青い夏の空の下に広がる穏やかな海、この平和な光景のどこかに深海棲艦はいる。
短めの髪をした少し童顔の少女が随伴艦を連れて海面を疾走する。既に敵の位置は哨戒機が知らせてくれている。大丈夫、まだ敵はこちらの位置を特定していない。少女・大鳳はややゆっくりと手にしていたボウガンを軽く空に向け、つがえられた矢を放ってゆく。
矢は艦上爆撃機に姿を変え、晴天の空へと駆け上がってゆく。瞬く間に小さくなってゆく機影を大鳳は見送り、祈りを込めた。
現れたと思った機影は瞬く間に無数の死神の群れとなって戦艦ル級らに襲い掛かる。輪形陣から放たれる対空砲火の嵐をかいくぐり艦載機は敵艦隊に肉薄する。急降下から放たれた必殺の250㎏爆弾が、ル級の装甲を貫き悪鬼のような外観の深海棲艦を爆散させる。
帰還してきた艦載機の姿に、作戦の成功を知る。
本海域最大の脅威であった敵打撃艦隊の脅威は排除された。これで、当海域における人類側の優位は確立されたと見ていいであろう。
…この作戦が成功したら、心に決めていたことがある。
今日、提督に告白する。
「…以上が、本作戦の結果の概要です。」
簡潔的確に報告を終え、大鳳は書類から顔を上げる。提督執務室の机の向こうで肘を机に乗せ組んだ手で口を覆った姿で大鳳の報告を聞いていた提督は報告を聞くと腰を椅子から上げながら簡単に応える。
「了解した。ご苦労だった、大鳳。」
「……提督、少しお話が。」
「話?」
大鳳の顔を見つめなおす。その大鳳の顔に浮かんだ表情に、提督は眉を寄せる。微かに紅潮した頬、何かを思い詰めた瞳、きゅっと噛まれた唇―――
―――提督は大鳳から目をそらすと、大鳳に口を開かせることなく命じる。
「ご苦労、下がってよい。」
「提督、お話が…」
「下がれ。」
その一言に打たれたように小さく震える。自分の想いが見透かされていたことを知る。そして同時に悟る。その想いは口にする前に拒絶されたのだと。
敬礼の代わりに書類を抱きしめて軽く頭を下げる。そのまま執務室を後にする。扉を閉じ、その扉によりかかり、頬を伝う熱い感触に気づく。自分が泣いているのだと知るまで少し時間がかかった。
鎮守府のグラウンド、そのグラウンドを囲む芝の勾配に膝を抱えて座り込む。初めての失恋、その痛みが胸を突くのをどこか他人事のように感じながら大鳳は夏の風に身を任せる。膝に顔を埋め、また涙の予感を感じた時、頭上から声をかけられた。
「大鳳お姉ちゃん?」
振り向くとこちらを見下ろしていたのは駆逐艦娘の暁。自分はどんな表情を見せたのだろう、そんなことを感じさせる心配そうな様子浮かべ暁は大鳳の隣まで駆け寄ると傍らに腰を下ろし大鳳と同じように膝を抱えながら問う。
「どうしたの?元気、ない。」
年端もいかないだろう駆逐艦娘に想いを吐露するのは一瞬憚られたが、大鳳は顔を前に向けなおすと暁に答える。
「お姉ちゃんね…失恋しちゃった。」
「しつれん…?」
「ああ、暁ちゃんには難しかったかな。失恋っていうのは…なんて言えばいいのかな…」
「レディをバカにしないで。わかるわよ、失恋くらい。」
そっか、と呟き膝を抱えなおす。慰めか、夏風が大鳳の髪を撫ぜる。ほけっと放心したような大鳳の横顔を暁はしばらく見ていたが、やがて大鳳と同じ方向に顔を向けると一言だけ呟く。
「それは、辛いね。」
短く、万感を込めた暁の一言に驚いた顔を大鳳は向けるが、すぐに顔の向きを直すと自らも短く呟く。
「そうね。」
もう一度、風が吹き抜け大鳳の短髪と暁のロングヘアを揺らした。
「それにしても意外だね。てっきり、司令官も大鳳お姉ちゃんに気があるんだと思ってた。」
提督執務室の机にお行儀悪く腰掛け脚をぶらぶらさせながら響はあっけらかんと口にしてのける。とぼけることもできたはずだが、それより先に苦虫噛み潰したような表情浮かべてしまい提督は自分の未熟を心中で罵ると響に顔を向けないままぶっきらぼうに問う。
「…誰に聞いた?」
「暁。」
「まったくお前らは…」
第六駆逐隊の間柄に守秘義務も何もないだろう、わかっていても毒づきたくなる。しかし毒づく代わりに提督は響に顔を向けると自分でも意外なほどあっさりと本音を口にする。
「今は戦時中だぞ?惚れた晴れたのやってる場合じゃないだろう。」
「ということは、戦時中じゃなければよかったんだ。」
答えの代わりに軽く舌打ちし、また響から目線を逸らすと集中できぬまま手元の書類に目を落とす。自分が机を占拠しているおかげで部屋の真ん中に立ちっぱなしの提督をしばらく響は見やると、情け容赦なく追撃を浴びせる。
「もしかして、『この戦いが終わったら』なんてフラグ立てかねないこと考えてたりする?」
「………」
「あんな可愛くてケナゲな女性、すぐいなくなっちゃうよ?」
放たれた言葉は静かだったが、かえって提督の胸を穿つ。その言葉が胸にカッと熱いものを注ぎ込むのを感じながら提督は勢いよく響に顔を向けると自分で思っていたより強い口調で響に問う。
「じゃあどうすればよかったんだ!提督の立場で戦時下に、そんな浮ついた…」
「戦時中だからこそ、相手を支えてあげるという発想もあるよ?」
子供のくせに、と心中で毒づき、それが負け惜しみだと嫌というほど痛感する。響の言葉はいちいち痛いところを突きすぎる。思わず力の抜けた書類持つ手をだらりと身体の横に垂らし、提督は自分が何を言っているのか自覚する前に俯き小さく口にする。
「だからって、今更何ができるっていうんだ。時間を巻き戻せるならまだしも…」
「時間を巻き戻すことはできないけれど―――」
腕を広げて机から飛び降り、腕を後ろ手に組みなおして響は提督を見据え宣言する。
「やりなおすことは、いつでもできる。」
雷と電に背中を押され運ばれる。小さな身体に押し運ばれながらなんとか大鳳は振り向こうとしつつふたりに問う。
「ねえ、どこへ連れてくの?ふたりとも、どうしたの?」
「いいから私に任せて!どーんと私たちを頼っていいのよ!」
「なのです!私たちに任せれば、大丈夫なのです!」
と言われても、何が何だかわからない。分からないまま、運ばれる。やがてこの道が海を見下ろす岬への道だと気づいた時にはもう岬は目の前に迫っている。
岬の上まで連れていかれる。ようやく解放され、ほっと息をつく。いったん両膝を抑え息をつき、姿勢を正して前を向くと、そこにいるのは左右を暁と響に挟まれた提督の姿。
―――今一番見たくない、それでも見れば喜んでしまう姿を前に大鳳は片手で胸を押さえ動揺を抑えようとする。提督がどことなく気まずような顔をしているのは何故だろう、そんなことをどこかで考える。自分に向けて提督が歩み寄るのを目を離せないまま見守りながら、大鳳はここまで自分たちを連れてきた第六駆逐隊の面々が岬から去っていくのを知覚する。
岬に、ふたり残される。そのまま無言の時が流れる。気まずさに耐えきれなくなり、何を言おうか決められないまま大鳳が口を開こうとする前に提督が言葉放つ。
「大鳳…悪かったな、この間は。」
「いえ…」
まだ真新しい傷口広げられ大鳳は片手で胸を抑え顔を提督から逸らす。その痛々しい姿に自分のやらかしたこと思い知り罪悪感にも襲われながら、それでも提督は伝えなければならないと知らず一歩踏み出し大鳳に力込めた言葉向ける。
「聞いちゃいけないと思ったんだ…あの言葉の続きを。今は、戦時中だから。俺たちは、戦っているから。」
「………」
「でも、本当は聞きたかったんだ…大鳳の気持ちが、聞きたかったんだ。」
言葉の意味が、まだ分からない。分からないまま、何かを感じる。胸に何かが注がれてゆくのを感じながら、大鳳は顔を上げ見開いた眼を提督に向ける。その大鳳に、提督は告げる。
「大鳳、お前が好きだ。」
その言葉より、なぜか顔を赤らめ口をそれきり閉ざす提督の姿が心に響いた。言葉は、それから後になって届いた。目尻に熱いもの浮かぶのを感じ、思わず指で目尻抑えながら大鳳は知らず浮かんだ泣き笑いの表情輝かせながら答える。
「……私から、伝えようと思っていたのに。」
その言葉に触発されてか、提督が一歩大鳳に近づく。ゆっくりと右手を上げ、大鳳の頬を手のひらで包み込む。その暖かな感触についに涙頬に伝わらせる大鳳見つめながら提督は大鳳に告げる。
「今は、戦時中だ。」
「ええ。」
「たいしたことも、してやれないかもしれない。」
「はい。」
「それでも…俺の隣に、いてくれるか?」
「喜んで。」
それは、戦いの中の確かな約束。ふたり、結び付けるたったひとつの約束。提督の瞳見上げながら、大鳳は自分に、空に誓う。
この手の温かさを、忘れないと―――
このひとの隣に、居続けると―――
―――それは、この青空に誓う約束。
了