『七海? ねぇ、まだ寝てるの?』

 再び音、そして声。それで寝ぼけた頭が一気に覚醒し、

「あっ……お、起きた、ちょっと待って!!」

 跳ね起き、慌てて駆け寄ったドアをあけると、すっかり身支度を整えた凛が立っていた。さっと七海の全身を見回して苦笑する。

「ごめん、やっぱり寝てたのね。疲れてたんだろうけど、そろそろお昼になるから。いい加減、起きた方が良いと思うわよ」

「え……ええっ!? うわほんとだ……ご、ごめんなさい、すぐ行く!」

 振り返った先にある時計は、短針を十二時にぴたりと合わせていた。まさかこんなに寝入ってしまうとは思いもしなかったので、七海は慌てて謝る。

「焦る事ないわよ、別にだれも気にしないから。あなたもいきなり違う家に来て、勝手がつかめないんだろうしね。でもいい加減お腹もすいたでしょう?」

「それは、」

 言われた途端、ぐーっとお腹が鳴ってしまい、「あ……」思わず赤面する。それをしっかり聞きつけた凛は、くっくっくと笑いながら、

「ほら、待っててあげるから、早く着替えてきなさい。洗面所は昨日教えた通りだから」

「う、はい……」

 七海はかーっと赤くなったまま扉を閉め、凛が用意してくれた服に急いで着替え始める。しかし、よいしょ、とパジャマを脱いだ時、

「…………?」

 何か違和感を覚えて、七海は腹に手を当てた。

 空腹だから、ではない。今一瞬、何かが頭をかすめた。

 

 ――××だ七海、×ま×――

 誰かの叫び声、そして背中から腹を突き抜ける、何か……

 

「……ん……気のせい……かな」

 見下ろしていくら確認しても、肌には傷一つ無い。何かたちの悪い夢でも見ていたのか。まぁ覚えていないのなら気にすることもないだろう。

 そう気を取り直して、七海はとりあえずワンピースへ袖を通し、顔を洗う為に部屋を出ていった。

 

 ――そして今日もまた。偽りの四日間が始まる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。