鎮守府のレンガ造りの建物から第八駆逐隊の少女たちが駆け出してくる。
「さあ、間宮さんに急ぎましょう!」
「大潮、アゲアゲです!」
「クリームあんみつにしようかしらぁ~」
笑顔で走り出し一路甘味処・間宮を目指す少女たちの後ろから駆逐艦娘・満潮が姿を現す。
「みんな、そんなに急がなくても間宮さんは逃げないわよ…ほら、転ばないよう気をつけて」
姉妹艦を気遣い苦笑い浮かべ、満潮は三人の後から駆け出そうとする。その満潮の足を止めたのは背後から満潮にかけられた秘書艦・長門の声だった。
「ああ、満潮ちょうどいい、今館内放送をかけようと思っていた…提督がお呼びだ」
大潮と満潮の使う私室の中で、八駆の面々は満潮を待つ。朝潮は部屋の真ん中に立ち、荒潮はベッドに、大潮は机の前の椅子にそれぞれ腰かけて。やがて、部屋の扉が開き青い顔をした満潮が現れる。
「どうしたんです、満潮?そんなに青い顔をして」
心配そうに近づいてくる朝潮とは目を合わせれらないまま満潮は下を向いて呆然と呟く。
「新しい命令…第八駆逐隊から外れろって…私は、新しい艦隊で南方の深海棲艦泊地への突入作戦に備えろ、って…」
幽霊のような顔立ちの満潮がだらりと下げた手に持つ書類に朝潮は気づく。手を伸ばしその紙をそっと受け取り目を通す。どうやらそれは、命令書とは別に用意された新しく満潮が所属することになる艦隊の編成表。
【第一遊撃部隊(第二艦隊)第三群】 旗艦:戦艦「山城」
第二戦隊 戦艦 「山城」「扶桑」
第四駆逐隊 駆逐艦 「山雲」「満潮」「朝雲」
第二十七駆逐隊 駆逐艦 「時雨」
(附属) 航空巡洋艦 「最上」
呻くような声が朝潮から漏れる。
「…西村艦隊…!」
西村艦隊。かつての戦いで、第八駆逐隊の姉妹艦三隻を弔った満潮が最後に所属した部隊。レイテ沖海戦に参加し、駆逐艦・時雨除くほとんどの所属艦が海の藻屑と消えた悲劇の艦隊。満潮の名を持つ旧大戦の駆逐艦もまた、このレイテ沖海戦で戦没していた。
艦娘は名を抱くかつての艦艇の頃の記憶をわずかながらに受けつぐ。満潮とて、例外ではない。その満潮に、かつての悪夢が甦る。第八駆逐隊でたった一隻生き残り、失意の中で新しく所属することになり、そして自分の最後の舞台となった西村艦隊の戦いが。
青ざめた顔のまま細かく膝を震わせる満潮の耳に朝潮の穏やかな声が届く。
「満潮、」
その声に顔を上げた満潮の目に映ったのは、穏やかに微笑む朝潮と大潮、そして荒潮の姿だった。
「朝潮たちはここにいます…朝潮たちは、いなくなっていません」
その言葉に満潮は大きく目を見開く。そう、あの時と違い第八駆逐隊は誰ひとり失われてはいない。そのこと改めて確かめ、思わず小さく息をつく満潮に向かい朝潮は言葉続ける。
「司令官が何を思い満潮を今『西村艦隊』に所属させるのか朝潮にもわかりません…でも、司令官にはなにか考えがおありのはず。大丈夫、朝潮たち第八駆逐隊はいつでも満潮のことをここで待っています」
日々は過ぎ、満潮は海上の人となる。艤装を展開し、夜の海面を疾走する。満潮とともに海を駆けるはかつてのあの西村艦隊の面々。
「不幸だわ…なんでよりによってこの編成なのかしら」
「山城、そんなことを言うものではないわ。随伴艦のみなさんに失礼よ」
「扶桑姉さま…そういう意味じゃなくて…」
山城の不安が満潮には分かる。かつての戦いのとき、この編成で構成された西村艦隊は時を同じくして湾内に突入するはずだった栗田艦隊の反転を受けて、単独で敵泊地に突入した。その西村艦隊の辿った運命は今海上を疾走する艦娘たち全員の記憶に刻み込まれている。
「心配してもしょうがないよ…歴史は繰り返すと決まったワケでもなし」
後ろから航空巡洋艦娘・最上の声が届く。その言葉に、満潮は何とか縋ろうとする。しかし膨らむ不安は消えてはくれない。いつもの戦場での昂ぶりとは違った理由で激しく打つ鼓動をどうにもできないままいよいよ敵泊地の真ん中に突入を計ろうとする満潮の耳に、その時無線を通じて高らかな声が響き渡る。
「ぱんぱかぱーん!」
耳に響くは重巡洋艦娘・愛宕の声。かつての戦いでは結局現れなかった栗田艦隊旗艦の声。その声を聴いたとき、水平線の向こうから近づく僚艦たちの姿を捉えたとき、ようやく満潮の心にこれはかつての戦いとは違うのだ、との思いが微かながらも生じるのであった。
鎮守府の波止場に満潮は立つ。足腰がうまく定まらない。鎮守府に帰還し、整備兵に艤装を外してもらい、僚艦と帰還報告を終えてもまだどこか満潮はぼんやりとしていた。
「満潮!おかえりなさい!」
その声の方向に顔を向けると向こうから駆けてくるのは第八駆逐隊の面々。返事もできずぼんやりと近づく朝潮たちを待つ満潮の少し手前で三人は足を止め、満潮に笑顔向ける。
「司令官から正式にまた通達があると思いますが…第八駆逐隊、復活です。満潮は、また第八駆逐隊に戻ってくるようです」
朝潮の言葉が満潮の中でうまく形をとらない。それでもぼんやりとした頭の中で、また一緒になれるのだという思いが湧きあがる。知らず、涙一筋流す満潮に手を伸ばしその肩に手を置き、朝潮はもう一度今度は静かに言う。
「満潮、おかえりなさい」
帰ってきたのだ、あの海から帰ってきたのだ───ようやく、満潮の中にその実感が湧いた。
それから数日、勝利に終わった泊地突入作戦の疲れも癒えた頃、執務室に険しい顔をして腕を組み仁王立ちになり、提督と向き合う満潮の姿があった。
「ずいぶん怖い顔してるな、満潮」
「生まれた時からこの顔よ…それより、どういうつもりだったのか説明してもらえないかしら?」
「なんのことだ?」
「とぼけないで!この間の『西村艦隊』よ!」
一度荒げた声は治まることはなく、満潮は鋭い声で提督に切り込む。
「よりにもよってあの編成…なにか、意図があったとしか思えないわ。どういうつもりだったの!?」
提督相手にも臆することなく舌鋒を向ける満潮の姿、その満潮の厳しい表情に怯むこともなく提督は説明を始める。
「あの編成にした理由はふたつ…ひとつは、お前ら艦娘のトラウマ解消」
「トラウマ?」
「そう、恐れていたんだんだろう?あの編成、あの作戦を」
確かに、西村艦隊は、レイテ沖海戦は、満潮のトラウマだった。かつての自分が沈んだ戦い、その記憶は少女の姿に生まれ変わった後もおぼろげながらに残っていた。だから、提督は類似の作戦を類似の艦隊で決行した。今度は、戦いを勝利に終わらせるために。艦娘たちの忌まわしい記憶を払しょくするために。
効果はあった、と認めざるを得ない───不精不精ながらも納得する満潮の前で提督は更に言葉続ける。
「もうひとつは、満潮を一度第八駆逐隊から引き離すこと」
「え?」
「第八駆逐隊は仲がいいからな…俺の立ち入る隙などないくらいに」
今度は提督の言葉の意味が分からずに満潮は眉を寄せる。不思議そうな声で満潮は提督に言葉向ける。
「私たちに混じりたかったの?変わった願望持ってるわね」
提督が自分たち第八駆逐隊の少女たちに混じってキャッキャウフフしているところを思わず想像してしまい満潮は何とも言えない表情浮かべる。そんな満潮に向かい提督は更に言葉続ける。
「いやそうじゃなくて…一度、第八駆逐隊から離れて周りを見回せば俺のことも意識するようになるかもしれないと思ってな」
「は?」
「異性と、して」
バムッ!と音を立てそうな勢いで満潮の顔が朱に染まる。言葉の意味をはっきりとは悟れないまま本能的に提督の意図を感じ取って満潮は身体細かく震わせる。提督のいきなりの告白に言葉失う満潮の前で提督は椅子から立ち上がり、満潮とすれ違い執務室を離れざまに背中越しに満潮に声かける。
「ま、少し考えてくれよ…とりあえず、改めて作戦お疲れさん」
重い扉が閉まる音がする。その音を聞いても満潮は振り向けなかった。その場を動けなかった。
波止場に満潮はひとり立つ。海風に、髪なびかせながら。先ほどの提督の言葉が頭を渦巻き離れない。あまりに突然だった、提督の想いの発露。
「どうしよう…なんてこと言うのよ、あのバカ」
またも赤く熱く染まる頬を両手で挟む。海風は、火照った顔を冷ましてはくれない。いきなり自分の身に降りかかった出来事に、どうしよう、どうしようと頭の中をぐるぐるさせる満潮の耳に、後ろからコンクリを踏む足音が響く。
「満潮、」
「ひゃっ!?」
その声に背後から呼びかけられて飛び上がる。振り向けないままの満潮の横に提督は立ち並び、満潮ではなく海を見つめたまま満潮に問う。
「返事は、決まった?」
「へ、返事って、返事って…」
「告白の、返事」
そこまで言って提督は顔を上に向け顎に指を添え「あ、まだ告白してなかったな」と呟く。改めて提督は顔を真っ赤な満潮の横顔に向け、微笑み浮かべ言い放つ。
「好きだよ、満潮」
バクン!と派手に満潮の心臓が鳴る。そのままバクバクと激しい鼓動が満潮の身体揺らす。しどろもどろになりながら満潮は下を向きなんとか言葉絞り出す。
「そ、そんなこと言われても突然すぎたから…」
「こんなこと、どうやったって突然なもんさ」
「そ、それはそうだけど…私、こういうのよくわからないし…」
自分でも何を言っているのかわからないまま満潮は言葉続ける。
「わ、わからないけど悪い気はしなかったし…ううん、嬉しかったし…その、だから、し、司令官がそこまで私のこと想ってくれるなら……」
そこまで呟くと満潮は身を捻り、提督に向き合うと思いっきり頭を下げて大声で答えを口にする。
「よろしくお願いします、司令官!」
満潮の愚直なお返事に提督は一瞬ボケっとした顔見せるが、すぐに笑顔になって満潮に向かって手を伸ばす。
「ありがとう。嬉しいよ満潮」
「ちょ、ちょっとその手は何、私に何をする気!?いきなり調子に乗るな、バカッ!!」
きゅっと目を閉じ身を竦ませる満潮に提督は片手を伸ばす。そのまま満潮のほっぺたを片手で包み、提督は満潮に優しい声で囁きかける。
「満潮が怖がるようなことはしないさ…ゆっくり、やっていくよ」
「…ぅ…」
「だから…これから、よろしく満潮」
満潮の頬を包む提督の手は、大きくて暖かかった。
了