訓練と演習に明け暮れる艦娘の日々、もう身体に染み付いたその日常、それでも日によって気が重い時もある。鎮守府本館の廊下を歩きながら陽炎は傍らの黒潮に愚痴を言う。
「あ~今日の訓練教導艦は神通さんかあ~…キッツー」
「神通はんホンマ厳しいからなぁ…憂鬱やわぁ~…」
頭の後ろで手を組んで歩く陽炎と隣を歩く黒潮が廊下の角を曲がって出くわしたのは軽巡洋艦娘・川内とまさに話題に挙げていたその人、神通だった。
「あ、あ、神通さん!」
「き、今日の訓練よろしくお願いします!」
冷や汗一筋額から垂らし、固い敬礼を捧げる陽炎と黒潮に神通は意味ありげとも見える微笑み向けてすれ違う。ふたりが遠ざかったあたりで川内が神通に耳打ちする。
「なあ、神通…」
「いいのよ」
微笑み浮かべたまま神通は川内の言葉封じる。神通が何を考えているのかはその笑みからはうかがい知れなかった。
その日、陽炎たちの訓練を終えて神通は提督執務室に立つ。神通の提出した訓練報告書に目を落としていた提督が顔を上げ満足げな表情を神通に向ける。
「ご苦労だった、神通」
「ありがとうございます」
「君の訓練結果はこちらの期待以上の値を出している。駆逐隊の練度の上昇の度合は想定を大幅に超えている。これからも頼むぞ」
「ご期待に応えます」
感情を表さない落ち着いた態度で神通は敬礼ひとつ提督に捧げる。それでもその瞳に強い光が宿っていることを提督は気づき、心強く思った。
波間を少女たちが駆け抜ける。時に砲撃の音が混じる。第八駆逐隊の実弾訓練、その指揮を執る神通の口から鋭い声が発せられる。
「荒潮さん、速度が落ちている!機関増速!」
「はい!」
はあはあと荒い息をつきながらそれでも荒潮は必死に主機関を増速させる。もう二時間半以上続いている高速機動訓練、第八駆逐隊の体力は限界だ。それでも決して訓練の手を緩めることなく、神通は荒潮の後ろから厳しい言葉ぶつける。
「加速が遅い!そのままだと深海棲艦に回り込まれる!沈められたいのですか!?」
「申し訳ありません!」
いつも余裕ある態度を崩さない荒潮ですら余裕失くし必死に食らいつくしかない鬼訓練。その厳しさに荒潮の加速を命じられた主機関が悲鳴をあげる。しかし、悲鳴をあげたのは主機関だけではなかった。
ふらり、と荒潮の上半身が揺れる。そのまま荒潮が海面に崩れ落ちる。水を打つ音を響かせて荒潮は海面に倒れ込み意識を失った。
鎮守府の医務室、パイプベッドで上半身を起こした格好の寝間着姿の荒潮の傍らでパイプ椅子に座る神通は身を小さくする。
「荒潮さん、ごめんなさい…」
「気にしないでください神通さん~。荒潮の、鍛え方が足りなかったんです」
穏やかな笑みを浮かべて荒潮は神通をフォローするが、神通の表情は和らがない。あまりに度を越した訓練強度だと、振り返れば自分でもわかっている。それでもあの時は自分を見失い過剰な負担を第八駆逐隊に負わせた。自分を見失ったその理由も、神通には分かっていた。
提督執務室、報告書に目を落とす提督の前で神通は硬い表情崩さぬまま立ち続ける。やがて、報告書を読み終えた提督が顔を上げ神通に語りかける。
「予定書に書かれていた訓練計画…実際に行われたものとは、だいぶ違うようだな」
「はい」
「この訓練内容では今の第八駆逐隊には厳しすぎるだろう。実際、荒潮が倒れた」
責めるような色を口調に混ぜるでもなく淡々と事実だけを述べる提督の態度がかえって今の神通には辛い。唇を噛み、続く提督の言葉を待つ神通に向かい提督はひとつ息をつくと神通に問いかける。
「なぜ、訓練内容を直前で変えた?功を焦ったか?」
「提督、」
提督の問いには直接答えることなく神通は目を閉じ一言請う。
「私を、解体処分としてください」
解体処分───艤装を解体し、本体は普通の女性に戻るということ。しかしこの鎮守府に″普通の女性″の居場所などない。その意味どこまでわかっているのか、いや、十分にわかっているだろう様子で神通は提督に言葉続ける。
「訓練のときは駆逐艦の子たちを見るべきです。彼女たちを、見るべきなんです……しかし私はあの時そうしなかった」
閉じた目から涙一筋流し、神通は辛そうに、それでも言葉続ける。
「私は、あのとき提督を見ていた…提督に褒められることばかり、提督に認められることばかり考えていた。提督に…あなたに、見てもらえることを」
沈黙が、執務室に降りる。目を開け、涙流しながら神通は提督の審判待つ。それほど長くない間ののち、提督が発した言葉はシンプルだった。
「解体処分は、認めない」
神通が何か言う前に被せるように提督は神通に強い口調で言い放つ。
「提出した訓練予定書と実際の訓練内容が違ったことには追って処分を下す。しかし、解体処分は認めない。神通、君には引き続き駆逐隊の訓練の一役を担ってもらう」
それだけ言うと「下がってよし」と提督は神通に退出を命じる。なにか言おうとして、それが何かも分からぬまま、提督の強い視線に押し出されるようにして神通は敬礼ひとつ捧げ心うちに消化できぬ何かを残したまま執務室をあとにした。
夕暮れの埠頭にひとり神通は立つ。波音響く埠頭に、波風に身を任せながら。その背後からしゃり、とコンクリを踏む足音が近づく。傍らに歩み寄り立つその人影の正体を知ったとき、神通の唇から小さな呟きが漏れる。
「提督…」
「まだ、納得がいかないか?」
波の方に視線を向けたまま提督はそう神通に問う。その提督の横顔しばらく神通は見つめていたが、やがて自分も波間に顔を向けると提督の問いに答える。
「私は、公私混同をしました。本来ならば私情を挟むことは許されない任務の最中に、私的な感情を……」
「誰しも、私情から完全に無縁ではいられんさ」
神通の言葉を折るように提督は神通に言葉向ける。そのまま腰を下ろし折った膝に肘を乗せた姿勢で提督は神通に言葉続ける。
「俺が君の解体処分を認めなかったのだって、純粋に艦隊のためだけじゃない。半分は、私情だ」
「え?」
「君を、失いたくなかったんだ」
可笑しそうに笑みを唇に浮かべて提督は驚いた表情浮かべこちらを見る神通に向かい言葉だけを向ける。
「神通に、ずっと傍にいてほしかったんだ…神通に、いなくなってほしくなかったんだ」
その言葉告げると提督は身を起こし神通に顔を向ける。提督の顔を真っ直ぐに見つめる神通見つめ返しながら提督は神通に向かい付け加える。
「完全な、公私混同だ。責めてくれていいぞ」
提督の言葉に頭を振る。胸を両手で押さえ、上がる鼓動を鎮めようとする。そのまま、ゆっくりとそのまま提督の方に身を寄せる。神通の華奢な身体を胸に収めながら提督が神通を優しく抱きしめる。
「本当なら、あなたを責めるべきなのでしょうか?でもできない…あなたの想いを、受け止めるのが精一杯で、責めることなんてできない」
「そうか」
「……これも、私情でしょうか?」
「そうかもしれないな……いいんじゃないか、それで?」
最後の夕陽が水平線に沈む。冷たさを孕んだ海風が神通に吹き付ける。その冷たさから守るように提督は神通を抱く腕に力を込める。
波の音がふたりを包む。
了