昼下がりの提督執務室、少女の明るい声がする。
「せやからな、不知火に言ったんや。『なんでいつもそんなに表情固いん?』って」
「不知火も気にしているだろうに…容赦ないな」
「容赦なんてしてたらあかんねん。思ったことはきっちり言わんと」
机に腰掛け片手をつき、提督の方に顔を向けて黒潮は恒例のお喋りを続ける。黒潮がオーバーアクション気味に身体を揺らし何か言うたびに、黒髪ボブが微かに揺れる。お喋りの時間ももういい時間だろうと提督の隣に控えていた秘書艦の大淀が遠慮がちに声にする。
「提督、そろそろお仕事に…」
「ん、いかん。少し話し込み過ぎたか」
「ほならな、司令はん。邪魔したわ」
よっ、と声を上げ机から飛び降りひらひらと手を振って黒潮は執務室を後にした。
「はあ…」
提督執務室の厚い扉に背を預け、黒潮はため息ひとつつく。
「もっと、言わないかんことはあるのになぁ…」
うなだれ、足元見つめながら黒潮はひとり呟く。気安く話せる提督との関係、それはそれ以上でも以下でもない。秘めた想いを胸に隠し、笑顔が少し硬いことがバレないように祈りつつ、提督とのひと時の時間を求めて執務室に通う日々。
そんな日々が続けばいいのかもしれない。そんな日常が、送れればいいのかもしれない。知るのは怖い、変わるのは怖い。提督への想いを心に閉ざし、ほんのひと時の安らぎに身を任せる、そんな日々が続いてくれればいい。
うん、とひとつ頷いて黒潮は廊下を歩き出した。
次の日も執務室に黒潮の姿はあった。特段、変わることのない日常。その日も黒潮は最近あった小さな出来事を提督に向かい開陳する。
「そんでな、浦風とケンカになったんや。普通お好み焼きの下に焼きそばは敷かんよなあ~…」
「悪いが宗教戦争に口を挟むのは遠慮させてもらう」
提督のつれない態度にぷくっとほっぺたを膨らませ、次の瞬間にはへらっと笑ってみせる。そんなころころと変わる黒潮の表情を見つめていた提督が机に両肘をつきながらしみじみとした口調で誰にともなく言う。
「こうしてみると、黒潮も普通の女の子だよなあ~」
「なんやそれ?なんか、今まで異常な女の子に見られてたみたいやな」
「いや、そういう意味じゃないんだが…」
「それに『普通の女の子』やないで。『普通じゃない美少女』や」
「自分で言うか?まあ、否定はしないでおこう」
呆れたような微笑み浮かべ提督は黒潮見つめる。その提督の真意のほどは今の黒潮には分からなかった。
埠頭にひとり、黒潮は立つ。その日提督に呼び出されたのだ。改まってなんだろうと黒潮は考える。まさか愛の告白なんて…と思わず都合のよすぎる妄想をしてしまいニヤける頬を引き締める。
「黒潮、」
自分を呼ぶ声に振り返ると果たして提督その人がこちらに近づいてくる。逸る鼓動を鎮めるように片手で胸を押さえ、顔にはいつも通りの明るい笑顔浮かべて黒潮は提督にお返事する。
「司令はん、どうしたん?こんなところに呼び出して、うちに愛の告白?」
「シチュエーション的には最高なんだがな…幸か不幸か、そうじゃない」
分かってはいたことだが思っていたより落胆してしまい、黒潮は失望が表情に現れないよう微笑みを顔に固定する。そんな黒潮の努力には気づかないまま提督は黒潮の傍らに立ち、海を見つめながら黒潮に単刀直入な言葉向ける。
「黒潮、艦娘を辞める気はないか?」
「え?」
「生まれながらの艦娘を辞める、ってのも変か…つまり、鎮守府を離れるつもりはないかってことだ」
言葉の意味を正確に理解するより早く足元が崩れる感覚がする。張り付いた微笑みはそのままで、黒潮は震える声を提督の横顔に向ける。
「なんやそれ…なんで、突然…」
「考えたんだがな」
黒潮の方は見ないで顔を海に向けたまま、黒潮の様子には気づけぬまま、提督は黒潮に語りかける。
「黒潮を見ていて、『ああ、本当に普通の女の子なんだな』と思ってな。海に生まれた者とはいえ、本来人類のために戦いに身を捧げる義務も謂れもないんだよな、と」
穏やかに響く提督の声、その声につき離される感覚がする。なにか言わなくてはと思いつつ、なにも言えない黒潮の視線横顔に受けながら提督は更に言葉続ける。
「学校に通って、普通の生活をして…そんな、当たり前の日常の方が黒潮にはあっているんじゃないかと思えてな」
「………」
「なに、黒潮ひとり除籍にするくらいどうにでもなる。他の娘たちにはうまいこと言って…」
「いやや!」
堪らず、それだけ絶叫する。驚いたように提督が黒潮の方に顔を向ける。その提督の瞳ひたと見据えながら、外れた蓋から噴水が決壊するように黒潮は言葉の波一気に提督に向ける。
「鎮守府を離れるなんていやや!ここからいなくなるなんていやや!うちは、うちは…」
涙瞳から溢れさせ、縋るような視線提督に向け、黒潮は涙声で叫ぶ。
「司令はんと、離れたくない!」
間違っていた。
日常なんて、簡単に壊れる。いつも通りの日々なんて、あっけなく失われる。いつまでもこのまま、なんて甘えだった。そう黒潮は痛感し、今まで胸の奥底に秘めていた想い、ありのまま提督に向かい迸らせる。
「お願い、うちを鎮守府から追い出すなんて言わんといて!司令はんと離れ離れにするなんて言わんといて!戦いの日々だってかまわない、そんなの全然気にしない、うちは司令はんと離れるのが一番辛い!」
それだけ一気に提督に伝えてうなだれ、しゃくりあげながら黒潮は提督の続く言葉を待つ。そんな黒潮の様子を提督はなにも言えぬまま見つめていたが、ひとつため息をつくとひとり言のように呟く。
「…結局は、俺のエゴだったってことか」
身体を黒潮の方に向け、一歩黒潮に近づいて提督は黒潮に向けてというよりも波に向けてとでもいうかのように語りだす。
「お前ら、艦娘を戦いに駆り出さなきゃいけないのだとしたら…それが、避け得れないのだとしたら、せめて自分にとって一番大事な娘だけでも平和な世界に、と思ったんだけどな」
その言葉に黒潮は顔を上げる。頬を濡らす涙拭おうともせず、言葉の意味を胸の中で反芻しながら、黒潮はぽかんとした表情で提督の続く言葉を待つ。
「考えてみれば、それも勝手な話か。ひとりだけ平和な世界を享受する、黒潮はそんな娘じゃないよな」
「…そうやで。平和な世界を見るならみんな一緒や」
頬に涙光らせながら、それでも微笑んでそう言って見せる。そんな黒潮にひとつ頷いてみせると提督は再び海に顔を向け傍らに立つ黒潮に言葉向ける。
「いつか、戦争が終わったら…」
そこで一度言葉を切り、提督は黒潮に簡単に問う。
「その時は…それからも、俺と平和な世界に生きてくれるか?」
返事の代わりに制服の裾を摘む。そのまま、提督に縋りつく。自分に身を寄せる黒潮の温かな体温感じながら提督は黒潮の肩に手を回す。
この先待つ日々がどんなものであってもいい。何が変わろうが恐れない。ただこの人が隣にいてさえくれれば───
───そう黒潮は心に刻む。
了