提督の周りにはきれいな人が多い。そうジェーナスはいつも思う。例えば今、執務机の前で提督と並んで立ちふたりで書類を手になにやら語り合っている秘書艦の榛名もそうだ。
いつも勇気を出して提督執務室まで来るものの、オトナの秘書艦と提督が醸し出す雰囲気に押されてしまっていつも自分らしくふるまえない。今日もふたりから離れたところでぼうっと突っ立ちふたりの様子を眺めているだけだ。
「ジェーナス、どうした?」
「ぅえ!?」
気がついた提督がこちらに目を向け声をかけてくれるのにおまぬけな声を出してしまう。顔がかあっと熱くなる。それでもしどろもどろにジェーナスは自分の存在をアピールしようとする。
「あ、あ、別に用事ってわけじゃないんだけど……」
「わざわざ顔を出してくれたのか?榛名、ジェーナスに紅茶を淹れてやってくれ」
微笑んで頷き榛名は戸棚に向かう。手際よく榛名がティーパックの紅茶にポットのお湯を注ぐのを背景に提督がジェーナスに話しかける。
「最近、調子はどうだ?」
「う、うん。上々よ……」
榛名から差し出されるマグカップを両手で受け取り、立ったまま紅茶を一口すする。提督は自分みたいな子供にも優しい。その優しさに惹かれ、その優しさに辛くなる。惹かれれば惹かれるほど辛くなる。だって、提督の周りにはたくさんのきれいな人がいるから。今の自分みたいに上手にお話ができない子じゃなく、上手にオトナの会話ができるきれいな人たちがいるから。
「美味しかったわ、ありがとう。じゃあ、私もう行くわね」
「ティーパックのお茶だけどな。また顔を出してくれ」
提督の笑顔に後ろ髪を引かれる。それでも、やはりこれ以上この場所にいるのは辛くなる。だって心臓がこんなにどきどきするから。だってお話したくても上手に言葉が出てこないから。
固い笑顔を最後に浮かべてジェーナスは執務室を後にした。
お話したいことの半分も、いやこれっぽっちもお話しできなかったことに自己嫌悪を感じながらジェーナスは鎮守府本館の廊下をうなだれて歩く。「ジェーナスちゃん」と自分を呼ぶ声に顔を上げると向こうから近づいてくるのは正規空母娘の翔鶴。
「ショウカクさん、こんにちは」
「こんにちは」
わざわざ足を止め自分に挨拶してくれる翔鶴の優雅な佇まいに、また大人の女性の所作を知る。自分にはない、落ち着いた振る舞いが眩しい。翔鶴もまた秘書艦を以前勤めたことがある。戦艦や空母の人が中心になって勤める秘書艦の職、大人の女性が勤める提督に一番近い職。
ふたりっきりの時にどんな会話を交わすのだろう―――そんなことを考えながら、ジェーナスはふと前に聞いた噂話の真偽を翔鶴に問う。
「ショウカクさん、参謀士官の男の人とおつきあいしているってホント?」
「え?ジェーナスちゃんも知っているの?困ったな……」
染まる頬に片手を当てて翔鶴は照れた笑いを浮かべる。その仕草が、表情が、噂が真実だとジェーナスに告げる。ほっとして、同時にがっかりする。提督を巡る仮想敵がひとりいなくなったことにほっとして。そんなことを考える浅ましい自分にがっかりして。
あまり言いふらさないでね、と最後に言い残して軽く手を振りその場を離れる翔鶴の背中をジェーナスは目で追い続けた。
中庭に出てベンチに腰を下ろす。青空をぼんやりと見つめる。胸に満ちる提督への想いをこれからどうしたらいいのか分からないままにジェーナスは空を舞うトンビを見やる。
「ここ、空いているか?」
唐突にかけられる男性の声。それが提督のものだと悟るより早く、提督がジェーナスの隣に腰を下ろす。突然のことに心の準備もできないままうろたえるジェーナスの傍らで提督は憎たらしいくらい落ちついた横顔をジェーナスに見せる。
なにか、お話しなきゃ―――焦るジェーナスの唇から漏れたのはこんな言葉だった。
「ハルナさんって、きれいね」
「ん?まあ、美人だな」
横顔をジェーナスに向けたままあっさりとした反応を提督は返す。その傍らでジェーナスは小さく身体を縮こませる。こんなお話がしたいんじゃない、そう思ってもジェーナスからはそんな言葉しか出てこない。
「ショウカクさんも、きれいね」
「まあ、美人だな」
「その前秘書艦だったヤマトさんだって……」
「まあ、美人だな」
あっさりしているにしてもあっさり過ぎる提督の反応にようやくジェーナスは違和感を覚える。眉を寄せて提督の方に顔を向けジェーナスは提督に問いかける。
「……それだけ?あんなに美人がそばにいるのに、それだけ?」
「他にどういう反応を示せと」
「提督って、女の人にキョーミないの?」
「なぜそーなる」
表情を変えずに提督はジェーナスに横顔を向けたまま口にする。
「俺にだって、好きな女くらいいる」
その言葉が重石となってジェーナスの胸にのしかかった。問おうとして、その問いが言葉にならないままジェーナスは膝に手を突っ張って足元を見つめた。
結局、せっかくのふたりっきりの時間もうまく過ごせないままジェーナスは提督がその場を離れるのを合図にベンチを立ち上がった。岸壁を歩く間も先ほどの提督の言葉が頭を渦巻いた。
誰だろう、提督の好きな人は。誰だろう、それほどまでに幸運な人は。誰だろう、そんなに羨ましい立場にいる人は。
考え事に沈んでいたから向こうから近づいてくる姉妹艦の気配に気がつかなかった。
「Janus?」
金のロングヘアを海風にたなびかせ、不思議そうな顔をしたジャーヴィスの姿がそこにあった。
岸壁にふたり座り、海風をふたり身に受ける。そのままジャーヴィスは何を問うでもなくジェーナスの隣にいてくれる。どれだけ時が経っただろう、ジェーナスがぽつんと呟く。
「提督が……」
「Admiral?」
「提督に、好きな人がいるんだって。誰だろう、って思っても聞けなくて。誰だろうって思うのが怖くて……」
ジェーナスの方に顔を向け身を寄せるようにしてジャーヴィスは問う。
「Janusは、Admiralの秘密が知りたいのね?」
「そんな秘密なんて……うん、でも、そうかもしれない」
「だったら、まずJanusから自分の秘密を教えなきゃ」
その言葉の方にジェーナスは顔を向ける。悪戯っぽい顔をして、真剣な眼差しをしてジャーヴィスは告げる。
「自分のことは秘密にしておいてAdmiralにだけ秘密を教えてほしいなんて虫がいいわ。あとは貴方次第よ、Janus」
その言葉に目が覚める思いがした。大きく目を見開くジェーナスにジャーヴィスは微笑みを向けてくれた。
再びジェーナスは提督執務室に戻る。深呼吸して厚い扉をノックし、身体で押し開けると執務机に向かう提督の姿が目に入る。
「ジェーナスか」
「ハルナさんは?」
「事務局に行っている」
このタイミングでふたりっきりなのは運がいいのか悪いのか。いずれにしても、ここから一歩を踏み出さないとここから先には進めない。提督の目前まで足を進め、ひとつ大きく息をしてからジェーナスは短く、率直に告げる。
「提督、私は提督が好き」
提督の表情は動かなかった。真っ直ぐ自分を見据える提督にこちらからもひたむきな視線向けジェーナスは言葉続ける。
「だから、知りたいの。提督が好きな人が誰なのかを」
提督が立ち上がる。机を回り込んでジェーナスの前に立つ。胸に両手を当て提督の言葉を待つジェーナスに提督は一言応える。
「お前だ、ジェーナス」
言葉が胸に広がる。両手を口に当て身を震わせ、ジェーナスは途切れ途切れの言葉漏らす。
「ウソ……だって……」
「嘘じゃない」
「提督の周りには素敵な人がたくさん……私は、子供で……」
「ジェーナスは素敵なレディだよ」
提督の言葉が涙を誘う。きゅっと目を閉じて零れる涙を止めようとする。目を閉じていたから、抱きしめられているとジェーナスが知ったのは全身を覆う温かい感触からだった。
了