早朝 花咲川 弓道室
「.......フッ!」
紗夜さんが弓を引き絞り、矢を的の中心近くに撃ち抜く。その集中力と腕に、後輩さん達が息を飲む。
「お見事です。氷川さん。」
「ありがとうございます風野く.....先生。」
氷川さんは僕と2人でいる時や、白鷺さんといる時は風野くんと呼ぶが、弓道室に入ると先生に変わる。その徹底ぶりは見事である。
「先生もお手本を見せてください。」
後輩さんの1人がそう言ってくる。.....氷川さんの方が佇まいが整っているからそっちの方を参考にしてもらいたいんだが.....
「.....分かりました。氷川さん、そのまま練習を続けてください。僕は後輩さん達に指導しますので。」
「分かりました。」
そう言うと氷川さんはすぐに顔を的の方に戻し、再び姿勢を整え直す。
40分後
指導を終え、僕と氷川さん2人が残り、後片付けをしている。
「風野くんも、皆さんから憧れの視線を向けられていましたね。普段からああいった清廉な佇まいをこころがけてください。」
「日常からこういった雰囲気を出すと誰も寄ってこなくなるので.....」
「そうですか?私はそういった方に好印象を受けますが。」
氷川さんのその言葉を聞き、以前白鷺さんに言われた「乙女心」が頭に浮かんだ。こういったこと察する為にも乙女心への理解は必要なのだろうか。
「氷川さん.....ひとつ聞きたいことが。」
「なんですか?」
意を決して聞くことにする.....氷川さんがとても真面目な顔でこちらを見つめるので、言い難い.....
「氷川さん.....乙女心とは、何ですか?」
氷川さんの真面目な顔が、一瞬で怪訝な顔に変わる。やはり真面目な話題だと思われたのだろうか.....
「.......熱は、無さそうですね。」
そして無言で顔を近づけ、額を合わせる。澄んだ瞳が、すぐ目の前にある。
「熱.....?」
「....いえ、風野くんからそのような言葉が出てくるとは信じられなくて........体調不良か何かかと思いました。白鷺さんから何か言われたんですか?」
「よく分かったね.....」
「あなたの言動が分からないほど付き合いは薄くありませんから。.....いえ、この場合は風野くんの言動が分かりやすいというのもありますが。」
「.....そうなんだよ。僕は、乙女心と言うのを全然分かっていないようで.....今後、他の方との付き合いの際に気を利かせる事が出来ればいいのですが。」
「.....なるほど。そういった目的でしたか。白鷺さんが言っている乙女心はきっとそういう事では無いと思いますよ。」
氷川さんが優しい顔で諭してくる。....この人はきっとお姉さんなんだろうな、と思った。
「風野くん、放課後、時間はありますか。」
「今日は大丈夫だと思う.....けど、何かあるの?」
「少し乙女心について、私がわかる範囲で話そうかなと。.....出来れば白鷺さんには内緒にしておいて下さい。」
「え?どうして.....?」
白鷺さんにバレたら不味いことでもあるのかな.....?氷川さんはそういう危ないことをする人ではないから何をするのか思いつかなかった。
「乙女心を学び、風野くんが白鷺さんを驚かせる為です。サプライズ.....という訳ではありませんが、少し成長した自分を白鷺さんに見せてあげたら良いと考えました。」
「そういう事でしたか.....ありがとうございます、氷川さん。」
道具を片付けた後、氷川さんと集合時間、集合場所を決め、弓道室を去る。.....最近は同年代の誰かと過ごすことも多くなったな.....白鷺さんの人脈のおかげかな。
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放課後 氷川家
「お、お邪魔します.....」
「どうぞ、私の部屋で待っていてください。」
氷川さんに連れられ、氷川さんの家に来る。こうやってプライベートで知り合いの家に来るのは白鷺さん以外無かったな.....
紗夜の部屋
「では.....微力ではありますが、乙女心について教えさせてもらいます。」
「は、はい.....」
僕の目の前には.....可愛らしい犬のイラストが入った紙芝居が置かれている。氷川さんも少し得意げな顔をしているのを見るに、きっと自信作なのだろう。
「では早速質問になってしまいますが.....風野くんは女性と接する時、何を心がけていますか?」
「心がけている事ですか.....これは女性には限りませんが、まずは他人として尊重することを心がけています。」
「確かに武道を嗜んでいる方からすれば礼儀は大事なのでしょう.....ですが、それは異性間の関係においてはあまりよろしくありません。風野くん、他人として捉えるのはあまり良くないんです。」
「えっと、なんで.....?」
「相手を複雑に捉えてしまうからです。他人であると認識することは、その人は自分とは思考回路が全く違うという前提に立っていることを意味します。」
「でも、自分の価値観で考えたら、捉え間違えないかな.....?」
「その心配の根源こそがさっき話したことです。別に私はその子に起こったことを風野くんが独自に解釈して理解しろとは言っていません。その子の気持ちに寄り添い、まずは理解するよう心がけてください。その上で反応してください。」
紙芝居をめくり、犬同士が会話している絵が描いてあり、上にいい例悪い例と併記されている。これ作るのにどれくらいかかったんだろう.....
「勉強になります.....」
「素直なのはいいことです。風野くんのそういうところは変わらないですね。」
「素直、なのかな.....ただただ僕が無知なだけじゃないかな?」
「確かに無知といえばそれに該当するかもしれませんが.....知らないとしっかり自覚していることは大切です。それに風野くんは学んだことをしっかりと実践しようとする人ですから素直ですよ。」
そうやって氷川さんは僕の頭に手を置き、撫でる。
「風野くんは、自分がどういう人間で、どういう行動を取るかは知っているはずです。後は相手との交流を増やし、相互尊重の元で、お互いの心に触れる機会を増やしてください。そうすればきっと理解できますよ。」
「なんか慰められた.....」
「私自身.....同じ女性の方との交流の中で山ほど失敗しています。一番身近な妹とすらすれ違う程ですから.....私も中々わがままなんですよ?」
「そうは見えないけどな.....確かに固い一面はあるけど、わがままとは言えないんじゃないかな.....」
僕は弓道とこういった少しの時間しか氷川さんと交流していないけど、わがままな人とは違うことは分かる。自分の中にある矜恃を貫き通す.....それを自分に課している。そんな雰囲気があった。
「ふふっ、私と似たようなことを言っていますね。」
「似たもの同士かもね、僕達。」
「はい。.....そろそろお時間ですし、今日はここでお開きにしましょう。」
そのまま氷川さんに玄関まで送ってもらい、家を出る。本当に丁寧な人だな.....そう思った。
「風野くん.....あぁ言うことはあんまり言わない方がいいですよ。下手に口説いてる風に聞こえますし。」
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風野家
「ただいま帰りまし.....白鷺さんはいないのかな?」
家を一回りしてみたが、白鷺さんの姿はどこにもなかった。その代わり、書き残しが居間に残っていた。しかもかなり焦ったような字体だ。
『覚悟しておきなさい』
「.......何を覚悟するの.....?」
バースデーは天井しました(血涙)