雀のさえずりが窓の外から聞こえてくる和室、布団の中でもぞもぞとひとりの少女が身をよじる。しばらく身をよじったかと思えば止まり、またしばらく身をよじったかと思えば止まりしていたその少女からふにゃふにゃとした声が漏れてくる。
「ちくま~、ちくま~」
その声に応えるのは既に身支度を整えていた黒髪の美女。
「はいはい、なんでしょう姉さん」
「起き上がれないのじゃ~。起こしてくれ頼む~」
布団の中から手だけを伸ばしてくる利根の姿に呆れた顔をするでもなく筑摩は言われたとおりに利根の両手を取る。そのまま持ち上げるように利根を起こし布団の上に座らせると、利根の口から情けない声がひと声漏れる。
「ふにゃ~……」
まだ目を閉じたままの利根に微笑を向け筑摩は語りかける。
「さあ、朝ごはんの時間ですよ。支度を整えてしまいましょう」
「まだ眠い~」
子供が抱っこをせがむように両手を筑摩に差し出すと利根はためらいもせずに言い放った。
「寝間着を脱がせてくれ~ちくま~」
それでもなんとか身支度を整え、いっぱしの艦娘の姿になると利根は筑摩と向かい合わせで巡洋艦寮の食堂の席に着く。
「今日はアジの朝定食か!定番じゃな!だが定番こそがよい!」
うきうきと箸をアジの身に沈め、利根は笑顔でアジの身をほじる。しかしその顔がだんだんと情けなく歪み箸の勢いが落ちてくる。
「骨が多い……」
「アジですからね」
箸の動きを止め上目遣いに筑摩を見つめ、利根は筑摩におねだりする。
「骨を取ってくれ、筑摩」
いやな顔をするでもなく「はいはい」と筑摩は利根の前からアジを乗せた皿を自分の方に寄せ、丁寧に身をほぐしてゆく。骨の取れた身をひとかけら箸で摘み、利根の前に差し出す。
「はい、取れましたよ姉さん」
「あ~ん」
笑顔で口を開ける利根に筑摩はアジを食べさせる。お盆を手に近くを通りがかった鈴谷が「マジか……」と呟くのにはふたりは気がつかなかった。
ふたり、鎮守府の敷地を歩く。今日はまずは海上演習だ。姿勢よく歩く筑摩の横で利根もはつらつと足を進める。
「吾輩の索敵にかかれば赤城加賀など恐れるに足らん!吾輩の力、とくと見せてくれようぞ!」
「頼りにしていますね、姉さん」
「おう!」
さっきまでの情けない姿はどこへやら、不敵な笑みを浮かべる利根の視線が前から近づいてくる人影を認める。この鎮守府の最高司令官、艦隊の最高位、若き海軍中将たる提督の姿。
「提督、今日もいい天気じゃな!」
「元気そうだな、利根。筑摩も調子がよさそうだ。これは今日の演習はお前らに期待できるかな?」
「任せておけ!吾輩の力、とくと見せつけてやる!」
腰に両手を当て胸を張り、利根は放言する。
「筑摩にはまだ頼りないところがあるが吾輩がしっかりフォローする!吾輩はお姉ちゃんだからな!」
楽しみにしているよ、と言い残しその場を離れる提督の後ろ姿を利根は見守る。と、その肩が弱弱しく落ち恐る恐るといった感じで利根は筑摩の方を振り向く。
「筑摩……怒ったか……?」
ダシにされた格好の筑摩はそれでも微笑浮かべて首を左右に振る。それでも心中思うところがあったか筑摩は一言利根をそっと刺す。
「姉さんも、提督にはいいところを見せたいですからね」
「にゃっ!?」
顔を真っ赤にして利根は首を左右にぶんぶん振り必死にまくし立てる。
「そ、そんなことはないぞ!提督にはカッコいいところを見せたいとか提督の前では頼りがいのあるお姉ちゃんでいたいとか提督に対しては情けない姿を見せたくないとかそんなことは微塵も考えておらん!」
言わんでいいことまで懇切丁寧に無自覚に説明する利根に筑摩は黙って微笑浮かべる。近くを通りがかる人間が他にいなかった幸いにも気づかぬまま、利根は熱くなる顔を持て余すのであった。
演習も済んで昼下がり、利根と筑摩は鎮守府本館の中庭のベンチに並んで座る。足をぶらぶらさせながら利根が上機嫌に口にする。
「上出来上出来、やはり吾輩の索敵に抜かりはなかった……が、流石にこう天気がいいと喉が渇いたな~」
「そう思ってアイスキャンデーをさっき買っておきましたよ」
「おお!いつのまに!気が利くな、筑摩!」
どこから取り出したか筑摩はアイスキャンデーを両手に持ち一本を利根に差し出す。しかし利根はそれに手を伸ばすでもなく腕をぶらぶら下げたまま平然と筑摩におねだりする。
「食べさせてくれ、筑摩」
予想していたかのような自然さで筑摩は利根の口にアイスキャンデーを差し込む。かぽっと音がしそうな塩梅で利根はアイスキャンデーを咥え、幸せそうに表情を緩める。アイスキャンデーの甘さに陶酔する利根の耳に、聞き慣れた声が届く。
「利根、筑摩、演習ご苦労」
「もがっ!?」
いつの間にかそこに立っていたのは提督その人。言い訳しようのない甘えっぷりを晒した利根は、それでも言い訳を口にしようとする。
「あ、あ、提督、こ、これはじゃな……」
「いつもふたりは仲がいいな。結構なことだ」
それだけ言って提督はその場を離れる。言い訳の時間も与えられず、どのみち言い訳のしようもなく、存分に甘えっこモードを見られてしまった利根はがっくりと肩を落とすのであった。
岸壁の一角、海に向かって利根は膝を抱えて座り込む。なんとも情けないところを想い人に見られてしまったみっともなさに、身を縮める。提督の前ではかっこいい自分でいたかったのに。提督に対しては頼りがいのあるお姉ちゃんでいたかったのに。
隣に誰か座る気配に顔を上げる。横を見ると、自分の横に腰を下ろしたのは純白の海軍将校制服に身を包んだ提督。
「提督!?」
「落ち込んでいるな、どうした?」
問われて思わず口ごもる。それでも海風に誘われたか、利根は案外素直に口を開く。
「お主に、情けないところを見られてしまった……」
「情けない?ああ、さっき筑摩に甘えていたところか」
さも可笑しげにくすりと笑い提督はなんてことないかのように言ってのける。
「いつものことじゃないか」
これには利根も愕然とする。
「知っていたのか!?」
「知らないでか」
顔を強張らせ自分を見つめる利根の視線を頬のあたりに感じながら提督は言葉続ける。
「いつも筑摩に甘える利根を見ていて、ちょっと筑摩が羨ましかったりもしたんだ」
「え?」
「俺もあんな風に利根に甘えられてみたいなあ、なんて」
提督の言葉の意味が分かりそうで、それでも分からず首を傾げる利根の顔を提督は正面から見つめる。
「俺も利根のお世話をしたいなあ、なんて……好きな娘の、お世話をしたいなあ、なんて」
言葉が静かに胸に染みる。利根の表情がふにゃっと歪む。視界が霞むのを感じながら利根は震える声を提督に向ける。
「カッコいい吾輩でなくていいのか?……甘えっこで、いいのか?」
「そのままの、利根がいいんだ」
目を閉じ、隣の提督に身を寄せる。提督の体温が伝わってくる。その温かさに、優しさに身を浸しながら利根は静かに思う。
この人のために頑張ろう、いつまでも甘えっこじゃない自分になろう。
この人にふさわしい自分になろう。
それでも―――
―――たまには、この人に甘える自分を許してほしい。
了