「肇さん....まずは本日は宿泊場所の提供、本当にありがとうございました。」
「気にせずとも。これも未来の風野家の当主への恩を売っておくと考えれば安いものです。」
「ははは....相変わらず、実利的な所は隠さないのですね。」
「なに、冗談ですとも。火凛殿の前ではこのような砕けた話は出来ませんからな。それに、我が九条家は代々この京都の地で建築文化を継承してきている家ということは風人殿も大いにご存知だろう。」
「ええ、存じております。」
「ま、そのせいかどうしても仕事にお金が絡んできましてな。」
「そうですね。」
「もし風野家が地震か何かで家が倒壊したら、建て直しには力を貸しますぞ。」
「そうですね...九条家の事は信頼しています。もしそのような事が起きた時は是非頼らせてもらいますよ。」
「これで縁が出来ましたな。......しかし、本当に見違えましたな、風人殿。林政殿がいなくなられてから、凛々しくなられた。」
「そう、でしょうか。」
二人の間に重い空気が流れる。風野風人の兄、風野林政を知る人は数少ない。そして長い間、風野家の人間相手に林政の話をすることはタブー視されていた。ある日突然消えた人間のことを。
「多くの者は林政殿の事を話すことを憚っておりますが、わしは関係なく話しますぞ。そちらの方が風人殿も良かろうて。」
「私は全然構いません。しかし気をつけてください。それを父や母の前で話せばどうなることやら。」
「勿論ですとも。風人殿は懐が広いですな。たまにはこんな肩肘を張らずに食事をするのも、良いものですな。」
「ですね。私は出来れば同級生と食べたかったのですが.....」
「わはは、良いではないですか。同級生と食事など、大学に行けばいくらでも出来ますとも。火凛殿も、大学までは進学を許可しておるのでしょう?」
「そう言っていました。教養を身につけることも大切と。」
(教養、ねぇ.....世間を全く知らないこの子供に教養とは、中々な仕打ちですな。)
茶碗をコトンと置き、肇は風人を見据える。体はまだ成長途中、肝が据わっている、所作一つ一つが自然。しかし、どこかが欠落しているように肇に見えた。肇にはそれがどこか不気味に感じた。
「....風人殿、一つお伺いしたい。今後、何かしたいことはありますかな。」
茶を啜り、これまでの陽気な雰囲気から真面目な大人の顔になる。風人もその雰囲気を察し、食器と箸を置き、肇と向き合う。
「風野家の当主を継ぎ、家の使命を果たすつもりです。それ以外はありません。」
「ほう.....世継ぎは?」
「......特に考えてはいません。父や母が見合いを用意するかと。」
「本当にそれで良いのですかな。」
「不満はありません。誰であろうと、配偶者は大切にするつもりです。生まれなどで冷遇するなどはあってはいけません。」
「そういう事では無いんだが.....まぁ、それならそれで。もし、風野家の生まれで無ければどう考えていたんでしょうな。」
「分かりません。どうだったんでしょうか。」
「....随分と、良い教育を施されたようですな、火凛殿は。当主として何ら文句のない心構え。」
「お褒めに預かり光栄です。母にそのように伝えておきます。」
皮肉が通じなかったことも含め、肇は呆れため息をつく。風野家は伝統ある家ではあるが、厳格ではある。が、ここまで厳しく躾られ、人生観が家の使命しか無い人間を初めて見た。
「ご馳走様でした。とても美味でした。」
「お粗末さまでした。明日は何時にどこ集合ですかな。」
「辰の刻だったと思います。」
「後で緒方にしおりを見せてくだされ。時間に合うようにお送りしましょう。寝室はこの上の階の奥の部屋です。勿論、縁側でくつろぐなど自由にしてもらって構いません。」
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2階 寝室
「この時間と集合場所であれば.....30分あれば到着します。出る時間に関しましては午前8時30分にしましょう。それでよろしいですか?」
「一任します。土地勘が無いもので.....」
「土地勘が無い?失礼ですが、お話を伺った限り京都には何度も足を運んでいるはずでしたが.....」
「1人で京都に来たのは始めてです。僕がどこかに行く時は決まって父母のどちらかか、香奈が同行するのが常でしたから。最近だと白鷺さんと行くこともありまして。.....特に、こういった学校行事で来ることもある意味初めてですから。」
「中学時代は何を?」
「中学時代は....家業を優先していましたので、こういった行事は全て休んでいました。家の用事の際も、基本は公欠でしたし。」
「....すみませんでした。不躾なことを聞きました。」
謝罪する緒方に「気にしていませんので大丈夫ですよ」と風人は軽く返す。事実として、本当にそうだった。今でこそ、シャープペンシルやアイスクリームといったものが分かるようになってきた頃合である。分かるようになったといっても見覚えがある程度のうろ覚え程度であったが、それでも進展はしていた。
「兵藤香奈さんの事は存じ上げております。」
「香奈を.....?確かに色々な所に顔は出してますが....」
緒方の言葉に風人は驚く。兵藤家も風野家と同様に様々な日本文化を嗜む家。しかし兵藤家が単体で表に出ることはなく、出る際は基本的に風野家の人間と一緒というのが昔からの習慣だった。
「はい。肇様がお話するところには、その美貌が多くの当主から目をつけられていると......育ちもよく、気品もあり麗しいお方であり、水面下で娶る争いが起きているとの事です。」
「そのような事が。知りもしませんでしたが....心配する必要は無さそうですね。」
「それは何故?」
「香奈には白鷺さんがいますし、兵藤家現当主の夫妻は香奈の事をお姫様のように大切に育てられています。迷子になったりしても探し出せるように手筈は整えているはずです。」
「なるほど....白鷺さん、というのは今日一緒におられた方ですね?」
「そうですよ。」
そう言われて緒方は今日一緒にいた、金髪の少女を思い出す。確かに毅然としていて、風人を引っ張っていた。しかし、評価されるほど強そうには見えなかった。もし襲われでもしたら、一溜りもないだろう。緒方の中の千聖はそのような存在だった。
「失礼を承知でお尋ねしますが....あの少女、白鷺さんはそんなに強い方なのですか?おそらくですが、普通に組手をすれば私が勝てると思うのですが......」
「確かに武の観点から見れば、強いとはとても言えませんが.....一般人に負けるような弱い人では無いですよ。それに白鷺さんは基本的に誰かに屈するような弱い心の方ではありません.....任せておけばきっと大丈夫ですよ。万が一の事が起きれば、私も助太刀しますし。」
「強い信頼関係なのですね。」
「私が、勝手に信頼してるだけかもしれませんけどね。」
へへっ、と笑いながら風人は語る。今日のやりとりだけでは分からなかったが、この2人には....少なくとも風人の千聖に対する思いは本物だと緒方は確信した。
「話は戻りますが.....その事を香奈は知っているんですか?」
「おそらく。この話は有名ですから.....むしろ驚きました。風野家の当主なら当然耳に入っているものと思っておりました。」
「そういった事は父母から聞かされるのですが....現在は離れ離れですので、全く分からないのです。」
「では僭越ながら....これからそういった情報が入った場合、私からそちらに伝えるというのはどうでしょうか。情報の獲得先はひとつでも多ければよろしいかと。」
緒方は提案をもちかける。風人は、しばらく黙ったまま緒方の目を見つめた。その何かを探る目は、先程までの年相応の幼さとはまた違った、大人の目をしていた。
「....失礼。探るような真似をして。」
「いえ、そのような....むしろ安心しました。提案をすぐに鵜呑みにしない所は、やはり場数を踏んだからでしょうか。」
「ついて欲しくない、嫌な技ですけどね。」
苦笑いをしながら、「この技は母から習ったんです。」と話す。顔つきと目線を変えるだけでも、相手に多少の緊張を与えられるという。
「そのご提案、お受けします。しかし良いのですか?見合う対価を示さなくて。」
「私が話すといっても、界隈の噂話や動向程度です。それに風野家がどこかと揉めている訳でも無いですから......強いて対価を示すなら、もし私がこの家を解雇されて働き口が無くなった時は、秘書として雇っていただければと.....」
商売人の一面を見せる。無償の条件より、多少の対価を見せた方が話が進むと緒方は方針を変えた。
「ならそういう事にしましょう。よろしくお願いします。」
「ありがとうございます....話しているうちに、就寝時間になりますね。明日また起こしに参ります。では。」
話を一通り終え、緒方は部屋を出る。風人も布団に入り、就寝した。
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深夜
「上手くやったじゃないか、緒方。」
「はい、肇様。」
風人が就寝した後、初めは床の間に緒方を呼びつけ、働きを労った。
「十数年、内部の情報が入ってこなかった風野家....うちが一歩他をだし抜けたな。」
「しかし、あの世間知らずさは不安になりますね....」
「それは私も思うところだ。全く、あの家の親はどんな教育を施しているんだ......」
緒方は扇子を閉じ、顎に当てながら思案する。
「風野家とのコネを作るのは、昔から至難と言われる。それに現当主は海外、今はあの子供が当主を代行している。こういった機会でなければ、関係も築けなかった。大義だった。」
「勿体なきお言葉。....しかし、この関係を一体どう利用されるのですか?」
「決まってるじゃないか。」
「ネタを掴んで、いじってやるのだ。」