その日、公休日にもかかわらずパースはチェックスカートの制服姿で鎮守府本館の廊下を歩いていた。まだ馴染みきってはいない光景に僅かな違和感感じながら。廊下の角に差し掛かったところで、ちょうど角を曲がってきた提督にパースは出くわす。
「パース、」
「提督、こんにちは」
微笑み提督に挨拶する。パースの微笑みに自らも笑みで返し提督はパースに問いかける。
「今日は、公休日じゃなかったか?なにも昼間から鎮守府にこもらなくても」
「誰も、捕まらなくて。ひとりで街に出るのも、ね」
着任して日も浅く、まだパースの知り合いは少ない。懇意にしているABDA艦隊の面々も今日はお休みが重ならなかったのだろう。そう見当をつけると提督は更にパースに問いを向ける。
「食堂に向かうところか?」
「ええ、たまには寮の食堂以外で食べるのもいいかなと思って」
ふむ、と提督は改めてパースを見つめる。真っ直ぐに見つめられて、少しだけ居心地悪そうにパースは身じろぎする。そんなパースに提督は軽い口調で提案する。
「今日、俺も公休日でな…食事が出ないんで、自分で調達しなきゃいけないんだよ」
「そうなのね」
「よかったら、俺の部屋に来ないか?簡単な料理だがごちそうするぞ」
反射的に頬が赤くなるのを気づかれないよう祈りながらパースはこくんと小さく頷く。提督の手料理が食べられるなんてこんなに嬉しいことはない───片思いしている人の手料理が食べられるなんて。
提督私室のテーブルの前に席を取りパースはもじもじと身を揺する。殿方の部屋にひとり上がることに若干の警戒心を感じはしたが、提督を全面的に信頼することに決めてパースは提督の客となる。ダイニングにつながったシステムキッチンで提督がこちらに背中を向けて慣れた様子で何やら大きな中華鍋を掻きまわしているのが見える。
着任してどれくらいたった頃だろう、自分の想いを自覚するのは難しいことではなかった。気がつけば、いつでも提督の姿を目で追っていた。不慣れな異国の生活にあって提督の存在は確かにパースの心の拠り所となっていた。
やがて両手に皿を持って純白の制服にエプロン姿という一風変わった恰好の提督がダイニングに足を運ぶ。目の前に置かれた皿を見つめてパースの眉が少しだけしかめられる。どうやら卵を混ぜて炒めたらしいライスを無造作に盛り付けたその料理を見ながらパースの口からひとり言のような声が漏れる。
「これは…中華料理?」
「そう、炒飯。大雑把な料理で悪いけどな」
盛られたきつね色のライスを見つめながらパースはお皿の傍らのスプーンを手に取る。ひとさじ掬い、恐る恐る口に運ぶ。と、パースの口から思わずといった感じの言葉が漏れる。
「…おいしい」
「そうか、よかった」
「提督、料理上手なのね。どこで修行したというの?」
「はは、大げさだな」
オーバーに感動してみせるパースの言葉をまんざらでもなく聞きながら提督は自らも炒飯を頬張る。一度止まった手の動きを再開しながらパースも食事を続ける。しばらくふたり無言でスプーンを動かすが、やがてパースが提督に一言問う。
「提督、」
「ん?」
「なんで、私にお昼を作ってくれたの?」
それは、少なからぬ期待を込めた言葉。自分が特別扱いされていることを確かめたいがための言葉。そんなパースの期待知ることもなく提督はパースに簡単に応える。
「なに、パースもここに来てまだ日が浅いからな。食堂でメシを食ってもひとりだろうし、それも味気ないだろうと思ってな」
簡潔な提督の返事、その言外の意味もパースは感じ取る。別段、パースを誘ったことに深い意味があったわけではない。多分、それがパースでなかったとしても提督は同じことをしただろう。パースが、特別なわけじゃない。パースだけが、特別な位置にいるわけじゃない。
「…そっか」
かたん、とスプーンをテーブルに置く。沈む心を押さえることもできず、そんな立場じゃないのにとわかっていても落ち込む心ごまかすこともできず、パースは提督に知られぬよう自虐する。
ばかだ、私。
勝手に期待して、勝手に落ち込んで。
「…ちょっとだけ、期待しちゃった」
「ん?」
「私だから、特別扱いしてくれたんだって……そうだったら、いいなあって」
寂しげに微笑み顔を伏せ、自分が何を言っているかの自覚もないままパースは呟く。提督が驚く気配にようやく自分が何を口走ったのか悟り、炒飯を半分残したままパースは慌てて口を押さえてテーブルから立ち上がる。
「ごめんなさい!私、変なことを…」
もう提督の顔を直視できない。勢いで口にしてしまった言葉は取り消せない。これからどうしていいのかもわからず、それでも何かが決定的に変わってしまったことを嫌というほど思い知りながら、パースは瞳に溢れる涙見られぬよう急いで提督の部屋を逃げ出した。
桟橋に膝を抱えて座り込む。寄せる波音に身を任せる。先ほどの自分の愚行を頭から振り払おうとしてもうまくいかない。あれは、事実上の告白だ。自分の秘めていた想いを提督に告げたも同然の行いだ。
「…ばかだ、私」
膝の間に顔を埋める。こんな形で想いを差し出すつもりはなかった。いつか想いを伝える日が来るのだとしても、それは今日ではないはずだった。
「…Perth?」
自分を呼ぶ声に、顔をゆっくりと振り向かせる。演習明けなのだろう、オレンジの髪を海風に靡かせたABDA艦隊の僚艦の姿が目に映る。
「De Ruyter…」
不思議そうにこちらを見やるデ・ロイテルに濡れた瞳を向ける。パースの様子に驚いただろうにそんな気配は感じさせないままデ・ロイテルはたおやかにパースの傍らに腰を下ろす。
「どうしたの?元気、ないね」
「ちょっと、自分のバカさ加減に落ち込んでまして…」
興味深そうにパースの横顔をのぞき込むデ・ロイテルの顔は見返せないままパースは思い切って打ち明ける。
「提督に、告白した……告白したような、もん」
「やっばーい!」
口を覆いデ・ロイテルは少し大げさに驚いてみせる。細かな顛末は端折ってデ・ロイテルはいきなり核心に切り込む。
「で、提督のお返事は?」
「え?」
目をキラキラさせるデ・ロイテルのことを気がついたように見つめ返し、すぐに顔を逸らして正面の海に目線を向けパースは答える。
「聞いてないわ…すぐに、逃げ出しちゃったから」
ありゃ、とデ・ロイテルは肩を滑らせる。パースと同じ方角に顔を向け、寄せる波を見つめながらデ・ロイテルはパースに穏やかに言う。
「はっきりさせたほうがいいんじゃない?そこまで行ったなら」
「そうなんだけど…」
再び膝の間に顔を埋めパースは小さく漏らす。
「怖いよ」
もとより、こんなタイミングで明かすはずではなかった想いだった。もっと時間をかけてから、そう思っていた。それが臆病な自分への言い訳だったとしても。
「わかるわかる」とデ・ロイテルがうんうんと頷きながら呟く。海風の微かな音が、パースの耳に届く。動き出せないまま、自分はいつまでここにこうしているつもりなのだろう。それでもデ・ロイテルはいつまでも自分の隣で頷いていてくれるのだろう。そのことがなぜだかパースには分かり、そのことがとてもありがたかった。
翌日の日も暮れようという時間、パースは提督執務室への出頭を命じられる。再び逃げ出したいような気持ちに襲われながら、それでも逃げる言い訳など見つからぬまま、パースはどうしようもなく提督の目の前に顔を伏せて立つ。
唇を噛んで顔を伏せ提督の言葉を裁きの言葉であるかのように待つパースに、しかし提督はなかなか声をかけようとはしない。やがてようやく提督が口にした言葉は、パースには少しばかり意外な言葉だった。
「パース…少し、散歩しないか?」
夕暮れの鎮守府を進む提督の一歩後ろを顔を俯かせながらついていく。歩く間、ふたり無言を保つ。パースが無理せずともついてこれるようゆっくりと歩を進める提督がパースを誘ったのは、昨日パースがデ・ロイテルに提督への告白を告げたあの桟橋。
ひゅう、と吹き抜ける海風の感覚に思わず顔を上げる。夕陽に向かって立つ提督の制服姿の背中が目に入る。そのまま、パースに背中を向けたまましばらく提督は海に向かって視線を向けていたが、やがてパースに振り向くと言葉を向ける。
「悪かったな、こんなところまで連れてきて」
「いいえ…」
「執務室とかじゃ、流石にムードも何もないだろうと思ってな」
微笑みながらそんなことを言う提督の真意がわからない。思わず、軽く首をかしげる。金の髪と紫がかった碧眼に夕陽を受けるパースのことを真っ直ぐに見つめながら提督は告げる。
「夕焼けの海を臨む桟橋……『好きだ』、という言葉を捧げるにはなかなかの舞台だと思わないか?」
パースの心臓がひとつ、大きく響く。その響き抑えるようにパースは片手を胸に当てる。提督の姿がぼんやりと涙に霞む。答える言葉を探して、でも見つからないパースに一歩近づき提督は更に言葉重ねる。
「好きだよ、パース」
提督の手が伸び、パースの頬に添えられる。温かなパースの体温、提督の掌に伝わる。涙頬を濡らすのを感じながら、パースは提督の瞳見つめ囁く。
「…夕陽が、きれい」
提督の言葉には直接答えぬ言葉、その言葉の続きを待つ提督にパースは更に囁きかける。
「大切にしたい、この時代、この時間を…あなたを」
もう、逃げ出さない、離れない。自分の想いと、向かい合う。提督を好きだという自分の想い抱きしめ、パースはこれからもここで生きてゆく。
この愛しい人の傍らで。
了