艦娘恋物語   作:青色3号

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早霜の場合

提督執務室の扉の前で早霜はひとり立ち尽くす。指をノックの形に曲げたまま、しかし早霜は動こうとしない。特に用もないのに顔を出して迷惑がられないか、邪魔にはならないか―――そんなことを考えてしまい、早霜は身体を動かせない。

 

 

「あれ?早霜じゃん。執務室に用?」

 

 

聴こえてくるその声の方角に顔を向けると近づいてくるのは陽炎型駆逐艦・秋雲。陽炎型とはいえ夕雲型の自分にも縁浅からぬ彼女の姿に少しだけ早霜の身体の力が抜ける。

 

 

早霜の見守る前で秋雲は執務室の扉をノックし「入るよ~」の一言とともに身体を部屋に滑り込ませる。そのフットワークの軽さを少しだけ羨望する早霜に秋雲は顔を向ける。

 

 

「早霜も用でしょ?入んなよ」

 

 

秋雲の言葉につられる様に早霜も執務室に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

提督執務室の机の向こうから提督が気安い声をかける。

 

 

「秋雲、早霜。よく来てくれたな」

 

「やっほ~、提督。秋雲さんの登場だよ~」

 

 

両腕を頭の後ろで組み提督に近づきながら秋雲は明るい声を出す。

 

 

「ちょっと新刊のネタに煮詰まっててさ~、提督もなんか面白い話があったら教えてよ~」

 

「おいおい、俺は今仕事中だぞ」

 

 

そんな言葉を放ちながらも提督は笑顔見せる。秋雲の一歩後ろをついていきながら早霜は揺れる複雑な心持て余す。提督の笑顔が見られた喜びに、その笑顔を引き出したのは自分ではないという寂しさに。

 

 

「ちょっとくらい休憩したっていいじゃん。秋雲たちに付き合ってよ」

 

「しょうがないな……茶くらいは淹れてやる」

 

 

言いながら提督は椅子から腰を上げる。その挙動を見つめながら、結局早霜は今日もまた思うように口を開けないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

執務室を後にし、廊下を歩きながら秋雲は一歩後ろを歩く早霜に声向ける。

 

 

「提督に会いたかったんでしょ?ケナゲだね~」

 

 

何気なさを装って放たれる図星を突いた秋雲の言葉に早霜は足を止めて顔を真っ赤に染める。自らも足を止め早霜を振り返って秋雲は少しだけ真面目な顔を作る。

 

 

「でもほとんどお話してないじゃん。秋雲が促さないと話題にも乗ってこないし」

 

「何を話せばいいのかわからなくて……」

 

 

俯いて早霜は呟く。提督とお話したいことはたくさんあるのに、もっと自分に向けられる提督の声が聞きたいのに、言葉がうまく出てこない。社交的な秋雲のことが羨ましい。

 

 

「まあ、控え目なところが早霜のイイトコロだとも思うけれどね」

 

「…………」

 

「ま、何かあったら相談に乗るよ。気楽に頑張ってね」

 

 

ひらひらと手を振り秋雲はその場を離れる。その後ろ姿を目で追いながら早霜は自分の恋路の前途多難さを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、ベッドでまんじりともせず早霜は暗い天井を見上げる。秋雲のおかげでいつもより提督とたくさんお話しできた……気がする……ためか、今夜はなかなか寝付けない。お散歩にでも出かけるか、と早霜は同室の朝霜を起こさぬようそっとベッドから身を起こし制服に着替えた。

 

 

夜中の鎮守府は昼間とは違い静かで、それでも建物の窓の一部からはまだ灯りが漏れている。微かに轟く砲撃音は夜戦演習中の艦の放つ響きか。岸壁を歩く早霜の視線が、向こうから近づいてくる駆逐艦娘の姿を捉える。

 

 

「秋雲?」

 

「あれ?早霜じゃん。散歩?」

 

「うん。秋雲も、こんな夜中に?」

 

「新刊のネタが浮かばなくてね~。夜風に吹かれれば、いいネタも湧くかと期待して」

 

 

可愛らしい笑顔を見せて秋雲はそんな台詞を口にする。ふと昼間のことを思い出してか、秋雲が早霜に問いかける。

 

 

「早霜は、あれかな?提督のことを想って寝付けなくなった、とかかな?」

 

「や……!からかわないでよ……!」

 

「あはは、ごめんごめん。可愛くてついからかいたくなっちゃってさ」

 

 

悪びれもなくそんなことを言ってのける秋雲の前で早霜は珍しくお茶目に大袈裟にほっぺたを膨らませてみせる。ふと俯き表情に翳りを見せて早霜は呟く。

 

「でも想っているだけじゃ伝わらないわよね……どうすれば、司令官に振り向いて貰えるのかしら」

 

 

僚艦の気安さから放たれた早霜にしては大胆な言葉、その言葉に秋雲は目を見開くが、ここは真剣に答えようと「う~ん」と唸り声あげて思案に沈む。

 

 

「夜這いでもかけてみれば?」

 

「え?」

 

「この時間なら提督も自分のお部屋に帰っているでしょ。夜這いを仕掛けて、一気に既成事実を作っちゃえ!」

 

 

あなたの新刊のネタじゃないんだから、とどこからかツッコミが聞こえてきそうな提案をすると秋雲は後頭部を掻き掻き笑い声あげる。

 

 

「あはは、なーんてね。そんな大胆なことができるくらいなら最初から早霜も苦労していないか……って、あれ?」

 

 

気がついたときには早霜の姿はその場から忽然と消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

秋雲の言葉通り部屋に引き上げていた提督は制服から黒のパーカーとGパン姿に着替えソファの上で雑誌に目を落とす。控え目なノックの音が耳に届き提督は扉の方に目を向けながら思わず独り言つ。

 

 

「こんな時間に?なにか、トラブルか?」

 

 

腰を上げて扉に向かいノブを捻って押し開けると、そこにいたのは黒髪の駆逐艦娘の小柄な姿。

 

 

「早霜?どうしたんだ、こんな時間に?」

 

「あの……」

 

 

両手を組み合わせて胸のあたりでもじつかせ、視線を俯かせて足元を見つめたまま早霜は言葉を続けようとしない。

 

 

「その……」

 

 

いや、続けられない。秋雲の言葉に飛び乗ってここまで来たはいいけれど、そこから先が続かない。

 

 

早霜にも、こんな時間に殿方の部屋を訪ねる意味は分かっている。十分わかって来たはずなのに、それなのに、いやそれだからこそ、怖さに身が竦み震えが走る。小さく身を慄かせる早霜のことを提督はしばらく黙って見下ろしていたが、やがて身を引いて早霜の通れるだけの隙間を作ると早霜に静かな声向ける。

 

 

「とにかく、こんなところじゃなんだ。部屋にあがりなさい」

 

 

もう引き返すことはできない―――鼓動がひとつ大きく響き、早霜の小さな身体を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソファの上で身を固くする。リビングからつながるドアの向こうは寝室か、そこにベッドが待っているのか、そんなことを考える。泣きそうなほど響く鼓動をうるさく感じる早霜に提督は近づくとマグカップを差し出す。

 

 

「ホットミルクだ。落ち着くぞ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「それを飲んだら、帰りなさい」

 

 

言葉が一瞬身体を素通りし、早霜はほけっとした顔を提督に向ける。その傍らに腰を下ろして自らはウイスキーの水割りの入ったグラスを傾ける提督の横顔からは、彼が何を考えているのかは伺い知れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駆逐艦寮への帰り道を、早霜はぼんやりと歩く。何もされなかった安堵感と、何もされなかった寂寥感。安堵感が引くにつれ寂寥感が膨れていき、早霜はふらふら歩きながら足元を見つめる。

 

 

自分は、手を出す価値もないのだろうか。自分には、魅力がないのだろうか。そんな思いがどうしようもなく早霜の胸を吹き渡る。少しおぼつかない足取りで歩く早霜に向けて、前方から駆け寄ってくる姿がある。

 

 

「早霜!」

 

「……秋雲」

 

 

早霜に駆け寄りその肩を両手で掴み、秋雲は顔を下に向けて荒い息整える。ぜえぜえ言う息が落ち着く前に秋雲は顔を上げ早霜を見据える。

 

 

「どこ行ってたの!まさかあんな冗談を真に受けたんじゃないだろうね!」

 

「あ、私は……」

 

「ダメだよ、勢いだけでそんなことしちゃ!後から絶対後悔する!」

 

 

必死な秋雲の形相をぽかんと見つめ、やがて早霜は俯いてぽつりと呟く。

 

 

「ごめんなさい」

 

「あなた、まさか……」

 

「ううん……何もされなかった」

 

 

口にしてその事実を思い知らされ、早霜は瞳潤むのを感じながら唇を噛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、身の入らない座学を終え早霜は岸壁をひとり歩く。途中足を止め海の方角に身を向けて海風に靡かせながら昨夜のことを反芻する。

 

 

何もされなかった、手を出されなかった。自分にはそれだけの魅力も価値もなかった。結局未だ清い身の自分を滑稽に感じながら早霜は自虐的に微笑み靡く髪を手で押さえる。

 

 

しゃり、とコンクリを踏む音が聞こえて早霜はそちらに目をやる。白い海軍将校制服に身を包んだ提督がこちらに近づいてくる。胸を走る痛みをどこか他人事のように感じながら早霜は提督が近づくに任せる。

 

 

早霜の隣に立ち海に目を向けて提督は早霜に声を向ける。

 

 

「もう、あんな時間に男の部屋に来るなよ」

 

「……ごめんなさい」

 

「なんとか理性を保ったが……次回どうなるかはわからん」

 

 

言葉の意味を掴み損ね、早霜はぽかんと提督を見上げる。その早霜に横顔を向けたまま提督は続ける。

 

 

「早霜のことは大切にしたいと思ってそのまま帰したが……俺も、若い男だからな」

 

 

心臓の音が早霜の中でひとつ大きく響く。そのまま、鼓動は大きなリズムを刻み始める。早霜に見上げられながら提督は決定的な言葉告げる。

 

 

「好きな子は大切にしたいんだよ。もう、あんな時間に部屋に来てくれるな」

 

 

大きく見開かれた瞳から涙一条溢れる。その早霜に顔を向けて提督は真摯な視線早霜に送る。

 

 

「好きだ、早霜」

 

 

返事をしなくては、想いを伝えなくては。そう思うのに胸が詰まって言葉が喉から出てくれない。しゃくりあげ、庇うように両手を胸に当てる早霜を動かしたのは提督の真っ直ぐな眼差しだった。

 

 

「好きです、司令官」

 

 

それだけ告げて早霜は顔を両手で覆い泣き崩れる。その早霜に手を伸ばし提督は早霜の髪撫ぜる。暖かな感触感じながら、早霜は心に強く誓う。

 

 

 

 

 

自分を大切にしてくれるこの人を、自分はずっと大切にしていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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