フランドールの身体が治り切る頃には、既に夜が顔を覗かせていた。
空は未だ晴れぬままではあったが、ほんの僅かではあるものの太陽の残滓がこの地を辛うじて照らしている。
それは人の生きる世界が終わるまでの猶予の様であった。
しかしそれも直に終わる。
そうして世界が人外の物に切り替わった時、彼女の身体は息を吹き返した。
「お、動けるようになったか」
身体を起こしたフランドールに掛けられた声は、萃香のものであった。
萃香は、待ちくたびれたぞと嫌味を言いながら微笑みを向ける。
喧嘩という萃香にとって最大限の娯楽が終わってしまった後も、彼女は律儀にフランドールの復活を待っていた。
殆どの時間が沈黙であったが、それでも萃香は穏やかな表情を崩さずに、フランドールの横に座り続けたのだ。
最も、その喧嘩と同格の娯楽に付き合わせようとしていたからなのだが。
「まぁ辛うじてね。煙くらいは出るまでには回復したわ」
「じゃあ問題ないね。さあ、私に付いて来てもらおうか」
その声と共に萃香は立ち上がり、釣られてフランドールも同様の行動をとる。
ふとフランドールは何気なしに辺りを見回してみた。
今日は珍しく虫の声すらも聞こえない。
何もない無音は、彼女達が一際大きい存在感を放っている事を気付かせる。
それは世界がこの2人だけの物になってしまった様な錯覚をも引き起こさせた。
フランドールはあり得ない瞞しだと笑って消し去り、萃香の後を続いて歩みを始めた。
人里までの道中はやはりと言って無言が続き、これといった会話は殆どと言ってなかった。
それでも二人に気まずさは感じられない。
お互いに、交わす言葉は酒の席までとっておこうという思いだったのかもしれない。
そんな穏やかな静寂を掻き消す様にして、周囲には2人が地面を踏みしめる音が響いていた。
「お、見えてきた見えてきた」
萃香が後ろへと振り返り、フランドールを見ながら前方へと指を指す。
指された方角へフランドールが目を向けると、ぽつぽつと淡い光が浮いている事に気付く。
夜目を利かせてそれを見やると、そこには数多くの家々が存在していた。
「あれが人里?」
「そうそう。あ、一応正体は隠さないといけないからその羽は仕舞っておけよ。
羽織る物は貸してやるからさ」
萃香は、何処からともなく変装用の衣服を取り出してみせる。
フランドールにとっては見慣れない物であったが、人里においての勝手が分からない以上萃香に従うしか無く、大人しく受け取る事にする。
色々と指示を受けるのは面倒であったが、人里には興味があった事もあり、それを思えば我慢出来た。
「よし、じゃあ行こうか」
全ての準備は整い、後は人里に入るだけであった。
興奮と期待がフランドールの思考を支配していく。
人間が集う場所。飲み物の形でしか人間を知らなかった彼女にとってこの場所は、人間がどのような営みをするのかを知る事ができる、格好の研究対象であった。
フランドールは、薄く笑みが溢れながら萃香の言葉に頷いてみせた。
「ふーん、こんな風になってるのねぇ」
フランドールにとって、見渡す限り全ての光景が新鮮であった。
博麗神社などと同じ様に木材を用いて建てられているのは分かるが、それが道を挟んできっちりと横一列に並んでいる。
一軒家自体は見慣れたのだが、如何せん数が多い。
更に、建物其々が別の役割を持った場所であるのだから、彼女の興味が飽きるかとは無かった。
「ほら、あんまりきょろきょろするなって。怪しまれちゃうぞ?」
「ん、これは失礼」
フランドールは、つい我を忘れて見入ってしまっていたが、萃香の指摘で目を覚ました。
自分らしく無いと、少々照れながら自らを戒める。
「ほら、着いたよ」
ある場所の前で萃香が足を止め、フランドールに呼び掛けた。
彼女が足を止めた場所を見ると、一つの看板を見つけた。
「げいどんてい……?」
「そ、鯨呑亭。今日は早めに店を閉めてもらったからな。思う存分私らで呑めるよ」
萃香は、やっと酒が呑めると上機嫌で店へと入っていく。
フランドールも彼女に続いて店へと入る事にした。
「……わぁ」
これまた見た事の無い光景だった。
とは言っても飲食店の内装自体知らなかったので当然ではあるが。
調理場を囲むようにして客席が並ぶ。
萃香は既に席についており、彼女に促される様にしてフランドールも隣へ腰を下ろす。
「ほら、これに書いてあるやつから好きな物頼みなよ」
そう言って萃香はフランドールに、一つの紙を渡す。
お品書きと書かれたそれには見慣れない料理の名前ばかりが載っている。
「……全然知らない名前の料理ばっかりね」
「あれま、これとか知らないのかい?」
「今まで洋食ばかり食べてたから、和食なんて本当に有名な物しか知らないのよ」
「ふーん、じゃあ私が適当に頼んじゃうよ。鬼が食べられない物は吸血鬼だって食べられないだろうし多分大丈夫でしょ」
フランドールはそれに同意し、取り敢えずは彼女に任せる事にする。
暫くの間暇な待ち時間が出来てしまい、フランドールは久し振りの退屈と再会した。
そうして、萃香があれこれ悩みながら決めかねている姿を何の気無しに眺めていると、奥から何者かの声が聞こえてきた。
「注文は決まりました?」
声がした方に顔を向けると、其処には一人の少女が、此方の様子を見守っていた。
「あーうん、取り敢えずいつものやつ貰おうかな。初めての奴もいるし」
萃香は親指でフランドールを指しながら、その少女に向かって注文を頼んでいた。
少女はそれに対して気持ちの良い返事をした後に、直様調理に取り掛かってみせた。
「ん?」
ここでフランドールは少女に対して違和感を覚えた。
見た目は特に普通の人間と変わらないのだが、それでも何処か人間とは違った匂い、雰囲気と言うべきか、そういった何かを感じたのだ。
妖怪であれば、人間の持つそれとは明らかに違う為、直ぐに明確に分かってしまう。
しかし、この少女の持つものは妖怪と呼ぶには余りにも不明瞭で、人間との差異が少な過ぎた。
それはもうフランドールの好奇心を擽る以外の何者でもない。
彼女はその少女に向かって率直に疑問をぶつける事にした。
「ねぇ貴方、人間じゃないんでしょ?」
唐突に疑問を投げ掛けられた少女は、忙しなく動いていた調理の手を止め、フランドールの方をちらりと見やった。
「やっぱり分かる人には分かっちゃうんですね。そう、私は人間ではありません」
「あ、やっぱり。でも妖怪にしてはなんか違和感が有るのだけれど」
「あぁそれはねぇ、こいつは自分に対しての認識を邪魔出来るみたいなんだよ。はっきりしないで違和感に留まっているのは多分それのせいさね」
フランドールの持つ疑問に答えてみせたのは萃香だった。
彼女も少女が人間でない事は既に知っており、事の詳細も把握している様であった。
「ふーん、じゃあ貴方は妖怪って事でいいのね?」
「ええそうです。私はこの鯨呑亭の座敷童子、奥野田美宵です。まぁそっちの鬼の方からは酔魔って呼ばれてますけどね」
さて、と一言置いて美宵と名乗った少女は再び調理の手を動かし始めた。
一定のリズムを刻む包丁の音、肉が焼かれる音や品物を盛り付ける音など様々な物が店内に響く。
何故だかフランドールにとってそれはひどく心を落ち着かせてくれるものであった。
心地良い響きと香りに包まれ、彼女は自らの顔が綻んでいくのを感じる。
彼女は、料理の過程を楽しむのがこんなにも安らぐものであったとは知らなかったと一つ意外に思いながら、またその雰囲気に没頭し始めた。
普段の彼女は紅魔館の調理場になど一切顔を出さず、完成までの工程など全くと言って知らなかった。
それ故に彼女にとって料理の過程を見るのは初の出来事であったのだ。
フランドールは、今度帰った時には咲夜の調理現場でも覗いてみるかなとそんな事も考えていた。
「おーい先に酒飲んじゃおうよー」
萃香がとうとう我慢出来なくなったようで、美宵に酒を持ってくる様に催促をし始めた。
「はーい、焼酎でしたよね」
「そうそう、分かってるねー」
美宵が何瓶もの酒を取り出し、二人の前へと差し出してくる。
それを萃香が嬉しそうに手に取り、盃に注いでいく。
盃から溢れんばかりに溜まったその酒を萃香は一気に飲んでみせた。
「あ〜やっぱり喧嘩の後は酒だよなぁ」
萃香は、満たされたあの戦いの余韻に浸りながら、自らの身体に酒を染み込ませていく。
それはまるで幽玄という名の海を酒で置換しようとしている様であった。
まさに酒で溺れるという言葉そのものを体現する行為である。
萃香は気分が乗ってきたのか、親切にフランドールの盃へと酒を注ぐ。
フランドールはそれをまじまじと見つめながら、萃香と同様にしてそれを呑み干した。
喉が痛い。なんだこれは。
喉への強烈な刺激に驚愕を覚える。
しかしそれは初めの内のみで、少ししたらその刺激にも慣れてくる。
ただ慣れてしまえばこっちの物である。
余裕がでてくると、フランドールは酒の味を楽しめるようになっていった。
意外とイケると、呑めば呑むほど更に酒が進んでいった。
すると、そういえばと、美宵が萃香へと話題の提示を始めた
「さっき喧嘩って言ってましたけど、誰かと口喧嘩でもしたんですか?」
「いや、普通に殴り合いだよ」
「え、鬼と殴り合うなんて、そんな命知らず居るんですか!?」
「うん、こいつ」
そう言って萃香はフランドールへと目を向けた。
美宵は信じられないといった表情でフランドールを見つめていた。
「えーと、鬼が連れてくる位だから妖怪だとは思ってたけど、まさか殴り合いまでしてるなんて……貴方は一体……?」
「あら失礼。私はフランドール・スカーレット、そこの紅い館に住む吸血鬼ですわ」
吸血鬼と聞いて美宵の顔が納得したものになった。
「あぁ……吸血鬼でしたか。吸血鬼なら鬼とまともに喧嘩できてかつ生きてるっていうのに納得が出来ますね」
「そうだねぇ、私も久しぶり楽しめたからな」
「それで、どっちが勝ったんです?」
「そりゃあ私だって。吸血鬼には負けらんないしね」
自信満々と言ったドヤ顔を萃香はフランドールに向けてきた。
明らかに馬鹿にされているのは分かるが、それでも負けは負けである為に言い返せない。
フランドールは旅に出て初めて、屈辱と怒りを覚えた。
「はぁ……こうも馬鹿にされてると流石に腹が立つのだけれど」
「あぁ悪い悪い。まあ事実だし」
萃香はフランドールの怒りを軽く流し、更に煽りを加えてくる。
普段のフランドールならこれくらいの口撃は簡単に躱してみせるのだが、喧嘩での疲れと酒が入っている事により、冷静な思考ができなくなってきている。
「煩いわねぇ。気に入らないからもう一回勝負よ」
「お、いいねぇ、そうかなくちゃ。じゃあ呑み勝負ってのはどうだ?」
「え、ちょっとそれは……」
「良いわ。受けてあげる」
「ちょっと! それお店が潰れちゃうって!」
美宵の叫びも虚しく、二人は勝手に勝負を始める事に決めていた。
伊吹萃香vsフランドール・スカーレットの第二回戦が今まさに始まろうとしていた。
「きゅう……」
「なんだもうダウンか。こっちはまだまだ余裕だぞ?」
およそ2時間における死闘。
運ばれてくる料理をつまみながら、二人は兎に角酒を流し続け、そしてとうとうフランドールは限界を迎えた。
鬼相手にかなり健闘した方だと思われるが、それでもやはり鬼には全くと言って敵わなかった訳で、完全に伸びてしまっている。
「うぅ……むにゃむにゃ」
「なんだこいつ、随分可愛らしい寝言言ってるよ」
美宵は、辛うじてこの店が持ち堪えた時に安堵の念を示し、この二人が同時に店に入るとこを禁止にしようか本気で考える事にしていた。
「さて、今回の勝負も私が勝った訳だが」
「えーと、どうかするつもりですか?」
美宵の疑問が萃香に投げ掛けられる。
彼女の言葉を聞いた萃香は、妙に怪しげな笑顔を浮かべ始めた。
「ふふふ、どうすると思う?」
それは妖精が何かを企んでいるのと同じ様な、悪戯心満載の笑みであった。
美宵は、その顔に少しばかりの戦慄を覚え、これからフランドールに起こるであろう惨事に心の底から同情する事を決めた。
泥酔フランちゃんお持ち帰りー!