黄緑を基調色とした動物のイラストのあしらわれた小さなバスは小さな山の山腹と麓を繋ぐ。その小さなバスが山腹のこじんまりとした停留場に着いたところで、バスから薄いグレーのパーカーワンピと同系色の濃灰のスプリングコートを纏った小柄なプラチナブロンドの少女が青年を付き従え降りてくる。紺のジャケットに白シャツ、ベージュの綿パン姿のその青年が少女に向かって声をかける。
「こんなところに動物園があるのか」
意外そうな青年の言葉に少女は頷く。人類の存亡を賭けた戦いに日頃身を投じる提督と艦娘も、オフの日にこうして私服姿に身を包めば一般人と区別がつかない。それでも一般人に完全に溶け込むには天津風はちょっとばかり美少女すぎる。その天津風に提督は歩きながら更に言葉向ける。
「しかし動物園に行きたいとはなー。意外と天津風っておこちゃま趣味なところがあるんだな」
「お、おこちゃまっ!?わ、私は別に動物園じゃなくてもよかったのよ!ただあなたが動物園を喜ぶだろうと思って!」
何を根拠にと思うが、お出かけしたい先を聞いた際に真っ先に「動物園!」と勢い込んで答えたのを忘れたのかと思うが、天津風の機嫌を損ねることを恐れて提督はあえて深入りしない。余計なことを言って天津風を不機嫌にさせる代わりに提督はジャケットの内ポケットに突っ込んでいた動物園のパンフレットを片手で広げて独り言つ。
「へえ…コアラもいるのか」
「そう、そうなのよ!なんてったって今回それがお目当てで…」
声を一段高くしてまくしたてる天津風に注がれる提督の視線に気がついて、天津風は慌てたように言葉続ける。
「わ、私は別にコアラなんてどうでもいいのよ!ただあなたがコアラを見たいだろうと思って!」
「そうですか…お気遣いありがとうございます」
天津風の機嫌を損ねることを恐れてツッコミを入れない提督であった。
山腹に開いたトンネルの横にある券売機でふたり分のチケットを買う。もはやワクワクを隠せない様子で吹き流しのついた髪をぴこぴこさせる天津風にチケットを一枚渡し、提督は天津風とトンネルを潜る。パステルカラーに内壁を塗られたトンネルを抜けると大きく視界が広がり、天津風たちは動物園の客となる。
「わあ…」
思わず声を漏らしながら天津風は動物園を見渡す。艦娘たちの非番の日は土日祝とは関係なく、平日の動物園は人影もまばらで解放感もひとしおだ。きょろきょろと天津風は辺りを見回し、正面に見えるキリンに近づいていく。
キリンの次はゾウ、ゾウの次はサイとふたりは動物たちを鑑賞してゆく。ゆるやかなスロープになっている道を登りながら天津風は感に堪えないといった様子で呟く。
「サイって大きいのねえ…あんなのが突進してきたら艤装を纏っていてもひとたまりもないわね」
「海上でサイに会うこともないだろうけどな」
「でもあの目がかわいい」
「独特のセンスだな」
かわいいのは天津風だよ、と提督は微笑み浮かべ口の中だけで呟く。そんな提督の様子には気が付かぬまま天津風は提督の隣からいきなり駆け出し、しばらく先でくるりと振り向くとはしゃいだ声をあげる。
「ほら、あなたー!早くしないと先行っちゃうわよー!」
「そんなに急がなくても動物たちはいなくならないよ…おーい、待ってくれー」
またもこちらに背中を向けて駆け出す天津風を追いながら、動物園も意外と悪くないかもなと提督は思うのであった。
百獣の王、ライオン。そのたてがみに覆われた威圧感ある風貌がこちらをじっと見つめている。
「あ、あ、あ、あなた、怖がらなくても大丈夫よ?私が、あなたを守ってあげるから…」
「いえ、べつに怖がってはいませんが…というか天津風、俺の背中に隠れてちゃライオン観られないんじゃないか?というか天津風、ジャケット引っ張らないでくれ」
突然、ライオンが空に向かいグオオオウ!と高らかに咆哮する。
「ぴー!ぴー!」
「大丈夫大丈夫天津風、怖がらなくても大丈夫…というか、ジャケット引っ張らないでくれ。破れる」
ライオンの展示場を離れてしばらく、芝生の上にランチョンマットを広げてふたりはしばしの休息をとる。
「いや天津風があんなにライオンを怖がるとは思わなかった」
「こ、怖くなんかなかったわよ!?本当なんだから!」
顔を真っ赤にしながらこの期に及んでそんな台詞を言ってのける天津風に気づかれぬよう提督は小さく笑う。そんな提督の表情には気づかぬまま天津風は「怖くなんかなかったんだから」「本当なんだから」とかなんとか呟きながら背負っていたパックパックを持ち直し、中から大きめのバスケットを取り出す。バスケットを開くと色とりどりのおかずとサンドイッチの列が提督の目に飛び込む。
「…おいしそうだな」
「そ、そうかしら?あまり期待しないで、食べてみて」
早速といった様子で提督はサンドイッチに手を伸ばし、ひとつ口の中に放り込む。もぐもぐとサンドイッチを咀嚼して飲み込み、指を舐めつつ提督は簡単に告げる。
「ん、すごくおいしい」
「ホント?よかったぁ、瑞鳳さんの特訓を受けた甲斐が…」
言いかけてそこで言葉を区切り、天津風はまたも顔を真っ赤に染めてこうのたまう。
「べ、別にあなたのためじゃないからね!?わ、私がおいしいもの食べたかっただけなんだから!!」
「あ、そうですか…それでは遠慮なくお召し上がりください」
ぶつぶつなにやら呟きながらサンドイッチに手を伸ばす天津風の分かりやすいツンデレっぷりに提督はまたも天津風に気づかれないよう小さく笑うのであった。
オセアニア地区の動物を展示するエリアに近づくにつれ、分かりやすく天津風のテンションが上がる。吹き流しのついた長い髪をぴこぴこさせ、今にも踊りだしそうな雰囲気を醸し出しながらスキップで歩を進める。カンガルーの群れを眺め、ワライカワセミを目で追って、ようやくたどり着いたのは曲線を基調とする大きくて立派なコンクリ製の建物。
「この建物の中にコアラちゃんが…」
思わず、といった様子で呟く天津風は、自分が呟いていることにも気がついていない。ごくりと一回喉を鳴らし、天津風は建物の中に足を踏み入れる。
コアラの住んでいるエリアを見下ろすようにガラス張りの廊下が建物を貫いている。その廊下で天津風は身を乗り出すようにしてユーカリの樹の上にコアラの姿を求める。
身体ごと首を左右に傾け、伸びをしたり身を更に乗り出したりしながら天津風はユーカリの樹を視線で貫くようにして見つめる。しかし、一向にコアラの愛くるしい姿は見つからない。
「見えにゃい…」
くすん、と天津風は鼻を鳴らす。その天津風の背中越しに立つ提督は困ったような表情で天津風を見下ろしていたが、やがて自らも視線をユーカリの並ぶ展示場に向ける。
「お、あそこにいるのそうじゃないか?」
「え、どこ!?」
「ほら、この指の先」
言いながら人差し指をガラス越しにユーカリの樹の太い枝に向ける提督の指す方角に天津風の見開かれた瞳が向けられる。零れ落ちそうなほど大きく目を見開く天津風の唇から甲高い声がひとつ放たれる。
「いた!コアラだ!」
天津風の視線の先でユーカリの樹の幹に掴まったコアラがのっそりとこちらに顔を向ける。くるくるとした瞳におっきなお鼻、その愛くるしい姿が天津風の姿を捉えたか真っ直ぐに天津風を見上げてくる。
気がつくと、隣の樹からもコアラが天津風をきょとんと見上げてる。向こうの樹に掴まるコアラもまた、天津風と視線を交差させる。
ほぅ、と天津風の唇からため息が漏れる。ガラスに顔がくっつくんじゃないかというくらいみを乗り出させながら天津風は夢中でコアラを見つめる。
「かわいい…コアラ、かわいい…」
思わず漏れる小さな独り言、その呟きを聴きながら提督は微笑み顔に浮かべる。その提督の視線はコアラを見てはいなかった。その視線は、天津風の横顔に注がれていた。
了