夜の提督執務室、ソファにうつぶせに寝そべる少女が手足をばたつかせる。
「てーとくー!夜戦しようよー!夜戦ー!」
「そうは言ってもなあ……最近は作戦上の必要性もないからなあ……」
「やーせーんー!」
駄々をこねる川内に困ったように目をやる提督の隣で書類を胸に抱き立つ秘書艦の阿武隈が声を張り上げる。
「あーもー!かわうち、うるさーい!」
「かわうち言うなー!」
がばっと身を起こす川内に向けてきりきりと歯を食いしばっていた阿武隈だが、なにやら意味深な表情になるとこれまた意味深な声を出す。
「提督に夜戦をねだるなんて、なんだかやーらしー」
「は?」
言葉の意味が分からず一瞬ぽかんとする川内だが、意味を悟ると顔を真っ赤に爆発させる。
「そ、そんな意味じゃないし!やらしいのはあぶぅじゃん!」
「あぶぅ言うなー!」
ソファから弾かれるように身を起こし川内は部屋を飛び出しざま最後に一言残してく。
「じゃあ、夜戦お願いね!約束だからね!」
バタン!と執務室の扉が閉じられた。
鎮守府本館の廊下を歩きながら川内は手でほてる顔を扇ぎつつ呟く。
「あーびっくりした……阿武隈ったらなに言い出すのよ、もう」
呟きながら自分の心を見つめる。提督に対しては、そういう感情は、ある。気づかれないようにしていたつもりだが、提督のことを見つめるようになってもうずいぶん経つ。提督との夜戦の一シーンを想像したことも……あるようなないような。
ぴたりと足を止め川内は自分の足元を見つめる。
「……提督は、私相手にそういうこと考えるのかな」
呟きは存外大きく川内の耳に響く。そんな想像相手にしてほしいような恥ずかしいような。自分は、提督に女として見られているのか。そんな疑問がぐるぐると川内の頭の中を駆け巡った。
翌日、夜もとっぷり更けた時間。今日も今日とて提督執務室。阿武隈はもう上がった後の執務室で川内はソファにうつぶせに寝そべりハードカバーの本を開きながら足をぶらぶらさせる。
いろんな艦娘が出入りする執務室、川内はその中でも常連だ。お目当てはもちろん提督だが、その提督にどんな風に思われているのかが改めて気になる。ひと息ついているところなのだろう、執務机の向こうでコーヒーカップを口に運ぶ提督に川内は何気なさをよそおって声を向ける。
「ねー。提督はさー」
「んー?」
「私と、夜戦したいって思ったことある?」
「ぶっ!」
いきなりの川内の爆弾質問に提督は思いっきりむせかえる。
「ゴホッ!ゴホゴホッ!」
「わわっ、提督大丈夫!?」
「い、いきなり何を……」
言いながらカップを机に戻し川内を改めて見やる提督の目に映ったのは、身体をソファから半分起こしてこちらを見つめる川内のどこか不安げな姿。
どう答えようか、正直に川内に女性としての魅力を感じていることを伝えようか逡巡した結果、提督は立場に徹することにする。
「川内は大切な部下だからな……部下の艦娘に、そういう邪な感情を持ったことはないよ」
「そっか」
提督の返事は、思っていたより川内を落ち込ませる。表情に出ないように、沈む心を悟られないように提督から目を逸らし身を起こしながら川内は扉に向かう。
「じゃあ、今夜は部屋に戻るね……おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
今日はやけに静かだったな、と思う提督であったが川内の心うちまでは提督にもわからなかった。
重い心を引きずって川内は廊下を歩く。目を伏せながら川内は先ほどの提督の言葉を反芻する。
「そっか」
はっきり言われた。そういう目で見たことはない、と。
「……そっか」
視界がぼやける。足を、止める。ぽたりと、廊下の床に水滴が落ちる。
「あ、あれ?」
頬を濡れた感触が伝う。涙を、自分は流している。そのことに気づき川内はうろたえる。
「やだな……こんなの、私らしくないよ……」
顔を手で覆う。誰かから、その姿を隠すように。誰も通りがからない夜の廊下で、川内は小さな声ですすり泣いた。
それから、数日が過ぎた。心に、力は入らなかった。演習でもポカミスを連発し、座学でも講師の言葉を聞き逃した。
本館中庭のベンチに座り、川内は身体を反らせて空を見上げる。とんびが、円を描いている。とんびを見つめながら川内はぼんやりと時が過ぎるに任せる。
「ここ、いいかな?」
その声の方向に顔を向けるとこちらに微笑みを向けていたのは姉妹艦の那珂。「どうぞ」と一言答えると那珂は川内の隣に腰を下ろす。
「最近、川内ちゃん元気ないね」
やっぱりわかっちゃうのかな、と思った。自分が落ち込んでいることは、そしてそれを隠しきれていないことは自覚していた。その理由を正直に伝える勇気はないまま、川内は黙って頷く。
「ちょっとね……いろいろあるよね……」
先ほどまでの川内のように身体を反らせて那珂は頭上のとんびに目をやる。
「聞くだけならできるよ?みんなの悩みを減らすのも、アイドルのお仕事なのです」
その言葉が呼び水になったかのように、それでも具体的なことはやはり口にする勇気は出ないままに川内は身をすぼめて小さな小さな声を出す。
「男の人に女の子だと思われるには、どうすればいいのかな」
「ん~……」
なんとなく川内の心うちはわかったものの、そのことに踏み込むこともなく那珂は答える。
「やっぱり、女の子としての一番大切で正直なところを伝えることじゃないかな」
那珂の横顔に視線を向ける。笑みを浮かべた那珂の視線は青空のとんびに向けられたままだった。
ノックをして提督執務室に足を踏み入れる。通いなれた執務室も、今日はいつもと違った場所に感じる。秘書艦の阿武隈の姿はなく、執務室には提督ひとりなのを確かめ、川内は逃げ場がなくなったことを悟る。
「川内か。珍しいな、こんな早い時間に」
「もう昼過ぎだけどね」
そういえばいつも訪れるのは夜の時間だったな、と思い出す。そんなことを頭の片隅で考えながら、川内は足早に提督の執務机に近づく。
「提督」
「ん?」
「私、提督が好き」
こんな表情の提督初めて見たな、とぽかんとする提督を見て思った。そんなことを考えるほどには自分の行動に現実感がなかった。それでも放った言葉の重みは激しく高鳴る胸の鼓動が教えてくれた。唇を軽く噛み提督の応えを待つ川内の前で提督は腰を椅子から上げる。
机を回り込み川内の前に立ち、提督は川内の瞳見つめる。
「それが上官として正しいことなのかどうなのかわからないけれど……」
固い微笑み浮かべ提督は告げる。
「川内の気持ちには、応えたい」
言葉が川内の胸に広がり、川内の瞳が見開かれる。その潤んだ瞳見つめながら提督はさらに一歩川内に近づく。急に縮まった距離に川内は慌て、甲高い声を出す。
「あ、ちょっと待って!でもいきなり夜戦とかは無理だから!」
「いや、そんなつもりはないけれど……」
腕を突っ張るように前に伸ばして手をぱたぱたさせる川内に提督はなんとも言えない顔向ける。川内に手を伸ばせば触れられる位置で、でも提督は川内に触れることなく穏やかに言う。
「少しずつ、やっていけばいいよ。時間をかけて、お互い距離を近づけていこう」
「う、うん……」
顔を赤らめ上目遣いに提督を見上げる川内が可愛い。これから、時間をかけていろんな距離を縮めていこう。昼と夜を重ねていって、ふたりの時間を作っていこう。
不器用なふたりの恋物語は、これから。
了