少女の身体が左右に揺れる。ワンステップ、ツーステップ。少女の肢体が軽やかに舞う。ステップ、ターン、ステップ、ターン。
鎮守府本館の階段の踊り場でひとり舞風はダンスに興じる。リズムに乗って、リズムに合わせて。
通りがかった提督が頭上から「舞風」と声をかける。
「提督見てたの?ちょっと恥ずかしいな」
「ダンスの練習か?熱心だな」
えへへ、と笑う舞風につられ提督の顔にも微笑が浮かぶ。階段を舞風のところまで下る提督に舞風は思いついたように提案する。
「提督!提督も一緒に踊ろうよ!」
舞風のいきなりの提案に提督は困ったような微笑で応える。
「踊りっつってもな。俺はせいぜい社交ダンスくらいしか知らん」
「社交ダンス?」
「ああ。士官学校で習うんだよ」
紳士たれ、との教えの海軍士官学校。その課程の中には社交ダンスも含まれる。初めて知ったその情報に舞風は「ほーん」と感心したような声を上げる。
「もっとも習ったっきりだからだいぶ錆びついているけれどな」
「ふーん……じゃあ……」
こくん、とひとつ喉を鳴らしてから舞風は思い切って訊いてみる。
「舞風に、社交ダンス教えてくれないかな?思い出しも兼ねて、さ」
男女が密着する社交ダンス、舞風にはいささか刺激が強い。その相手がかねてからの思慕の相手の提督となればなおさらだ。それでもこんなタイミング、そうそうあるものじゃない。はたして提督は一瞬考えるような顔になるが、笑顔で舞風に手と声を差し伸べる。
「それでは一曲お相手願えますかな、お嬢さん?」
どきどきしながら提督の手を取る。その手を提督が引き寄せる。あっという間に舞風の小さな体が提督の胸元に収まる。
提督のリードでダンスが始まる。スロー、スロー、クイック、クイック。狭い踊り場を器用にふたりの身体が舞う。ステップ、ステップ、ターン、ターン。
提督に誘われて舞風の身体がくるりとひと回りした瞬間、階段の下から声が聴こえてくる。
「誰か来たようだな。レッスンはここまでだ」
言いながら提督は舞風から身体を離す。惜しむ時間もあらばこそ、夢の時間は終わりを告げる。この時間をこれだけのものにはしたくなくて、舞風は提督に問いかける。
「あの……また、教えてもらえますか?」
「ん?まあ、身体が空いている時ならいいぞ」
ぱあっと舞風の笑顔が広がる。「約束だよ!」とひと言告げて舞風は提督に手を振りその場を駆け去った。
その翌日、提督執務室の扉を見渡す廊下の端で舞風はその時を待つ。果たして扉が開き、秘書艦の大淀が姿を現す。
「それでは行ってまいります、提督」
大淀の背中が遠ざかるのを見計らって舞風は執務室に駆け寄り扉を開く。
「ん?舞風か。どうした?」
「あの……」
机の向こうから微笑を向けてくる提督に舞風は言い淀む。約束を忘れてしまったのだろうか、そんな不安が湧き上がる。
「その……」
「もしかして、レッスンの続きか?踊ることには熱心だな」
言いながら提督が椅子から腰を上げる。舞風が頬を紅潮させ笑顔咲かせる。その舞風に歩み寄り提督は今日も手を差し伸べる。
「それでは、お手をどうぞお嬢さん」
ふたりの身体が舞い始める。提督のリードで舞風の肢体が優雅に舞う。スロー、スロー、クイック、クイック。クイック、クイック、ターン、クイック。
提督に誘われながら舞風はひと時の夢に酔う。ずっとこの時間が続けばいいのに、そんな想いはしかし無常にも届かない。
「さて、今日はこのくらいにするか。俺も仕事があるからな」
提督の身体がすっと離れる。言いようのない寂しさが舞風の胸を吹き抜ける。胸に手を当て、何か言おうとして、しかしそれが言葉にならぬまま舞風はぴょこんと頭を下げて執務室を後にした。
その翌日も舞風の姿が提督執務室にあった。提督と舞風がステップを踏む。ふたり手を取り身体を合わせ、ふたりは優雅に舞い踊る。
ため息の漏れそうな時間の中、舞風がふと呟く。
「提督にだけ言うけど私……本当は、怖くて仕方ないの……だから、踊りで紛らわせているの……」
ステップを踏む足を止め、提督の胸に顔を寄せ、舞風は囁きかける。
「でもね、提督のそばに居れば、何だか大丈夫……ずっと近くに居ても、いいですか……?」
目を閉じ提督にもたれかかる。
「提督……」
提督の動きも静かに止まる。「舞風」と応える提督の声に舞風ははっと気がついたように飛びずさる。
「あ、あの……私……」
告白だ。これは、まさしく告白だ。そんなつもりなかったのに、そんなつもりなかったのに。
胸を庇うように両手で押さえ、破裂しそうなほど顔を真っ赤にして舞風は逃げの言葉を探すが、そんなものはないと悟ると「ごめんなさい!」とひと言叫び執務室を飛び出した。
埠頭の端で立ち竦む。激しい鼓動を抑え込もうとするかのように心臓のあたりに両手を当てる。
「どうしよう……」
そんなつもりじゃなかった。想いを伝える予定も覚悟もなかった。一度飛び出した言葉は戻らない。これからどんな顔をして提督に会えばいいのか。
「どうしよう……」
涙がにじむ。自分の愚かさを呪いたくなる。他にどうしようもなく舞風は埠頭に立ち尽くす。
しゃり、と背後でコンクリを踏む音がする。「舞風」と自分を呼ぶ声がする。その聞き慣れた、聞き間違うはずもない声に舞風はびくりと大きく身を奮わせる。
自分に近づいてくる気配に向けて舞風は背中越しに叫び声向ける。
「来ないで……!」
涙頬を伝わせながら目を閉じ舞風は叫ぶ。
「お願い、忘れて……!」
その身体がふわっと温かい感触に包まれる。後ろから、提督は舞風を抱きしめる。その耳元に唇を寄せ提督は舞風に囁く。
「忘れるものか……ようやく、想いが実ったのに」
舞風の瞳が見開かれる。その舞風に、提督は言葉続ける。
「舞風とダンスを踊りながら、いつ伝えようか考えていた。先に、舞風に言われちまったけれどな」
舞風を抱きしめる腕に力を籠め、提督は告げる。
「好きだ、舞風」
新たな涙、舞風の瞳から溢れる。温かい涙、舞風の瞳から溢れる。心が躍る、ステップを踏む。舞風の鼓動が、軽やかに跳ねる。
ふたりのダンスは、終わらない。
了