激務と言われる秘書艦業務も、ふと手持ち無沙汰になることがある。今手にしている書類に提督の決済を得るまでは、五月雨は仕事を進められない。提督の執務机と直角にしつらえた提督のより少し小ぶりな机につき、他の書類と格闘する提督の横顔をぼんやり見つめながら五月雨は提督の手が空くのを待つ。
ふと、書き損じた書類をもう一方の手に持ってゴミ箱に放ろうとして思いとどまる。決済を待つ書類を机に置き、書き損じを裏紙にして五月雨はペンを走らせる。
不格好な線が、提督の横顔を形作っていく。思いのほか熱中して五月雨は提督の似顔絵を裏紙に書き込んでゆく。
「えへへへへ……」
「五月雨、お待たせ。書類にハンコだろう?」
「は、はい!」
慌てて手にした紙を差し出す。決済待ちの書類ではなく提督の似顔絵の描かれた裏紙を。それを手にした提督が一瞬の後怪訝そうな表情になる。
「五月雨」
「はい?」
「これは、『よくできました』とかなんとかそういうことを書けばいいのかな?」
そこで五月雨はようやく自分の失敗に気づく。汗を噴き出して顔を真っ赤にし、見るからに慌てる五月雨に提督は苦笑を向けて裏紙を返す。
「よく描けてるな、そっくりだ」
「ごめんなさい……」
小さく身体を縮こませる。こんな失敗も一度二度ではない、五月雨の秘書艦業務であった。
とぼとぼと執務室の廊下を歩く。さっき決済を貰った書類をバインダーに挟んで主計課室に向けて。向こうから、濃紺のロングヘアを持つ姉妹艦の姿が近づいてくる。
「五月雨、お使いかい?」
「涼風……」
「どうしたんでい、そんなにしょげて」
五月雨の一歩手前で立ち止まり、両腕を頭の後ろに回して涼風はニハハッと笑ってみせる。
「さしずめ、仕事の途中で提督の似顔絵描いてるのがバレて叱られたんだろう」
「…………」
「え、ウソ。ホントにそんなことしたの?」
真っ赤な顔を背けて俯く五月雨の姿に涼風は自分のあてずっぽうが図星をついていたことを知る。バインダーを胸に抱えて無言を保つ五月雨に涼風はからかい文句を向ける。
「いつまでも見つめてても飽きない愛しの提督サマってか?」
「す、涼風!」
「あはは、ごめんごめん。でも仕事はマジメにな」
「マジメにやってるもん!」
赤い顔で五月雨は涼風に食ってかかるが、ふと視線をまた床に落として呟く。
「でも、なんだかうまく行かないの……どうすればいいのかな?」
しょんぼりしてしまった五月雨を前に涼風は腕を下ろして「ふむ」と考えるような顔になるが、やがて一言五月雨に告げる。
「デキる女は形から、って言うじゃん?」
「形って、なに?」
「知らねーよ。そんくらい自分で考えろ」
「もう!」
いまいちアテにならない姉妹艦相手に五月雨は頬を膨らませるが、また考えるような顔になってなにやら口の中で呟くのであった。
翌日、今日も元気に五月雨は提督執務室に姿を現す。まだドジをしていない朝のうちは五月雨も元気いっぱいなのである。
「提督、おはようございます!」
「おはよう、五月雨……って、そのメガネ、なに?」
黒フレームの眼鏡姿の五月雨に提督はごもっともな質問向ける。くいっと片手で眼鏡を持ち上げて五月雨はドヤ顔見せる。
「デキる女の、第一歩です!」
「デキる女?」
五月雨の得意げな様子を前に提督は首を傾げた。
その頃、鎮守府本館の廊下で榛名は霧島に問いかける。
「霧島、メガネ、どうしたんですか?」
「五月雨ちゃんに強奪された」
「はい?」
フフン、という声が聞こえそうな表情で五月雨は提督を見つめていたが、やがて小さな声を出す。
「提督」
「ん?」
立ったまま千鳥足になってふらふらと五月雨は身体を左右に揺らす。
「頭、ふらふらします……」
「うん。メガネ、外したら?」
そんな一幕はあったものの今日もいつも通りの仕事が始まる。でも、五月雨の心うちはいつも通りではない。今日こそデキる女を演出するんだ、とそんな気概に満ち溢れている。
「五月雨」
「はい」
「さっき渡した、月間整備予算書渡して」
「は、はい!……あれ?あれ?」
書類の山をガサゴソと漁るがなかなかそれらしいものは出てこない。さっきまでその書類を読んでいたはずなのに。焦りを隠そうともせず書類の山をひっくり返す五月雨から困ったような声が漏れる。
「あれ?あれ?このあたりにあったはずなのに……」
「あー、いいよいいよ。また印刷するから。出てきたら処分しておいてくれ」
言いながら提督はノートPCの印刷ボタンをクリックする。機械音を立てて書類を吐き出す複合機の方に歩いて行って印刷された書類を取り上げる。
「さて、そろそろ行くかな」
「え?どちらへ?」
「どちらへって……マルキュウサンマルからこの書類持って予算会議でしょ」
「あ、っ!」
忘れてた。提督のスケジュール管理も仕事のうちなのに。
「ご、ごめんなさい……」
「いいよいいよ、俺が覚えてたから」
椅子の上で頭を下げる五月雨に向けて提督は大楊に手をひらひらと振る。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
その言葉と共に提督が執務室を離れた瞬間、五月雨の大きな瞳から涙が一粒ぽろりと落ちた。
椅子の上に膝を抱えて座り込む。提督がいない間に片付けなければいけない仕事もあるのに、手を付ける気にならない。
また、うまくいかなかった。
今日も、うまくいかなかった。
気持ちばかりが先走りして、結果がそれについてこない。ドジな自分に嫌気がさす。今、落ち込んで仕事をほっぽらかしている自分もキライだ。キライだけど、どうしようもない。
顔を膝に埋めてすすり泣く。どれだけ時間が経っただろうか、執務室の扉が開く音がする。
「五月雨、どうしたの?」
「提督……」
どうしたの、と言われて正直に応えられない。自分のドジっぷりが嫌になって泣いているだなんて。代わりに、五月雨は呟くような声で提督に問う。
「なんで、私なんかを秘書艦にしているんですか?」
その言葉に提督は驚いたような表情を見せるが、顔を上げない五月雨に近づくと答えの代わりに逆に問う。
「五月雨は、なんでそんなに一生懸命になってくれるの?」
「それは……大好きな提督のお役に立ちたいから……」
思わず呟き、次の瞬間ばっと顔を上げる。その頬が見る見る真っ赤に染まる。思いがけず素直な本心をと呈してしまい、五月雨は場をごまかすこともできずに再び膝に顔を埋める。
「はううぅぅ……」
告げてしまった。告白してしまった。思いがけないタイミングで心をさらけ出してしまった五月雨は、もう提督の顔を見ることができない。その五月雨の髪に掌を乗せ、提督は優しく告げる。
「俺も、一生懸命な五月雨が好きだよ」
五月雨の髪を優しく撫ぜ、提督は続ける。
「それが、今回五月雨を秘書艦にした理由」
五月雨の頭が持ち上がる。その見開かれた、濡れた瞳が提督を見つめる。交わす視線に、今の言葉が幻ではないと知り五月雨は新たな涙伝わせる。
涙湛えたひたむきな青い瞳が提督を見つめる。
一生懸命な恋の、成就。
了