「浮島、今日は来るの?」
「あぁ、そのつもり。姉ちゃんが新しい花が見たいって言いだしてさ」
「そっか、じゃあ後でね」
「おう、またな」
4月末である。
俺と姉が東京に越してきて、ちょうど一ヶ月が経過したその日の放課後、俺は手元の書類──転校生用のアンケートにペンを走らせつつ、渋谷の話に相槌を打っていた。
姉のワガママで週に2度は花瓶に飾る花を買いに行かなくてはならない俺は、今日も『Flower Shop SHIBUYA』のお世話になりに行くわけで、渋谷がわざわざ俺の来店の有無を確認したのは、ここ最近──10日間くらいか、俺が花を買いに行かなかったせいだろう。
俺も電話で知らされたのだが、知らせが来た時はちょいと肝を冷やしたが、姉は先々週に心臓をやらかし安静状態だったのだ。
なのでお見舞いは一時中断しており、今日になって病院からの許可が下りた形になる。
「な、なぁ浮島、ちょっといいか?」
「ん、どうしたよ後藤」
教室から出ていく渋谷を見送ると、野球部の後藤が声をかけてきた。
以前に俺がこいつの分の掃除当番を受け持って、後日お礼にデザートのプリンを受け取って以来、なにかと話す機会の増えた後藤である。
「お前さ、渋谷と仲いいの?」
「え、なんだよ急に」
妙にソワソワしてるなと思ったら、訳の分からない質問だった。
俺と渋谷の仲がいいのかなんて、俺にだって分からん。
確かに、花屋に行くとだいたい渋谷が店番をしていて、ついでに花選びを手伝ってくれるので、その縁もあって学校でも多少話す仲ではあるけども。
「仲良く見えたんならそうなんじゃねえの?」
「そういう哲学的な答えは求めてないんだよ!! いや、ほら……お前ら二人とも放課後すぐ帰るけど、なんか親しげじゃん??」
「じゃん、って言われてもな、別に放課後一緒に遊んでるとかじゃないし……なんでそんな気にするんだよ」
仮に俺と渋谷が仲良しだとして、仲良し小好しだとして、だからなんだっていうんだ。
誰が誰と仲良くしようと、誰が誰と不仲でいようと、それは当人の自由じゃないか。
訝しげな目で見やると、後藤は少し声を潜めて。
「だってさー、渋谷ってめっちゃ可愛いだろ? 俺もそうだけど、お近づきになりたい男子は多いんだぜ?」
「お近づきって……芸能人じゃあるまいし、近づきたきゃ勝手に近づけばいいじゃんか」
「それができれば苦労しないんだよなぁ、なんつーか普通に受け答えはしてくれるんだけど、踏み込めない的な?」
まぁ、素っ気ない返事が多いし、壁を作っているみたいに思われるのは渋谷らしいと言えるかも知れん。
母親らしき人と話してる時もあんな感じだし。
「別に隠すようなことでもないから言うけど、俺と渋谷が話してたのは、あいつの家で花を買うからだよ。花屋なんだ、渋谷の家」
「へー、そうなんだ。え、てかなんだよ浮島、お前花を送るような関係の相手がいるのか? 彼女か? 彼女なのか?!」
「ええい、暑苦しい!!」
ずずっと目を見開いて詰め寄ってくる後藤のスポーツ刈りヘッドを抑えつけようとし──175cmもある後藤の頭に俺の手が届くわけもなく、脇腹を抑える形になりながら、俺は何時ぞやのように、花を買うわけを説明する。
「姉ちゃんが入院中なんで、そのお見舞い用。彼女とかじゃねえって」
「……悪い、変なこと聞いちまった。ホントごめん」
「お、おう? 別に気にしてないけど」
なんだ、どうした。
急に物分かりがよくなったというか、さっきまでの勢いはどこいった。
クワッと開いていた目は本気で申し訳なさそうに細められていて、反省の色がありありと見える。
すると、後藤はささっと荷物をまとめて。
「んじゃ、部活行ってくるわ。じゃあな浮島……お姉さん、早く良くなるといいな」
「あ、ああ。サンキューな」
言うだけ言って、行ってしまった。
なんだったんだろ。
どうにもおかしかった後藤の様子を不思議に思いながら、俺は俺で花屋に向かうべく、残ったアンケートの欄を埋めるのだった。
■ □ ■
ガーベラの花言葉は『希望』らしい。
正確には色によって違いがあるので、希望の意味を込めてガーベラを贈るのなら、白色を中心にした方がいい。
というのが、姉の要望に従い、バラ以外の花を買いに来た俺へガーベラを勧めた渋谷の弁であった。
「ガーベラはお見舞い用の花としては定番、というか王道だね」
「まぁ希望ってめちゃくちゃそれっぽいしな。可愛い感じの花だし、病室にも合いそうだ」
「……ふーん、結構そういうの気にするんだ」
意外そうに渋谷が言うので、俺は心外だと言わんばかりに。
「当たり前だ、適当に選んだら姉ちゃんにドヤされるからな」
「それはそれで、どうかと思うけど」
なぜか呆れたような目線を受ける羽目になった。なんでだ。
10cmも高い位置から、そんな視線で見下ろされると、なんだか居た堪れない気持ちになってくる。
渋谷はその目線のまま、ガーベラを包み俺に手渡すと。
「そういえば浮島、友達はできたの?」
「お前は俺の親かよ……」
今日は後藤といい渋谷といい、突拍子もない質問をするのが流行っているのだろうか。
「浮島って、なんか放っておけない感じがするからさ」
「おい渋谷、お前俺よりも10cmばかし背が高いからって保護者ぶるんじゃあないぞ!!」
「あ、やっぱり気にしてるんだ身長のこと。別に私はどうも思ってないけど、しいて言うなら浮島は弟キャラ? みたいな、うん」
いや、キャラっていうか実際弟なんだが。
というか、弟キャラって結局年下扱いしてるじゃないか。
こいつ、妙に親切にしてくれるなと思ったら……そんなことを考えてたのか。花選び手伝ってくれたとき、ちょぴっと感動してたのに。あの時の感動を返してほしい。
「なに勝手に納得してるんだよ……あー、友達だったか? そうだな、後藤とは仲良くやらせてもらってる」
つい1時間ほど前に、微妙な別れ方をしたばかりではあるが、少なくとも俺は後藤を友達だと思っている。
といっても後藤は野球部で、背も高くミーハーなところはあるけど概ね爽やかな奴だから、クラスでも話の中心にいることの多い男だ。当然、友達も多いし、そんな後藤からすると俺は友達というカテゴリから外れた、1クラスメイトに過ぎないのかもしれない……そう思うと結構凹むな。
「そっか、ならいいんだけど。3年になると、グループが固まるのも早いから」
どうやら気を遣ってくれていたのは本当らしく、渋谷の声はどこか優しかった。
でも、それを言うなら俺も一つ気になっていたことがある。ここへ来る前に後藤と話していたから思い当たったことなのだが。
「渋谷こそ、学校終わったら店番に直行だろ? その、立派だと思うし……言いたくなかった構わないけどさ──大変じゃないのか?」
思えば、俺が放課後病院へ通うのと同じように、渋谷もまた自宅である花屋へ寄り道せずに帰っているのだ。
友達と遊ぶ時間があるようには、見えなかった。
転校してきたばかりの俺が、知り合って間もない俺が気にするのは、お門違いかもしれないけれど。
「そうでもないよ。楽しいし、好きでやってることだから。それにもう少ししたら、お父さんも帰ってくるしね」
「へぇ、お父さんが。店主……なんだよな、出張とか?」
「まぁ、そんな感じ。大口の契約だーって張り切っちゃって」
聞けば、販路拡大のために一月ほどの単身赴任を敢行していた渋谷の父親は、無事に仕事を終えたようで、今週末にでも帰宅するとのことだった。
そうなれば渋谷の店番も機会が減って、具体的には休日の数時間程度にまで減るらしい。
「そいつはなんというか、お疲れ様でした」
「だから、別に疲れてないよ」
「いや、社交辞令だって」
「知ってる。でも、ありがとね」
礼を言って、小さく微笑んだ渋谷は、なるほど確かに後藤の言うように、仲良くなりたい男子が多いのも分かる気がして。
「あー、そういやさ。実は──」
なんだか照れ臭くなった俺は、誤魔化すように話題を切り替えた。
■ □ ■
ところ変わって病院である。
病院の、4階。
409号室の、ドアの前だ。
俺はそこに立っていた。そこに立って、しかしドアを開けるのを躊躇っていた。
なぜかと聞かれれば、前回訪れた際に姉と同室にいる北条さんが、わりと本気で姉に対し激怒している瞬間を聞いてしまったからだ。
激怒も激怒、大激怒だ。
いつも気怠げで、無気力な語り口調の北条さんが、あの時ばかりは大声で怒っていた。最初、誰の声か分からなかったくらいだ。
しかも姉を問い詰めても、彼女が怒った理由については頑なに黙秘されたし……本当いったいなにをしでかしたんだ、うちの姉は。
結局姉が要安静になってしまい、俺も10日ばかり病院に来ていなかったので、その後の進展については知らないけれど、あの様子からして和解している可能性は絶望的だし、なんなら関係が悪化している可能性もある。
それを思うと、気が重い。
あまりの重さに、取手にかけた手まで重たくなってしまったほどだ。
一応、
……いや、まぁこうやってグダグダ考えても仕方ない。仕方がないので、いい加減腹をくくろう。
「お邪魔しまーす」
「あ、弟くんじゃん。こんにちは」
ドアを開けると、俺を出迎えたのは明るい声だった。
明るい、女子の声。
声の主はベッドの上に、上半身を起こした状態で寝ており、手鏡を片手に髪を整えているところで。
艶やかな黒髪であった。
肩口のやや下辺りで切り揃えられた黒髪の少女が、俺に向かって笑いかけていた。
唖然として、俺はその笑顔を受け止める。
受け止めた上で、顔のパーツやら声質やら、なにより遮るものがなくなってよく見えるようになった──鳶色の瞳に、半分くらい信じて、半分くらい疑って、つまり半信半疑のまま、俺は一言呟いた。
「…………北条さん?」