カーテンもかかっていない殺風景な窓。壁紙も張られていない打ちっぱなしの壁。部屋の真ん中に無造作に積まれた段ボールの山。着任したばかりの提督はその光景を眺めると腰に手を当て嘆息する。
「二階級特進で少佐になって何が何だかわからないまま提督に任命されたと思えばまあ…まずは荷物を広げるところから始めなきゃってか?」
クスリと小さな笑い声を上げ艦隊のたったひとりの所属艦娘・吹雪は提督を励まそうとするかのように明るい声を向ける。
「まあまあ司令官、さっさと荷物をほどいちゃいましょう。ふたりでやればすぐに片付きますよ。」
頭ふたつ分背の低いまだ幼さ残す少女にそう言われては提督もいつまでも不貞腐れてはいられない。ふぅ、とため息またひとつつき提督は唇の端持ち上げ先ほどより力こもった言葉発する。
「そうだな、ともあれ本日が記念すべき深海棲艦への反撃戦の第一日だ。まずはこの荷物をやっつけるところから始めるか。」
「はい!吹雪、頑張ります!」
大げさにガッツポーズをとり吹雪は笑顔浮かべる。たったふたりの新造艦隊、その船出の日であった。
「───ブッキー?どうしましたか?」
声をかけられはっとする。顔をあげると戦艦娘・金剛の不思議そうな表情が目に入る。自分がぼんやりしていたことに気がつき吹雪は少し慌てて金剛に返事する。
「いえ、なんでも…提督室に来るのは久しぶりだから…」
昔のことをちょっと思い出しちゃって、と言いかけてやめる。改めて久しぶりに足を踏み入れた提督執務室を見回す。重そうなビロードのカーテンのかかった瀟洒な窓、白く輝かんばかりの壁紙、窓際に鎮座する重厚な執務机───
───頭を軽く振って浮かび上がりそうな雑念を追い払うと吹雪は少し硬い笑顔浮かべ金剛を見つめなおす。
「そういえば先月から金剛さんが秘書艦を務めてたんでしたね。」
「Yes!テートクのお世話はまかせるねー!」
胸を張って宣言する金剛の姿に今度は自然な笑みが浮かぶ。そう、今や鎮守府に所属する艦娘の数は200を超える。秘書艦も交代で戦艦娘や空母娘が務めるようになっている。鎮守府が発足した当時、それほど昔でもないそのころ、吹雪がひとり自動的に秘書官を務めていた時代とは違うのだ。
背後で執務室の扉があけられる音に吹雪は振り向く。正規空母娘・赤城が書類を手に入ってくるのが見て取れる。
「あら?吹雪さんも提督にご用?」
「あ、私は司令官に珍しく呼び出されて…」
そう、と微笑み浮かべ赤城は金剛に近づく。不在の提督の代わりに金剛に哨戒報告をする赤城とその赤城の報告を受ける金剛の姿を見つめつつ吹雪は口の中で呟く。
───遠い、なぁ…
いつしかいろいろなものが手に届かなくなってしまった気がする。たったふたりから始まった反撃艦隊、その艦隊は今や200以上の艦娘を構える大所帯となった。駆逐艦中心だった編成も戦艦や空母、巡洋艦などを加えた大掛かりなものとなった。作戦海域も大きく広がり、吹雪のような駆逐艦では太刀打ちできない強敵も───
───扉が開かれる音がまた部屋に響き、吹雪は再び想念から引き戻される。
「テートク、おかえりデース!」
「お疲れ様です、提督。」
金剛と赤城の出迎えの敬礼に軽く返礼をして提督は席に着く。椅子に収まるのを待って赤城は提督に言葉を向ける。
「ただいま秘書艦の金剛さんに哨戒報告を終えたところです。」
「ご苦労、赤城。結果は金剛から聞く…吹雪、」
突然自分に声を向けられ吹雪は慌てて姿勢正す。ぎこちない足取りで提督机の前まで歩き、緊張を隠せない表情で提督に敬礼を捧げる。
「特型駆逐艦・吹雪、招集に応じ参りました。」
机の上に両肘を乗せ口を組み合わせた両手で覆い、提督は吹雪に向かってひとつ頷く。続く提督の言葉は、しかし吹雪の予想できないものだった。
「吹雪、本日よりしばらくの間前線への出撃はないと思っていい。」
「え?」
「当分の間演習で後進の指導に当たれ。第一線は、他の艦娘に任せる。」
たったふたりの艦隊の頃からはだいぶ遠く感じるようになった声色、その声で放たれる冷たい命令。その相乗効果で気が遠くなるような感覚を覚えながらふらつきそうになる脚を踏ん張る吹雪の耳に血相変えた金剛と赤城の声が届く。
「テートク!ブッキーは頑張ってマース!」
「提督、吹雪さんの練度は駆逐艦娘の中でも飛びぬけています。今彼女を前線から外すのは…」
しかしふたりの声も耳に入らぬ様子で提督は静かに立ち上がる。その纏う雰囲気に威圧され言葉を失くす艦娘たちの目の前で提督は吹雪に向かい冷ややかな声を向ける。
「ご苦労だった、吹雪。下がっていい。」
思わず敬礼の代わりに深々と頭を下げる。涙が落ちてこないうちに、その場を去るのが精いっぱいだった。
桟橋に膝を抱え座り込み水平線に沈む夕日をただぼんやりと見つめる。夕日が涙で微かに滲む。顔を膝に埋め、くすんと鼻を鳴らしたとき、背後から声が聞こえた。
「おーい、吹雪。提督にお払い箱にされたんって?」
「深雪、その言い方はデリカシーに欠けると思う。私ならそんなこと言われたらひきこもるぞ。」
「初雪はそうでなくてもひきこもるじゃん。」
後ろを振り返り「深雪、初雪。」と姉妹艦の名前を呼ぶ。その吹雪を左右から挟むように深雪と初雪は腰かけ、言葉を口に登らせる。
「司令官もヒドいよなあ、功労艦の吹雪を左遷とはよ。」
「少し、羨ましい…私も前線外れてひきこもりたい…」
「初雪は黙ってろって。」」
ぼんやりとふたりの顔を見つめてから吹雪はまた顔を海に向け、小さく呟く。
「私、なにか司令官を怒らせるようなことしちゃったのかな…」
「どうなんだろうなあ~。私にゃ司令官が何を考えているかわからねーぜ。」
「うん、私にもわからない…」
呟き、また膝に顔を埋め吹雪は涙声で囁く。
「わかんなく、なっちゃった…」
昔は───
今は───
やがて夕日が沈み切り、夜の帳が下りてもなお駆逐艦娘たちは桟橋を動こうとはしなかった。
翌日、提督に命じられた通り新編成の駆逐隊の演習相手を務め、心配そうな顔をする金剛になんでもないふりをして報告を行い、いくつかの用事を済ませた頃にはもう夕方になっていた。昼頃出撃した水雷戦隊は作戦海域に達したころだろう。そう吹雪は考えると、何とはなしに桟橋の方に足を向ける。
「今回の旗艦は川内さんか…夜戦だから、張り切ってるだろうな。」
そう独り言ち、桟橋を歩く。と、少し意外なことに先客がいることに吹雪は気づく。桟橋に立ち、腕を組み、無言で水平線を見つめる提督の姿。
「…司令官?」
「…吹雪か。」
それだけ言うと提督は再び海に目を向ける。少し気後れしながらも、勇気を出してその横に立ち、吹雪は提督と同じ方向見つめる。
どれだけ時間がたっただろう、吹雪の耳に提督の呟くような声が届く。
「そろそろ、深海棲艦と交戦しているころか。」
「はい。」
「歯がゆいな、一度艦娘を出撃させてしまえばこちらは待つことしかできない。」
こくりと小さく頷く。その気持ちは、わかる気がする。多分、作戦室ではなく桟橋に今提督がいるのも、隠密作戦で電波規制を行っているがゆえ作戦室にも情報が届かない状況で室内にじっと籠っているのが耐えられないからだろうと感じ取る。
「それでも、今は吹雪はここにいてくれる。」
言葉の意味が、分からなかった。だから、提督の横顔を見上げた。その吹雪の視線頬のあたりに受け止めながら提督は前を見つめたまま言葉紡ぐ。
「いなくなってほしくない、傷ついてほしくない。艦隊が生まれたそのときからずっと一緒だった吹雪には。」
だから、出撃を禁じた。だから、鎮守府に閉じ込めた。提督の想い初めて知り、それでも、否、それだからこそ、溢れる口惜しさ涙声に変え吹雪は提督に言葉向ける。
「でも、それじゃ、私の気持ちはどうなるんです!」
ゆっくりと提督が吹雪に顔を向ける。流れる涙拭おうともせず、吹雪は提督に食ってかかる。
「司令官のお役に立ちたい、司令官と一緒に戦いたい!その私の気持ちは、どうなるんです!」
なにか言おうとして提督は言葉見つけられないことに気づく。また顔を水平線に向け、もう沈んだ夕日の欠片を海の向こうに探すようにしながら提督は吹雪の問いには直接関係のない言葉を口にする。
「君たち艦娘は、人類の希望で、未来の礎で───」
もう一度顔を吹雪に向け、穏やかな微笑み浮かべ提督は一言吹雪に問う。
「───その君に、吹雪に、想いを寄せることを許しては貰えるのかな?」
その言葉に吹雪はきょとんとした表情浮かべるが、やがて陽の代わりに海を照らす月光に姿浮かばせ涙に濡れた頬拭わぬまま笑顔浮かべ答える。
「はい。この特型駆逐艦・吹雪が許します。」
おどけた声でそう伝える。提督の笑顔がもう一段広がるのに呼応して、吹雪の笑顔も輝きを増した。
海面を少女たちが疾走する。長門と陸奥を基幹とした水上打撃艦隊、その前衛を務める吹雪は水平線見据え艦隊に打電する。
「敵艦隊、補足!砲戦距離まで12分!」
全艦隊が増速する。少女たちが波を切る。今日も少女は闘い続ける。想い人を護るため、大切なものを護るため───
───いつか、静かな海を取り戻すその日まで。
了